【完結・R18】花のように微笑み、棘のように傷ついて

とっくり

文字の大きさ
39 / 74

39

しおりを挟む
 ――そして翌朝。

 鍵を差し込む前に、引き出しの前板と枠の合わせ目をのぞく。

 昨夜、爪幅ほどに折った薄紙を三分の一だけ差し込み、端に小さく自分の印を記しておいた“目立たない封印”――その紙片が、床に半月形にちぎれて落ちていた。

(……開けられた)

 肺の奥がひやりと縮む。
 白いリボンの結び目を一度だけ指で確かめ、静かに鍵を回した。

 中は荒らされていない。
 筆は整列し、印章も小箱も所定の角度に収まっている。

 ――なのに、所作だけが触れられている。栞は一枚先へ、手順メモはほんの少し斜め、昨日包んだ「潰れ穂先」の小箱の向きが半分だけ違う。

(“いる”。ここに触れて、手触りを覚えようとしている誰かが)

 薄紙の破れ方と落ちていた位置を簡潔に書き留め、時刻を添える。引き出しを静かに閉じ、吸って、吐く。いつもの呼吸に戻す。

 *

「ケイシーさん、朝一で少しだけ…良いでしょうか」

 出勤の点呼が落ち着いた隙を見計らい、ジャンヌは封じ紙の欠けた薄紙を見せた。

 ケイシーは黙って受け取り、光に透かし、短く頷いた。

「わかった。支配人へ“事実だけ”上げるわ。今日は共用品と鍵の受け渡し、立会いで。――あなたはいつも通り」
「わかりました」
 ジャンヌは一礼する。

「それと、開閉の記録札を作るわ。鍵を扱う人は、時間と印を残す。誰が困るでもない、手順の強化よ」

 体裁は淡々としているのに、守られている実感がゆっくりと背骨に通っていく。

 席に戻ると、引き出しの内側に小さな紙に今日の手順を書いて貼る。

「ケイシーから聞いたよ」
 背後からマイルズに声をかけられた。ジャンヌの机の上に置かれてある封じ紙の切れ目に、彼は視線を向けた。

「朝夕で印影の試し押し表を作ろう。共用の台紙に“日付と時刻”で二つ。濃さが違えば一目でわかるように」

「……はい。作ります」

「鍵の開閉札はケイシーが準備中だ。机の方は――封じ紙を“内側にも一片”貼るといいね。外を直されても中が切れていれば、触れた時間が絞れるから」

 具体的な足場が、ひとつ、またひとつ置かれていく。ジャンヌは小さく礼をして、羽根ペンを走らせた。

 午前。
 羽根ペンの穂先は素直に滑り、算用の列は淡い光の下で静かに整っていく。

 共用の印泥は新しい壺に入れ替え、朝の「試し押し表」には、くっきりした二重の環が並んだ。

「次の照合、出せるかい?」
 マイルズが軽く身を屈めて顔を出す。

「はい。午前分、ここまで。差異ゼロです」
「おっ、さすがだね。早い。完全復活だ」
 軽い口調だったものの、言われてはっとする。頬が少しだけ熱を帯び、胸の奥が小さく鳴った。

(大丈夫。やれている)

 昼の鐘が近づくころ、通路の向こうから視線が針の先みたいに刺さった。

 今のやり取りを同期達がじっと見ていた。ジャンヌと目が合うと、大袈裟にため息をついて、同期達は何かを囁きあっていた。

 ジャンヌは白いリボンにそっと触れて、視線を紙へ戻した。


 午後。
 午睡のけぶりが窓辺に揺れる時間帯、通路を掃く音が遠くで響く。

 ジャンヌが小口台帳の束を整えていると、そっと差し込まれた一枚に指先が止まった。

(……この罫、やっぱり“去年版”)

 紙の肌理が微妙に違う。
 右下の水印が古い。昨日の混入を受けて、棚前には「様式混在注意」の札を出してあるはずなのに――。

「ケイシーさん、また年度違いが紛れていました。棚の奥からではなく、机上に混入です」

 ケイシーは目を細め、紙を光に透かす。
「印影台の方は?」
「朝と昼で濃さに変化はありません。開閉札も、今のところ“動き”はありません」
 ジャンヌは落ち着いて返答をした。

「わかった。――台帳は“二人読み”に切り替えましょう。今日は、ジャンヌと私がペア。様式の差し替えは“差した人の時刻”で絞れるわ」

「はい」

 ふたりで台帳を開き直す。
 ジャンヌが行を読み、ケイシーが数字をなぞる。速さは落ちるが、正確さは落ちない。

 通路の向こうで、同期の片方が一歩だけ引き、もう一人の肘に囁くのが視界の端に映った。

(見ている)

 喉の奥が乾いた。白いリボンの結び目を、目ではなく皮膚で確かめ、珠を弾く速度を一定に保った。


 *

 外回りから戻ったライリーが入口で足を止めた。ちょうど廊下に出ようとしていたジャンヌと鉢合わせる。

「…話は聞いてるが…どうだ?」
「試し押し表は、今のところ問題ありません。朝と昼に濃度の差は無かったです」
「そうか。」
 ライリーは声を落として続ける。

「混入紙の方は“机上”か。……じゃあ、棚の前に小箱を置こう」
「小箱ですか?」

「ああ。『様式確認済』の刻印を押すだけの簡単な仕組みだ。刻印の向きで、手に取ったまま戻したのかどうかもわかるから」

「向き……なるほど」

「刻印の鳥の向きを“右向き”で揃える。戻す時に左を向いていたら、誰かが戻した。記録と突き合わせれば、手順が外れた時間が出る」

「やってみます」
 ジャンヌのその言葉にライリーは目を細めた。

「帰り――寮まで送るよ。作戦を練ろう」
 ジャンヌは迷わず頷いた。

「お願いします」



 石畳の夕風は冷たく、気持ちがよかった。

 門を出ると、雑踏の音が遠のく。二人の靴音だけが、等間隔に落ちる。

「白いリボンの結び目、解けずにしっかりしているな」
 ライリーの横顔は冗談めかし、声は真面目だった。

「……はい。触れると、深呼吸を思い出せます」

「いい合図だ。――あの封印紙、明日は“俺の机の分”も作ってくれないか。手順も君と同じにしたい」

「えっ、ライリーさんの机まで?」

「そう。手順は一人を守る“盾”だけど、全員でやれば“壁”になる。君のやり方は壁づくりに向いてる」

「……わかりました。封印の押し印はどうします?」

「俺は小鳥の印章を右向きで押すのが標準だ。封印紙は二片作って、片方は“上下逆”に押しておいてくれ。向きが変われば一目で改ざんに気づける」

「わかりました。明日、お持ちします」


 ルーフの庇が連なる路地を抜ける。
 寮の門灯が灯り、橙色の輪が足元に落ちた。

「着いたな。ゆっくり休んでくれ」

「はい。送ってくださって、ありがとうございました」

「どういたしまして。じゃあ、また明日」

 軽く手を上げて背を向ける。

 数歩歩いて振り返ると、門柱の陰でジャンヌが小さく会釈した。

 彼女は、もう倒れない歩き方を覚え始めている。その背中が再び薄闇に溶けるまで見届け、ライリーは踵を返した。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あなたの隣は私ではないけれど、それでも好きでいてもいいですか、レオナルド様

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢エリアーナには、三年間ずっと抱えてきた秘密がある。 婚約者であるヴァルフォード公爵・レオナルドへの、誰にも言えない恋心だ。 しかし彼の隣にいるのは、いつも幼馴染の伯爵令嬢・ソフィア。 儚げな笑顔と上目遣いで男性を虜にするあざとい彼女に、レオナルドも例外ではないようで—— 「レオ、私のこと嫌いにならないでね?」 「……そんなことにはならない」 また始まった二人の世界。

「妹の方が可愛い」と不倫夫に捨てられた私。どうぞ借金まみれの実家ごと引き取って。私が肩代わりしていた負債、すべてお二人に引き継いでおきました

唯崎りいち
恋愛
「お前より妹の方が可愛い」 不倫した夫は私を追い出し、略奪した妹と笑った。 どうぞ、その「可愛い妹」と地獄までお幸せに。 私が肩代わりしていた実家と店の多額の借金、すべてお二人に引き継いでおきましたから。 「財布」を失った元夫と、逃げ場を失った妹。 身の丈に合わない贅沢を望んだ寄生虫たちの、惨めな末路を特等席で眺めさせていただきます。

側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません!

花瀬ゆらぎ
恋愛
「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」 婚約者と親友に裏切られ、傷心の伯爵令嬢イリア。 追い打ちをかけるように父から命じられたのは、若き国王フェイランの側妃になることだった。 しかし、王宮で待っていたのは、「世継ぎを産んだら離縁」という非情な条件。 夫となったフェイランは冷たく、侍女からは蔑まれ、王妃からは「用が済んだら去れ」と突き放される。 けれど、イリアは知ってしまう。 彼が兄の死と誤解に苦しみ、誰よりも孤独の中にいることを──。 「私は、陛下の幸せを願っております。だから……離縁してください」 フェイランを想い、身を引こうとしたイリア。 しかし、無関心だったはずの陛下が、イリアを強く抱きしめて……!? 「離縁する気か?  許さない。私の心を乱しておいて、逃げられると思うな」 凍てついた王の心を溶かしたのは、売られた側妃の純真な愛。 孤独な陛下に執着され、正妃へと昇り詰める逆転ラブロマンス! ※ 以下のタイトルにて、ベリーズカフェでも公開中。 【側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、陛下は私を離してくれません】

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

どうぞお好きになさってください

みおな
恋愛
学園に入学して一ヶ月。 婚約者の第一王子殿下は言った。 「学園にいる間くらい自由にさせてくれないか。君が王太子妃になることは決定事項だ。だから、せめて学園に通う二年間は、僕は恋がしたい」 公爵令嬢はその綺麗な顔に冷酷な笑みを浮かべる。 「好きになさればよろしいわ」

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

処理中です...