九年セフレ

三雲久遠

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十一話

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 部屋の明るさで目が覚めて、頭が覚醒してくるのを待つ。
自分の部屋のベッドの上、一緒に寝ていた新堂はもう傍らにはいなかった。

 大学二年のあの日から、新堂は、俺のところに通ってくるようになった。
来れば必ず俺を抱き、終電前に帰っていく。
大学で新堂の彼女を見かけるたびに、俺の胸はギリギリと痛んだ。
これからずっとこんな思いをするのかと恐怖すら覚えたが、いつの間にか彼女はサークルを辞めていた。
ずいぶん後になって、あの二人は割とすぐに別れたと、そんな話が俺の耳にも入ってきた。
 
 だがその後も、新堂の周りに女の子の影は絶えない。
付き合っているらしいという噂も、ひとつやふたつじゃなかった。

 キャンパスですれ違っても、目と目を見交わす程度で、以前のように親しく話しかけてくれることはない。
外ではそんな風に素っ気なくしておいて、俺のところに来ると、新堂はいつも優しい。
まるで本物の恋人のように甘い時間をくれる。
その場限りの施しのような優しさ。
手軽で安全なセックスドール。
 
 院に進学して忙しくなれば、新堂は俺を忘れると思った。
就職して生活が変われば、自然消滅のように足が遠退くと覚悟した。
ところが、別れの予感はいつも現実にはならず、時間だけが過ぎていく。

 卒業して、外の世界で新堂との接点がなくなったことは、ある意味、俺には救いだった。
新堂の女を目の当たりにしなくて済む。
何も見ない、何も聞かない。
俺はこの部屋に閉じこもり、男の訪れだけを待つ。
俺にだけ優しい、俺の男。
気が付けばもう九年、そうやって暮らしてきた。

 ベッドに寝転んだまま、見慣れた白い天井を見る。
全裸のまま、籠った部屋の空気に、濃密だった行為の余韻が残る。

 昨日、婚約のことで動揺した俺を宥めるために、新堂は久々にこの部屋に泊まっていった。
大学二年の春以来、実に九年振りのことだった。
新堂のすることは九年前と少しも変わらない。
こんな日陰者でも、彼女面して一人前にぐずぐずゴネたら、抱き締めてキスして、泣き疲れるまで泣かせて宥める。
あいつなりの、俺への気遣い。

「あーあ、進歩ねぇの……」

 新堂も、俺も。
誰もいない殺風景な部屋で、ついぼそりと独り言が出る。

 それにしても、やたらと日が高い。
今日って何曜日だっけ。
仕事をしなきゃと、ようやく思い至ったところで、充電器に繋ぎっぱなしにしてあった携帯が鳴った。

 布団からごそごそ起きだし、全裸のままパソコンデスクの傍に立つ。
仕事の電話かと思ったら、珍しくサークル仲間の木田からだった。

「……ハイ。緒方です」
『あ、生きてた』
「何だよ、それ」
『あはは、ゴメン、ゴメン。昨日の飲み会で、緒方死亡説が出てさ』

 いつもながら友の声はやたら明るく、今日の俺には酷く耳障りに響く。
まるで別次元の声のようだ。

「メールにはちゃんとレスしてるだろ? まさか届いてなかった?」
『ちゃんと届いてるよ。
 でも、あれは緒方が生前にプログラムした、オートのレスじゃないかと噂してた』
「酷いな」

 とにかく生きててよかった、とか言われ、苦笑するしかない。
昨夜の新堂も、同じようなことを言っていた。

『沢田が近々結婚すんだよ』
「ああ……、お祝いしなきゃね」

 これも新堂から聞いた話だ。
飲み会を欠席した俺が知っていたら驚かれるだろうから、当たり障りのないリアクションをした。

『結婚祝い、例によってみんなで一緒にするけど、おまえもするよな?』
「うん、一緒に頼む。金額がはっきりしたら教えてくれる? 振り込むから」
『バカ、飲み会に顔出せ。そん時でいいよ』
「そうだね……」

 俺があいまいに答えたら、木田は強く念押ししてきた。

『何でもいいから、次、ちゃんと来い。何なら、合コンに参加しろ!』
「合コン? はは……」

 昨日の新堂の話とシンクロする。
ゲイの俺が女の子と飲んでも意味がない。

『しかし、昨日の最大の話題は新堂の結婚だったぜ』

 木田が発したこの言葉に、俺の心臓が凍りついた。

『俺、先月からブライダル部門に異動したんだけど、
 いきなり新堂が客として現れたときにはたまげたね』

 そう言えば、木田の勤務先が都内の大手ホテルだったことを思い出した。

『いまどき芸能人でもめったにやらないド派手婚。
 あんな高額の披露宴の見積書、初めて見たって、担当者が騒いでんの』

 昨夜欠席した俺のために、友はわざわざ飲み会で盛り上がった話を耳に入れてくれる。

『なんたら会病院って、でかい医療法人があんだろ?
 花嫁はあそこの理事長のひとり娘だとよ。
 まだ二十歳そこそこだろうなぁ。
 スタイルのいい、女優かってぐらい綺麗な女でさ。
 新堂と並ぶと迫力の美男美女。
 広告のモデルになってもらえって、スタッフルームじゃ大騒ぎよ』

 昨夜、新堂が唐突に結婚すると言い出した理由が、何となく分かった。
こんな話をいきなり友達から聞かされたら、俺のショックが大きいからだ。

 だから事前に、自分の口で俺に伝え、一晩掛けて抱いて宥めた。

『新婚旅行は、南欧のリゾート地で一か月。
 新居は花嫁の実家の敷地に、結婚祝いで別棟を建築予定だと。
 かーっ、やってくれるよな! あれ? 緒方、聞いてる?』

 何も知らない十年来の友は、黙りこくってしまった電話の相手が、まさか顔面蒼白になっているとは思いもしまい。

「……聞いてるよ」

 やはりあの話は本当なのか。

  ――俺も結婚するんだ。上司の紹介で見合いみたいな……。

 嘘だと言ってくれたなら、どれだけ俺は救われるだろう。
だけど、どうやらそうはいかないらしい。

 新堂の背広から匂ってくる、甘ったるいあの花の香りは、箱入りのご令嬢のものだったのか。
真っ白に輝くウェディングドレスが俺の脳裏にちらついた。

『金持ちは、金持ち同士? 新堂の家も、都内にデカイ敷地の豪邸だしな。
 お似合いなんじゃね?』

 新堂の家族のことは、回り回った噂話が俺の耳にも入ってくるだけで、本人から直接聞いたことはなかった。
学生のときもそうだったが、いまだに律儀に実家住まいで、外泊はしない主義。
学生時代、自立のためにバイトに明け暮れていた新堂だから、就職したらすぐに家を出ると思っていた。
それをしないということは、養父母が同居を望んだからか。

 養父母には子供がいず、甥でもある新堂は跡取りとして大事にされていると、友達が話していたのを思い出した。
ごく普通の親子として、親が息子に期待すること。
幸せな結婚、孫の誕生。
この結婚話を養父母はさぞや喜んでいることだろう。

『花嫁がすげぇ嬉しそうでさ。もう、輝くようっての?
 私、お婿さんにベタ惚れですって顔に書いてあんだぜ』

 そりゃあそうだろうよと、俺は泣きたい気持ちになる。
新堂を手に入れるのだ。
人生の絶頂ってくらいの喜びだろうと、胸が裂けそうで身震いした。

『新堂は、あーだこーだ楽しそうにしてる新婦相手に、かなり面倒くさそうだったけどな。
 そっちで適当に決めてくれってな顔でさ。
 まぁ、新郎なんて大概ああいうもんだ』

 男は結婚式じゃ所詮添えものだと、友は訳知りっぽく一言付け加えた。

 まだ二十歳そこそこの初々しい花嫁か。
せめてもっと年上の人だったら、少しは気が楽だったかもしれない。

 ずっと年下の、何の悩みもコンプレックスもない、俺とは対極のところにいる女は、堂々と日の当たる場所で幸せそうに微笑んでいる。

『じゃあな。新堂の結婚祝いは、また今度』

 友は言いたいことだけ言って、一方的に電話を切った。
まだ新堂の匂いの残るベッドにだらしなく寝転び、俺はまた打ちのめされる。

「はは、いいのかよ。俺とのH、電話で聞かれて」

 暗闇の中、女の声が、心細げにもしもしと繰り返していた。
ベタ惚れの婚約者が男と寝ている。
こんなの知って、今頃は半狂乱じゃないのかと、ぐさぐさに切り刻まれた俺の胸にわけの分からない興奮が加わる。

 新堂に選ばれた幸運な女が、事実を知って傷ついたところで、それぐらい何だというのだ。
俺の知ったことじゃない。

 切れた携帯をしばらく握っていたが、腕を伸ばしてベッドヘッドに置こうとした。
そしてそこに、メモが残っているのを見つけた。

  ――始発で帰る。また来る。

 まるでデジャヴのような、相変わらず丁寧な新堂の文字、そして律儀にひとこと書き置いていく。
昨日枯れるまで流した涙が、また鼻の奥につんと込み上げてくる。
また来るなどと、俺は信じていいのかと、首の皮一枚で繋がって、これにいつまでしがみついていられるのかと。

 女の存在は、いつも俺に自分の立場を思い出させる。
どうしようもない現実ってやつを、嫌と言うほど教えてくれる。

  ――俺、彼女とは別れないから。女はベツモノ。そう思っていいよね。

 何ひとつ、状況は変わらなくて、かつて新堂の彼女の影に怯えたように、今度は婚約者が俺の息の根を止める。
乾いた笑いと、気の抜けた溜め息しか出ない。

 ふと壁掛けの時計を見やると、十二時半になろうとしていた。

「……やべぇ、仕事だ」

 今日の夕方までに、客にプレゼンできるデモ版を用意してくれと言われていた。
ほぼ完成してはいるが、少し気になるところがあり、手を入れるつもりだったのだが、時間が足りない。

 正直なところ、もう仕事なんかどうでも良かった。
しかし、そうも言ってはいられない。
一欠片の責任感だけで、怠い体を無理やり起こしてユニットバスへ向かう。
気持ちを引き締めようと、冷たい水道水でむくんだ顔を洗った。
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