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ありのままの貴方で
ありのままの貴方で6
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ノースポールは長部田大学のキャンパス中心付近にあるカフェレストランだ。あまり学生向けを意識していないのか、店内はシックで落ち着いた雰囲気に包まれている。学食よりも価格設定が高めだし、席数も少ないから普段はあまり来ることはないけど、今は夏休み中ということもあってお客さんはまばらだった。
木下さんは少し遅れてくるとのことらしく、アイスコーヒーを先に頼んでいたのだけど殆どなくなってしまっていた。普段飲むコーヒーより美味しいということもあったけど、隣に座る雪乃さんとの間が持たないという理由が強い。
空色のチュニックを見に纏った雪乃さんは両手でアイスコーヒーのグラスを持ち、微かに傾けてコーヒーを飲んでいた。ノースポールで集合してから殆ど会話という話をしていない。
知り合ってから1ヶ月ほどたっても僕は雪乃さんのことを殆ど知らない。口数が少なく透明な瞳から読み取れることは少ない。困った人の胸に浸み込む物語を書ける雪乃さんのことを、もっと知りたいと思う。小さく息を吸ってコーヒーよりも溶けた水の方が多くなったグラスを飲み干した。
「あの、雪乃さん」
雪乃さんは声を出さずに視線だけをこちらに向けた。
「雪乃さんは、いつから物語を書いてるの?」
僕の質問に雪乃さんはアイスコーヒーのグラスの氷をじっと見つめる。カラリと小さく氷とグラスがぶつかる音がした。
「ずっと前から」
殆ど抑揚のない声。ふっと息を吐いて雪乃さんが再度僕を見る。
「私には、それしかなかったから」
――貴方は全然空っぽなんかじゃないから。そんな風に卑下されると余計に傷つく人がいるって気づいた方がいい。
木下さんの一回目の依頼の後、雪乃さんから言われた言葉。雪乃さんが自分には物語しかないというのはその言葉に関係している気がした。今の雪乃さんにつながるルーツがそこにあるのかもしれない。そこに手を伸ばしたいと思った。
「それって――」
その時、カランカランのお店の入口のドアに着いたベルが慌ただしい音を立てた。
「ごめんごめん! ゼミが長引いちゃってさー!」
お店の入口の方からパンツタイプのリクルートスーツを着た木下さんが駆けてきた。僕たちの席の前に来ると小さく肩で息をしてから汗を拭う。スーツがそういう風にできているのかもしれないけど、すらっと長い脚が目に入った。
雪乃さんは一息ついて僕を見て、それから隣の雪乃さんに視線を移すとすぐさまむむむっという表情を僕に向けた。
「……あれ、もしかして後輩君の彼女さん?」
「いやいやいや、同僚の雪乃さんです」
雪乃さんが微かに会釈をすると、木下さんは何かを思い出したかのように手を打った。
「雪乃……鈴ちゃん! 夏希から話は聞いてるよー。物語書いてるんだよね!」
雪乃さんが小さく頷くのを見ながら木下さんは僕らの正面に座ると、店員さんを呼んでコーヒーを頼む。喉が渇いていたのかすぐに運ばれてきたそれを半分くらい一気にあおった。グラスから口を話した木下さんが一息つく。
「お忙しい時にすみません。木下さん、この後就活ですか?」
「ちょっとした説明会だけだから大丈夫だよ。それに、翔のことお願いしたのは私だしね。翔とは一度会ってるんだよね。どうだった?」
昨日の一部始終を木下さんに伝えると、木下さんは顎に手を当てて難しい顔を浮かべる。目を閉じて椅子の背もたれに体を預けると少し長めの息をついた。それからパッと目を開いてよしっという意気込みが口から漏れた。
「せっかく来てくれた後輩君にそんな態度をとるなんて、一回説教しないと……」
よからぬ方向に情熱を燃やしていた。腰を少し浮かせて今にもスマホを取り出しそうな木下さんを慌てて止める。
「僕の聞き方がまずいところもありましたから。それで、今日は道尾さんに着いて教えてほしいことがあるんです」
一拍間があって、木下さんは目をパチクリとさせてから座り直す。
「あー、ごめん。またせっかちだったね。いいよ、何でも答えちゃう」
「道尾さんはこれまでも陸上の調子が悪くなることってありましたか?」
木下さんは人差し指を顎に当てると、記憶を手繰る様に天井の方に視線を走らせる。
「基本的に翔って凄い安定したランナーなんだよねー。高校3年生の終わり位に一回調子崩した叶って時があったけど、そのときはすぐに引退だったから、どうしてスランプになったとか、どうやって抜け出したかみたいなのはあんまりわからないんだよね」
なるほど。残念だけど過去の似たような事例から探ることは難しそうだ。
「道尾さんの部活の様子にも詳しいんですね」
いくら幼馴染といってもそんな部活のこと細かなところまでわかるものだろうか。それに、先日木下さんが言った通り道尾さんが自分の弱みみたいなものを隠すタイプだとしたらなおさら気づくのは難しい気もするけど。
「あれ、言ってなかったっけ。私、この春まで陸上部だったんだよ」
「……え?」
「400mハードルっていうのやっててね。っていっても翔みたいに凄い選手じゃなかったし、ゼミとか就活とか忙しくなるから3年生にあがるタイミングで一足先に引退しちゃったんだけど」
思わず袖から覗く少し焼けた木下さんの手をじっと見てしまう。初めて木下さんを見た日に何かスポーツをやってるのかと思ったけど、まさか陸上部だったなんて。道尾さんの部屋と違って木下さんの部屋には陸上部だった気配もなかったし。ああ、でもそれでせっかちなんてことは――流石にないか。
「木下さんから見て道尾さんはどんな選手ですか?」
「強い選手、っていう感じかなあ。翔は高校の時も途中からチームのエースやってたけど、プレッシャーに感じるどころかむしろそれからさらに伸びて。だからうちの大学の環境も翔には合ってたと思うんだけどね」
そういえば、恭太から聞いた話では道尾さんは入部してすぐにエースになったということだった。ますます不調の原因がわからなくなっていく。せめて今も木下さんが陸上部に残っていたら恭太とは違う視線で最近の道尾さんの様子がわかったかもしれないけど。
いや、待てよ。
木下さんが陸上部を辞めたのがこの春。それに、木下さんや恭太が道尾さんに違和感を覚えたのがここ二週間程度。その前に調子を崩したのは高校3年生の終わり位、ということは。
思わず隣の雪乃さんを見ると、雪乃さんも僕の方をちらっと見返した。
「……ちなみに、道尾さんにお付き合いされてる方がいたこととかはあるんですか?」
「んー、ちゃんと聞いたことないけど、いないんじゃないかなー。どっちかっていうと翔は陸上が恋人!みたいなタイプだし」
道尾さんが不調になった原因が分かったかもしれない。だけど、これは物語でどうにかできるものなのだろうか。励ますことくらいはできるかもしれないけど、道尾さんに必要なのはそれではない気がする。
「あの」
それまでじっと黙って話を聞いていた雪乃さんが口を開いた。
「木下さんからみて、道尾さんらしさって何だと思いますか?」
「難しいこと聞くね」
木下さんは残ったアイスコーヒーを飲みながらじっと空を見つめる。僕も雪乃さんも黙ってその様子を見守って、木下さんはコーヒーを飲み終えたところで困ったような笑みを浮かべた。
「これ、っていうのはよくわからないけどね。でも、翔はいつも自分が何をすべきかっていうことを第一に考えて結果を残してきたと思うんだ。だから、翔らしいってそういうものかもしれないし、今の翔に必要なのもそんなのかもしれないね」
不意に店内に軽快なメロディが鳴り響く。アンティーク調の時計を見るとちょうど13時を指していた。目の前の木下さんがバタバタと立ち上がって止める間もなく伝票を手に取った。
「ごめん、そろそろ行かなきゃ! 翔の予定はまた聞いとくから! あと、もし他にも聞きたいことあったら、電話でもアプリでもいいから連絡してね!」
来た時と同じように木下さんはレジの方へと駆けていってサッと支払いを終えると僕たちに向かって大きく手を振る。
「翔のこと、よろしくねっ!」
木下さんは少し遅れてくるとのことらしく、アイスコーヒーを先に頼んでいたのだけど殆どなくなってしまっていた。普段飲むコーヒーより美味しいということもあったけど、隣に座る雪乃さんとの間が持たないという理由が強い。
空色のチュニックを見に纏った雪乃さんは両手でアイスコーヒーのグラスを持ち、微かに傾けてコーヒーを飲んでいた。ノースポールで集合してから殆ど会話という話をしていない。
知り合ってから1ヶ月ほどたっても僕は雪乃さんのことを殆ど知らない。口数が少なく透明な瞳から読み取れることは少ない。困った人の胸に浸み込む物語を書ける雪乃さんのことを、もっと知りたいと思う。小さく息を吸ってコーヒーよりも溶けた水の方が多くなったグラスを飲み干した。
「あの、雪乃さん」
雪乃さんは声を出さずに視線だけをこちらに向けた。
「雪乃さんは、いつから物語を書いてるの?」
僕の質問に雪乃さんはアイスコーヒーのグラスの氷をじっと見つめる。カラリと小さく氷とグラスがぶつかる音がした。
「ずっと前から」
殆ど抑揚のない声。ふっと息を吐いて雪乃さんが再度僕を見る。
「私には、それしかなかったから」
――貴方は全然空っぽなんかじゃないから。そんな風に卑下されると余計に傷つく人がいるって気づいた方がいい。
木下さんの一回目の依頼の後、雪乃さんから言われた言葉。雪乃さんが自分には物語しかないというのはその言葉に関係している気がした。今の雪乃さんにつながるルーツがそこにあるのかもしれない。そこに手を伸ばしたいと思った。
「それって――」
その時、カランカランのお店の入口のドアに着いたベルが慌ただしい音を立てた。
「ごめんごめん! ゼミが長引いちゃってさー!」
お店の入口の方からパンツタイプのリクルートスーツを着た木下さんが駆けてきた。僕たちの席の前に来ると小さく肩で息をしてから汗を拭う。スーツがそういう風にできているのかもしれないけど、すらっと長い脚が目に入った。
雪乃さんは一息ついて僕を見て、それから隣の雪乃さんに視線を移すとすぐさまむむむっという表情を僕に向けた。
「……あれ、もしかして後輩君の彼女さん?」
「いやいやいや、同僚の雪乃さんです」
雪乃さんが微かに会釈をすると、木下さんは何かを思い出したかのように手を打った。
「雪乃……鈴ちゃん! 夏希から話は聞いてるよー。物語書いてるんだよね!」
雪乃さんが小さく頷くのを見ながら木下さんは僕らの正面に座ると、店員さんを呼んでコーヒーを頼む。喉が渇いていたのかすぐに運ばれてきたそれを半分くらい一気にあおった。グラスから口を話した木下さんが一息つく。
「お忙しい時にすみません。木下さん、この後就活ですか?」
「ちょっとした説明会だけだから大丈夫だよ。それに、翔のことお願いしたのは私だしね。翔とは一度会ってるんだよね。どうだった?」
昨日の一部始終を木下さんに伝えると、木下さんは顎に手を当てて難しい顔を浮かべる。目を閉じて椅子の背もたれに体を預けると少し長めの息をついた。それからパッと目を開いてよしっという意気込みが口から漏れた。
「せっかく来てくれた後輩君にそんな態度をとるなんて、一回説教しないと……」
よからぬ方向に情熱を燃やしていた。腰を少し浮かせて今にもスマホを取り出しそうな木下さんを慌てて止める。
「僕の聞き方がまずいところもありましたから。それで、今日は道尾さんに着いて教えてほしいことがあるんです」
一拍間があって、木下さんは目をパチクリとさせてから座り直す。
「あー、ごめん。またせっかちだったね。いいよ、何でも答えちゃう」
「道尾さんはこれまでも陸上の調子が悪くなることってありましたか?」
木下さんは人差し指を顎に当てると、記憶を手繰る様に天井の方に視線を走らせる。
「基本的に翔って凄い安定したランナーなんだよねー。高校3年生の終わり位に一回調子崩した叶って時があったけど、そのときはすぐに引退だったから、どうしてスランプになったとか、どうやって抜け出したかみたいなのはあんまりわからないんだよね」
なるほど。残念だけど過去の似たような事例から探ることは難しそうだ。
「道尾さんの部活の様子にも詳しいんですね」
いくら幼馴染といってもそんな部活のこと細かなところまでわかるものだろうか。それに、先日木下さんが言った通り道尾さんが自分の弱みみたいなものを隠すタイプだとしたらなおさら気づくのは難しい気もするけど。
「あれ、言ってなかったっけ。私、この春まで陸上部だったんだよ」
「……え?」
「400mハードルっていうのやっててね。っていっても翔みたいに凄い選手じゃなかったし、ゼミとか就活とか忙しくなるから3年生にあがるタイミングで一足先に引退しちゃったんだけど」
思わず袖から覗く少し焼けた木下さんの手をじっと見てしまう。初めて木下さんを見た日に何かスポーツをやってるのかと思ったけど、まさか陸上部だったなんて。道尾さんの部屋と違って木下さんの部屋には陸上部だった気配もなかったし。ああ、でもそれでせっかちなんてことは――流石にないか。
「木下さんから見て道尾さんはどんな選手ですか?」
「強い選手、っていう感じかなあ。翔は高校の時も途中からチームのエースやってたけど、プレッシャーに感じるどころかむしろそれからさらに伸びて。だからうちの大学の環境も翔には合ってたと思うんだけどね」
そういえば、恭太から聞いた話では道尾さんは入部してすぐにエースになったということだった。ますます不調の原因がわからなくなっていく。せめて今も木下さんが陸上部に残っていたら恭太とは違う視線で最近の道尾さんの様子がわかったかもしれないけど。
いや、待てよ。
木下さんが陸上部を辞めたのがこの春。それに、木下さんや恭太が道尾さんに違和感を覚えたのがここ二週間程度。その前に調子を崩したのは高校3年生の終わり位、ということは。
思わず隣の雪乃さんを見ると、雪乃さんも僕の方をちらっと見返した。
「……ちなみに、道尾さんにお付き合いされてる方がいたこととかはあるんですか?」
「んー、ちゃんと聞いたことないけど、いないんじゃないかなー。どっちかっていうと翔は陸上が恋人!みたいなタイプだし」
道尾さんが不調になった原因が分かったかもしれない。だけど、これは物語でどうにかできるものなのだろうか。励ますことくらいはできるかもしれないけど、道尾さんに必要なのはそれではない気がする。
「あの」
それまでじっと黙って話を聞いていた雪乃さんが口を開いた。
「木下さんからみて、道尾さんらしさって何だと思いますか?」
「難しいこと聞くね」
木下さんは残ったアイスコーヒーを飲みながらじっと空を見つめる。僕も雪乃さんも黙ってその様子を見守って、木下さんはコーヒーを飲み終えたところで困ったような笑みを浮かべた。
「これ、っていうのはよくわからないけどね。でも、翔はいつも自分が何をすべきかっていうことを第一に考えて結果を残してきたと思うんだ。だから、翔らしいってそういうものかもしれないし、今の翔に必要なのもそんなのかもしれないね」
不意に店内に軽快なメロディが鳴り響く。アンティーク調の時計を見るとちょうど13時を指していた。目の前の木下さんがバタバタと立ち上がって止める間もなく伝票を手に取った。
「ごめん、そろそろ行かなきゃ! 翔の予定はまた聞いとくから! あと、もし他にも聞きたいことあったら、電話でもアプリでもいいから連絡してね!」
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