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第二十一章
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ロウェナは、数日前に月の穢れが終わっていた。
その間は、レイモンドとは寝室を別にしていたのだが、昨夜はそれを戻して、同じ寝台で夜を過ごした。
一週間ぶりにレイモンドから愛された。
言葉だけでも蕩かされて、重ね合わせた素肌は隙間のないほど密着して、どちらの熱かもわからない互いの照りを分け合った。
だが、ロウェナの身の内は今も空っぽだった。子が宿る宮は、相変わらずロウェナだけのものだった。
昨夜受け取った愛が、来月には実を結んでいるかはロウェナにもわからない。
「私、レイモンド様の子をは」
「お控えください」
もう一度、繰り返そうとしたエイブリンを遮ったのはエドガーだった。使用人とはいえ壮年の男性に諌められたエイブリンは、そこで口を開けたまま固まった。
「は」の形にぽかんと口を開けたエイブリンは、どこか幼く見えた。
いろいろと確かめなければならないのだろう。だが、彼女から聞いてどうなる。
ロウェナが確かめなければならないのは、レイモンドの言葉だった。
不思議なことに、こんな場面であるのにロウェナの耳は雨音を拾った。
小雨は雨脚を強めているのか、朝よりも窓から見える外の景色が潤んでいた。
こんなときに考えることではないのに、エイブリンは帰り道をどうするつもりなのだろうと思った。
「お帰りの馬車をお貸ししますわ」
ロウェナの声が玄関ホールに静かに響く。
エドガーもクロエもルイーズも、エイブリンさえも誰も何も言えずにいた。
「あ、あ、貴女、意味がわかっているのかしら」
「そのお言葉は、貴女にそのままお返しします」
相変わらず座ったままのエイブリンを見下ろして、ロウェナは言った。
自分の口から発した声なのに、知らない人の声音のように聞こえた。
「エドガー。馬車の用意をお願いします」
「承知いたしました、ロウェナ様」
エドガーは浅く腰を折ってから、馬車の指示をするためにフットマンに目配せした。
「ちょっと……」
「ゴドリック子爵夫人」
まだ帰るつもりがなかったのか、動き出した使用人を見てエイブリンは腰を浮かしかけた。
ロウェナはそんなエイブリンを、同じ場所から一歩も動かぬまま見下ろしていた。
「ゴドリック子爵夫人。貴女は、ゴドリック子爵家の夫人なんです」
「な、なにを言ってるの?」
「貴女の言葉と行動が、子爵様を追い詰めてしまうかもしれない。そう思ったことはなかったの?」
もし本当にエイブリンが懐妊していて、それがレイモンドと子爵と、どちらの子であるかという問題ではなかった。
生まれる前に、こんなところで明かした言葉が婚家を脅かすと、彼女はそう思わなかったのだろうか。
エイブリンはきっと、歓喜を抱いてここに来たのではないか。いまだに懐妊の兆しが聞こえないロウェナに対して、自分にその兆候があった。
エイブリンは今日ここで、ロウェナを攻撃して、レイモンドの夫人の座から引きずり落としたいと思ったのではないか。
子供が生まれるまで、彼女はどうするつもりだったのか。
子爵家にいられると思ったのか、それともレイモンドが庇護してくれると信じているのか。
それよりも、どうしてレイモンドの子だと思えたのか。
「本当に、レイモンド様のお子なの?」
「そうよ、日が合うもの」
ゴドリック子爵との夫婦生活を、ここで聞こうだなんて思わない。だが、エイブリンの言葉はあまりに曖昧なものだった。
いつ愛し合って、いつ子になるかなんて、神様でなければわからないだろう。
その時、エドガーがこちらに歩み寄ってきた。
「馬車の支度が整いました」
きっとこれ以上、エイブリンと会話をさせるべきではないと考えたのだろう。ロウェナもその通りだと思った。
「侯爵家の馬車をお貸しします。それから」
ロウェナは一体、どんな顔をしているのだろうか。エイブリンは、ロウェナを見て眉を潜めた。
「き、気持ちの悪い人ね」
だが、ロウェナは構わず続けた。
「後ほど、ゴドリック子爵様へは当家から改めて書簡をお出しいたします」
「……レイモンド様は、」
「当家の当主は、レイモンド様ではございません」
エイブリンがこんな大胆なことを仕掛けられたのは、きっとレイモンドが守ってくれると信じていたからだろう。
二人の間でどんな会話があったかを考えかけて打ち消した。
義父に報告しなければならない。全てはその後のことになる。
子爵は大丈夫なのだろうかと思った。こんな雨の日に、夫人が侯爵家に台風を連れ込んだなんて思いもしないことだろう。
子爵の心配よりも自分こそ、台風の目の中にいる。
ロウェナは一見すれば冷静に見えたのだろう。そしてその姿をエイブリンは「気持ち悪い」と言った。
婚約時代から愛し続けた夫だった。
昨夜の熱いやり取りは、まだ身体に余韻が残っている。そうであるのにロウェナは、なぜか怒ることができなかった。
どこかで信じていたのだが。
どれほど密会していても、身を重ねるのは自分だけだと、どうしてそんな甘いことを考えていたのだろう。
蜜蝋が溶けて火を灯すように、女の身体を知り尽くしたレイモンドが、エイブリンとそうならなかったなんてそんなこと。
「あるわけがなかったのよ」
呟きは、あまりに小さくて誰の耳にも届かなかった。
クロエとルイーズに両側から挟まれて、エイブリンが玄関の扉から外へ出ていく。
その姿を、無音の活動写真を眺めるように、ロウェナは立ち尽くしたまま見つめていた。
その間は、レイモンドとは寝室を別にしていたのだが、昨夜はそれを戻して、同じ寝台で夜を過ごした。
一週間ぶりにレイモンドから愛された。
言葉だけでも蕩かされて、重ね合わせた素肌は隙間のないほど密着して、どちらの熱かもわからない互いの照りを分け合った。
だが、ロウェナの身の内は今も空っぽだった。子が宿る宮は、相変わらずロウェナだけのものだった。
昨夜受け取った愛が、来月には実を結んでいるかはロウェナにもわからない。
「私、レイモンド様の子をは」
「お控えください」
もう一度、繰り返そうとしたエイブリンを遮ったのはエドガーだった。使用人とはいえ壮年の男性に諌められたエイブリンは、そこで口を開けたまま固まった。
「は」の形にぽかんと口を開けたエイブリンは、どこか幼く見えた。
いろいろと確かめなければならないのだろう。だが、彼女から聞いてどうなる。
ロウェナが確かめなければならないのは、レイモンドの言葉だった。
不思議なことに、こんな場面であるのにロウェナの耳は雨音を拾った。
小雨は雨脚を強めているのか、朝よりも窓から見える外の景色が潤んでいた。
こんなときに考えることではないのに、エイブリンは帰り道をどうするつもりなのだろうと思った。
「お帰りの馬車をお貸ししますわ」
ロウェナの声が玄関ホールに静かに響く。
エドガーもクロエもルイーズも、エイブリンさえも誰も何も言えずにいた。
「あ、あ、貴女、意味がわかっているのかしら」
「そのお言葉は、貴女にそのままお返しします」
相変わらず座ったままのエイブリンを見下ろして、ロウェナは言った。
自分の口から発した声なのに、知らない人の声音のように聞こえた。
「エドガー。馬車の用意をお願いします」
「承知いたしました、ロウェナ様」
エドガーは浅く腰を折ってから、馬車の指示をするためにフットマンに目配せした。
「ちょっと……」
「ゴドリック子爵夫人」
まだ帰るつもりがなかったのか、動き出した使用人を見てエイブリンは腰を浮かしかけた。
ロウェナはそんなエイブリンを、同じ場所から一歩も動かぬまま見下ろしていた。
「ゴドリック子爵夫人。貴女は、ゴドリック子爵家の夫人なんです」
「な、なにを言ってるの?」
「貴女の言葉と行動が、子爵様を追い詰めてしまうかもしれない。そう思ったことはなかったの?」
もし本当にエイブリンが懐妊していて、それがレイモンドと子爵と、どちらの子であるかという問題ではなかった。
生まれる前に、こんなところで明かした言葉が婚家を脅かすと、彼女はそう思わなかったのだろうか。
エイブリンはきっと、歓喜を抱いてここに来たのではないか。いまだに懐妊の兆しが聞こえないロウェナに対して、自分にその兆候があった。
エイブリンは今日ここで、ロウェナを攻撃して、レイモンドの夫人の座から引きずり落としたいと思ったのではないか。
子供が生まれるまで、彼女はどうするつもりだったのか。
子爵家にいられると思ったのか、それともレイモンドが庇護してくれると信じているのか。
それよりも、どうしてレイモンドの子だと思えたのか。
「本当に、レイモンド様のお子なの?」
「そうよ、日が合うもの」
ゴドリック子爵との夫婦生活を、ここで聞こうだなんて思わない。だが、エイブリンの言葉はあまりに曖昧なものだった。
いつ愛し合って、いつ子になるかなんて、神様でなければわからないだろう。
その時、エドガーがこちらに歩み寄ってきた。
「馬車の支度が整いました」
きっとこれ以上、エイブリンと会話をさせるべきではないと考えたのだろう。ロウェナもその通りだと思った。
「侯爵家の馬車をお貸しします。それから」
ロウェナは一体、どんな顔をしているのだろうか。エイブリンは、ロウェナを見て眉を潜めた。
「き、気持ちの悪い人ね」
だが、ロウェナは構わず続けた。
「後ほど、ゴドリック子爵様へは当家から改めて書簡をお出しいたします」
「……レイモンド様は、」
「当家の当主は、レイモンド様ではございません」
エイブリンがこんな大胆なことを仕掛けられたのは、きっとレイモンドが守ってくれると信じていたからだろう。
二人の間でどんな会話があったかを考えかけて打ち消した。
義父に報告しなければならない。全てはその後のことになる。
子爵は大丈夫なのだろうかと思った。こんな雨の日に、夫人が侯爵家に台風を連れ込んだなんて思いもしないことだろう。
子爵の心配よりも自分こそ、台風の目の中にいる。
ロウェナは一見すれば冷静に見えたのだろう。そしてその姿をエイブリンは「気持ち悪い」と言った。
婚約時代から愛し続けた夫だった。
昨夜の熱いやり取りは、まだ身体に余韻が残っている。そうであるのにロウェナは、なぜか怒ることができなかった。
どこかで信じていたのだが。
どれほど密会していても、身を重ねるのは自分だけだと、どうしてそんな甘いことを考えていたのだろう。
蜜蝋が溶けて火を灯すように、女の身体を知り尽くしたレイモンドが、エイブリンとそうならなかったなんてそんなこと。
「あるわけがなかったのよ」
呟きは、あまりに小さくて誰の耳にも届かなかった。
クロエとルイーズに両側から挟まれて、エイブリンが玄関の扉から外へ出ていく。
その姿を、無音の活動写真を眺めるように、ロウェナは立ち尽くしたまま見つめていた。
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