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空に浮かぶ国
6 逃げるしかないよね?
しおりを挟む記憶に伴う感情とはどこに溜め込まれるのだろう。頭?胸?心?過去の記憶を思い出すとして、それには喜怒哀楽という感情もついてくる。でもその感情もまた脳で作り出されるのだとしたら、やはり頭だろうか?それぞれはその時体感した本人のものであるはずだ。決して俺が感じるものではない。この記憶はツビィロランのものなのだから。
なのに、この胸の痛みはなんだろうか。
記憶を見せるだけなら、元々赤の他人である俺には喜怒哀楽なんてないはずなのに、ふとした瞬間に思い出しては俺を苦しめていく。
ツビィロランは小さな頃は地上で育てられていた。大きな国の大きな神殿で、黒髪に琥珀の瞳の小さな少年は、大人に囲まれ可愛がられて育ったのだ。
どんな贅沢なことを言っても叶えられる願いは、ツビィロランに傲慢さを植え付けていた。
その国の王族でさえ、小さなツビィロランに膝をついた。そのくらい天空白露とは偉大な存在だったのだ。
天上人になる可能性の高い子供は、皆一旦地上で育てられる。天空白露は神聖力が溢れている為、小さいうちは成長が遅くなってしまい個人の神聖力が育ちにくいとして十三歳まで地上で育てられる決まりだった。
ツビィロランも十三歳の誕生日に天空白露へ上がった。白い神官服に豪奢な飾りを付け、長く伸ばした黒髪には予言の内容に沿って星屑を思わせる小さな宝石が幾つも飾られていた。
ツビィロランはまさしくその時予言の神子のようだった。
出迎えた聖王陛下ロアートシュエ様は、二百歳くらいとは聞いていたが、その姿は若々しく金緑石色の髪と瞳に、ツビィロランは時も忘れて見惚れていた。
天上人は平均的に二十五歳で開羽し成長が止まる。だから聖王陛下もそのくらいなのだろうとツビィロランは考えていた。
ツビィロランはまだ十三歳だが、いずれはきっと自分も二十五歳になった時、聖王陛下に相応しい天上人となり、予言の神子として天空白露を救うのだと信じていた。
『聖王陛下!一緒に散歩をしましょう!』
子供ながらにツビィロランは聖王陛下に懸命に話し掛けていた。好かれたくて、一緒にいたくて、聖王陛下ロアートシュエが統治者として忙しいことを理解出来ずに、暇を見つけては会いに行っていた。
あの聖王陛下はそれを重荷に感じていたのだろうか?
津々木学として客観的に記憶を見れば、聖王陛下の表情には困惑が見てとれた。
どう見ても大人と子供だ。そういう対象には見れなかったのだろう。だがツビィロランは見事な黒髪をもつ存在だった為、無碍にも出来ずに聖王陛下はツビィロランの相手をしていたように見えた。
いずれは番になる予定なのだとしても、まだまだそれは先の話だった。
十五歳の時、ホミィセナがやったきた。
ツビィロランから見れば邪魔者、津々木学から見ればゲームの開始だ。
次々と奪われる自分の居場所に、ツビィロランはヒステリックに騒いでは、攻略対象者たちの好感度を下げまくっていた。
徐々に優しい光を失くす金緑石の瞳に、ツビィロランは焦りを募らせた。
どんなに話し掛けても騒がしい子供としか見てくれなかった人は、アッサリとホミィセナと親しくなってしまった。
ツビィロランはアレでも我慢していた方なのだ。嫌われたくなくて、十三歳で天空白露にやって来て、騒がず我儘も言わず大人しくしていた。
それなのに何故か、ツビィロランは金遣いが荒く我儘だという噂が流れていた。地上で暮らしていた頃のことを知っている人間はいないはずなのに、過去の事まで知れ渡り、ツビィロランはますます追い詰められていった。
捕獲の難しい動物の肉や季節でない果物のデザートを食べたいと言うだとか、宝石を散りばめたネックレスや、滅多にとれない魔草虫が吐く糸から作られるベールが欲しいと要求するだとか、確かにまだ十歳にも満たない頃に言った我儘で、当時の王族や貴族達が叶えてくれたことだけど、十五歳にもなれば分別がつきそんなことは言わなくなっていた。
ツビィロランはどちらかといえば我儘だ。
でもそれは相手を見て叶えてくれそうな我儘を言っているだけで、無茶苦茶なことを言うことも無くなっていたのに、何故か過去の所業を誰かが吹聴しているようだった。
嘘は真実になっていた。
聖王陛下っ!僕はやってません!
冷たい金緑石色の瞳が見下ろしてくる。ホミィセナがツビィロランを庇うたびに、ツビィロランの方が悪者になる現象が理解出来なかった。
ホミィセナに訂正してくれと頼みにいったら、背中を押さえて突然彼女は泣き出した。
ただトントンと肩を叩いて話し掛けただけだ。
ツビィロランがホミィセナの背中を傷付けようとしたことになっていた。
目を見開いて驚くツビィロランを構う人間は一人もいなかった。
聖王陛下に肩を抱かれて立ち去るホミィセナが、少しだけ振り向いて笑っていて、ツビィロランの心を締め付けた。
津々木学から見れば、どう見てもホミィセナはクロだ。あの笑顔はヤバいだろう。泣きそうなツビィロランの顔を見て嘲笑ってるんだぞ?ツビィロランにはそこらへんの機微がまだよく分かっていないようで、ホミィセナの笑顔の意味も上手く理解出来ないみたいだけど、なんとなく不快な気持ちにはなったようだった。
立ち去る集団の最後尾に、黎明色の髪の人が振り返っていた。薄い氷を思わせる瞳が真っ直ぐにツビィロランを見ている。
感情も何もない氷銀色の瞳は、どこまでも澄んでいて、その視線の強さにツビィロランは耐えきれず目を逸らしていた。
観衆の中、ツビィロランとイツズは隠れるように王宮の大庭園を見下ろしていた。
二人は城壁の見張り台になんとか身体を滑り込ませ、天空白露からやってくるという天上人を見に来たのだ。
二週間前にこの国にやって来て、首都に宿を取りのんびりと過ごしていると、天空白露から天上人が二人賓客として訪問するのだと噂が流れ出した。
マドナス国の王は天上人だ。金茶の髪と同じ金茶色の羽を持つ国王陛下は国民に絶大な人気がある。
金茶の髪と人を惹きつける力強い碧眼のイリダナル国王陛下は、ゲームの攻略対象者の一人でもある。
今日は王宮の大門を開けて態々民衆を呼び込み、金茶の羽を背に広げたイリダナル王は、天空白露の訪問者、翼主クオラジュと予言者サティーカジィの訪問を歓迎していた。
「大物の訪問だったんだね。」
元々天空白露に住んでいたとはいえ、奴隷の身分で花守主の透金英の森で働いていたイツズにとって、彼ら二人の姿は雲の上の存在で、その翼の美しさに感動しているようだ。
遥か遠くに小さく見える姿だが、舞い降りる二色の羽は確かに美しい。
翼主クオラジュの背にある羽は、青色から紫色に、そして羽先にいくほど橙色にグラデーションする天空白露でも珍しい色だ。透明で艶やかな輝きを放つ翼に、誰もが溜息をついている。
もう一人来た予言者サティーカジィの翼は輝かんばかりの金色だ。太陽の光を反射してキラキラと遠くにいる自分達まで眩しく感じる。
翼主クオラジュ、予言者サティーカジィ、イリダナル王の三人は皆攻略対象者だ。
今走馬灯のようにツビィロランの記憶が蘇ったのも、彼等を見た所為だろう。
これだけ距離があれば向こうから自分達は見えない。ツビィロランからも彼等の姿は胡麻粒程度にしか見えない。翼主クオラジュのあの冷たくも冷静な瞳はあまり見たくないなと思っているので、この距離は丁度良かった。
きっと自分がツビィロランだと知られれば、何かを悟られる気がしてならない。あの手の人間は頭がよく騙すのが困難なタイプだ。
「ここは話しにくい。離れよう。」
少し大きめの声でイツズを促す。
城壁から降りる為にその場から離れようとして少しだけ振り返った。
「……!」
何となく、こっちを見ている?
いや、この距離だ。そんなはずないと思いながら、イツズの腕を握って急いで離れた。
地上にも神聖力を持つ人間は沢山いる。神聖力が全くない人間は白髪で、大概の人間は薄い色味の髪をしたほんの少し神聖力を持つ人間がほぼ占めている。
髪色が濃い人間は背に羽を開羽させ天上人になる為に天空白露へやってくる。だからこんな所で目立つ神聖力を持つ人間がいるはずがない。
そう思っていても、惹きつけられる存在はいるものなのだなと思う。
集まる民衆は広場の外側と城壁の上からクオラジュ達を眺めていたが、その城壁の一箇所から気になる神聖力を感じた。
特に神聖力が濃いわけでも無いのだが、何となく気になる。
「そっちの方に何か?」
クオラジュの後に着地したサティーカジィが尋ねてきた。
「あちら側にいそうなので。」
サティーカジィもそちらを見やるが何も感じない。
「私には何も感じません。この前の薬の売り子ですか?」
クオラジュは頷いた。神聖力は薄いし、全く別物に感じる。あの時も少し違和感というか既視感を抱いて先にクオラジュが話し掛けたのだ。
「似ていると、思いませんか?」
「誰にでしょう?」
「……………ツビィロランです。」
サティーカジィは驚いてもう一度城壁の方を見た。やはり何も感じない。
「ですが、力の差がありすぎます。あの売り子は水色の髪でしたよ?神聖力もたかが知れているのでは?」
ツビィロランの髪は漆黒だった。まだ二十五歳に成熟する前の十五歳という若い身体ながらも、その内側には濃い神聖力が渦巻いていた。
どこに共通点があるのだろう?そうサティーカジィは悩んだ。
「懐かしい名前を言っているな。」
着地して早々話し込む二人に、イリダナル王は話し掛けた。そして二人に向かって面白気に話題を振る。
「俺も面白い報告を受けたばかりなんだ。この前クオラジュ殿が隣国の端にいた流れの薬師二人を調べて欲しいと頼んだだろう?」
城壁を気にしていたクオラジュが漸くイリダナルの方を向いた。
「何かわかりましたか?」
地上のことは地上に暮らすものの方が調べやすい。そう思って頼んでいた件だった。
「水色の髪のやつの名前がツビィというらしい。」
あまり感情を動かさないクオラジュの瞳が大きく見開くのを見て、イリダナルはしてやったりとニヤリと笑っていた。
「なんかこっち見た気がするね。」
「俺もそう思う。」
二人は駆け足で逃げながら宿に向かった。あの距離で見えるとは思わない。たまたまか?なにせ攻略対象者だから、何が起こるか分からない怖さがある。
「何でまた僕達のいる所に来たのかなぁ?」
「…………。」
イツズは不思議そうにしたが、ツビィロランは考え込んでいた。
「まさか、……本当に起きかけて来てないよね?」
不安気に尋ねたイツズにツビィロランは視線をやった。
「可能性はあるな。この前道具全部置いて逃げて来たし。」
イツズはえぇ~~っ、と悲鳴をあげる。
薄々感じてはいたのだ。天空白露がここ最近進行方向を変えていることも、やたらとツビィロラン達の近くに現れることも、逃げても逃げてもよく遭遇することも。何よりこの前とうとう目の前に現れたのだ。
「ツビィロランってばれた?」
「いや、それは無いと思う。バレてたらあの場で捕まえられていた。」
なにしろツビィロランは天空白露の罪人なのだ。直ぐに切り付けられてもおかしくなかったのに、あの二人はどちらかというと薬の方を見ていた。
薬には俺が神聖力を吸わせた黒い透金英の花の粉末が入っている。極微量とはいえ、もし薬に入っている神聖力を嗅ぎ取れるとしたら、間違いなく追ってくるだろう。
ここ数年、地上に出回る透金英の花の数が減ってきていた。今ではほぼ出回らず、手元には大量に透金英の花を持っているのに売ることが出来ずにいた。
元々希少価値の高かったものが、さらに希少になっているのだ。持っていると知られただけでも誰に命を狙われるか分かったものではない。
俺もイツズも非戦闘員なのだ。
地上に透金英の花が出回らなくなったのは、生産しているはずの天空白露で何かあったからに違いない。
徐々に落ちてきている浮島と、数が減った透金英の花。どちらも神聖力あってのもの。
「何だ………、何もしなくても落ちて来そうじゃないか。」
楽し気に笑う俺に、イツズは怪訝な顔をした。
確実に天空白露の神聖力が失われていっているのだということだ。楽しいばかりだ。ツビィロランの願いは叶ってしまう。
そうなると俺達はクオラジュとサティーカジィに見つかるわけにはいかない。十中八九、俺達が持っている透金英の花を追いかけて来ているのだろう。
念の為にとマドナス国に入ってからは薬を売らずに移動していたのに、ここまで真っ直ぐに追いかけて来た。
「たぶん俺達が作って売っていた薬に透金英の花の粉末が入っているのに気付いたんだ。向こうには予言者サティーカジィがいる。あの時売り場に来ていた二人組が翼主と予言者だとすると、俺はバッチリ姿を見られてしまったからな。水鏡で探された可能性が高い。」
その説明でイツズは納得していた。イツズはお助けキャラだけあって攻略対象者の能力にも精通している。サティーカジィの予知が簡単な探しモノの場合百発百中であると理解しているのだろう。
「じゃあツビィを探した可能性あるね。」
「だな。まさかサティーカジィがあんな田舎を歩くとは思わなかった!」
国の首都やそれに準ずる様な都市なら天空白露から何かしらの式典で天上人が降りてくることもある。でもあんな何もない町に来るなんて!
「どーするの?」
イツズはまた不安そうな顔をした。
「そりゃーーー逃げるだけじゃねー?」
その選択肢しか持ち合わせておりません!
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