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17、欲しいわけ
しおりを挟むドクン、と心臓が大きく跳ねる。
——黒津地神社を守る俺たち一族ではなく、黒波の封じられていた巻物を監視するために……?
困惑する俺を見つめる静司さんの瞳が、すう……と冷ややかなものを宿した。
「最初に言ったが、陽太郎くんはあの鬼がなんなのかってこと、きちんと理解して飼っているのかな?」
「り、理解してるよ。平安末期ごろに、たくさん人を殺して、封じられた鬼だって……」
「うん……それは正解。じゃあ、我ら一族が大勢の犠牲を出しながらようやく封じた鬼だということは、知ってる?」
「え……」
「まあ、知るわけないか。八百年も前のことだしね。僕も当然、言い伝えでしか知らないし」
静司さんはまた肩をすくめ、視線を黒津地神社のほうへと向けた。こんもりとした木々の向こうに、丹塗りの鳥居の上部が見えている。
「その鬼は『黒獄鬼』と呼ばれていた。戦の起こる場所起こる場所に現れて、妖の邪悪な本能のままに人間を嬲り殺した。全身血みどろになりながらも嬉々として暴れ回る光景はまさに地獄絵図——で、そう名付けられたらしい」
「っ……けど、それはそうだったかもしれないけど! あいつはその過去を悔いているし、鬼になるに至るまでの境遇は哀れだった! だから……」
「……へえ、ずいぶんと詳しいんだね」
得たりとばかりに、静司さんがにんまりと笑う。誘われたのだと気づいた時は遅かった。
とん、と静司さんの人差し指と中指が、俺の額の真ん中に触れた途端、びし……!! と全身を見えない鎖で縛り付けられる。身体は一切動かず、言葉を発することさえままならない。酸欠の金魚のようにぱくぱくと口を動かす俺を憐れむように見つめ、静司さんはもう片方の手で手印を結んだ。
「すまないんだけど、君はここでしばらく大人しくしててくれる?」
「……っ、な、なんで……っ」
「今、あの鬼からはたいした妖力を感じない。……今なら僕でも勝てるかも」
「かてる……って、まさか」
静司さんが囁くような声で真言のような者を唱えた直後——パン!! と頭の中で何かが弾ける感覚があった。
思わずのけぞりかけたけれど、俺の身体は見えない何かによってがんじがらめにされていて倒れることはなかった。だがその戒めさえもふっと解かれてしまい、俺はがくりとその場に膝をついてしまった。
「へぇ、これをくらって意識を失わないなんて、さすがというべきかなんというべきか」
「うっ……うう……」
「けど、立てないだろ? しばらくうちで休んでいくといいよ」
「さ、触んなっ!」
優しげな微笑みとともに手を差し伸べられた手を弾く。すると静司さんは痛そうなそぶりも見せずに眉を下げ、「まぁ、そんな怒んないでよ。僕にも事情があるんだから」と苦笑した。
「『彼の悪しき鬼が再び現世に蘇ることあらば、全智全霊を以て鬼を眷属とすべし』……それが、僕に与えられた使命なんだ」
「……眷属……? あんた、黒波をどうするつもりだ!?」
吐き気を誘うほどの眩暈に耐えながら、俺は静司さんを見上げて声を荒げた。すると、静司さんは俺の目の前で脚を開いてヤンキー座りをすると、幼子にするように俺の頭を撫でながらこう言った。
「現代でもね、敵同士で呪い合う風習というのは密かに続いてるんだよ。……視える君にならわかるだろう。只人のあずかり知らないところで、さまざまな思惑が絡み合いながら、この世界が回っているということが」
静司さんはスッと立ち上がり、『トモリバナ』のロゴが入ったエプロンを外した。花屋のおっとりイケメン店主の仮面を外し、急に別世界の人間のように伶俐な目つきになった静司さんを前にして、俺は改めてゾッとする。
「僕は、僕の意のままに動く強力な妖が欲しい。……黒獄鬼はご先祖が苦労して封じた最強の魔物だ。ああ、ゾクゾクするなぁ」
「そ、そんなこと、させられるわけないだろ……!!」
「陰陽師業界も色々あってね。京都で返り咲くためにも、僕には力が必要なんだ。どのみち君には扱いきれないものなんだから、別にいいでしょ?」
にこ、と静司さんはフェロモンたっぷりの妖しい笑みを浮かべた。ここいらのじいさんばあさんには大人気のセクシースマイルだが、今はとにかく静司さんの余裕ぶった笑顔に腹が立つ。
——力、武器って……こいつ、黒波のことをなんだと思ってやがる……!!
改心して善く生き直そうとしているあいつに、再び悪事を働かせようとしているに違いない。そんなことは断じて許せない。黒波は優しい鬼だ。こんなやつの式神になんかさせるわけにはいかない……!
ぐぎぎ……と奥歯を噛み締める。水に濡れた冷たい床の上に這いつくばった手を、俺は硬く握った。
「……あんたにはやれない、あいつは、過去を悔いて生まれ直そうとしてるんだぞ!? なのに……!!」
「何言ってんの。鬼は鬼だ。過去を悔いたところで何も変わらないさ」
「っ……そんなことねぇよ!! あいつはすごく優しくて、俺を助けてくれて……!」
「お馬鹿さんだなぁ、陽太郎くんは。そんなの、君の力を餌にするために決まってるよ。甘いセリフを口にして近づいてくる、ハニトラ詐欺師とかわらないよ」
「くっ……」
さも知ったような口調でそう言い切る静司さんが憎たらしくてたまらない。だけど、めまいはよりひどくなっていく一方で、俺は小さく呻いて口を手で覆った。
静司さんは憐れみのこもった眼差しを浮かべつつため息をつき、俺の身体を支えてぐいと引き起こす。
「ここで吐かないでね、掃除が大変だから。……さあ、手を貸すから中へどうぞ。まずはトイレに行こうか」
「い、いやだ! 離せっ……誰がお前んちになんか……!」
「暴れない暴れない。何もしないから、ね? 僕はそういう趣味ないから」
「キモいこと言ってんじゃねぇよ! このっ……この変態っ……!!」
脇の下に手を差し入れられながらジタバタしていると、抵抗の甲斐があったのか、いきなり静司さんの手が離れた。急に支えを失った俺は「うお!」と声を上げつつも倒れ込む反動を利用して静司さんから距離を取る。すると……。
「オイお前。俺の陽太郎に何してくれてんねん」
静司さんの片腕を背中に捻じ上げ、首筋に鋭い爪を充てがっている黒波の姿がそこにあった。
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