異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第一章 都へと呼ばわれ

五、名を夜顔

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 佐々木猿之助は、その少年を連れて都に戻って来た。

 御所から遠く離れた宇治山中の廃寺を隠れ家として、散り散りになっていた部下たちを再び集めた。一時期の権勢も虚しく、今となっては二十名程度の陰陽師しかここにはいない。

 それでも良かった。何しろ、この強力な妖を我が手に収めたのだから。猿之助は上機嫌だ。

 都の陰陽師達に力を勘づかれないよう、少年には封魔の札をべたべたと貼り付けて移動していたため、どうやら追手はないようだ。宇治に戻ると、疲弊した重い身体を畳に横たえる。

 少年の腰には荒縄を巻き、若い従者に引かせていたのだが、その男も恐怖と疲労のために心底参っている様子だ。猿之助の許しも得ず、どさりとその場に倒れこんでしまう。

「おかえりなさいませ」
 留守を任せていた陰陽師の男が、出迎えに顔を出す。上背がありがっしりとした体躯ながら、穏やかな目をした男。
 名を佐々木藤之助とうのすけといい、齢三十五になる猿之助の実弟だ。

「藤之助、どうなった」
「はい、兄上の仰せのとおり、小さな事件をあちこちで起こし、土御門衆を撹乱しておきました。間者によると、思惑通り青葉からあの子鬼をこちらに呼んだとか」

 猿之助はにやりと笑った。
「そうか。あの餓鬼め、今度こそ闇に葬ってやろう」
「……この子どもで?」
 藤之助は困惑した顔で、寒空の下に佇んだ顔色の悪い少年を見下ろした。少年はあいも変わらず虚ろな表情で、ゆるゆると廃寺を見回している。
「今は抑えているがな、すごい力を持っている。こいつなら、あの餓鬼にも勝てる」 

「ほう……。ところで、他の従者は?」
「二人はこいつを見つけた時に死んだ。道辰は人柱となり、若いのは物音を立てたばかりにこの子にやられたのだ」
 藤之助は、少し眉を寄せる。

「道辰を人柱に? 幼き頃から兄者と戦ってきた同胞ではありませぬか」
「あいつの力が一番強かった。封印を解く良きいしずえになった」
 猿之助はこともなさげにそう言い、籐之助の眉間の皺が深くなる。
「藤之助、お前はその子どもを少しきれいにしておけ」
 猿之助はそう言い残し、寝所へ引っ込んでいってしまった。

 藤之助は少し腹立たしげな表情を浮かべたが、深呼吸をして人を呼んだ。そして、倒れ込んでいる従者を休ませるように命じると、自分はその子どもと二人になって向かい合う。

 術で力を抑えこまれているためか、その少年は大人しい。目線を合わせるように、藤之助は膝をついてその子どもの顔を覗き込む。

「……お前、名は?」
 声をかけてみるが、少年は反応しなかった。黒い瞳と黒い髪の毛、土気色の乾いた肌……まるで壊れかけたからくり人形のようだと、藤之助は思った。

「名前、ないのか?」
 もう一度、少し大きな声でそう尋ねると、少年の目が藤之助に焦点を結ぶ。

「……なまえ?」
「ああ、名前だ。なんと呼ばれていた?」
「……おに、やしゃ、ころせ、ころせ……」
 藤之助は愕然とした。

 無表情にこの子が言っている言葉は、きっと封じられる前に人間たちに投げかけられた言葉だろう。どれもこれも、こんな幼子にかけるべき言葉ではない。
 一体この子は何を感じながら、ここまで生きてきたのか……藤之助は少し心が痛むのを感じた。

「……ころせ……ころせ……」
「もういいぞ。名前……ないんだな」
 少年の真っ黒な瞳から、ぼろぼろと水滴が流れ始めた。藤之助ははっとする。

 ――泣いている?

 表情は僅かにも動かず、尚も瞳は虚ろであったが、涙だけがその乾いて汚れた頬を濡らしていく。

 藤之助は思わずその子どもの頭に手を置いた。置いてから、それは危険なことかもしれないということがちらりと脳裏によぎった。
 しかし、少年は何もしては来なかった。頭に置かれた藤之助の手を不思議そうに見上げている。そして、再び藤之助を見る。

 藤之助は、安心させるように笑みを作った。
「名前がないと、不便だな。……そうだな、何にしよう」
 藤之助が考え込んでいる間、少年はぼんやりと藤之助を見ていた。
「こんな夜闇でも色の白さが分かるから……、そうだ、夜顔、というのはどうだ?」
「よる、がお……」
「夜に花開く、白い花のことだ。今のそなたとそっくりな花だ」
「はな……?」
「見たことがないか? そりゃそうか。もう少し暖かくなったら、そこいらに咲くよ。そうしたら見せてやろう」
「あたたかく……」
「ああ、そうだ。お前の名前は、夜顔だ。どうだ?」
 少年は、こくりと頷いた。藤之助は微笑むと、もう一度その頭に手を置いた。
「我ながら粋な名を思いついたものだ。なぁ、夜顔よ」

 その日からその子どもの名前は、夜顔となった。


 ❀


 
 藤之助は子どもなど育てたことがない。
 しかし兄の言いつけ通り、何とか夜顔を人らしく整えようとした。

 夜顔は藤之助のすることに抗ったり、嫌がる素振りを見せることは一切なかった。というよりも、動く人形のように従うだけだ。 

 ぼろぼろの布切れのような服を脱がせ、暖かい湯に浸からせた時だけは、その熱さに驚いたように目がうるりと反応した。
「気持いいか? 風呂に入ると、生き返るような気持ちになるだろう」
 そんな微かな変化を見つけて、藤之助は少し嬉しくなってそう言った。しかし、夜顔はそれ以上何も表情を動かさない。

 身体を拭いてやり、新しい衣を身に付けさせる。大人のものしかないから多少不恰好ではあったが、こざっぱりとした夜顔の顔色は少し良くなったように見えた。
 ついでに、短刀で伸びきった髪の毛を切り落とす。その間も、夜顔は少しも動かなかった。

「よし、できたぞ。さっぱりしただろう」
 夜顔を立たせ、自らの努力の成果をしげしげと眺める。
 なかなか、人らしくなったと思った。紙のように白く乾いていた肌は、少し上気して人間らしくなり、髪を整えたことで顔も見えやすくなった。
 よく見ると、なかなか整った顔立ちをしている。くるんとした大きな目は黒目勝ちで、それなりに可愛らしくも見える。

「さて、さっぱりしたところで眠るとしよう。眠るって、分かるか?」
「ねむる……しぬ……」
「いやいや、そういう意味の眠るではない。横になって、疲れを癒すのだ。まぁお前が疲れるのかは分からぬが、おいで、蒲団を敷いてやる」

 藤之助は蒲団を一組敷くと、その横の荒れた畳張りの床の上に、まず自分が横になって目を閉じる姿を見せる。ぼんやりと夜顔はそれを見ていた。
「ほら、お前もこうやって横になれ。そして、目を閉じてじっとしているのだ。そうすれば、眠くなる」
「……」
 夜顔は言われたとおりに横になり、ほとんど瞬きをしないその目を閉じた。眠っているのかは分からないが、藤之助はふぅと息をつく。
「朝になったら声をかけてやるから、そうしていろよ。おやすみ」
 と言って、自分も疲れた身体を休ませるべく、眠りについた。

「……おや、すみ……」
 自分の言葉を真似る夜顔が、ほんの少し可愛く思えた。

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