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しおりを挟む「ああ、私のフィー! このような姿に……!」
酷く苦しむような表情を浮かべた父が、冷たい手でソフィアの身体を抱き上げた。
その時、すでに獣人夫妻の身体は地に沈められている。
あれは、拷問の魔法だ。この国でも禁忌とされているほど惨い闇魔法だ。その時、ソフィアはそのようなことさえも理解できていなかった。
無知は罪だ。何度この記憶を思い返しても、ソフィアは己の身体に爪を突き立て、自傷してしまいたくなる。それほどに、悍ましい記憶だった。
「我がフローレンス家を愚弄した罪、たった二匹で償えるとは、思っておるまいな」
痺れるような怒りの声が囁かれたとき、ソフィアは無残に身体を引き裂かれた者たちが、夫妻の周囲に落とされるのを見た。
ソフィアを慰めてくれた者たちの死体が積み上げられる。テオドール・フローレンスが、自身の飼う獣人たちの管理を怠るはずもない。
そうして積み上げられた死体のうえに、顔を青くした女児が吊り下ろされた。
地面に貼りつけにされた夫妻は、その子どもの姿を見止めた瞬間、いっそう顔色を悪くした。
ソフィアも、逆さ吊りにされた親友の姿を見て、僅かに息をのむ。その瞬間のソフィアは、リーサにきつく言い含められた約束を、忘れてしまっていたのだ。
「おや、フィー? これに見覚えがあるのかい?」
「え、え……と」
あからさまに狼狽えたソフィアを見たテオドールがゆったりと微笑んだ。テオドールの横で、2人の男児がくすくすと笑っている。
「フィー、ちゃ……」
吊り下げられたミュリは、虚ろな目でソフィアの名を呼びあげた。その瞬間夫妻が激しく苦悶にのたうち回り、泡を吹く。
「まさか、これ、フィーのオトモダチかい?」
ショーンの声に、ソフィアはようやく、自身とミュリの間に芽生えた友情が、あってはならないものだと理解したのだ。
「フィー、お前はどうやら、悍ましい暗示をかけられてしまったようだな。獣人は憎むべき相手だ。フィー。わかっただろう?」
わからない。だが、これを否定すれば、親友とその優しい両親はますます恐ろしい目に遭う。
必死で首を縦に振ったソフィアの眼には、隠しきれない涙が浮かんでいた。ポロリとこぼれた涙を見たウィリアムは嬉々として声をあげた。
「フィーが泣いてる! そんなに大切なオトモダチなのかい? はっは、面白いなあ」
ソフィアが兄の前で泣いたのは、これが最後だ。
涙を流すソフィアを見下ろしたテオドールは、眉を顰めて魔法を詠唱した。
それは、この世で最も悍ましい死の呪文だ。
そのときソフィアの親友がどれほどの苦しみに喘ぎながら命を散らして行ったのか、ソフィアは一生忘れることがないだろう。
高熱に魘された10歳のソフィアは、起き上がったその瞬間から、獣人を酷く恨むソフィア・フローレンスとなった。
誰よりも学ぶことに傾倒し、その一方で傍若無人に振る舞うことを決して忘れなかった。ミュリは、両親の手によって一早くあの邸から逃がされていながら、ソフィアとの約束を忘れずに、こっそりと邸の蔵に身を潜めていたのだと言う。
テオドールは、幼気なミュリの優しい心も、ソフィアと彼女の優しい約束も、全てを踏みにじって、ソフィアをフローレンスに連れ戻した。
フローレンス家こそ、実に血生臭い。
——ソフィア、少し早いが、誕生日おめでとう。
——ソフィア、立派な淑女になるのよ。
——2人なら怖くないよ。サクラ、きっとフィーちゃんみたいに綺麗だろうなあ。早く見に行きたいね!
叶わぬ願いばかりが、ソフィアの胸に突き刺さる。そうして少女は、誓ったのだ。
必ず、どれほどの犠牲を出そうとも、獣人の地位を覆らせる。そのためなら、己の命がむざむざと散り行こうとも構わない。
決してもう、心を乱されたりしない。どのような時にも冷血な悪女であり続ける。
そうしなければ、ソフィアはますます多くの獣人を見殺しにする羽目になる。
1人は恐ろしくない。
2人であったものが、独りになってしまうことのほうが、ソフィアは恐ろしい。
だから、誰にも心を寄せることなく、この人生にピリオドを打つつもりでいたのだ。
* * *
「——ア」
誰かの優しい手が、ソフィアの髪を撫でている。ソフィアはたまらなく優しい指先に誘われるまま、ゆっくりと意識を揺蕩わせる。
「フィア」
ソフィアの名を、これほどまでに優しく呼びあげようとする者が、まだこの世界に生きているのか。
夢と現の曖昧な境目にあるソフィアの意識は、その者の声に驚きつつ、甘やかな陶酔に頬を緩ませた。
「フィア」
再び名を呼ばれたソフィアは、緩んだ頬に触れる指先が随分と固いらしいことに気付き、相手がミュリではないことを知って瞼をあげた。
「あ……」
視界の先に、琥珀の瞳が煌めいている。
その男はソフィアが目を覚ましたのを確認すると、熱心にソフィアの髪を撫でつけていた指の動きを僅かに止めて目を見張った。
「るい、……す?」
囁いたソフィアは、ようやく己の置かれた立場を思い出して、そっと視線を動かした。
ルイスの腕に嵌められていた腕輪は、しっかりと取り外されたようだ。何もついていない腕をじっと見つめたソフィアは安堵のため息を吐く。
「……フィア」
「ひゃ、」
まだうまく働かない頭でぼんやりと解術の成功を知ったソフィアは、突如身体が抱き起される衝撃に小さく声をあげた。
周囲は薄暗い。
月明かりに照らし出される部屋は、おそらくルイスの私室だろう。温室から、ここに運び込まれたらしい。
徐々に状況を理解し始めたソフィアは、突如身体を抱きしめてくる男の力の強さに、呼吸を壊されてしまった。
「く、るし……っ」
「っすまない」
骨が軋んでしまいそうだった。ソフィアは解放された瞬間にせき込み、もう一度寝台の上に倒れ込んだ。ソフィアを見下ろすルイスは、心なしか狼狽えているように見える。
「悪い。さっきから、加減が上手く行かない」
罰の悪そうなルイスに囁かれたソフィアは、特に気にした素振りを見せずに小さく頷いて見せた。
「フィア、調子はどうだ。貴女はもう、丸二日眠り続けていた」
「二日、も?」
「ああ。……頼むから、あれはもうやらないでくれ」
ルイスは腕輪が嵌められていたらしい箇所を片手で握りながら、激しく後悔しているような表情でソフィアの瞳を見下ろした。
ルイスは寝台の脇に椅子を置いて、じっとソフィアの様子を観察していたらしい。
ソフィアとて、多くの者に使うことのできる解術ではないことを理解していたが、二日も眠り込んでいたとなれば、本格的に、その腕輪を外す別の方法を考えなければならなさそうだ。
1人思案しながら、真剣に願い出てくるルイスに静かにうなずく。
「ええ、わかっているわ。だって、ルイスに認めてほしくて頑張ったんだもの。……他の人には、しないわ」
ルイスは実に義理堅い男だ。それをよく知るソフィアは、躊躇いなくルイスに甘えるような声を囁き、その腕にそっと手を寄せた。
ルイスに触れる瞬間、ソフィアは自身の皮膚にぴりりと快感が走るのを感じた。丸二日眠っていたということの意味を理解できないわけではない。
その間ソフィアは、一度もルイスの体液に触れられていないのだ。
意識がしっかりするほどに身体が熱を覚え始める。そ知らぬふりをしたソフィアは、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべたルイスが、ソフィアの瞳を見下ろして深くため息を吐くのを見た。
「……わかった」
「本当に?」
「ああ。貴女の心を信頼する」
これほど簡単に騙されて良いのだろうか。しかし、ソフィアの胸に生きる優しい獣人たちも、やはり胸が苦しくなるほどに愚直で優しい人たちだった。
「いや……違うな」
「違うの?」
「ああ。……フィア。俺は、貴女がどのような企みをしていようとも、もう、どうでもいい」
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