貴方と私の愛は違うのでしょう

桃井すもも

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第二十章

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 ロウェナはエイブリンを全く好きになれそうにはなかったが、それは彼女にしても同じことだろう。

 玄関ホールに続く大階段から階下へ降りるところで、ソファに座るエイブリンの姿が見えた。

 エドガーが先にロウェナに気づいて、難しい顔をしてこちらを見上げた。だが、流石はエドガーで、エイブリンから付かず離れの距離にいて、彼女が勝手に歩き出さないようにしている。

 ロウェナはゆっくり階段を降りた。降りながらレイモンドのことを思い浮かべた。

 彼と初めて出会った日を思い出した。
 緩くうねる金色の髪も、長い睫毛に縁取られた青い瞳も綺麗だった。語る言葉はどれも優しくて、若いロウェナはレイモンドに惹かれてしまった。

 喧嘩らしい喧嘩もしたことはなかった。一度だけ、ロウェナが感情的になったことがある。切っ掛けはエイブリンだった。
 確かにエイブリンにも頭にきたが、一番の原因はレイモンドだった。

 どうしてロウェナだけを見てくれないのか。
 どうして当たり前の恋愛ができないのか。

 レイモンドが学園での自由を求めて、なぜ自分はそれに「嫌だ」と初めに言えなかったのだろう。

 レイモンドには、わずかにも疎まれたくはなかった。できればロウェナのことを気に入ってほしかったし、できれば愛してほしいと思っていた。

 令嬢のロウェナよりも美しい容姿を持ち、優しく穏やかで理知的で、そして蠱惑的なレイモンドにすっかり魅了されてしまった。
 心がどれだけすり減っても、彼を愛することをやめられなかった。

 階段を一段降りる度に、思い出すのは愚かで憐れで痛々しい自分の姿だった。
『僕の一番』という言葉に、すっかり酔ってしまった。彼の一番は、横並びにしたら幾つあるのだろう。


「ご機嫌よう。ゴドリック子爵夫人」

 ロウェナはエイブリンの前に立ち、爵位で名を呼んだ。ここはウィンダム侯爵家で、先触れなしで訪れることを許される家ではない。

 追い返されなかったのは、彼女が雨の中で濡れており、レイモンドの寵を得る女性だとわかったからだろう。

 エイブリンはロウェナが来ても、立ち上がって挨拶をすることはなかった。彼女はきっと、自分のほうがレイモンドとの関係が長く、真実に愛されているのは自分だと疑っていないのだろう。

 ロウェナの挨拶を受けても、生家の困窮がなかったら、ここにいたのは自分なのだと言いたげな顔をしている。
 エメラルド色の瞳にその悔しさが滲んで見えるようだった。

「寒くはございません?」

 エイブリンの濡れたドレスの裾には、泥がはねた染みが見えていた。侯爵家の近くまでは乗り合い馬車か何かを使い、門扉からは歩いてここまで来たのだろう。
 恐らく門番は、レイモンドの名を出されて判断に迷い、一旦はエイブリンを通してエドガーに託したのではないか。

「ここは客人を応接室にも通さないのかしら」

 エイブリンは名乗ることも挨拶することも、立ち上がることもないまま言った。

「すっかり濡れておしまいですわね」

 ロウェナの言葉に、エイブリンは微かに頬を赤らめた。子爵家にも馬車があるのに、夫や家人に黙って来たことを見透かされたと思ったのか。

 ロウェナはだんだんわかってきた。
 レイモンドはこの女性といることが楽しいのだろう。
 なにを考えているのか豊かな表情が全てを語って、それが目まぐるしく変化する。素直というなら素直だろう。だが貴族としては至らない。

 いつだか彼が言ったことを思い出す。

『珍しい令嬢だと思っている。華やかだが令嬢としては至らない。程よく利口で程よく無知で、可愛いと思うよ』

 レイモンドは、エイブリンを可愛いと語った同じ口で言ったのだ。

『僕の妻となり家族となり、一族を一緒に支えていく。それを君以外に求めるつもりはないんだよ』

『僕の一番は君だけだ』

 なんて残酷な言葉だったのか。
 オーランドは「呪われオーランド」なんて呼ばれているが、ロウェナこそ愛欲の沼に囚われて、まるで呪われているようである。

「貴女も私も、憐れなものね」

 子爵が与えただろうエイブリンのドレスは質の良いものに見えた。それを彼女は汚れてしまうことを厭いもせずに、雨の中をここに来た。

 折角思いやってくれる伴侶がいるというのに、妖艶な蝶が撒き散らす鱗粉を辿ってここまで来てしまったのか。

 だとしたら、ロウェナばかりでなくエイブリンも憐れとしか言いようがなかった。

「憐れなのは貴女だわ。なにも知らずにいるのだもの」
「なにも知らずに?」
「ええそうよ。貴女ったらホント笑えるわ。レイモンド様はね、貴女なんかより私との関係のほうが長いのよ」

 ここには使用人たちが控えている。侯爵家の嫡男にとって醜聞といえることを、エイブリンは「正しい」ことだと主張している。

「それがどうなさったの?正式に婚約して嫁いだのは私です」
「そんなの実力なんかじゃないじゃない」

 確かにロウェナの生家には財がある。しかし、エイブリンの生家も同じ伯爵家で、ここ数年は確かに困窮していたが、それも今は盛り返していると聞く。
 だがそこに、エイブリンと婚約したゴドリック子爵の援助があったことは広く知られていることだった。

 彼女はもしかしたら思い違いをしているのだろうか。ゴドリック子爵との婚姻を「買われた」縁だと思ったのか。

 たとえそれが本当のことでも、ゴドリック子爵はエイブリンを冷遇しているようには見えなかった。

 舞踏会でロウェナに突っかかっていた妻を迎えにきた子爵は、実直そうな人物に見えた。

「そんなことはどうでもいいの。貴女、使用人を躾けられないのかしら?お茶も出せない貴族家だなんて、信じられない」

 エイブリンは思ったことを好きなだけ言い放っている。ロウェナの後ろに控えていたクロエとルイーズに聞かせたくない言葉だった。
 彼女らが優秀であるからこそ、エイブリンは部屋に通されずにいる。

「お約束のない方をお入れする家なんてあるのでしょうか」
「……」

 先触れを出さなかったことには自覚があるのだろう。

「今日はレイモンド様はお出掛けなさっておいでです」
「知ってるわ」

 その言葉には、エドガーも渋い顔をした。レイモンドが自分の予定を教えられるほど彼女と交流していることは、執事としても頷けないことだろう。

「レイモンド様がご不在なのをご存知で、ここまでいらしたの?」
「私が用があるのは貴女ですもの」
「そのご用とは何でしょう」

 侯爵家の玄関ホールは瀟洒な造りで気品がある。だが玄関に変わりはない。
 まさかそんなところで対話をするとは思わなかったのだろう。

 エイブリンがそこで一瞬、躊躇したように見えた。だが、彼女はここで言うしかないと思い切ったのだろう。

 エメラルドの瞳がロウェナを見上げる。
 この翠色の眼差しは、やはり苦手だと思ったその時に、エイブリンは唐突に本題に入った。

「レイモンド様のお子を孕みましたの」

 貴婦人らしい言い方と「孕む」という言葉が釣り合っていなかった。
 エイブリンの口角を上げた笑い方が、どこかレイモンドに似ていると思った。



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