言の葉デリバリー

粟生深泥

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ありのままの貴方で

ありのままの貴方で7

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 言の葉デリバリーの事務所に戻ってから、雪乃さんがキーを叩く音が絶え間なく事務所内に響いていた。僕は半ばその音をBGMに目についた冊子を読み込んでいく。
 木下さんの話を聞いた後、僕らは解散して、いつものようにバイトの時間に事務所にやってきた。夏希さんはどうだったか聞きたそうにしていたけど、急な依頼が入ったことと事務所に着くや否や雪乃さんがノートパソコンと向き合って猛烈に執筆を始めたことから、何も聞かないままに配達に向かった。
 今日は夏希さん指名の仕事がいくつか入っていて、僕の方は夕方に一件宅配してからは特にやることもなく事務所の掃除や明日の依頼に向けた準備をしていた。
 夏希さんもそろそろ帰ってくるかなと思ったところで、ちょうどスマホにメッセージが届く。

「今の依頼、ちょっと長引きそう。先に帰っててもいいから!」

 時計を見ると20時に近づいていた。これから依頼が入ることはないだろうから夏希さんの言う通り帰ってしまっても問題ないだろう。顔をあげると雪乃さんは珍しく指を留めてノートパソコンの画面をじっと見ていた。

「雪乃さん。夏希さんから遅くなりそうだから先に帰ってもいいって」
「そう」

 雪乃さんは一つ返事をしつつ微動だにしない。まだ帰るつもりはなさそうだった。別に僕だけ帰ってしまってもいいのだけど、あまりそんな気分にはなれなかった。僕がいたって何の役にも立たないのだけど、頑張っている雪乃さんを置いて帰るのは何か違う気がした。大体、今こうやって雪乃さんが物語を書いている発端は僕なのだし。
 カタカタカタとどこか迷いがちなタイプの後、雪乃さんが僕の方を見た。

「……帰らないの?」
「もう少し涼んでから帰るよ」

 返事はなかったけど、雪乃さんは小さく顎を引いたようだった。
 静かで穏やかな時間が流れる。それは同時に雪乃さんの執筆が止まってしまっていることも意味していて、逆にそわそわしてしまうのだけど。あるいは、この小気味いいタイプ音に体が馴染んでしまったのかもしれない。

「……行き詰ってるの?」

 雪乃さんはノートパソコンの方を向いたまま目を閉じ、深く息を吐き出した。その仕草が僕の問いを肯定している。
 無理もないと思う。道尾さんが不調になるタイミングは全て木下さんの退部だったり失恋だったりそういったタイミングと連動している。程度はわからないけど、意識してないという方が無理がある。
 だからこそ、どんな物語なら道尾さんの背を押せるのか見当もつかなかった。いっそ、道尾さんがもっと弱みを見せた方が上手く話が進む気が進むのだけど。

「道尾さんだってありのままの姿を見せた方が、木下さんも色々気づくと思うんだけどなあ」
「……どうして」

 何気なく呟いた言葉に反応するように雪乃さんが僕を見ていた。

「どうして、そこで木下さんが出てくるの?」

 雪乃さんの透明な視線がじっと僕を見ている。

「どうしてって、道尾さんが不調に陥った原因って木下さん関係だと思うから……」

 それしかないと思っていたけど、真っすぐ問われると急に自信がなくなってくる。でも、今それを聞いてくるということは、雪乃さんは何を考えて物語を書いていたのだろう。雪乃さんは少し表情を険しくしながら右手の親指を口元に運ぶ。

「木下さんの話だと、道尾さんは与えられた役目にふさわしくなるために自分が何をすべきか考えて行動するタイプ。春先から調子を崩しているけど、道尾さんが長距離を纏める立場になるのは間違いないとされている」

 確かに次のパート長は道尾さんだって恭太が言っていた。

「私には道尾さんの不調のきっかけはわからなかったけど、多分、今は自分で自分を締め付けてしまっていると思う。あるべき姿と今の自分の姿のギャップを埋められないでいる。一生懸命掴んできた自分の居場所を失ってしまったと思ってる」

 雪乃さんがちらっとノートパソコンの画面に視線を送り、それから再び僕を見た。

「どうすればそのギャップを埋めることができるのかわからなかったけど。そう、ありのままの自分……」

 雪乃さんはゆっくり長く息を吸う。そして、しばらく目を閉じて――力のこもった瞳が開くと、雪乃さんは書きかけていた物語を全て削除した。呆気に取られている間にパチパチパチと助走をつけるように雪乃さんの指が動き始める。
 そのまま流れるように指の動きが速くなる。次々と画面に描かれていくフレーズをただただ見つめる。春に染み出す雪水のようにこんこんと言葉が湧き上がっているようだった。

「ありがとう」

 タイプ音の中にポツリと雪乃さんの言葉が漏れた。僕が何かをしてあげた実感はなかったけど、一瞬だけこちらを向いた雪乃さんはふっと口元の表情を和らげた。

「貴方の言葉で、全部つながった」
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