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Prologue 眩い光

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「……何だって?」


 硬い声が響き渡った。
 殺風景な古城の大広間には、白銀色の鎧を身にまとった騎士たちがそこここに座り込んでいる。どの顔にも疲労の色が濃く滲み、騎士たちを取り巻く空気には悲壮感が溢れていた。

 城の大広間と言っても、そこには絢爛豪華な装飾も、きらびやかなシャンデリアも、優雅に着飾った貴人たちの気配も存在しない。冷たい石が積み上げられた石造りのこの城も、かつては美しく磨き上げられ、王族たちの別荘地として賑わっていたものだった。

 しかし今は、天井だけが見上げるように高いだけの、寒々しいがらんどうである。広間のそこここで古めかしい燭台に火が灯っているが、どこからともなく忍び込む隙間風に脅かされるように、ゆらゆらと揺らめいている。そのさまはひどく頼りなく、若い騎士たちの不安をより一層かき立てているようでもあった。


「それは、どういうことだ……!?」
「ティルナータ、最後まで聞くんだ」

 生ぬるい夜風の吹き込む窓のそばに佇んでいた年若い騎士が、揃いの鎧の上に黒色の外套(マント)を羽織ったもう一人の騎士に向かって声を荒げた。その拍子に、高い位置で結わえた金色の髪が、鎧の肩当の上をさらりと滑る。

 白い肌、端正に整った顔立ちには僅かにあどけなさが残ってはいるものの、幼い頃から鍛錬に明け暮れ、若くして幾度となく戦火をくぐり抜けてきた経験のためか、身にまとう雰囲気は熟達した戦士そのもの。事実、ティルナータは近衛騎士隊の一人として、第一王子・セッティリオに近待することを許された騎士であった。

 すらりとした体躯を覆うのは、白銀色の鎧である。胸元に刻まれているのは、国花である牡丹の花を象った金色の紋章だ。紋章の飾られた鎧を身につけるは、選び抜かれた騎士の証。誉れ高い、王国の守護者たる証だ。


「言葉通りだ。第一王子セッティリオ様は、国王を守って、亡くなられた」
「な……」

 ティルナータの緋色の瞳を彩る長い睫毛が、小さく震えた。
 しかし、『王国を守護する騎士たるもの、わずかであってもその動揺を露見してはならない』……その教えを固持するように、ティルナータは唇を噛み締め、ゆっくりと目を伏せた。

 その痛ましい表情を見て、長身の騎士は小さな溜息を吐き、鼻と目を覆う白銀色の兜をするりと外す。揺らめく蝋燭の灯りに照らされるは、怜悧に整った美貌と艶のある長い黒髪であった。

「国王も負傷しているが、辛うじて敵の手を逃れ、南へ向かわれた。お前たちもそちらへ向かうんだ」
「……嘘、だ」
「嘘なわけないだろう! 俺はこの目でしかと見たのだ! 玉座に押し寄せる敵軍勢を前に、セッテォリオ様は死に物狂いで剣を振るっておられた。しかし……国王を庇われた瞬間、あの方の背には、数え切れないほどの……矢が」
「……っ!」

 激昂し、拳を振り上げるティルナータの腕を、黒髪の騎士がむんずと掴む。しかしすぐに弾かれたように手を離したのは、ティルナータの拳から紅蓮の炎が燃え上がったからだ。
 疲れたように座り込んでいた騎士たちの間に緊張が走り、皆が腰を浮かせて固唾を飲んでいる。

 最悪の戦況の中、ただでさえ緊迫していた空気が限界まで張り詰めるのを感じ取ったのか、ティルナータははっとしたように腕を引いた。己を律するように深い呼吸をすると、押し殺した声を絞り出す。

「……すまん。しかし、もう少し詳しい状況が知りたい」
「時間がないのだ。いいから早くここを発て」
「しかし……、おかしいじゃないか!! 第一王子の側近である我らが、どうしてこんな辺境の城に押し込められているのだ!? 我らがおそばに控えていれば、セッティリオ様は、あの方は……っ」
「国王の命令だ。俺は何も知らない」
「あんたはっ……!! あんたは国王陛下の懐刀だろ!? 何も知らないわけがないだろうが!! ……まさかあんたが、この国を陥れたのか……!?」
「違う! 気持ちは分かるが、落ち着くんだ。ティル」


 黒髪の騎士が重い溜息をついたその瞬間、王都の方角から激しい爆発音が響いた。地響きを伴い、びりびりと空気を震わせる激しい衝撃波が古城を揺るがし、騎士たちはとっさに姿勢を低くして身を守った。
 天井が揺さぶられ、ところどころ壁が崩れた。硬い石同士がぶつかり合い、ぱらぱらと湿った埃が降り注ぐ中、ティルナータは窓から身を乗り出して王都の方角を睨みつけた。


 燃えている。
 真っ黒な炎に包まれて、王都が燃え盛っている。


 天にそびえる物見塔の先端には、エルフォリア王国の国旗がいつでも風にそよいでいた。王都の象徴でもある美しい物見塔が、邪悪な黒炎に包まれて、苦しげに鐘の音を響かせている。まるで、断末魔の悲鳴のように。


「……っ」
「さぁ、急ぐんだティルナータ! お前はこの隊の長だろう!! 皆を率いて南へ、」
「こんなの……信じられない。セッティリオ様が、負けるはずがない。あの方が、死ぬはずが……!!」
「あ、おいっ……!! 待て!!」


 ティルナータは窓に足をかけ、首だけで黒髪の騎士を振り返った。


「隊を頼む。……僕は、行かないと」
「だめだ!! それだけは絶対にだめだ!! ティル、お前はっ……」
「……ごめん。シュリ」
「やめろ、行くな!!」


 追いすがる黒髪の騎士と、その奥にいる騎士隊の仲間達をもの悲しげに見つめた後、ティルナータはひらりとそこから地上へ向かって飛び降りた。窓から地上までは四、五メートルの高さがあるが、ティルナータは高さになど頓着するでもなく、鳥のようにそこから身を躍らせた。


 そして音もなく地上に降り立ち、すぐさま愛馬に跨った。向かう先は、王都だ。


 風の精霊の祝福を受けし第一王子セッティリオは、誰よりも勇ましくありながら、夏の草原を駆け巡るそよ風のような優しさと朗らかさを併せ持った、誉れ高き武人であった。
 セッテォリオの振り抜いた大剣は、風圧だけで波寄る敵を薙ぎ倒すほどの破壊力。エルフォリア王国軍を束ねる戦士であり、次期国王としての呼び声も高い人徳者。そんなあの人が……。


 ――あっさりと殺されるわけがない。今もきっと、あの炎の中で奮闘されているに違いない。すぐに助太刀を……。


 馬を駆り、ティルナータは一直線に暗い森を疾走(はし)った。
 記憶の海に浮かぶのは、セッティリオの凛々しい横顔、力強く頼もしい背中、ほがらかな笑顔。


 兄のように慕っていた。幼き頃から、友のように親しく接してくれた、優しい王子のことを。


 ――嘘だ、あなたが、死ぬなんて……!


「ティルナータ!!」


 追ってくる黒髪の騎士・シュリの声。ティルナータは目線だけでちらりと背後を見やりつつも、城へ向かって走り続けた。


「行くな!! お前は、お前だけは絶対に……あそこへ戻ってはいけないんだ!!」
「うるさい……!」
「俺は、セッティリオ様にお前を託されたんだぞ!! ティル!!」
「……えっ」


 ごおおっ、と黒煙が森の中にまで流れ込んできた。
 燃えている。全てを飲み込むように、黒い炎が燃え盛る。


 豊かな泉を抱く肥沃な大地、誠実で勤勉な民、そして賢く治世を行ってきた王族の人々……ティルナータにとって、何よりも愛おしい王国(ふるさと)だ。しかしいつだって、この国は裏切りと企みに脅かされていた。エルフォリア王国の豊かさを妬み、この土地を丸ごと奪ってしまおうと攻め立ててくる敵国は後を絶たなかった。


 国を守護するのは、精霊からの祝福を受け、魔力と武力を携えた王国の騎士団だ。
 ティルナータは、セッティリオ王子に直接忠誠を誓った騎士だった。なのにこの日に限っては、セッティリオから直々に国境守護の仕事を言い渡されていた。まるで王国から、騎士たちを遠ざけるように……。


 後を追ってくるシュリの必死な形相を見て、ティルナータは微かに眉を寄せた。


 ――何かあるのか。僕たちを王国から引き離した特別な理由が……。


 ティルナータがわずかに手綱を引いたその瞬間、また激しい地響きが轟いた。


 真昼のような明るさ。
 真っ白な閃光が、あたりを無色に染め上げる。
 あまりの眩しさに目を覆いかけたティルナータは、驚きのあまり前脚を振り上げた愛馬に振り落とされてしまった。


「う、あ……」

「ティル……!!」


 光に、呑み込まれる。
 夜闇も、黒炎も、大地を揺るがす終末の気配も、全てがティルナータから遠ざかる。



 光の中へ、沈んでゆく。
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