キャスリン・アダムス・スペンサーの忘却

桃井すもも

文字の大きさ
21 / 27

第二十一章

しおりを挟む
 エドワード殿下との約束で兎を狩らねばならないアルベールは、それから間もなく馬にまたがり森へと分け入った。
 白狐を狩ったらキャスリンに贈ると言ったアルベールは、馬もまた芦毛である。

 キャスリンが贈ったリボンをアルベールは左腕に結んだ。片手で結ぶのは無理であったから、途中でヘンドリックが代わって結んでやっていた。
 そんな彼も、シンシアからと思われるリボンを胸ポケットに仕舞っており、緑色のリボンの端がチーフのように見えていた。

 ヘンドリックは、シンシアとの関係を受け入れていた。学園でも二人が一緒の姿を度々目にしていたし、側付きであるヘンドリックに、アルベールはシンシアとの交流に便宜を図っているようにも見えた。

 アルベールとは対照的に、黒馬に乗ってアルベールの後を追うヘンドリックの後ろ姿を見つめていると、

「まだ思いを残しているの?」

 そう側妃に尋ねられた。

「いいえ。領地で静養する間もその後も、ゆっくり心を静める時間がございましたから、気持ちは定まっておりました。今はただ、少しばかり懐かしく思えて。彼とは婚約する前から面識がありましたし」

 そう答えれば、側妃は憐憫のこもった眼差しでキャスリンを見つめた。

「貴女の気持ちは、私も理解できるわ」

 そんな側妃を、今度は母が憐れむように見つめていた。

 側妃には元々婚約者がいたのだが、国王に嫁ぐ為にその婚約は解かれている。睦まじい仲であったのに、国と王家と貴族の事情に絡め取られて失ってしまった縁である。

 そのことを国王も王妃もわかっていたから、無くしてしまった女の幸せを嘆くことなく国の為に一身を捧げた側妃のことを、二人も気遣っているのだという。

 一度は国母と尊ばれながら、エドワード殿下が生まれてからは、側妃の立場とは慎重を求められるものとなり、その姿はどこかキャスリンに似ているように思えた。

 母も政略での婚姻であったが、当時は当たり前だった幼い頃に結ばれた婚約は、父と母に確かな愛情を育んで、二人は今もすこぶる仲が良い。

「女の幸せとは、付き添う夫で右にも左にも変わるものよね。ですがキャスリン。幸せは他者が決めるものではないわ。貴女の心が愛を感じられるなら、それはきっと幸福なことだと思うのよ」

 そういう側妃は幸せなのかと考えて、アルベールそっくりの優しげな顔には、一時でも王の寵愛を授かった幸福な貴族令嬢の面影が残って見えた。


 それは行き成りのことで、キャスリンはなにが起こったのか咄嗟にわからなかった。

 森の小径から白いものが見えたと思うと、芦毛の馬が現れた。

「アルベール様?」

 思わず口から零れた名に、側妃も立ち上がってしまった。
 つい先程、森に分け入った筈のアルベールが戻ってきた。護衛も、一緒に連れていた犬もいない。ヘンドリックの姿はどこにも見つけられなかった。

 アルベールは、真っ直ぐこちらを目指してやってきた。

「キャスリン、おいで」

 側妃のテントの前に着いて、アルベールはそう言ってキャスリンに手を差し伸べた。

「どこへ?」

 アルベールの言っていることがわからずに、キャスリンは尋ねた。

「森へ行くよ」
「え?私、ドレス姿だわ」
「構わない。落ち葉の一枚も君のドレスに触れさせないから、さあ、早く」

 そう言って、アルベールはとうとう馬から降りてしまった。

「アルベール様、どうしちゃったの?」

 こちらに近寄るアルベールに再び尋ねれば、アルベールはまるで幼い頃のようにキャスリンを悪戯めいた瞳で見た。

「白狐がいた」

 彼は、周囲に聞こえないほどの声音でキャスリンに教えた。

「え?」
「狩ってはいないよ。君に見せたくて引き返してきた」
「護衛は?犬は?ヘンドリック様は?」
「狐を追っている。大丈夫、狩らないように言っているから」

 早くと急かされながら、ドレス姿なのを躊躇ためらうキャスリンに、アルベールは焦れてしまったらしい。

 おもむろにキャスリンを抱き上げて、そのまま白馬の背に持ち上げた。細身に見える彼の身体のどこにそんな腕力があったのか、キャスリンばかりでなく母も側妃まで驚いた。 

 テントの向こうからは「きゃあ」と黄色い声が上がっていた。向けられる視線は雨を浴びるようだった。

 持ち上げるアルベールに負担を掛けまいと、キャスリンは大人しく馬に横乗りとなった。アルベールはキャスリンのあとに馬に跨り手綱を持った。そうすると、まるでアルベールの腕に囲われるような姿になった。

 再び「きゃあ」と小さな声が聞こえた。それは一つではなかったから、途端に姦しいざわめきが起こった。

「アルベール様⋯⋯」

 どうしましょう、と言う前に、アルベールは馬を走らせた。

「見失ってしまう前に、どうしても君に見せたいんだ」

 猟師でも目にすることは稀だという白狐である。キャスリンも話で聞いたことはあっても、剥製すら見たことがない。だから、麒麟やペガサスのような神話の中の聖獣と同じようなものだと思っていた。

 令嬢や婦人がたの黄色い声が遠退いて、馬は木立の道を駆ける。細い獣道を大きな身体の白馬が走る。左右に張り出す木々の枝を、アルベールが腕で払い除けて、本当にドレスに枝は僅かにも触れることはなかった。

「必ず君にも見せてあげる」

 初冬の風が頬を撫でる。だが、紅く染まったキャスリンの頬は、それを冷たいと気づくことはなかった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

【完結】捨てたものに用なんかないでしょう?

風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。 戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。 愛人はリミアリアの姉のフラワ。 フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。 「俺にはフラワがいる。お前などいらん」 フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。 捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。

記憶を失くした悪役令嬢~私に婚約者なんておりましたでしょうか~

Blue
恋愛
マッツォレーラ侯爵の娘、エレオノーラ・マッツォレーラは、第一王子の婚約者。しかし、その婚約者を奪った男爵令嬢を助けようとして今正に、階段から二人まとめて落ちようとしていた。 走馬灯のように、第一王子との思い出を思い出す彼女は、強い衝撃と共に意識を失ったのだった。

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

行ってらっしゃい旦那様、たくさんの幸せをもらった私は今度はあなたの幸せを願います

木蓮
恋愛
サティアは夫ルースと家族として穏やかに愛を育んでいたが彼は事故にあい行方不明になる。半年後帰って来たルースはすべての記憶を失っていた。 サティアは新しい記憶を得て変わったルースに愛する家族がいることを知り、愛しい夫との大切な思い出を抱えて彼を送り出す。 記憶を失くしたことで生きる道が変わった夫婦の別れと旅立ちのお話。

記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話

甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。 王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。 その時、王子の元に一通の手紙が届いた。 そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。 王子は絶望感に苛まれ後悔をする。

【完結】留学先から戻って来た婚約者に存在を忘れられていました

山葵
恋愛
国王陛下の命により帝国に留学していた王太子に付いて行っていた婚約者のレイモンド様が帰国された。 王家主催で王太子達の帰国パーティーが執り行われる事が決まる。 レイモンド様の婚約者の私も勿論、従兄にエスコートされ出席させて頂きますわ。 3年ぶりに見るレイモンド様は、幼さもすっかり消え、美丈夫になっておりました。 将来の宰相の座も約束されており、婚約者の私も鼻高々ですわ! 「レイモンド様、お帰りなさいませ。留学中は、1度もお戻りにならず、便りも来ずで心配しておりましたのよ。元気そうで何よりで御座います」 ん?誰だっけ?みたいな顔をレイモンド様がされている? 婚約し顔を合わせでしか会っていませんけれど、まさか私を忘れているとかでは無いですよね!?

〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。

ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。 ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。 対面した婚約者は、 「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」 ……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。 「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」 今の私はあなたを愛していません。 気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。 ☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。 ☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)

処理中です...