異聞白鬼譚

餡玉(あんたま)

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第二章 青葉にて

十一、夜顔の剣技

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 夜顔は目を覚ますとすぐに、手早く着替えをして寺の掃除をしていた。
 食事の世話をしてもらった上に、一泊の宿としていただいた礼をしようと、朝早くから立ち働いていたのである。
 そんな夜顔を見て、山吹は微笑む。

「夜顔さん、お早うございます」
「あ、山吹さま。お早うございます」
「お客様なのだから、そんなことしなくていいんですよ?」
 箒を持って立っている夜顔のかたわらに歩み寄ると、山吹は笑顔を見せた。夜顔は黒く長い睫毛をぱちぱちとさせて、照れたように笑った。

「いいえ……先生に、御礼はちゃんとしなくちゃ駄目だって、言われているので」
「そうですか。ちゃんとした教育を受けておいでなのですね」
「へへへ」
 山吹と体格は殆ど変わらない夜顔であったが、その仕草や口調は幼く、可愛らしい。藤之助のもとでのびのびと育ってきた様子が伝わってくる。

「なんや、夜顔はもう起きてたんか」
と、舜海も部屋からのっそりと出てくる。夜顔ははっとしたように背筋を伸ばし、きびきびとした動きで一礼した。

「お早うございます、舜海さま」
「うん、おはよう。しっかりしてるなぁ、お前」
「いいえ……」
 褒められたことが嬉しいのか、ほこほこと笑う夜顔の笑顔はたしかに可愛らしい。争いの陰など微塵も見つけられない、穏やかな表情を見ていると、かつて凶暴に暴れ狂っていたあの姿が嘘のようだ。 
 舜海は袖を抜いて腕組みをしたまま、じっと夜顔を見つめていた。

「さて、俺はこれから小坊主たちに剣の稽古や。夜顔、お前も来るか?」
「いいのですか?」
「おお、ええよ。来い」
「はい!」
 夜顔はぱっと顔を輝かせて、箒を山吹に渡すと、舜海の後を追って駈け出した。まるで子犬のようだと、山吹は思った。おそらく舜海は、稽古を通して夜顔の力量を試すつもりなのだろう。山吹は二人が駆けて行った方向を見つめながら、ふと、あの都での事件のことに思いを馳せる。

「山吹さま、おかげんいかがでござんすか?」
 そんな声掛けに振り返ると、珠緒を連れた宇月がこちらへ歩いてくるところであった。幼い珠緒は、千珠によく似た大きな目で、じっと山吹を見上げている。
「宇月さま。お早うございます。ここのところ、あまり痛みませんよ」
「それは何よりでござんす。さ、傷を見せてくださいませ」
「はい」
 室内に上がった宇月は、山吹の日に焼けた艶やかな肌に残る、大きな傷に触れながら治癒を施しはじめた。

 外はいい天気で、閉めきった部屋の中でも障子越しに明るい光が差し込む。
 珠緒は舜海が作った木製の駒や竹とんぼなどで、静かに一人で遊んでいた。

「……相変わらず、静かに遊びますね、珠緒さまは」
「ええ、子ども同士で追いかけっこなどしているときは、声を立てて笑うのでござんすが、普段は殆ど声を出さないのでござんすよ」
「そうですか……私のようですね」
「まぁ」
 普段は殆ど自分から喋らない山吹が、笑みを浮かべながらそう言うと、宇月も楽しげに笑った。
 母の笑い声を聞いて、珠緒は顔を上げると、大きな目を瞬かせる。
「千珠さまにそっくり」
「そうでござんしょう。我儘なところが似なければいいのですが」
「ふふ、本当ですね」
「さぁ、終わったでござんす」
 宇月が手を離すと、山吹は抜いていた袖を通して、居住まいを正した。こうして週に何度か宇月の手当を受けねば、傷がどうしようもなく痛むのだ。

 雷燕の瘴気を含んだ鋭い爪に切り裂かれた傷は、山吹に今も大きな痛みを残していた。
 それでも、山吹は雷燕を憎む気持ちにはならなかった。子どもを成せないと言われた後も、その気持ちは変わらなかった。
 今は、舜海がそばにいてくれる。
 それだけで充分だ。

 罪悪感や情けから舜海が自分のそばにいるのであれば、この国を出ていくつもりでいたのだが、舜海からはそういった生ぬるい感情は伝わってはこなかった。
 さばさばとして、あっさりとしたものだ。

 共に暮らすにあたり、寺を守っていく自分の相棒として、幼馴染として、力を貸して欲しいと言われたのだ。忍衆を離れ、行くあてのなかった山吹はその申し出を飲み、今もこうして舜海と暮らしを共にしている。

「夜顔さまは……?」
 と、宇月が珠緒を抱き上げて尋ねる。
「あの人と剣術稽古をしています。力を見るためでしょう」
「そうですか……」

 宇月と山吹は低い声で夜顔の様子について話しあっていたが、二人は同時に賑やかな若者たちの気配を感じ、言葉を切った。山吹が立ち上がり、障子の方へと歩み寄る。

 すっと障子を開くと、道場から出てくる小坊主たちの足音や話し声が賑やかに聞こえてくる。稽古が終わったらしい。

 

  ❀



「一本!! それまで!」
 ざ、と夜顔は身を起こして、竹刀を腰に戻すと膝をついて一礼した。向かいに転がったままの体格のいい若い坊主が、呆気にとられて夜顔を見上げている。
 体格では遥かに劣る夜顔に、剣で競り負けたことが信じられないという顔だった。

「大丈夫ですか?」
 夜顔に手を差し伸べられて、その坊主は気を取り直したのか、その手を握って立ち上がり一礼した。 
「お見事です。……どちらで剣術を?」
「あ……僕は……」
「こいつは、千珠の客や。こいつの親父殿がめっぽう剣に強くてな」
 審判をしていた舜海は、夜顔の頭にぽんと手を置いて、代わりにそう言った。夜顔は舜海を見上げる。

「いい刺激になったやろ?」
 にっと笑う舜海を見て、その坊主も苦笑して頭を掻いた。
「お前はここらでは一番強いが、外へ出ればもっといろんな強敵がいんねん。分かったか」
「はい。これからも精進いたします」
 坊主はぺこりと頭を下げて、皆が正座している列へと戻っていった。

 舜海は夜顔を見下ろす。
 とても筋がいい。藤之助に丁寧に鍛えてもらっているのだろう。
 
 基本がしっかりとしている上に、生まれながらの身のこなしの素早さがある。幼い口調や行動の割に、竹刀を握って相手と向き合った途端、眼の色がすっと変わる。
 まさに、獲物を見定める獣のような目つきだ。かといって荒々しい動きではない。流れるようでいて、やわらかな動きは柳のようにしなやかで、無駄がない。世代の青年の中にはもう、敵うものがいないほどの腕前だ。


 ——槐より、強い……。


 舜海はそんなことを考えながら、両手を叩いた。
「よし、じゃあ今日はこれまで! 昼からの修行もさぼんなや」
「舜海様に言われたくはありませぬ」
 門下生の一人がそう言って、皆が笑った。舜海は苦笑して「やかましい」と一喝する。

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