16 / 27
第十六章
しおりを挟む
週明けから、キャスリンは復学した。
再起不能とまで噂されたキャスリンは、療養の末に復調したが、結局、婚約は解消されてしまった。
それだけでも憐れを誘うのに、事故当時、胸に抱え持っていた書物が悲哀を誘って、久しぶりの学園は忖度と気遣いと同情の塊だった。
キャスリンは密かに、間もなく舞台化されるのではと噂される被害者令嬢と呼ばれており、『恋人の心を取り戻す方法100選』は乙女のバイブルとなっていた。
こちらを慮る温かな視線が、針の筵と思えるなんて。
授業中に目が合った教師まで、気の毒そうな眼差しを向けてくるので、黒板を見ることすらままならなかった。
学園ではもう一つ、シンシアとヘンドリックの婚約話で密かに沸いていた。
聞く気がなくとも聞こえてくる。ヒソヒソと語る言葉とは、なぜにこれほど耳に届くものなのか。
シンシアとヘンドリックは、あれから婚約していた。アルベールとシンシアの婚約もまた解かれた。
王太子と目されて育ったアルベール。正妃が王子を産んだことで、身分も生き方も変えざるを得なかった悲運の王子。
その王子が婚姻式を半年後に控えて、婚約者を側近でもある従兄弟に奪われた。婚約者のことを大切にしていたというのに。
傍から聞いていれば、アルベールのほうがよほど物語に相応しいだろう。王子の不幸話ということでご法度にされているのだろうが、噂を聞いた隣国でなら小説にでもされて流行っても仕方ないと思われた。
来年の今頃は、吟遊詩人が国も名前も架空のものに変えて、悲恋の物語として興行するのは目に見えていた。
そんな噂が行き交う学園で不幸中の幸いだったのは、シンシアとキャスリンが違う教室で学んでいることだった。
キャスリンは「一般科」、シンシアは「淑女科」で学んでおり、教室は少しばかり離れている。
お互いのために顔を合わせないのが一番だし、シンシアだって同じ気持ちだろう。
アルベールは今頃、どうしているのだろう。ヘンドリックとアルベールは同じ教室で学んでいる。そもそもヘンドリックは、アルベールの側付きなのであるから、それも当然だろう。
キャスリンは、本心からアルベールを案じてはいなかった。彼の強心臓ぶりは知っていたはずなのに、先日、あの追試の帰り道で、それが凍える鋼鉄製なのだとわかったばかりだ。
あんな優顔をして、あんなふわりさらりと金の髪を風に靡かせ微笑むアルベールに、みんな見たままを彼だと思っている。
キャスリンは暫く大人しくしていたかったから、昼時も教室でランチボックスを一人つつく。淋しくないわけではないが、教室は今の学園で唯一の安全地帯だった。
だが、キャスリンには気掛かりなことが残っていた。それで、その日は思い切って昼休みに彼を尋ねた。
「ス、ス、スペンサー侯爵令嬢、ちょ、ちょ、ちょとお待ちをっ」
扉の前にいた男子生徒に用件を伝えれば、彼は噂の令嬢の登場に慌てふためき、バタバタと騒々しく音を立てて彼を呼びにいった。
途端に今度は、ドタドタと騒々しい物音がして、それはキャスリンの目の前に迫ってきた。
「ス、ス、スペンサー侯爵令嬢、お呼びと聞いたっ」
「ご、ご、ご機嫌よう。ベルフォート男爵ご令息」
余りの勢いに気圧されて、キャスリンまで吃ってしまった。
「そ、その節は、お助け頂きありがとうございました」
ベルフォート男爵家嫡男であるロドリゲスは、あの日、階段から転落して意識を失ったキャスリンを、保健室まで運んでくれた青年である。
全身を打ったキャスリンを抱き上げる際にも、頭も身体も揺らさぬように、しかしながら速やかに保健室まで運んでくれた。
彼は騎士科で、怪我人の手当てといった医療も学んでいたから、その辺りの知識が身についていた。
保健室に運び終えてからも、テキパキと教諭の指示に従って医師が到着するまでの手当てを手伝ってくれたという。
「当然のことをしたまでです。それに、貴女のご生家から既に過分なお礼を頂戴しております。なにより、殿下からも褒賞⋯⋯、兎に角、礼には及びません」
チラッとアルベールの話題が出たような気がするも、ロドリゲスはそこには触れてほしくないようなのがキャスリンにもわかった。
「直接お礼を申し上げたかったのです。その、重かったでしょ?」
途端に乙女の恥じらいをみせたキャスリンに、ロドリゲスはあわあわと慌てた。
「そ、そよ風のようでした」
あまりに嘘くさい言葉に、キャスリンが胡乱な眼差しを向けると、ロドリゲスは「は、羽のようでした」と言い直した。
そんなわけ、ないだろう。
取り敢えず、心に残っていたお礼を言い終えて、キャスリンは騎士科の教室を後にした。
ここからは、慎重に移動しなければならない。来る時も十分注意をしていたが、復路こそ気を抜いてはならない。
だが、キャスリンは甘かった。
気を抜こうが抜くまいが、やって来るものはやって来る。
騎士科の並びに領地経営科がある。その奥が淑女科で、キャスリンの教室はその向こうの最奥に位置していた。
二階に位置する教室へは、廊下の中ほどに階下から上がってくる階段があり、そこは合流地点となっている。今のキャスリンが通過するのに最も気をつける場所だった。
だからキャスリンは用心深く廊下を歩いた。今なら思う。さっさと歩けばよかったのだ。寧ろ、はしたないと後ろ指をさされる覚悟で走り抜ければよかったのだ。
それなのに、用心に用心を重ねてそろりそろりと歩いて、階下からの合流地点に差し掛かったその時に、キャスリンはヘンドリックと出くわした。
ヘンドリックは、居るはずのないキャスリンと鉢合わせとなり、彼らしくなく表情を変えた。その横にはシンシアがおり、あの特徴的な白金の髪を揺らして立っていた。
エメラルドより鮮やかな深い翠の瞳が、キャスリンを見つめてバチリと目が合った。
再起不能とまで噂されたキャスリンは、療養の末に復調したが、結局、婚約は解消されてしまった。
それだけでも憐れを誘うのに、事故当時、胸に抱え持っていた書物が悲哀を誘って、久しぶりの学園は忖度と気遣いと同情の塊だった。
キャスリンは密かに、間もなく舞台化されるのではと噂される被害者令嬢と呼ばれており、『恋人の心を取り戻す方法100選』は乙女のバイブルとなっていた。
こちらを慮る温かな視線が、針の筵と思えるなんて。
授業中に目が合った教師まで、気の毒そうな眼差しを向けてくるので、黒板を見ることすらままならなかった。
学園ではもう一つ、シンシアとヘンドリックの婚約話で密かに沸いていた。
聞く気がなくとも聞こえてくる。ヒソヒソと語る言葉とは、なぜにこれほど耳に届くものなのか。
シンシアとヘンドリックは、あれから婚約していた。アルベールとシンシアの婚約もまた解かれた。
王太子と目されて育ったアルベール。正妃が王子を産んだことで、身分も生き方も変えざるを得なかった悲運の王子。
その王子が婚姻式を半年後に控えて、婚約者を側近でもある従兄弟に奪われた。婚約者のことを大切にしていたというのに。
傍から聞いていれば、アルベールのほうがよほど物語に相応しいだろう。王子の不幸話ということでご法度にされているのだろうが、噂を聞いた隣国でなら小説にでもされて流行っても仕方ないと思われた。
来年の今頃は、吟遊詩人が国も名前も架空のものに変えて、悲恋の物語として興行するのは目に見えていた。
そんな噂が行き交う学園で不幸中の幸いだったのは、シンシアとキャスリンが違う教室で学んでいることだった。
キャスリンは「一般科」、シンシアは「淑女科」で学んでおり、教室は少しばかり離れている。
お互いのために顔を合わせないのが一番だし、シンシアだって同じ気持ちだろう。
アルベールは今頃、どうしているのだろう。ヘンドリックとアルベールは同じ教室で学んでいる。そもそもヘンドリックは、アルベールの側付きなのであるから、それも当然だろう。
キャスリンは、本心からアルベールを案じてはいなかった。彼の強心臓ぶりは知っていたはずなのに、先日、あの追試の帰り道で、それが凍える鋼鉄製なのだとわかったばかりだ。
あんな優顔をして、あんなふわりさらりと金の髪を風に靡かせ微笑むアルベールに、みんな見たままを彼だと思っている。
キャスリンは暫く大人しくしていたかったから、昼時も教室でランチボックスを一人つつく。淋しくないわけではないが、教室は今の学園で唯一の安全地帯だった。
だが、キャスリンには気掛かりなことが残っていた。それで、その日は思い切って昼休みに彼を尋ねた。
「ス、ス、スペンサー侯爵令嬢、ちょ、ちょ、ちょとお待ちをっ」
扉の前にいた男子生徒に用件を伝えれば、彼は噂の令嬢の登場に慌てふためき、バタバタと騒々しく音を立てて彼を呼びにいった。
途端に今度は、ドタドタと騒々しい物音がして、それはキャスリンの目の前に迫ってきた。
「ス、ス、スペンサー侯爵令嬢、お呼びと聞いたっ」
「ご、ご、ご機嫌よう。ベルフォート男爵ご令息」
余りの勢いに気圧されて、キャスリンまで吃ってしまった。
「そ、その節は、お助け頂きありがとうございました」
ベルフォート男爵家嫡男であるロドリゲスは、あの日、階段から転落して意識を失ったキャスリンを、保健室まで運んでくれた青年である。
全身を打ったキャスリンを抱き上げる際にも、頭も身体も揺らさぬように、しかしながら速やかに保健室まで運んでくれた。
彼は騎士科で、怪我人の手当てといった医療も学んでいたから、その辺りの知識が身についていた。
保健室に運び終えてからも、テキパキと教諭の指示に従って医師が到着するまでの手当てを手伝ってくれたという。
「当然のことをしたまでです。それに、貴女のご生家から既に過分なお礼を頂戴しております。なにより、殿下からも褒賞⋯⋯、兎に角、礼には及びません」
チラッとアルベールの話題が出たような気がするも、ロドリゲスはそこには触れてほしくないようなのがキャスリンにもわかった。
「直接お礼を申し上げたかったのです。その、重かったでしょ?」
途端に乙女の恥じらいをみせたキャスリンに、ロドリゲスはあわあわと慌てた。
「そ、そよ風のようでした」
あまりに嘘くさい言葉に、キャスリンが胡乱な眼差しを向けると、ロドリゲスは「は、羽のようでした」と言い直した。
そんなわけ、ないだろう。
取り敢えず、心に残っていたお礼を言い終えて、キャスリンは騎士科の教室を後にした。
ここからは、慎重に移動しなければならない。来る時も十分注意をしていたが、復路こそ気を抜いてはならない。
だが、キャスリンは甘かった。
気を抜こうが抜くまいが、やって来るものはやって来る。
騎士科の並びに領地経営科がある。その奥が淑女科で、キャスリンの教室はその向こうの最奥に位置していた。
二階に位置する教室へは、廊下の中ほどに階下から上がってくる階段があり、そこは合流地点となっている。今のキャスリンが通過するのに最も気をつける場所だった。
だからキャスリンは用心深く廊下を歩いた。今なら思う。さっさと歩けばよかったのだ。寧ろ、はしたないと後ろ指をさされる覚悟で走り抜ければよかったのだ。
それなのに、用心に用心を重ねてそろりそろりと歩いて、階下からの合流地点に差し掛かったその時に、キャスリンはヘンドリックと出くわした。
ヘンドリックは、居るはずのないキャスリンと鉢合わせとなり、彼らしくなく表情を変えた。その横にはシンシアがおり、あの特徴的な白金の髪を揺らして立っていた。
エメラルドより鮮やかな深い翠の瞳が、キャスリンを見つめてバチリと目が合った。
5,755
あなたにおすすめの小説
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
【完結】捨てたものに用なんかないでしょう?
風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。
戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。
愛人はリミアリアの姉のフラワ。
フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。
「俺にはフラワがいる。お前などいらん」
フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。
捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。
記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~
Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。
走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。
冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない
くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、
軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。
言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。
――そして初めて、夫は気づく。
自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。
一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、
「必要とされる存在」として歩き始めていた。
去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。
これは、失ってから愛に気づいた男と、
二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。
――今さら、遅いのです。
行ってらっしゃい旦那様、たくさんの幸せをもらった私は今度はあなたの幸せを願います
木蓮
恋愛
サティアは夫ルースと家族として穏やかに愛を育んでいたが彼は事故にあい行方不明になる。半年後帰って来たルースはすべての記憶を失っていた。
サティアは新しい記憶を得て変わったルースに愛する家族がいることを知り、愛しい夫との大切な思い出を抱えて彼を送り出す。
記憶を失くしたことで生きる道が変わった夫婦の別れと旅立ちのお話。
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
【完結】留学先から戻って来た婚約者に存在を忘れられていました
山葵
恋愛
国王陛下の命により帝国に留学していた王太子に付いて行っていた婚約者のレイモンド様が帰国された。
王家主催で王太子達の帰国パーティーが執り行われる事が決まる。
レイモンド様の婚約者の私も勿論、従兄にエスコートされ出席させて頂きますわ。
3年ぶりに見るレイモンド様は、幼さもすっかり消え、美丈夫になっておりました。
将来の宰相の座も約束されており、婚約者の私も鼻高々ですわ!
「レイモンド様、お帰りなさいませ。留学中は、1度もお戻りにならず、便りも来ずで心配しておりましたのよ。元気そうで何よりで御座います」
ん?誰だっけ?みたいな顔をレイモンド様がされている?
婚約し顔を合わせでしか会っていませんけれど、まさか私を忘れているとかでは無いですよね!?
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる