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本編

4.どうしても目に入ってしまう

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 発作が治まって落ち着いたイザベラに真摯に謝った。

 妹に、家族に無関心だったこと。
 なのに兄貴ヅラして説教じみた言動をとったこと。
 無神経だった、と。

「もう、いいわよ」

 今までだったら、一度怒らせたら一週間は口をきいてくれなかっただろうイザベラが、寛大な返事をした。
 そして話しをしてくれた。あのボヤ騒ぎ事件は、ブリュンヒルデ嬢と友だちになったきっかけだったのだと。

「みんなに、怒られたわ。袖に繊細で引火しやすい素材のレースをふんだんに使ったドレスを着ていたせいだって。今思えば、当然の話よね」





 袖口がアルコールランプに引っかかって、それを倒した。
 机の上にアルコールが広がり、あっという間に火が着いた。
 イザベラの袖にも燃え移った。

 周りは女生徒の悲鳴が響き渡り、パニック状態に陥った。

 自分の袖が燃えている。その恐ろしい事実に、悲鳴を上げることも叶わず立ち竦むイザベラ。
 彼女を救ったのがブリュンヒルデ・フォン・クルーガーだった。

 ブリュンヒルデが有無を言わさぬ勢いで、イザベラの腕を自分のジャケットで包んで消火した。そして水道の蛇口をめいっぱい開けてイザベラの腕を水流の中に突っ込んだ。

「冷たいと感じる迄、このままで」

 そうイザベラに告げたあと、いつの間にか用意していた複数のバケツに水を張り、ブリュンヒルデは、次々とそれを机にぶちまけた。
 消火活動は教師や、騒ぎを聞きつけた隣室の教師や学生も加わり、理科実験室は水浸しになった。
 だが、イザベラが軽いやけどを負っただけで、それ以上の被害者はでなかった。

「ブリュンヒルデ、さま、腕、つめたいと感じましたわ、もう、水から離れても、いい?」

「だめ。寒くなって冷たさが痛みになるまで、そのままで」

「えぇ? 何故ですの? もう、寒く感じますし、ジャケットが水を吸って重たい……」

 そこまで文句を言って、イザベラは気が付いた。
 自分の腕を覆っているこのジャケットはブリュンヒルデのモノだ。
 彼女は己の物を犠牲にして、イザベラを火から救ってくれたのだ。

「やけどはまず、冷やすことが肝要です。しばし、我慢を」

 自分も水浸しで濡れネズミな状態のまま、冷静に説明するブリュンヒルデのオニキスの瞳を見詰め、イザベラは寒さではない、別の感情に震えた。




「でね、先生方にもね、たくさん、怒られましたわ。でもね、ブリューがね、ブリュンヒルデだけが庇ってくれたの。“この授業のすぐ後が、ダンス授業ですから、致し方なかったのでは”って言って」

 そう言いながら、イザベラはやわらかく微笑んだ。
 一緒に生まれて15年、初めて見る種類の微笑みだった。

「わたくしのダンス、ステップが見事で、翻る裾さばきも優雅でとても美しかったって言ってくれたわ。あのステップを踏めるのなら、授業であっても、きちんとしたドレスで受けたくなるでしょうって」

 身体の弱かったイザベラ。
 只でさえ、入学が一年遅れた。プライドが高く他の子に後れを取りたくない一心で、特にダンスは入学前に力をいれて学んでいた。
 熱心にダンスの個人授業を受け、家庭教師に太鼓判を押されるまでになった。

「そうしてあの子、言ったのよ。“あなたのステップ、見事なのでまた見せてください”って。わたくしね、とっても嬉しかったの。初めて、肉親や教師ではない、第三者に認められたの。わたくしを助けてくれて、理解してくれた初めてのおともだちなの。とても、大切な子なの」

 頬を染め、夢見るような良い笑顔で、イザベラは言った。
 今、イザベラの腕はやけどの痕も残っていない。事故直後によく冷やしたお陰なのだとか。


 あの我が儘で気難しいイザベラが、思慮深くなったと感じてはいた。
 友だちができたせいだと考えていたが、あながち間違いではなかった。周りを大騒ぎさせた事件があり、そのせいでイザベラ本人にも色々思う所があったのだろう。

 そしてそのお陰で得た親友の存在があったから。

 イザベラはブリュンヒルデ嬢をとても大切な存在だと言った。
 そんなに大切にしている友に俺が近寄ったら、イザベラに嫌われそうだ。妹とはいえ、女の子に嫌われるのは忍びない。彼女に不利益をもたらす存在でないなら、それでいいか。
 そんなことを思っていたのだが。


 “鉄仮面の黒姫”は、今まで俺の視界に入らなかったというのに、その存在を認識した途端、たびたび目に留まるようになった。

 移動教室らしき姿。妹の隣にいた。
 昼休みの学食。妹の隣にいた。
 放課後の図書室。ヒルデガルドさまの隣にいた。

 そのどれもが、確かに噂のとおり無表情だった。隣にいる妹は嬉しそうな笑顔(これ、珍しいんだぞ?)で話しているというのに。
 ヒルデガルドさまの隣でも彼女は無表情だった。一緒にいたヒルデガルドさまはゆったりとした微笑み(これはいつものこと)をたずさえていたのだが。

 あの子、あんな無表情で社交界に入れるのか? 大丈夫なのか?

 俺が心配する筋合いではないが、傍から見て少々不安になった。


 どうして気になったのか、よくわからない。
 黒髪の乙女。鉄仮面の黒姫。



 ちなみに俺は、ジークフリート殿下に誘われるまま、彼と共に初等部学生自治会に所属している。
 初等部会長がジークだ。俺は副会長というありがたーい地位を預かっている。メンドクサイことではあるが、まぁ、事なかれ主義の俺としては、ジークに逆らうのも面倒なので、彼の言うままに一緒に行動していた。

 その学生会の仕事のひとつで美術部室を訪れたある日の放課後。
 部室の壁には部員が描いたのだろう絵画があちこちに飾られていた。見るともなく見ていた俺の目に、ひとつの風景画が突き刺さった。

 高い場所から王都内を見下ろす風景。
 朝日に照らされた王宮が輝き、その王宮を囲むような街の風景が繊細かつ、詳細に描かれていた。遠くに山脈がゆったりと佇んでいる。

 なんだ、これ。
 まるで風景そのものを切り取ったような絵画。
 絵画? こんなに詳細な絵、本当に絵なのか? 家の窓の中にカーテンや花が飾られている様まで克明に描き込まれているぞ?
 しかもこれ、この構図は。
 あの子が描いていたモノクロームの風景画と、まったく同じ角度からの絵画じゃないか!

「部長! この絵を描いたのは誰だ?」

「へ? ……あぁ、二年のブリュンヒルデ君だよ」

 やっぱりあの子か! またしても衝撃を受けた。
 あのモノクロームな絵にも驚いたが、こんな精巧で緻密な、まるで風景そのものを切り取って貼り付けたような絵も描けるのか!
 あの子は同じモチーフを違う手法で描こうとしているのか?

 凄いじゃないか!

 感動した!



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