貴方と私の愛は違うのでしょう

桃井すもも

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第二十三章

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 レイモンドは、目を見開きそのまま石のように固まって動かなくなった。

 その膠着を解いたのは、義父だった。

「レイモンド。お前、領地に行ってみないか」
「え?」

 一瞬で部屋の空気が変わるようだった。義父は、まるでここまでの話がなかったように、ごく自然な口ぶりだった。

「ベンジャミンがいるだろう。彼から領地の執務を習うといい。私も若いころに、彼から領地経営の基本を教わった」

 ベンジャミンとは、縁戚にあたる老齢の貴族で、レイモンドの祖父の代から領地の代官を任されていた。
 若くして爵位を継いだ義父が、彼から領地の執務を習ったことは義母から聞いていた。

「ち、父上、どういうことですか」

 レイモンドは義父に食いつくように尋ねた。

「ん?そのままだ。お前にはしばらく領地を任せよう。その間、お前が手掛けた書類は、私が全て見直すことにする」

「見直す……?」

「愛人に子を孕ませるほど遊んでいたのだろう」

 レイモンドは、学園に在学中から義父の執務の一部を任されていた。卒業してからは、義父が領地に行って不在の間、王都の執務を担っていた。

 明晰な頭脳の持ち主であるレイモンドは、それらをそつなく熟していたようだ。だからこそ、義父は早いうちから王都のことをレイモンドに託していたのだろう。

 義母が以前、話していた言葉をロウェナは思い出した。

『旦那様は近い将来、王都での執務を全てレイモンドに譲りたいとお考えなのよ』

 義父は義母との遅い蜜月を、領地で過ごしたいと考えていた。
 それほど息子を信頼していたのだ。それがロウェナの目の前で崩れていく。

「レイモンド。信用とは、そういうものだ」

 義父から信頼をなくしてしまったレイモンド。
 ロウェナから離縁を願われ、父からは信用を失って、レイモンドは蒼白な顔となった。

「旦那様、ごめんなさい」

 そこで義母は、俯きながら呟くように言った。

「しっかりした子に育ってくれたと思っていたの。子爵夫人のことは学生の頃から何度か注意をしたわ。だけど、ロウェナを大切にしていることに間違いないと、そう思っていたの」

 そこで義母は顔を上げると、ロウェナを見つめた。華やぎのある面立ちは、酷く疲れて見えていた。

「ロウェナ。貴女がレイモンドを支えてくれて、私は心から安堵していたのよ。この頃は特にそうだったわ。レイモンドが多少ふらついても、貴女ならしっかり手綱を握ってくれると思っていたの」

 義母もまた、義父と領地で過ごす第二の人生を心待ちにしていたのだろう。

「育て方を間違えてしまったのね」
「そうでもないさ」

 再び目を伏せた義母に、明るい声で義父が言った。義母だけに見せる優しい顔で、父は義母を労った。

「レイモンドは、ちゃんと育っているよ。少々道を踏み外したなら、立て直して戻れるさ。そのくらいの力は持っている。なあ、レイモンド」

 レイモンドは、その言葉に楔を打たれたように、領地に行くことを嫌とは言えなくなった。できないとも言えなかった。
 父の信頼を取り戻すほかは道がなかった。

「……はい」

 青い顔のまま、レイモンドは答えた。

「さて、ロウェナ」

 そこで義父は、ロウェナへ視線を移した。

「こんなことは言うまでもないが、貴族の男に妾や愛人なんて珍しくもない。それでいちいち離縁していては身が持たないぞ?」

 レイモンドとの離縁を口にしたロウェナに、義父は思いのほか穏やかな口調で言った。

「だが、君の辛抱も献身も見てきたつもりだ。愛人の一人くらい、君なら蹴散らすだろうと思っていた。まあ、息子ごと蹴散らされてしまったがね」

 滅多に見せない笑みを浮かべて、それが義父の優しさなのだとロウェナにも伝わった。

「君の産んだ子は確かに君の子だ。だが間違えてはいけない。我が侯爵家の血を引く子なら手放すわけにはいかないんだ」

 義父の言葉は、全てその通りだった。
 愛人がいるからと悋気を起こしたとしても、それで容易く離縁とはならない。
 互いに益があって結ばれた婚姻には、相応の責任が伴う。

 そして、たとえ夫が裏切ったとしても、夫の庇護下にいる夫人は同等の力を持ち得ない。

「ひと月。待ってくれないか。ひと月後に、レイモンドとの子ができていなければ、その時は君の願いについて答えを出そう」

「父上!僕たちは結婚してまだ半年です!離縁なんてそんな」
「黙れ、お前がそれを壊したのだろう」

 先ほどまでの優しさを滲ませていた眼差しは、すでに厳しいものになっていた。

「レイモンド。領地だと侮るなよ?お前の血肉は元は領地にある。その自慢の血を、領地のために有効に使え」

 義父はそう言うと、もう笑みを浮かべることはなかった。


「ロウェナ、待ってくれ」

 執務室を出たロウェナを、レイモンドが追ってきた。

「離縁なんて、本気じゃないだろう?」

 振り向いたロウェナに縋るような勢いで、レイモンドはロウェナの両肩を掴んだ。

「悪かった」

 レイモンドはもう、「君が一番」だとは言わなかった。

「エイブリンとは会わない。子供のことは……、父上と子爵の取り決めに従う。だから」

 だから、と言ったきり、レイモンドは言葉に詰まった。だが、一つ大きく息を吐き、それから続けた。

「君と別れるなんて……。愛していると言ってくれたじゃないか」

 レイモンドの言うとおりだ。
 ロウェナはレイモンドだけを見つめて、深く愛を傾けてきた。
 今だってどれほど愛していたか容易く思い出せる。思い出すだけで、その時の気持ちが蘇る。

 けれどもそれは、目の前にいるレイモンドにではない。
 どうしてなのかわからない。ただ、エイブリンとの間に子を儲けたと知ったときに、すとんと憑き物が落ちるように、愛は思い出になっていた。

 だから目の前で瞳を揺らすレイモンドに、あのほとばしるような情愛を抱くことはできなかった。
 思い出とは、もう戻ることのできない過去の記憶なのだから。


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