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第十章
娘(人間)の行動が不可解すぎる!1
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フェンリルとは人間の神話から付けられた通称で、狼型の神獣である彼女ではあったが、本来であれば縁もゆかりもないものだった。
彼女の本当の名は” ”という。
”世界を駆ける獣”という意味である。
だが、この地上で、彼女の名を知る者は少ない。
多くの者が呼ぶ、フェンリルという通称が一般化してしまったこともある。
矮小な人間からの呼ばれ方に対して、彼女が酷く無関心だった事による帰結ともいえるだろう。
数少ない例外はあるものの、彼女が人間に対して、足下で蠢く蟻に対する程度の興味しか、持っていなかったのだから致し方がなかった。
だが、何より大きいのは、多くの人間を含む大半の存在が彼女の名を”聞き取る”ことが出来ないという問題があった。
本来、名は魂に付随する。
故にと言うべきか、それは同格以上でなければ呼ぶどころか、聞き取ることすら出来ない。
人間の中では王とか皇帝とか、はたまた神の使いなどを自称し、他の者と別格だと主張する者もいる。
だが、真の意味で格の違いがあるのであれば、自身の名前は、格下から呼ばれる事は無い。
そういう”もの”なのである。
それは、親子であっても同じで、先ほど送り出したフェンリルの子供達であっても、今はまだ、彼女の名を聞き取ることは出来ないだろう。
『それでも、近い内に聞き取れることが出来る子も現れるでしょうね』
フェンリルの愛する子等の、薄れゆく残り香を惜しみながら、フェンリルはそんなことを呟きながら目を細めた。
驕れた人間達の後始末のために、地上に降りた六神――その降臨に同行した彼女は既に二千年もの間、この地上で生きている。
始めの内は六神に従い、地上を走り回っていたが、この”地”も落ち着き、現在では六神から離れ、この世界の法である”弱肉強食”の頂点として、その威を示す事を”役目”としている。
だが、それもそろそろ終わりに近づいている予感をしていた。
初めて産んだ三匹と、拾った一人――彼らは名を得て”柱”となった。
彼らの中で一柱でも、フェンリルの名が聞き取れるようになれば、その時は、フェンリルは彼の地に戻る事になる。
『出来れば、あの子でなければ良いのだけど……』
フェンリルは少し困ったように、でも優しく、目を緩ませる。
いつも、フェンリルにくっついて甘える、可愛らしい娘……。
独り立ちどころか、まともな狩に行かせるのも一苦労な甘えん坊な娘……。
もし、フェンリルの名を聞き取り、それが故に別れなければならないと知ったら、多分酷く泣くだろうから。
自分のせいで起きる別れに、赤ん坊のように泣いてしまうだろうから。
そうすると、フェンリルは振り返ってしまいそうだから。
誇り高きフェンリルらしからぬ情けない表情で、振り返ってしまいそうだから……。
だから、あの子でなければ良い――そう思ってしまって……。
『でも、何となく、あの子じゃないかって思ってしまうのよね』
フェンリルは苦笑する。
なぜかいつも、『やだやだ!』とか『怖い怖い!』とか『わたしには無理!』とか叫びながらフェンリルにしがみつき、まるで隠れようとするかのように毛に埋もれる娘だ。
確かにまあ、フェンリルに比べれば小さく、か弱く見える。
だが、そんな子であっても、フェンリルの一部を取り込み、フェンリルの元で育ち、学んだ、フェンリルの娘なのだ。
弱いわけがない――フェンリルは強く確信をしていた。
確信していたのだが……。
しばらく、独り立ちの試練に向かった子供らの行動を観察していたフェンリルだったのだが……。
今は洞窟の中でグッタリ横たわっていた。
どころか、最高位であり、最強の神獣の一柱に数えられるフェンリルが前足で頭を抱えていた。
『あの子は……。
あの子は……。
何をやっているのぉぉぉ!?』
うぁおおおん! という声が、洞窟中に響き渡った。
――
フェンリルが”呑気”に満足感やら感傷に浸っていられたのは、ずいぶん短い間であった。
遠見の魔法陣の上に浮かび上がらせている円形状の画面――それに魔力を込めながら、長子から順に、その様子を眺めていた。
『あらあら、大きい息子ったら、付いて早々、北の森でもっとも大きい黒竜に向かっていくのね』
とか
『大きい娘は綺麗好きだから、死霊生物なんて、燃やし尽くしてしまいそうね』
とか
『小さい息子、いくら美味しそうに見えても、飛んでいるロック鳥を落とすのはわたしでも難しいわよ?
……え?
そんな方法で!?
凄いわね!』
などと、一人呟く声も弾んでいた。
さらには、早速とばかりに、小さい息子からロック鳥のモモ部分の肉が送られたりした。
フェンリルの口元が上機嫌に緩むのも致し方が無かった。
神獣として育ちきったフェンリルは、既に食料を必要としていない。
フェンリルと同等の存在の中には、何百年も食べずに生きている者も存在した。
だが、フェンリルは食すのを止めなかった。
フェンリルは食い道楽なのである。
特に、人間が作る料理とやらがお気に入りであった。
一時期など、人間を脅迫し、定期的に料理を奉納させたりしていたぐらいである。
『どれどれ』と届いた肉を白い魔力で引き寄せてから、がぶりと噛みつく。
『う~ん、流石はロック鳥ね。
生でも十分に美味しいわ』
今回、子供らに試練を課すに当たり、フェンリルも自身に縛りを設けることにしていた。
それは、全員の試練が終わるまでは、子供達から送られてくる獲物のみ食すというものだ。
まあ、別に深い意味はない。
ただの娯楽というか、そんな程度の話であった。
全員が戻ってきた時の、ちょっとした笑い話にでもなれば良い――そんな気まぐれを起こしただけのことだった。
ロック鳥のもも肉を食べ終えた後、口の周りをぺろりと舐め、フェンリルは機嫌良く、遠見の魔法陣に視線を戻した。
『さて、小さい娘はどうしているかしら?』
実はこの試練、フェンリルの末娘のみ非常に優しいものとなっている。
他の子供達の場所はそれぞれ強弱はあるものの、危険な場所や魔獣が存在していた。
むろん、フェンリルの子供であれば、多少手こずったとしても、越えることの出来るものではあった。
ただ、甘く見ていると痛い目に遭う、そのぐらいには困難であった。
だが、サリーの場所は違う。
例えば森の中、サリーが身一つで寝転がり、深く寝入ってしまったとする。
周りに住まう何百もの魔獣がそれを見て取り囲み、襲いかかったとして……。
無傷のまま何事もなく時が過ぎる。
それくらいには緩い場所である。
本来であれば子供達の試練の場としては相応しくないのだが、あえてサリーを送ったのには理由があった。
一つはサリーがとにかく臆病ということだ。
乳離れしたばかりの子供でも、簡単に倒せてしまう弱い熊(通称、弱クマ)を見て縮みあがってしまった等、サリーの情けない逸話には枚挙にいとまがない。
正直、何でそこまで臆病なのか、何千年も生きるフェンリルをして、理解が出来なかった。
『純粋な戦闘力だけなら、体格差があるから確かに子供達の中では劣ると思うけど……。
少なくとも、今、大きい息子が戦っている黒竜程度なら、多少、手こずりはしても倒せると思うんだけど……』
フェンリルは普段から、小首を捻っていた。
だからこそ、今回の森であった。
流石に、あそこまで弱い魔獣ばかりであれば怖がることも無いだろうし、そのうち、自信も付いてくるのでは?
フェンリルはそう、期待していた。
そして、もう一つは人間の町に近いことだ。
前記にもあるが、フェンリルは人間が作る食べ物が好きだ。
特に、甘い物が大好きだ。
一時期、それを手に入れるために人間の国を縄張りに加えようとしたほどだ。
ただ、フェンリルは言葉を聞き取ることはともかく、口の構造上、人間の言葉を話すことが難しかった。
何度か試しはしたものの、うまく伝わらないことが多く、そのうち面倒になり、投げ出したという経緯があった。
だが、サリーは元々人間の娘”だった”事もあり、達者に話す。
であれば、サリーに支配させようと企てたのである。
『ふふふ、楽しみだわ』
フェンリルはサリーが支配した町の職人に作らせた巨大な焼き菓子を想像し、涎が溢れるのを止められなかった。
それを囲むのはサリーと大きな娘である。(息子達は甘い物が苦手であった)
『あらあら、最初の一口を譲ってくれるの?
ありがとう』
フェンリルは想像の中の心優しい娘達に礼を言った。
彼女の本当の名は” ”という。
”世界を駆ける獣”という意味である。
だが、この地上で、彼女の名を知る者は少ない。
多くの者が呼ぶ、フェンリルという通称が一般化してしまったこともある。
矮小な人間からの呼ばれ方に対して、彼女が酷く無関心だった事による帰結ともいえるだろう。
数少ない例外はあるものの、彼女が人間に対して、足下で蠢く蟻に対する程度の興味しか、持っていなかったのだから致し方がなかった。
だが、何より大きいのは、多くの人間を含む大半の存在が彼女の名を”聞き取る”ことが出来ないという問題があった。
本来、名は魂に付随する。
故にと言うべきか、それは同格以上でなければ呼ぶどころか、聞き取ることすら出来ない。
人間の中では王とか皇帝とか、はたまた神の使いなどを自称し、他の者と別格だと主張する者もいる。
だが、真の意味で格の違いがあるのであれば、自身の名前は、格下から呼ばれる事は無い。
そういう”もの”なのである。
それは、親子であっても同じで、先ほど送り出したフェンリルの子供達であっても、今はまだ、彼女の名を聞き取ることは出来ないだろう。
『それでも、近い内に聞き取れることが出来る子も現れるでしょうね』
フェンリルの愛する子等の、薄れゆく残り香を惜しみながら、フェンリルはそんなことを呟きながら目を細めた。
驕れた人間達の後始末のために、地上に降りた六神――その降臨に同行した彼女は既に二千年もの間、この地上で生きている。
始めの内は六神に従い、地上を走り回っていたが、この”地”も落ち着き、現在では六神から離れ、この世界の法である”弱肉強食”の頂点として、その威を示す事を”役目”としている。
だが、それもそろそろ終わりに近づいている予感をしていた。
初めて産んだ三匹と、拾った一人――彼らは名を得て”柱”となった。
彼らの中で一柱でも、フェンリルの名が聞き取れるようになれば、その時は、フェンリルは彼の地に戻る事になる。
『出来れば、あの子でなければ良いのだけど……』
フェンリルは少し困ったように、でも優しく、目を緩ませる。
いつも、フェンリルにくっついて甘える、可愛らしい娘……。
独り立ちどころか、まともな狩に行かせるのも一苦労な甘えん坊な娘……。
もし、フェンリルの名を聞き取り、それが故に別れなければならないと知ったら、多分酷く泣くだろうから。
自分のせいで起きる別れに、赤ん坊のように泣いてしまうだろうから。
そうすると、フェンリルは振り返ってしまいそうだから。
誇り高きフェンリルらしからぬ情けない表情で、振り返ってしまいそうだから……。
だから、あの子でなければ良い――そう思ってしまって……。
『でも、何となく、あの子じゃないかって思ってしまうのよね』
フェンリルは苦笑する。
なぜかいつも、『やだやだ!』とか『怖い怖い!』とか『わたしには無理!』とか叫びながらフェンリルにしがみつき、まるで隠れようとするかのように毛に埋もれる娘だ。
確かにまあ、フェンリルに比べれば小さく、か弱く見える。
だが、そんな子であっても、フェンリルの一部を取り込み、フェンリルの元で育ち、学んだ、フェンリルの娘なのだ。
弱いわけがない――フェンリルは強く確信をしていた。
確信していたのだが……。
しばらく、独り立ちの試練に向かった子供らの行動を観察していたフェンリルだったのだが……。
今は洞窟の中でグッタリ横たわっていた。
どころか、最高位であり、最強の神獣の一柱に数えられるフェンリルが前足で頭を抱えていた。
『あの子は……。
あの子は……。
何をやっているのぉぉぉ!?』
うぁおおおん! という声が、洞窟中に響き渡った。
――
フェンリルが”呑気”に満足感やら感傷に浸っていられたのは、ずいぶん短い間であった。
遠見の魔法陣の上に浮かび上がらせている円形状の画面――それに魔力を込めながら、長子から順に、その様子を眺めていた。
『あらあら、大きい息子ったら、付いて早々、北の森でもっとも大きい黒竜に向かっていくのね』
とか
『大きい娘は綺麗好きだから、死霊生物なんて、燃やし尽くしてしまいそうね』
とか
『小さい息子、いくら美味しそうに見えても、飛んでいるロック鳥を落とすのはわたしでも難しいわよ?
……え?
そんな方法で!?
凄いわね!』
などと、一人呟く声も弾んでいた。
さらには、早速とばかりに、小さい息子からロック鳥のモモ部分の肉が送られたりした。
フェンリルの口元が上機嫌に緩むのも致し方が無かった。
神獣として育ちきったフェンリルは、既に食料を必要としていない。
フェンリルと同等の存在の中には、何百年も食べずに生きている者も存在した。
だが、フェンリルは食すのを止めなかった。
フェンリルは食い道楽なのである。
特に、人間が作る料理とやらがお気に入りであった。
一時期など、人間を脅迫し、定期的に料理を奉納させたりしていたぐらいである。
『どれどれ』と届いた肉を白い魔力で引き寄せてから、がぶりと噛みつく。
『う~ん、流石はロック鳥ね。
生でも十分に美味しいわ』
今回、子供らに試練を課すに当たり、フェンリルも自身に縛りを設けることにしていた。
それは、全員の試練が終わるまでは、子供達から送られてくる獲物のみ食すというものだ。
まあ、別に深い意味はない。
ただの娯楽というか、そんな程度の話であった。
全員が戻ってきた時の、ちょっとした笑い話にでもなれば良い――そんな気まぐれを起こしただけのことだった。
ロック鳥のもも肉を食べ終えた後、口の周りをぺろりと舐め、フェンリルは機嫌良く、遠見の魔法陣に視線を戻した。
『さて、小さい娘はどうしているかしら?』
実はこの試練、フェンリルの末娘のみ非常に優しいものとなっている。
他の子供達の場所はそれぞれ強弱はあるものの、危険な場所や魔獣が存在していた。
むろん、フェンリルの子供であれば、多少手こずったとしても、越えることの出来るものではあった。
ただ、甘く見ていると痛い目に遭う、そのぐらいには困難であった。
だが、サリーの場所は違う。
例えば森の中、サリーが身一つで寝転がり、深く寝入ってしまったとする。
周りに住まう何百もの魔獣がそれを見て取り囲み、襲いかかったとして……。
無傷のまま何事もなく時が過ぎる。
それくらいには緩い場所である。
本来であれば子供達の試練の場としては相応しくないのだが、あえてサリーを送ったのには理由があった。
一つはサリーがとにかく臆病ということだ。
乳離れしたばかりの子供でも、簡単に倒せてしまう弱い熊(通称、弱クマ)を見て縮みあがってしまった等、サリーの情けない逸話には枚挙にいとまがない。
正直、何でそこまで臆病なのか、何千年も生きるフェンリルをして、理解が出来なかった。
『純粋な戦闘力だけなら、体格差があるから確かに子供達の中では劣ると思うけど……。
少なくとも、今、大きい息子が戦っている黒竜程度なら、多少、手こずりはしても倒せると思うんだけど……』
フェンリルは普段から、小首を捻っていた。
だからこそ、今回の森であった。
流石に、あそこまで弱い魔獣ばかりであれば怖がることも無いだろうし、そのうち、自信も付いてくるのでは?
フェンリルはそう、期待していた。
そして、もう一つは人間の町に近いことだ。
前記にもあるが、フェンリルは人間が作る食べ物が好きだ。
特に、甘い物が大好きだ。
一時期、それを手に入れるために人間の国を縄張りに加えようとしたほどだ。
ただ、フェンリルは言葉を聞き取ることはともかく、口の構造上、人間の言葉を話すことが難しかった。
何度か試しはしたものの、うまく伝わらないことが多く、そのうち面倒になり、投げ出したという経緯があった。
だが、サリーは元々人間の娘”だった”事もあり、達者に話す。
であれば、サリーに支配させようと企てたのである。
『ふふふ、楽しみだわ』
フェンリルはサリーが支配した町の職人に作らせた巨大な焼き菓子を想像し、涎が溢れるのを止められなかった。
それを囲むのはサリーと大きな娘である。(息子達は甘い物が苦手であった)
『あらあら、最初の一口を譲ってくれるの?
ありがとう』
フェンリルは想像の中の心優しい娘達に礼を言った。
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