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空に浮かぶ国
8 その美しい景色
月光輝く美しい夜。湖面は柔らかな光を反射してキラキラと輝き、湖の中央に浮かぶ小舟をユラユラと揺らしていた。
湖はぐるりと一周森に囲まれ、虫の鳴声と動物の気配と水の揺らぐ音しか聞こえない。地下水が湧き出る湖水は冷たく、風が起こす細波が浮かぶ小舟に当たり、乗っていた人間の身体をよろめかせた。
「うおっ、と、と、あぶね。」
「こんな小さな揺らぎて落ちないでね。」
落ちようとしたのはツビィロランで、それを注意するのはイツズだ。
津々木学は現代っ子で遊びは好きだがアウトドア派ではなかった。こんな小舟の上に立つなんてしたこともない。ツビィロランも上流階級育ちな為、運動神経はあまりよろしくなかった。
「座ったままじゃかっこつかねーもん。」
「かっこつける意味あるの?」
イツズは荷物持ちとして小舟の上に待機するだけなのだが、ツビィロランがやろうとしていることを聞いて、何故そこまでやる必要があるのかと訝しんだ。
「あるに決まってるだろ?ツビィロランの素晴らしさをアイツらに分からせてやるんだ。」
「自分の素晴らしさを分からせてギャフンと言わせたいってことだね?」
まぁ、そーいうことになるな。ツビィロランの中に津々木学が入っていることは誰も知らないので、はたから見ると自己顕示欲の強いやつだ。致し方ない。
「俺が予言の神子だろうが偽物だろうが関係ねー。勝手に持ち上げといて突き落とした奴らに一泡吹かせたいんだよ!」
イツズはハイハイと呆れている。逃げる為だけなら天上人の前に姿を出す必要はないし、出来ればコッソリ罠を仕掛けて逃げた方が得策だろうにとも思うけど、ツビィロランは一度死んでしまうほどの傷を負わせられたのも事実なので黙って従うことにした。
ツビィロランはそう言いつつも優しいのを知っている。
いつも天空白露なんて落ちてしまえと言っていても、実際その時どうするつもりなんだろうと心配になる。
「あ、来たぞ。」
ツビィロランが見つめる方向に輝かんばかりの羽を広げて飛んでくる三人の天上人がいた。森の中にはキラキラと月光を反射する兵士達の鎧が見える。
「マドナス国王陛下まで来たよ。」
「ああ、あの三人はよく一緒にいたからな。仲良いんだろう。」
これは予想通り。イリダナルが来ても来なくても変わらない。
「じゃあ、大人しく乗っとけよ。」
「はぁーい。」
二人はフードを目深に被り、小舟の上で天上人が到着するのを静かに待った。
湖はマドナス国の兵で包囲し、上空からはクオラジュ達が小舟を見下ろしていた。
月明かりに照らされた湖面に浮かぶ小舟は小さくて、できれば降りて話し掛けたかったが仕方なく湖面ギリギリに着地する。
「貴方はあの時の薬売りでしょうか?」
あの時の水色の髪をした青年は明るく快活そうに見えたのに、今小舟の上に立つ青年は生意気で敵愾心を隠そうともしていなかった。同じ人間だろうかと思ってしまう程別人だ。
商売をする人間にしろ為政者にしろ施政者にしろ、誰しも本来の顔を隠すのだから、彼は商売人としての顔があの快活な姿で、今が本当の彼なのだろう。
それにしても、あの時は僅かな神聖力しか感じなかったのに、今目の前にいる彼からは強い神聖力を感じる。
クオラジュは自分が被っていたフードを取り払った。
「以前お会いしましたよね?今日は少しお話があってまいりました。出来ればフードをとって会話が出来ればと思います。」
「……………。」
青年の口元は笑っている。雰囲気からやはり二十代だろうとは思える。少し小柄な方だろう…。小さな子供だったツビィロランに似ているように思えた。
青年はフードをとりはしなかったが、少し指で上げてくれた。
髪の色は深い青に見える。月光を背に金の粒がチラチラと舞っているように見えるのは気のせいだろうか。ただの月の光が湖面の揺らぎに反射するのがそう見せているだけだろうかと悩む。
青年の足元にはもう一人座って様子を見る人物がいた。荷物を抱えていることから彼の方は何もするつもりがないのだろう。こちらはフードを取るつもりはないようだった。
「要件を。」
青年の声は少し高めだった。そう声を張り上げたようでもないのに、開けた湖の上に涼やかに響き、クオラジュ達にもはっきりと聞こえた。
十五歳から二十五歳の間の成長とはどの程度のものだろうかと考えてしまう。十五歳のツビィロランと話した回数は僅かしかない。あまり関わらないようにしていた為、声を覚えていないのが悔やまれた。
おそらくこの中で一番ツビィロランと話したのはイリダナルだろうか。
クオラジュの後ろに同じように湖面に着地した二人の方を少し振り返った。
二人もフードをとって小舟に注視していたが、振り返ったクオラジュに首を振った。彼がツビィロランであるかどうか分からないということだろう。
「お二人が作って売っている薬について話を聞かせて下さい。」
あの重い前髪が風で揺らいでくれないのだろうかと、クオラジュはジッと青年を見つめる。
その姿に青年はクスリと笑った。
「はは、俺の顔見たい?………これ塗って前髪固めてるから無理なんだよなぁ。」
ポンと青年は小瓶を放り投げた。蓋は大きめでクルクルと回すタイプだったので開けてみたが、ドロリとした黒っぽい半透明なものが入っていた。少しだけ金粉が混ざっている。
「………これ、は?」
「整髪料。」
せいはつりょう?それが何かは分からなかったが、このドロっとした物には神聖力が混ざっていた。しかも黒に金だ。
「それ塗ると髪がちょっと固まるんだよ。」
髪を固める?
不思議そうに眺めるクオラジュを、また青年は可笑しそうに笑っていた。目元は見えないのに口元と雰囲気だけでそれが分かる。
「そういうことだろ?知りたかったのは。」
「………………。」
「俺達が黒の透金英の花を使ってるのかどうかを知りたいんだろ?」
不敵に笑う青年から神聖力が漂う。時間が経つほどに増してくるのは何故なのか。
小舟を中心に細波が円を描く。
「……………使っているのですね?」
青年は答えなかった。
代わりに両腕を広げて上にゆっくりと上げる。何をしているのだろう?そう小舟に乗る者以外の人間全てが疑問に思った。
チャポ、チャポ……、と音はずっとしていた。ここは湖なのだからそれが普通だと思っていたのだが、徐々に音が増してくる。
「クオラジュ!」
イリダナルが背後から叫んだ。見渡せば湖一面に水の粒が浮かんでいた。
神聖力で水を浮かせているのだというのは分かる。だがこの量は普通じゃない。一粒は雨粒のように小さい。それを無数に持ち上げているのだ。
「何をするつもりですか。」
これだけでも青年の神聖力の強さが理解できる。彼が透金英の樹を持っていて、花を咲かせているのは確実だった。
水色の髪は神聖力を与えた後なのだということに気付いた。本来はもっと暗い色をしている。それこそ黒に近い色なのだろう。
「もっと驚いてくれてもいいのに。」
青年は少し残念そうに言っている。
「その力を私達に貸してはいただけませんか?」
クオラジュは頼んだ。その神聖力も、透金英の樹も、出来れば手元に欲しい。
「ふ、ふふ、あはは。やだよ。」
青年はクルリと小舟の上で回った。旅人用のマントがはためき、フードが後ろに落ちる。
「何故ですか?私ができうる限りでですが、どんなことでも叶えますから。」
「…………………。どんなことでもと言いながら、自分に叶えられる限りという制限をつけるのって、アンタらしいね。」
口角を上げて青年はクオラジュを皮肉った。それはどんなことでもとは言わない。
クオラジュが申し訳なさそうな顔をする。
「謝ります。ですが私も万能ではないのです。ですが力の及ぶ限り叶えますので考えてはくれませんか?」
「ふぅん。」
青年は聞いているのかいないのか、またクルリと回った。それに合わせて大気に上がっていた水滴もクルリと動き出す。
ビタビタとクオラジュ達を横殴りに水滴が襲った。
「何を………。」
「一旦引いた方がよくありませんか?」
青年の態度を見て話す気がないと判断し、サティーカジィが水滴から逃れるよう提案した。サティーカジィから見れば相手を視認したので水鏡でいつでも追うことが出来ると思っている。
イリダナルは湖周辺に兵を待機させているので先に下がっていった。この水滴が攻撃であった場合、大気に溢れ出した青年の神聖力から無事では済まないだろうと判断したからだ。神聖力が自分達より弱い地上の兵士達は、一旦距離を取らせなければならない。
青年が腕を動かすたびに水滴は踊るように動き出した。
クオラジュとサティーカジィは自分の神聖力で身体を保護した。天上人だからここに立っていられるが、そうでなければ神聖力の重圧に押しつぶされている。
大気に極小の水滴が舞っていた。月の光をうけて銀色に光り、夜闇だというのにあたり一面を眩しく輝かせだす。
髪で顔を隠した青年は楽しげに歌っていた。
青年は何をしたいのかとクオラジュは考える。理解が出来なかった。
「~~~ーーん~~~、ん~~~~、なあ、天空白露には予言の神子様がいるんだろ?そいつに頼めばいいじゃん。」
歌の歌詞を口ずさむ様に青年は尋ねる。
青年の髪がふわりと揺れ、少しだけ瞳が見えた気がした。だが青年の背後には輝く月があり、その色は捉えにくかった。
「………それは、今、難しく…。」
あの神子を頼ることは出来ないのだとクオラジュは顔を歪ませた。
「ふぅーーーーん。」
楽しげに笑う声が大気を震わせる。あたり一面漂う神聖力は青年のものだ。それが水滴を浮かせ青年の動きに合わせて動いている。
何がそんなに楽しいのかとクオラジュは理解できずに困惑するばかりだった。
「だから君に手伝って欲しいのです。」
「やだよ。」
懇願は笑顔で否定される。クオラジュの氷銀色の瞳が大きく見開かれるのを見て、青年はことさら楽しげに喜んだ。
「何故!?」
「あはは、やだよ。やだ、やだ。」
青年の感情が昂り、回る水滴の威力が増してくる。大気に満ちる神聖力の濃度は衰えることなく増え続け、クオラジュとサティーカジィは目を開けるのもやっとになってくる。
「君は、きみは、やはりツビィロランですか!?」
クオラジュは必死に疑問をぶつけた。息をするのも苦しいほどに、大気が重い。叫ぶ様に言葉を吐いた。
拒否をするのは自分達に殺されそうになったから!?
小柄な身体から力が溢れる。
黒に近い前髪の間から輝く瞳が覗き、ああ、やっぱりそうなんじゃないかと嘆息した。
クオラジュはその美しい琥珀色に見惚れてしまった。
「…………ーーーふ~~、ん、ん~~~~、ふ、あは、あはははははは、ぁーーーーお・ち・ろ。」
ーーーードッッッジャアァァァーーー!!!!
その一言で、立っていられない程の衝撃がクオラジュ達を襲った。
幾万という無数の粒が、轟音を立てて湖面に叩き付けられる。
「ーーーーー!!!!」
重い水滴に抑え込まれて、クオラジュとサティーカジィは湖の中に落ちた。
豪雨となって落ち続けた水滴が止んだ時、二人が乗っていた小さな小舟は、豪雨の威力に負けて湖の中に沈んでしまっていた。
天上人の羽は神聖力の塊である為、水の中であろうと広げることは出来るのだが、それは意識あってのものだ。
ザバリと水音を立てて空中に上がってきたクオラジュの肩には気絶したサティーカジィが乗っていた。
「大丈夫か?」
イリダナルが飛んできて加勢する。二人から滴り落ちる水は多くとも、天上人の羽は重さを感じさせず身体を浮き上がらせた。
「やはりツビィロランでした。」
だが逃げられてしまった。
あれから十年経ち、ツビィロランの神聖力は今最高潮にあるのだろう。本来ならばもう開羽してもおかしくない時期。
背中の傷痕でそれは無理なのだろうが。
「……………十年前のあの判断は誤りだったということだな。」
金茶色の瞳は消えた小舟の辺りを見つめていた。
イリダナルが決定したことではないが、その場にいて止めなかったのはクオラジュと一緒だ。
「追えるでしょうか。」
相手があれほどの威力をもつ神聖力だった場合、サティーカジィの水鏡で探せるか分からない。神聖力同士の戦いになるので、弱い方が強い方を見つけるのは困難になってくる。
サティーカジィは置いて来た方が良かったのかもしれない。
「難しいかもしれないな。俺の方でも調べよう。」
「頼みます。」
今日はもう追えない。傷付きこそしなかったが、ツビィロランの神聖力でクオラジュ達の神聖力が一時的に抑え込まれてしまった。
遠くへ逃げる為に、態とそうしたのだろう。
ツビィロランを探さねばならない。
失意と共にクオラジュ達は空に飛び去った。
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