言の葉デリバリー

粟生深泥

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その言の葉に想いを乗せて

その言の葉に想いを乗せて2

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 バイトを終えて家に戻ると、部屋の前に誰かが立っていた。アパートの共用通路部分でスマホを眺めていた男性は僕に気づくと気安い感じで手を振ってくる。

「やっ。久しぶりだね、悠人」
「……碧兄?」

 そこに立っていたのは、田野瀬碧。紛れもなく僕の兄だった。
 大学までは実家にいた兄も就職を機に家を出た。正月には顔を合わせてるから最後に会ってから約一年といったところだけど、大学に入ってから色々あったせいか随分久しぶりに会ったような気がする。新しいバイトのこととか、何度か連絡を入れてはいたけど、実際に声を聴くのも最後に会って以来だった。

「どうしてここに?」
「最近悠人と連絡がつかないって、母さんが」
「それだけでここまで? あー、とりあえず上がってく?」
「ん、悪いね」

 部屋は以前よりちゃんと片付けるようにしているとはいえ雑然としているけど、どうせ兄だからと気にせず部屋に案内する。学生用の手狭なワンルームの中心のテーブルにとりあえず腰掛けてもらい、インスタントコーヒー二つを手に向かい合って座る。
 スーパーで買い置きしていた安物のコーヒーだけど、兄はそれを美味しそうに飲んでいく。

「大学生活は順調? 弁当屋が休みになって、言葉を届けるバイトしてるんだっけ」
「うん、新しいバイトもそれなりに上手くやってるよ」
「そっか、よかった」

 兄がホッと笑顔を零す。本当に僕の様子を見に来ただけなのだろうか。でも、そのために夜にわざわざこうして尋ねてくるだろうか。

「それを聞くためだけだったらメッセージか電話でもよかったのに。来るにしたって、事前に言ってくれれば待たせることもなかったし」
「事前に知らせて、逃げられたらいやだなって」
「なんで碧兄から逃げなきゃいけないのさ」

 僕が兄から逃げるような人間だと思われてるならそれは少し心外だった。家族の中では色々あるけど、兄のことは信頼してるし兄弟として仲のいい方だとも感じている。
 だけど、兄は僕の言葉に曖昧に笑って頷くだけだった。やっぱり、近況を聞く以外に目的があるのだろうか。それも、僕にとってあまりよくない類の。兄はインスタントコーヒーを飲み終えると軽く息をついた。

「結婚式、いよいよ来月になって」
「うん。流石にそこには顔出すよ」

 兄は来月結婚式を挙げる。相手は彩香さんという兄の職場の同僚の人。顔合わせで会った時には明るく活発そうな人だった。結婚式に向けて色々準備とかあるかと思ってたけど、兄からは参加するだけでいいからと言われていた。衣装も当日会場で借りれるらしく、僕がするのは地元までの交通手段を確保することくらいだった。

「そこでさ、悠人に親族代表としてスピーチしてほしいんだ」

 兄は思わぬ爆弾を放り込んできた。

「いや、でも。結婚式にはただ出るだけでいいって」
「そのつもりだったんだけどさ。せっかくの機会だから」
「せっかくの機会って……」

 急にスピーチなんて。いや、兄の人柄を話そうと思えば話すことはできるだろうけど。
 だけど、それを語るにあたって兄が山村留学した時のことを触れざるを得ない。事前に原稿を作れば上手くやり過ごせるかもしれないけど――だけど、家族がそろった場面でその話を出すことには抵抗があった。そんな雰囲気がお客さんにまで伝わって、せっかくのおめでたい場で空気を乱すようなことはしたくない。

「ごめん、碧兄。僕にはできない」
「……そっか」

 兄はしばらく空になったマグカップの底を見つめてから、ポツリと頷いた。わざわざ遠くから僕の家までやってきたくらいだからもう少し説得されるかと思ったから、あっさり引き下がってくれたのはちょっと拍子抜けだった。

「いいの?」
「無理やりやらせるものでもないからさ。でも、気が変わったら教えてくれよ。さっきも言ったけど、こんな機会、滅多にないと思うからさ」

 兄の言葉に釈然としない思いを抱えながら曖昧に頷く。こんな機会って結婚式のことを指しているのなら、確かに二度も三度もあるものではない。兄は何を考えて僕にスピーチなんて提案してきたのだろう。別に僕はそういった舞台で人前に立つのが好きなわけではないし、そもそも人前でスピーチなんて機会がほとんどない。
 別に嫌がらせのためというわけではないだろうけど、僕にスピーチをさせたいと考えた理由は見当もつかなかった。色々と考えを巡らせている間に兄はマグカップにごちそうさまと手を合わせると立ち上がる。

「じゃ、そろそろお暇するよ。明日は実家に帰って色々結婚式の打ち合わせだから。母さんにも悠人は元気にやってるって伝えとく」
「こんな時間だし、泊ってけば?」
「いや、朝一の電車で帰るから駅の傍にホテル取ってるんだ。それに、悠人に彼女でもいたら迷惑かかるかと思ったし」
「別に、彼女とかいないから」
「そうなの? 部屋が綺麗だったからてっきり」
「一人暮らし始めてからは整理整頓するようにしてるの!」

 楽しそうに笑う兄の背を押して玄関に向かわせる。別に見られて困るようなことはないけど、何となく詮索されるのは嫌だった。別に先月位から部屋をちゃんと片付けるようになったのはバイトとかとは一切関係ない。急に部屋に呼ぶことがあってもいいようにとかは全然考えてないから。

「じゃあ、また。スピーチの件、無理強いするつもりはないけど、もうちょっと考えてみてくれよ」
「わかった。気が変わったら連絡する」

 わざわざ訪ねてきてくれた兄への礼儀としてせめて前向きな言葉で見送る。だけど、自分の気が変わるとは思えなかった。
 ごめん。碧兄。
 ギリギリまで兄の背中を見送って部屋の中に戻ると、罪悪感がしくしくと湧き上がってきた。せっかくの兄の晴れ舞台なのだから希望はできるだけ叶えたいけど、それで結婚式の雰囲気を崩してしまう可能性があるなら、僕はそれを請けるわけにはいかない。
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