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おさとうきゅうさじ
9.
しおりを挟むほとんど一方的に話して、携帯をソファの上に転がしてしまった。
束の間に静けさが生まれて、すぐに破られる。
「もう、一生柚葉さんの前には来ないから」
「……ええと、お電話、大丈夫でしたか」
「うん、あー、言ってなかったよね。人事部長は同期で、まあよく知ってるやつだから、頼れると思う」
「あ、りがとうございます。こんなことに、なるなんて、おもわなくて」
「柚葉さんは何も悪くないからね。……大丈夫。もうこわい人はいないから」
「……はい」
私に理解してもらえるように、わざわざ目のまえで電話をかけてくれたのだろう。
胸にやさしく響いて、耐えられずに遼雅さんの背中に両腕を回した。
ぎゅっとしがみ付いたら、全部が遼雅さんでいっぱいになる。
応えるように強く抱きしめられたら、もう、すべてを忘れて良いような気がしてしまった。
「怖い思いをさせてしまった」
「私が……、あんなに心配されていたのに、うっかり外に出たからです」
「ちがうよ。柚葉さんの行動を縛ること自体が間違ってるから。それだけは、わかってほしい」
「……いつもやさしいです」
「肝心な時に守れなくて、自分を殴ってやりたい気分だよ」
「ふふ、かっこよかったです」
「うん?」
「せなか、おおきくて」
『――俺のつまの名前を、気安く呼ばないでいただきたい』
耳によく残る声だった。
たぶん、もう一生忘れないだろうと思う。
私のために、前に出てくれた。何もできない私のために戦ってくれていた。
「安心して、泣きそうになりました」
「泣いてもよかったのに」
「いやです」
「うん?」
「遼雅さんじゃない人には、みせたくないです」
話しながら、じわじわと涙がにじんでくる。
昔から、姉とは正反対に泣き虫だった。よく壮亮には泣かされたから、結構打たれ強くなったつもりだった。
腕の拘束がゆるんで、切ない瞳の遼雅さんと視線が絡まってしまった。
「全部俺がもらっていいんですか?」
「う、泣き顔、ぐちゃぐちゃだから、ひみつに、してください」
「はは、かわいいよ。でも、もう哀しまないでください。かわいい奥さん、きみにはやっぱり笑顔が一番だから」
「ふふ、もう。なきたいのか、わらいたいのか、わかんないです」
「どっちもできるなんて、柚葉さんは器用でかわいいです」
精いっぱい笑わせようとしてくれているのがわかって、なおさら泣きたくなってしまった。
手を繋いでほしくて指先に触れたら、何も言わずに、いつもと同じように握りしめてくれる。
そのねつがすきだ。あなたのものになりたい。
ぐちゃぐちゃの思考回路で、笑ってしまった。
「……部長、秘密にしてくれるかな」
「うん?」
「遼雅さん、結婚してるって、言っちゃったから……。噂広まっちゃいます」
隠すために、たくさん努力をしてきたのに、私のせいで壊れてしまいそうだ。
苦笑して見つめたら、すこしおどろいた目が、わかりやすく、あまく歪められた。
「あはは」
「ええ、なにが、おかしいですか」
どこまでもうれしそうな笑みで、声が滞ってしまった。遼雅さんは涙が流れた頬にやさしく触れて、静かに囁いてくれる。
「うん。そうなったらいいのにって、今、本気で思ってる」
「りょうが、さん?」
「最近気づいたんだけど……。あまやかしたいのに、柚葉さんが困って瞳が震えるのを見ると、いじめたくなるんだ」
どこまでもたのしそうな人に囁かれて、目が回ってしまった。
涙なんてあっさりと乾いてしまう。
呆然とする私の唇めがけてキスを触れさせて、すぐ近くで「かわいい」と囁いた。
遼雅さんのねつに、ただ翻弄されている気がする。
「な、に」
「俺のかわいい奥さんだって、見せつけたくてたまらない」
「りょうがさん、」
「噂、広まってくれたらいいですね。そうしたら、もう誰も俺の奥さんに変なことしないだろうし」
「ええ、あの……」
「毎日ここに、指輪嵌めてくれるんだろうから」
繋いでいた手を取って、いつものように恭しいキスを指先に捧げてくれる。王子様のように片膝をついた人が首をかしげて言った。
「もう、そろそろ俺の奥さんだって、言いふらしてもいいですか?」
「遼雅さん、あの」
「もう、俺は結構、我慢の限界です」
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