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ヒロインよ、王太子ルートを選べ!~結婚編~
悪役令嬢は旅に出る③
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楽しい時間はあっと言う間に過ぎて、いよいよ明日の朝は王都に向けて発つ日です。
紅色に染めた布で作ったハンカチに、グランジュール王家の紋章を刺繍してみました。丁寧にハンカチを折って、袋に詰めます。レオ様の誕生日プレゼントにちょうどよいものができたと思います。
私が四年前にエリオット様に失恋した時にレオ様が貸してくれたハンカチを、実はまだ返していないのです。一度鼻水まみれにしてしまったものを、そのまま返すのもいかがなものかと思っていたので。思い残すことのないように、気になっていたことは一つずつ消していけませんね。
「あ、明日の馬車の中での飲み物を買い忘れたわ! 明日、朝早いから買う時間ないと思って。しまったわ、こんな時間に空いているお店あるかな」
「メイ、ありがとう。私もちょうど明日読む本を宿屋の売店に買いにいこうと思っていたから、一緒に買ってくるわ。先に寝ていて」
侍女を差し置いて公爵令嬢が買い出しに行くなんておかしいわね。
だけどこの旅で私、メイのことがすごく好きになったのです。主人を主人とも思っていない失礼な態度だし、当初はレオ様たちを狙う敵であったはずなんだけど。それでも今のメイは、私をしっかり守ってくれる頼れる侍女なんです。
「あれ? コレット! こんな時間に買い物?」
「ディラン様」
「最後の夜だし、せっかくだから少し飲んでいかない? 君はもう二十歳だよね、いけるでしょ?」
「あまり強くはないですけれど……少しなら」
ディラン様のおかげですっかり気分転換できたのですから、最後くらい二人で少しお話したっていいですよね。
幸い、宿屋のテラスは開けた場所ですし、お店の方からもよく見える場所ですから。どなたかに見られたところで、私たち二人が変な関係だとは思われないでしょう。
「どう? この旅で、少しは心が軽くなった?」
「はい、とっても! エアトンの街並みも夕日もとてもきれいでしたし、紅を使った小物やタペストリーもとても素敵でした。グランジュールにこんな素敵な街があったなんて全く知らなかったので、とても良い思い出になりましたわ」
私たちのグラスにワインがそそがれ、二人でそっと乾杯します。
「王都に戻ったら……どうするの? 殿下に側妃がいることを受け入れて、そのまま殿下と結婚する?」
「……結婚は、一人ではできませんから。殿下のお気持ちをお聞きします」
「側妃に、先に男子が生まれてもいいの? 耐えられる?」
ディラン様の口から、側妃の妊娠の話が出るなんて。ウェンディ様から側妃の話は聞いたと仰っていたけれど、なぜ子供のことまで……?
「ディラン様、なぜそれを?」
「あの毛糸店の店主に聞いたんだ。王家宛に、赤ん坊用の洋服を一式納品したって。紋章を刺繍したそうだから、間違いないよ。絶対に口外しないようにって言われていたらしいけど、僕と店主は長い付き合いだからね。名誉のある仕事だから浮かれていたのか、すぐに教えてくれたよ。
それに、ウェンディの兄貴が見たって言うんだ。殿下がその側妃に、『体調は大丈夫か? お腹の子は大丈夫なのか?』って声をかけているところを」
ディラン様の言葉でレオ様と側妃のことを思い出した私は、目の前のワインを一気に飲み干します。早く飲み終わって、部屋に帰りたい。
「辛いと思うんだ。もし君がこのまま殿下と結婚しても、殿下が毎日君のところに来るなんて事はないよ。良くて側妃と一日おき。昨日の晩に側妃を抱いた腕で抱かれる自分を想像してよ……吐き気がすると思わないか?」
分かってる。そんなことは分かってる。だから私は断罪されて国外追放されて、新しい人生を生きるの。レオ様の幸せを願いながら、でもレオ様の幸せを目の前で見てしまわないように遠くへ行くの。
「殿下は十年以上も君と婚約しているのに、一切手を出さなかったってことでしょ? それで、ポッと出てきたご令嬢があっという間にご懐妊だ。辛いだろう? もっと飲んでもいいよ」
ディラン様の手で、私のグラスに再びワインが注がれます。私はディラン様からグラスを奪い取って、飲み干します。
「ディラン様……もうやめてください……」
「だから、僕と結婚しようよ。こうして君の好きな場所にいくらだって連れて来てあげるし、編み物だって教えてあげる。失恋の痛みは、新しい恋で埋めろって……聞いたことない? このままこの街で生きて行こうよ」
「嫌です。私、もう失礼します」
私はテーブルに手を付いて立ち上がりますが、酔いが回って上手く立てません。もう一度椅子の上に尻もちをつくと、ディラン様が私の両腕をつかみます。
「あ……っぶないなぁ。頭を打つところだったよ。女将さん! ちょっとこの方が酔ってしまったようだから、お部屋まで連れていきますね。お勘定は宿代とまとめて払うから!」
女将さんと呼ばれた女性の威勢のいい返事が遠くで聞こえ、私の体はふわっと浮き上がりました。ユラユラと揺れる景色がだんだんと暗くなり、客室の方に向かっているんだと気付きます。戻らなきゃ。メイはもう寝てしまったかしら。
部屋の鍵を開ける金属音でハッと意識が戻り、ディラン様の腕を押し返します。
「やめてください!」
「大丈夫だよ、安心してよ。僕は本当に君のことが好きになっちゃったんだよね。初めはリード公爵家の奴らをボロボロにしてやりたかっただけだったけど、君本当に可愛いからさ」
「……あなた、私と初対面って言っていなかった?」
ディラン様の口元だけが、三日月のようにニヤッと笑います。
「もちろん、初対面だったよ。でも、君の兄のジェレミーの方は同級生だったし、よく知ってるよ。色々とアイツと比べられて嫌な思いをしたんだ。その上こんな可愛い妹は、王太子の婚約者だって? ズルイよ! なんでリード公爵家ばかり! とにかく、部屋に入れよ!」
酔いの回った体を思い切り押され、私はディラン様の部屋の床に倒れ込みます。明かりのついていない真っ暗な部屋。ここで鍵を締められたら一貫の終わり。
唯一明かりの入る扉側から、ディランが少しずつ近づいてきます。
私の方からは顔が見えないのに、三日月の形の口元だけが浮き上がっている気がして、恐ろしさのあまり声も出ない。
ーー誰か、助けて……!
紅色に染めた布で作ったハンカチに、グランジュール王家の紋章を刺繍してみました。丁寧にハンカチを折って、袋に詰めます。レオ様の誕生日プレゼントにちょうどよいものができたと思います。
私が四年前にエリオット様に失恋した時にレオ様が貸してくれたハンカチを、実はまだ返していないのです。一度鼻水まみれにしてしまったものを、そのまま返すのもいかがなものかと思っていたので。思い残すことのないように、気になっていたことは一つずつ消していけませんね。
「あ、明日の馬車の中での飲み物を買い忘れたわ! 明日、朝早いから買う時間ないと思って。しまったわ、こんな時間に空いているお店あるかな」
「メイ、ありがとう。私もちょうど明日読む本を宿屋の売店に買いにいこうと思っていたから、一緒に買ってくるわ。先に寝ていて」
侍女を差し置いて公爵令嬢が買い出しに行くなんておかしいわね。
だけどこの旅で私、メイのことがすごく好きになったのです。主人を主人とも思っていない失礼な態度だし、当初はレオ様たちを狙う敵であったはずなんだけど。それでも今のメイは、私をしっかり守ってくれる頼れる侍女なんです。
「あれ? コレット! こんな時間に買い物?」
「ディラン様」
「最後の夜だし、せっかくだから少し飲んでいかない? 君はもう二十歳だよね、いけるでしょ?」
「あまり強くはないですけれど……少しなら」
ディラン様のおかげですっかり気分転換できたのですから、最後くらい二人で少しお話したっていいですよね。
幸い、宿屋のテラスは開けた場所ですし、お店の方からもよく見える場所ですから。どなたかに見られたところで、私たち二人が変な関係だとは思われないでしょう。
「どう? この旅で、少しは心が軽くなった?」
「はい、とっても! エアトンの街並みも夕日もとてもきれいでしたし、紅を使った小物やタペストリーもとても素敵でした。グランジュールにこんな素敵な街があったなんて全く知らなかったので、とても良い思い出になりましたわ」
私たちのグラスにワインがそそがれ、二人でそっと乾杯します。
「王都に戻ったら……どうするの? 殿下に側妃がいることを受け入れて、そのまま殿下と結婚する?」
「……結婚は、一人ではできませんから。殿下のお気持ちをお聞きします」
「側妃に、先に男子が生まれてもいいの? 耐えられる?」
ディラン様の口から、側妃の妊娠の話が出るなんて。ウェンディ様から側妃の話は聞いたと仰っていたけれど、なぜ子供のことまで……?
「ディラン様、なぜそれを?」
「あの毛糸店の店主に聞いたんだ。王家宛に、赤ん坊用の洋服を一式納品したって。紋章を刺繍したそうだから、間違いないよ。絶対に口外しないようにって言われていたらしいけど、僕と店主は長い付き合いだからね。名誉のある仕事だから浮かれていたのか、すぐに教えてくれたよ。
それに、ウェンディの兄貴が見たって言うんだ。殿下がその側妃に、『体調は大丈夫か? お腹の子は大丈夫なのか?』って声をかけているところを」
ディラン様の言葉でレオ様と側妃のことを思い出した私は、目の前のワインを一気に飲み干します。早く飲み終わって、部屋に帰りたい。
「辛いと思うんだ。もし君がこのまま殿下と結婚しても、殿下が毎日君のところに来るなんて事はないよ。良くて側妃と一日おき。昨日の晩に側妃を抱いた腕で抱かれる自分を想像してよ……吐き気がすると思わないか?」
分かってる。そんなことは分かってる。だから私は断罪されて国外追放されて、新しい人生を生きるの。レオ様の幸せを願いながら、でもレオ様の幸せを目の前で見てしまわないように遠くへ行くの。
「殿下は十年以上も君と婚約しているのに、一切手を出さなかったってことでしょ? それで、ポッと出てきたご令嬢があっという間にご懐妊だ。辛いだろう? もっと飲んでもいいよ」
ディラン様の手で、私のグラスに再びワインが注がれます。私はディラン様からグラスを奪い取って、飲み干します。
「ディラン様……もうやめてください……」
「だから、僕と結婚しようよ。こうして君の好きな場所にいくらだって連れて来てあげるし、編み物だって教えてあげる。失恋の痛みは、新しい恋で埋めろって……聞いたことない? このままこの街で生きて行こうよ」
「嫌です。私、もう失礼します」
私はテーブルに手を付いて立ち上がりますが、酔いが回って上手く立てません。もう一度椅子の上に尻もちをつくと、ディラン様が私の両腕をつかみます。
「あ……っぶないなぁ。頭を打つところだったよ。女将さん! ちょっとこの方が酔ってしまったようだから、お部屋まで連れていきますね。お勘定は宿代とまとめて払うから!」
女将さんと呼ばれた女性の威勢のいい返事が遠くで聞こえ、私の体はふわっと浮き上がりました。ユラユラと揺れる景色がだんだんと暗くなり、客室の方に向かっているんだと気付きます。戻らなきゃ。メイはもう寝てしまったかしら。
部屋の鍵を開ける金属音でハッと意識が戻り、ディラン様の腕を押し返します。
「やめてください!」
「大丈夫だよ、安心してよ。僕は本当に君のことが好きになっちゃったんだよね。初めはリード公爵家の奴らをボロボロにしてやりたかっただけだったけど、君本当に可愛いからさ」
「……あなた、私と初対面って言っていなかった?」
ディラン様の口元だけが、三日月のようにニヤッと笑います。
「もちろん、初対面だったよ。でも、君の兄のジェレミーの方は同級生だったし、よく知ってるよ。色々とアイツと比べられて嫌な思いをしたんだ。その上こんな可愛い妹は、王太子の婚約者だって? ズルイよ! なんでリード公爵家ばかり! とにかく、部屋に入れよ!」
酔いの回った体を思い切り押され、私はディラン様の部屋の床に倒れ込みます。明かりのついていない真っ暗な部屋。ここで鍵を締められたら一貫の終わり。
唯一明かりの入る扉側から、ディランが少しずつ近づいてきます。
私の方からは顔が見えないのに、三日月の形の口元だけが浮き上がっている気がして、恐ろしさのあまり声も出ない。
ーー誰か、助けて……!
応援ありがとうございます!
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