薄明の契り ―私を喰らう麗しき鬼―

藤川巴/智江千佳子

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 新月の夜に、私はいつも同じ夢を見る。

 月明かりのない幽々たる夜にのみ訪れる、浮世の物とは思えぬ麗しき鬼が出る夢だ。

 鬼という存在に出会ったことなどなくとも、何故か私は、それが己と同じ人間ではないことがわかる。

 その鬼は艶やかな黒髪を持つ白皙の美丈夫だが能面のように表情がなく、私を見下ろす瞳も、人間とは思えぬような黄金色の輝きを放っている。たいそう美しい存在ではあるが、その姿は何故か空虚に見えた。

 男鬼は激しく雪が吹きすさぶその場でも、顔を顰めることなく、ただじっと私を見下ろしている。彼が身に纏う狩衣は、紫紺に白の裏地が重ねられており、さらに彼の瞳と同じ金色の刺繍が施されている。

 その狩衣を一目見るだけでも、男が己には決して手の届かぬ階級に生きる存在であることが察せられた。そのはずが、なぜか男鬼は私のことをただじっと見つめ、何かを囁くのだ。

 夢の中のその男は、虚ろな瞳のまま私に何かを囁き、こちらに手を差し伸べてくる。そして、夢の中の私は、何のためらいもなくその手に自身のものをのばす。

 新月の夜に見る、奇妙な夢だ。

 しかし私は、ほんの二年ほど前までこの夢に特別な感情を抱くことがなかった。なんせ物心がつく頃から見続けているのだ。鬼は恐ろしいが、決して私を喰らおうとはしない。ただ、手を差し伸べてきているだけだ。おかしな夢があるものだと呑気に構えていた。――だが、それはあくまで二年前までの話だ。


 閉じていた瞼を開き、目の前に広がる光景を見て、眉を顰めたくなる。――またこの夢だ。

 眠る時、今日が新月の夜であることをうっかり失念していた。そうでなければ、意地でも起きているつもりだったのだ。

 一度この夢の世界に入ってしまうと、すべてを見終えるまで決して目を覚ますことができない。

 激しい風で雪が全身に叩きつけられ、視界が真白に染め上げられる。何もない空虚な場に、ぽつりと一人で立ち尽くしている。しかし、この夢に出てくる私は、幼いころの夢に出ていた私とは違う。もっと正確に言えば、この夢の中の私は少しずつ変化しているのだ。

 初めに気が付いたのは、視界が少しずつ高くなってきていることだった。次に気づいたのは、鬼が差し出す手に触れようとしている己の手が、幼子特有のふっくらとした形から、大人のものへと成長していることだ。

 それはまるで、現実の世界で生きる私と同じ速度で、夢の中の己も成長を続けているかのような、奇妙な変化だ。

 その夢の中で、男鬼だけが変わらず同じ姿のまま私を見下ろしていた。

 よくよく考えれば、男鬼の姿も、経年ごとにはっきりと見えるようになってきていたのかもしれない。しかし、そのようなことをどれほど考え直しても無意味だ。

 男は金色の瞳で私を見つめながら、いつも何かを囁いている。近頃は、その声色さえも聞こえるようになりつつあるのだ。

「――お前が……ように、……お前が……迎え……、――ってやろう」

 これは夢だ。奇妙な夢であって、決して現実には干渉しない。だから、早く目を覚ませ。

 何度も己に語りかけ、目を覚まそうと必死になっている。

 早く、早く、はやくはやく。

 魂の叫びのような願いを思い浮かべていたとしても、夢の中の私は、寸分違わず常に同じ行動を取る。男が差し出す手に、己の、すっかり大人になった荒れた手をのばす。

 どうしようもなく触れたくない。どうしてか、それに触れてはならないということを、私は本能的に悟っているのだ。そのためか、いつも、男の手に触れる寸前に目が覚める。

 今宵もおそらく、同じところで目を覚ますことができる。鼓動がうるさく喚いているのを感じながら、ただじっと、目覚めのその時を待っていた。大丈夫。何も問題はないはずだ。言い聞かせるように頭の中に言葉を思い浮かべている。

 そうしていなければ、恐ろしくてたまらないのだ。

 私は薄々勘付いていた。自身の目覚めの瞬間が、少しずつ遅くなっている。私が伸ばす指先が、日ごとに男の手に近づいている。全ての音が、鮮明に聞こえるようになっている。

 しかし最も恐ろしいのは――。

「……え?」

 男鬼は、怯えながら手をのばす私を見て、一瞬口元を緩めたように見えた。思わず驚嘆の声が漏れ出て、慌てて口を塞ごうとする。

 その瞬間、世にも麗しい男が、今まで一度も触れたことのなかった私の手をあっさりと掴んだ。

「ひ、……」

 生暖かい男の手のひらの熱が妙に生々しく、現実の出来事のように感触を伝えてくる。男はあからさまに怯える私を見ても、瞬き一つせずに笑いながら言った。

「ああ、ようやく捕まえた」

 低く、いやに耳に残る声色が囁かれたそのとき、絶叫する間もなく、ぶつん、と夢が終わった。

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