貴方と私の愛は違うのでしょう

桃井すもも

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第二十九章

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 十年も経っているのに、レイモンドは何処も変わらなかった。

 髪には艶があり、青い瞳は相変わらず長い睫毛に覆われている。かつて多くの女性を魅了した妖艶で蠱惑的な蝶は、今も変わらない姿をしていた。

 白かった肌が少し小麦色に見えるのは、夏の間、領地で日を浴びていたからだろう。

 ロウェナは四度の出産を経て、十年前に比べれば、あちこちふくよかになっている。それも幸福なことだと思えるくらいには、穏やかな日々を過ごしている。

「ロウェナ、ああ、失礼。ノートン伯爵夫人」

 レイモンドは、今更そこに気がついて、ロウェナの名を呼び直した。

「お久しぶりでございます。ウィンダム侯爵ご令息様」

 再び以前嫁いだ家の名を口にするとは思わなかった。忘れていた記憶が少しずつ思い出されてくる。

「今度、王都に戻ることになってね」

 レイモンドは、笑みを浮かべてそう言った。

「まあ、そうでしたの」
「ああ。爵位を継ぐことになったんだ」
「それはおめでとうございます」

 当たり障りのない会話が続く。

「母がね、少しばかり体調を崩してしまった。それで、領地でゆっくりしたいなんて言ってね」
「そうでしたの……」

 十年前に夫人は言っていた。レイモンドに爵位を譲って領地で暮らすと。若くして当主となった侯爵とは、多忙なあまり新婚の頃からゆっくり過ごす時間がなかった。

 侯爵夫妻はきっと、レイモンドとロウェナが離縁しなかったら、もっと早くに領地へ移り住んでいたのだろう。

「ご体調が良くなられることを、心より願っておりますわ」
「ああ、ありがとう」

 こんなふうに話していると、かつて修羅の末に別れた夫婦と思えない。十年の月日は、過ぎた日々を確実に風化させている。

「それで、王都に戻ることになって、ようやく妻を娶ることにした」
「……おめでとうございます」

 レイモンドは、一方的に自身の現在を打ち明けた。ロウェナも隣にいるオーランドも、れらの話を聞いていた。

「領地でも再婚を勧められていたんとけれど」

 レイモンドであればそうだろう。エイブリンのことがなければ、見目麗しく優秀な後継者であったから。

「流石に妻は王都の令嬢からでないと」

 レイモンドは爵位を継げば領主となる。妻を領地で得ることになんの不都合もないはずだった。

「傘下の貴族たちにも頃合いの令嬢がいたんだけれど、彼女らでは王都の社交は務まらない」

 そこまで話を聞いていたロウェナは気づいた。
 レイモンドには、領地で暮らす意志がない。十年間も過ごしていながら、王都に戻ることを念頭に置いていた。

 そのために、彼は今まで再婚もしなかった。中央貴族の令嬢を娶ることしか考えていなかったのだろう。
 ロウェナもまた、その中央貴族の令嬢だった。

「そうですか」

 ロウェナには、それしか返す言葉がなかった。レイモンドは、姿ばかりでなく思考も変わっていなかったようだ。だから侯爵は、これほど長い間、彼を領地に置いていたのだろう。

「来春に挙式するんだが、社交で妻と会うことがあったらよろしく頼むよ」

 レイモンドはそう言って、後ろを振り向いてみせた。彼の肩の向こうに、令嬢たちが幾人か集まっているのが見えた。

 今流行りのドレスに、美しく盛った髪。装いから、ずいぶん若い令嬢たちのようだった。もしかしたら、これから学園を卒業するような年頃ではないか。

「少しばかり歳が離れているんだ」

 確かにそうだろう。レイモンドとは、ひと回りは歳が離れるのではないか。そう思いながらロウェナは頷いた。

 そこでレイモンドは、それまでの多弁を引っ込めて、ロウェナを見つめた。

「やっと王都に戻ってきた」

 それはきっと、彼の正直な気持ちなのだろう。

「まあ、これから僕もいろいろ忙しくなる。議会にも参席せねばならないし、家も盛り立てていきたい」

 そう言って、レイモンドはそこでオーランドを見た。
 侯爵家もまた王党派で、王家を支える旧家である。国王と縁戚に当たる宰相補佐官とも良好な関係でいたいと考えるのは自然なことだった。

「これからまた宜しく願いますよ、ノートン伯爵」

 オーランドは公爵家の出身であるが、今の爵位は伯爵位である。レイモンドは今こそ無位であるが、間もなく侯爵家当主となる。

 牽制するつもりはなかったのだろう。ただ、それがレイモンドが根底に持つ選民意識の表れなのだと思った。


 久しぶりに会ったレイモンドは、十年前と変わらなかった。見目も所作も変わらず美しい。その思考もまた、何も変わっていなかった。

 十年間を領地で過ごして、彼なりに多くのことを吸収していたのだろう。彼はロウェナに不誠実を突き通したが、執務に対しては勤勉だった。侯爵家当主となる素養はすでに持っていた。

 そうであるのに久しぶりに会った彼は、どこか前時代的な空気を纏っていた。領地の令嬢が王都で通用しないなんて、そんなわけはないだろう。

 今夜の舞踏会には、その領地から出てきた婦人らが多くいる。それぞれ自領を治める夫を支え、子を育て、社交シーズンには貴族の交流に勤しんでいる。

 中央貴族にはない広い視野と柔軟な思考と、郷土を愛する強い心を持っている。
 あの華やかだった義母もまた、王都にいながら領地を大切に思っていた。

「お引き止めして申し訳ありません。またお会いしましょう」

 レイモンドは、最後はオーランドに向かって、そう別れの挨拶をすると、婚約者らしい令嬢のいるほうへ戻っていった。

「帰りましょう」

 ふう、と一つ溜め息をついて、ロウェナが言えば、オーランドはそんな妻をじっと見ていた。

「なんですか?」
「いや、何でもない」

 はっきりと言わなかった夫には、それ以上は確かめなかった。多分、彼も同じことを感じたのだろう。
 侯爵は、レイモンドのために領地で学ばせていたのだろうが、その気持ちはどのくらい彼に通じたのだろうか。

 人は変われそうで、本質とはそうそう変わるものではないのかもしれない。
 そうであるなら、ロウェナは何が変わって、どんなところが変われずにいるのか。

 そこまで考えはじめたところでやめにした。

 勿体ないほどの夫に恵まれた。可愛い子供たちも生まれてくれた。
 くよくよしていた若い頃のロウェナは、ウルスラに引っ張り上げられるように考えを改めた。

「最高の夜ですわね」

 会場から出て、庭園に面する外回廊を夫と並び歩きながら、ロウェナは空を見上げた。

 満月が近いのだろう。大きな月が出ていた。まだ膨らみきらない待宵の月だった。

 少し欠けたほうが幸せなのだと、いつか誰かが言っていた。
 今宵の月もまた、満月に至らない美しさがあった。


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