『転生モブと魔獣の相棒ごはん屋 秘密を抱えた常連様に惹かれて』

miigumi

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1章

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◆第29話 「ときめきと、すれ違う心」

「……引くぞ」

それが、カリスの口から発せられた言葉だった。

あれほど冷徹に、絶対の命令として語っていた男が、
ディアボロスとシュヴァルツの一言で、撤退を選ばざるを得なくなった。

騎士たちは戸惑いながらも、静かに剣を収める。

「本当に、いいのですか?」

副官の問いかけに、カリスは振り返らずに言った。

「今は、な。……まだ“手札”は残っている」

その背中に、誰かがほんの小さく眉をひそめた。
“秩序のため”という名の正義は、
本当に正しいのか――
誰かの心に、初めて小さなひびが入った音がした。

* * *

「……帰った、のかな?」

ミレイアはラテの背に手を置きながら、小さく息を吐いた。

シュヴァルツ――ヴァルは、まだ扉の外を見つめている。

「ありがとう、ヴァルさん。あなたがいてくれて、すごく心強かった」

「当然のことをしただけだ」

「でも、わたし、すごく……ときめいたよ。
ああ、やっぱり“推し”ってこういう人なんだって、思った」

「……推し、か」

ミレイアが微笑むその隣で、ヴァルは静かに目を伏せた。

(俺は、もう“推される側”でいるつもりはない)

今日、彼女を守ると決めて、
剣を抜く覚悟をした時――

その想いは、もはや“恩返し”でも“義務”でもなかった。

(これは、恋だ)

自覚してしまったその瞬間から、
胸の奥で何かが変わっていく。

けれど彼女は、まだそれを“推し”のときめきとしてしか受け取っていない。

「推しに守られるって、やっぱり最高だね……」
ミレイアは照れくさそうに笑った。

その言葉に、ヴァルは一瞬だけ口を開きかけて、やめた。

(今はまだ、そのままでいい)

彼女が選んだ日常を守ることが、いまの“恋”の形。

「ヴァルさん、またプリン食べてく? 今日のは、ちょっとだけ成功してるから」

「……いただこう」

そう答えた声は、どこか少しだけ優しくて、
けれどほんの少しだけ寂しかった。

* * *

店の裏通り。
騎士団の若手のひとりが、兜を外して空を見上げていた。

「……あんなに必死に守られる人間、見たことなかったな」

その言葉を、誰かが木陰から聞いていた。

人間の中にも、確かに“芽吹き”は始まっている。

その時は、静かに近づいていた。
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