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第十三章
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頭の中で思い描いた地図よりも、温室はもっと近くに感じられた。
それは、ジョゼフと他愛のない言葉を交わしながら歩いていたからなのだろうか。
ジョゼフは屈託のない口振りで、コートニーと会話をしてくれる。似ているようで真逆な家庭環境も、金色の髪や真っ青な瞳も、どれもコートニーとは違っているのに、どうしてか彼と過ごすことは心地よく感じられた。
温室に辿り着いて、ジョゼフは慣れた手つきで扉を開いた。
「鍵が掛かっているんじゃないんだよ。蝶番が外れかけてて扉を開くのにコツがいるんだ」
そう言って、ジョゼフはドアノブを掴んで扉の端を少し持ち上げた。左側に傾いでいるために扉が開きにくくなっているのだと教えてくれた。
温室の中は、思ったより暖かく感じた。湿ったようなカビたような、土のような埃のような、兎に角、古臭い匂いが充満していた。けれども不思議と不快な気持ちにはならなかった。
温室の硝子はすっかり曇って、外からは中の様子は見えなかった。それは内側からも同様で、そのほかにも棚や様々な用具類が雑多に置かれて、それが目隠しになっていた。
まるで秘密基地みたい。
幼い頃に読んだ物語にも、こんな場面があったと思い出す。あの頃は、冒険は今よりもっと身近なものだった。人生は、もっと伸び代があるのだと思っていた。
「扉を開けるときには、風が強いときはゆっくり開いてね。強風に煽られて壁面に当たっては、簡単に壊れてしまいそうだから。扉も壁も」
ジョゼフはまるで、温室に入るための作法かルーティンを伝授するように、細かなことをコートニーに話した。
「ふふ、メモをしておいたほうが良い?」
「君ならすぐに憶えるだろう?ああ、でも」
でも、と言ってから、ジョゼフは悪戯な表情をしてコートニーを見下ろした。
「絵なら描きたくなるかも」
それはどういう意味?
そう顔に書いていたのだろう。ジョゼフは「ふっ」と笑みを漏らした。
「こっちだよ」
ジョゼフの背中を追って、狭い通路を進む。
植物の鉢を置いていただろう棚が中央を占拠して、両脇に細い通路があるだけの温室の内部は、もうそれだけで非日常で不思議な世界に迷い込んだように思えた。
「なにがあるの?」
「まあ、見てみて」
ジョゼフは珍しく勿体ぶったことを言った。
「まあ!」
立ち止まったまま、コートニーは慌てて口を両手で塞いだ。驚かせてはいけないと、咄嗟に思った。
「大丈夫だよ、ほら、こっちにおいでよ」
ジョゼフがそっとコートニーの手を取った。そのままゆっくり引き寄せられて、コートニーは恐る恐る近寄った。
「可愛い⋯⋯」
「だろう?」
温室の最奥に開けた空間があって、そこには机と椅子と、小振りなテーブル、古くて色の褪めたソファがあった。
そのソファの上に、分厚い毛布に包まれた籠があった。
籠の中には一羽の小鳥がいて、小さな瞳でコートニーを見ていた。小鳥は、綺麗な青い羽色だった。
「ジェントルって言うんだ」
「ジェントル?この子の名前?」
「そうだよ。ほら、喉元が白いクラバットみたいじゃない。小鳥界の紳士かなって」
「ふふ、とっても素敵なお名前ね」
ジョゼフは、老朽化した温室の中で小鳥を飼っていた。
背黄青鸚哥は一時、王侯貴族の間で持て囃されて、贈り物にされることも多かった。
ひと昔ほど貴重性は薄れていても、インコの人気は高い。交配が進んで、今では様々な模様の品種も産まれており、一部には熱狂的な愛好家もいる。
「呼んであげて。喜ぶから」
「ええ?言葉がわかるの?」
「わかるし話せるよ。機嫌が良ければお喋りを始める」
「まあ。それってどんな?」
「言われた言葉を憶えるんだ。大好きだとか、可愛いだとか。褒められるのが好きかな」
「私だって褒められるのは好きよ」
思わず口走ってしまったことに、ジョゼフは「へえ」と言った。
「じゃあ、褒められるのが好きなコートニー嬢のことは、僕が褒めてあげるよ」
コートニーは一瞬で頬に熱が籠るのを感じた。
人から褒められるのは確かに嬉しいことだけれど、ジョゼフが褒めてくれるなんて、そう思ったときに我に返った。
落ち着かなくちゃ。そう自分に言い聞かせて、青い小鳥に視線を向けた。
ジェントルは、スカイブルーの羽色の美しい小鳥だった。
髭のように嘴の横にも青いラインが入っていて、それが本当にジェントルマンに見えた。
羽は薄っすら水色から濃い青のグラデーションになっており、先端は濃紺のような群青色の鱗模様に見えていた。
喉元から腹の上部にかけては真っ白で、それをジョゼフはクラバットのようだと言った。
「んっん、ジェントル?」
仔猫や仔犬を呼ぶように、コートニーはジェントルを覗き込んで名前を呼んだ。
ソファにいるのはジェントルで、コートニーは地べたに膝をついて鳥籠を覗いていた。どちらが偉いかと言われたら、間違いなくジェントルだろう。
「ジェントル?ジェントル?可愛いわね」
ジェントルは、逃げることなくコートニーを見つめて、それから籠の中に通された棒を伝って近寄ってきた。
ジョリジョリと嘴を擦り合わせている。
「ご機嫌だな。ジェントル、お前、ご令嬢には愛想が良いな」
「ええ?これがご機嫌?」
「余は満足じゃって、そう言ってるみたいだろう?」
「まあ。それではジェントルではなくてキングだわ」
ジェントルの口真似をしたジョゼフが王様のようなことを言って、でもやっぱりジェントルはジェントルが似合うと思った。
指先を鳥籠の隙間に差し入れると、ジェントルはコートニーのそばに寄って、その爪の先に片脚を乗せた。
「可愛い!」
キュッと握りこまれる、ジェントルの細い指の感覚がわかって、コートニーは思わず興奮してしまった。
それは、ジョゼフと他愛のない言葉を交わしながら歩いていたからなのだろうか。
ジョゼフは屈託のない口振りで、コートニーと会話をしてくれる。似ているようで真逆な家庭環境も、金色の髪や真っ青な瞳も、どれもコートニーとは違っているのに、どうしてか彼と過ごすことは心地よく感じられた。
温室に辿り着いて、ジョゼフは慣れた手つきで扉を開いた。
「鍵が掛かっているんじゃないんだよ。蝶番が外れかけてて扉を開くのにコツがいるんだ」
そう言って、ジョゼフはドアノブを掴んで扉の端を少し持ち上げた。左側に傾いでいるために扉が開きにくくなっているのだと教えてくれた。
温室の中は、思ったより暖かく感じた。湿ったようなカビたような、土のような埃のような、兎に角、古臭い匂いが充満していた。けれども不思議と不快な気持ちにはならなかった。
温室の硝子はすっかり曇って、外からは中の様子は見えなかった。それは内側からも同様で、そのほかにも棚や様々な用具類が雑多に置かれて、それが目隠しになっていた。
まるで秘密基地みたい。
幼い頃に読んだ物語にも、こんな場面があったと思い出す。あの頃は、冒険は今よりもっと身近なものだった。人生は、もっと伸び代があるのだと思っていた。
「扉を開けるときには、風が強いときはゆっくり開いてね。強風に煽られて壁面に当たっては、簡単に壊れてしまいそうだから。扉も壁も」
ジョゼフはまるで、温室に入るための作法かルーティンを伝授するように、細かなことをコートニーに話した。
「ふふ、メモをしておいたほうが良い?」
「君ならすぐに憶えるだろう?ああ、でも」
でも、と言ってから、ジョゼフは悪戯な表情をしてコートニーを見下ろした。
「絵なら描きたくなるかも」
それはどういう意味?
そう顔に書いていたのだろう。ジョゼフは「ふっ」と笑みを漏らした。
「こっちだよ」
ジョゼフの背中を追って、狭い通路を進む。
植物の鉢を置いていただろう棚が中央を占拠して、両脇に細い通路があるだけの温室の内部は、もうそれだけで非日常で不思議な世界に迷い込んだように思えた。
「なにがあるの?」
「まあ、見てみて」
ジョゼフは珍しく勿体ぶったことを言った。
「まあ!」
立ち止まったまま、コートニーは慌てて口を両手で塞いだ。驚かせてはいけないと、咄嗟に思った。
「大丈夫だよ、ほら、こっちにおいでよ」
ジョゼフがそっとコートニーの手を取った。そのままゆっくり引き寄せられて、コートニーは恐る恐る近寄った。
「可愛い⋯⋯」
「だろう?」
温室の最奥に開けた空間があって、そこには机と椅子と、小振りなテーブル、古くて色の褪めたソファがあった。
そのソファの上に、分厚い毛布に包まれた籠があった。
籠の中には一羽の小鳥がいて、小さな瞳でコートニーを見ていた。小鳥は、綺麗な青い羽色だった。
「ジェントルって言うんだ」
「ジェントル?この子の名前?」
「そうだよ。ほら、喉元が白いクラバットみたいじゃない。小鳥界の紳士かなって」
「ふふ、とっても素敵なお名前ね」
ジョゼフは、老朽化した温室の中で小鳥を飼っていた。
背黄青鸚哥は一時、王侯貴族の間で持て囃されて、贈り物にされることも多かった。
ひと昔ほど貴重性は薄れていても、インコの人気は高い。交配が進んで、今では様々な模様の品種も産まれており、一部には熱狂的な愛好家もいる。
「呼んであげて。喜ぶから」
「ええ?言葉がわかるの?」
「わかるし話せるよ。機嫌が良ければお喋りを始める」
「まあ。それってどんな?」
「言われた言葉を憶えるんだ。大好きだとか、可愛いだとか。褒められるのが好きかな」
「私だって褒められるのは好きよ」
思わず口走ってしまったことに、ジョゼフは「へえ」と言った。
「じゃあ、褒められるのが好きなコートニー嬢のことは、僕が褒めてあげるよ」
コートニーは一瞬で頬に熱が籠るのを感じた。
人から褒められるのは確かに嬉しいことだけれど、ジョゼフが褒めてくれるなんて、そう思ったときに我に返った。
落ち着かなくちゃ。そう自分に言い聞かせて、青い小鳥に視線を向けた。
ジェントルは、スカイブルーの羽色の美しい小鳥だった。
髭のように嘴の横にも青いラインが入っていて、それが本当にジェントルマンに見えた。
羽は薄っすら水色から濃い青のグラデーションになっており、先端は濃紺のような群青色の鱗模様に見えていた。
喉元から腹の上部にかけては真っ白で、それをジョゼフはクラバットのようだと言った。
「んっん、ジェントル?」
仔猫や仔犬を呼ぶように、コートニーはジェントルを覗き込んで名前を呼んだ。
ソファにいるのはジェントルで、コートニーは地べたに膝をついて鳥籠を覗いていた。どちらが偉いかと言われたら、間違いなくジェントルだろう。
「ジェントル?ジェントル?可愛いわね」
ジェントルは、逃げることなくコートニーを見つめて、それから籠の中に通された棒を伝って近寄ってきた。
ジョリジョリと嘴を擦り合わせている。
「ご機嫌だな。ジェントル、お前、ご令嬢には愛想が良いな」
「ええ?これがご機嫌?」
「余は満足じゃって、そう言ってるみたいだろう?」
「まあ。それではジェントルではなくてキングだわ」
ジェントルの口真似をしたジョゼフが王様のようなことを言って、でもやっぱりジェントルはジェントルが似合うと思った。
指先を鳥籠の隙間に差し入れると、ジェントルはコートニーのそばに寄って、その爪の先に片脚を乗せた。
「可愛い!」
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