【完結・R18】苦しいだけの愛なんだ〜婚約者の御曹司に執着されていたなんて別れを切り出すまで知りませんでした〜

堀川ぼり

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 玄関に連れてこられたものの、そこに凪の姿はなかった。
 てっきり家の中で待たせているのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
 中で待たせるどころか家にあげるつもりもないようで、ドアチェーンが繋がったままの扉が開けられ、その隙間から由莉は凪と顔を合わせる形になった。

「へ……」

 私を視界に入れた凪くんは優しく笑顔を向けてくれて、何を考えているのか表情からは読み取れない。
 読み取れないけど、とりあえず今の状態に対して何か言う気はないのだろうか。
 こんな立ち位置、どう見ても不自然だ。

「え……っと、あの、東条さん。中に入ってもらうの駄目なんですか?」
「話すだけなのに必要あるか?」
「いやでも、こんな状態はちょっと……」

 私の都合で番の解消を頼むのだ。今から謝罪を伝えなくてはいけない相手に対してする行動ではないと思う。
 確かに謝る必要があるのは私だけで、別に東条さんが気にするポイントではないのかもしれないけれど。
 それでも流石に、間にドアを挟んだ失礼な状態で大切な話をしたくない。

「あの、東条さんが家に他人を入れたくないならそれでも構わないので、せめて近くのお店とかに移動しませんか? こんな状態だと話し難いです」
「ほら、由莉ちゃんもこう言ってるよ。こんな状態で会話したくないって」

 由莉に乗っかるだけの軽い言い方からは、真剣味が全く感じられない。
 自分の後ろに庇っておけばそのまま抱えて逃げられる事はないかと、一度溜息を落としてから東条はゆっくりチェーンを外した。

 ドアを開ける開けないで問答するのも時間の無駄だ。
 早く話を切り上げて、関係を切るという約束だけ交わしたらさっさと帰って欲しい。
 真剣に話し合うつもりの由莉には悪いが、東条の方は凪に対して何一つ良い感情を持っていないのだ。向こうから番の解消をしてもいいという話を出してこなかったら、こんな風に会わせるつもりもなかった。

 そんな風にバチバチに警戒している東条の前で、凪も分かりやすく手を出すつもりはないらしい。
 由莉の方を見つめながら瞳を細め、口元に笑みを浮かべたまま話し掛ける。

「単刀直入に聞くね。由莉ちゃんは僕の番やめたいの?」

 本当にストレートな質問をされ、由莉はきゅっと口を引き結んだ。
 しかしその質問に対する返事は、何度考えても「はい」にしかならないのだ。
 返事を渋る意味なんて無いと、凪の目をじっと見つめながら肯定の意味を込めて頷く。

「それって番を失うデメリットをちゃんと理解しての判断? その男に好きだって言われて縋りつかれて、今まで付き合ってくれた相手に対する情を捨てきれないだけじゃない? 一時の感情で大きな決断しても後悔するだけだよ」
「デメリットもちゃんと分かってるし、一時の情とか、そういうのじゃないよ」
「一時的な情だよ。今まで誤解されるような態度しか取ってこなかった男に好きだって言われて、ちょっと嬉しいって思っちゃっただけでしょ。自分が囲ってた子が奪われそうになったから焦って怒って襲ってきただけの奴なのに、どうしてそんな簡単に絆されるの?」

 最後まで言い切る前に、後ろから伸ばされた手に由莉の両耳が覆われた。
 大きな手に覆われたところで、聞こえる音が小さくなっただけ。言われた内容は最後までしっかりと聞こえてしまう。

 言い返すように東条が凪に向けて発した言葉も、もちろんそのまま由莉の耳に入った。

「今まで彼女を番にしなかった理由はもう説明した。不安を煽るようなこと言って惑わすな」
「番じゃない相手とヤッて分からなかった? 気持ち良いことなんにも出来なかったでしょ」
「おい、いい加減に」
「ヒート中はもっと苦しいよ。発情してるからいつも以上に本能に忠実で、僕以外とセックスなんてしたら気持ち良くないどころかトラウマになるんじゃない?」

 由莉の耳に当てられたままの東条の手に、微かに力が籠ったのが分かった。

 昨日、無理やり及んだ行為のことを、由莉以上に東条の方が気にしている。
 そんな風に思わせてしまう反応しかできなかったことは、由莉だって分かっているのだ。

「なぁ、条件付きで解消するって話じゃなかったか?」

 耳を塞いでいても聞こえてしまう東条の冷たい声に背中が冷たくなる。

 それなのに、直接話し掛けられているはずの凪は全く気にする様子がない。嘲るように瞳を細めたまま東条に視線を向ける。

「うん、子供ができたら解消するよ。でもリスクはしっかり伝えた上で、由莉ちゃんがそれをしたいか聞くべきでしょ?」

 二人の会話がちゃんと聞こえている事は、ここまでの由莉の反応で分かっていたのだろう。
 耳を塞がれていることには特に言及せず、由莉に視線を戻した凪が優しい口調で由莉に話し掛ける。

「僕が手放そうと思えば番関係は解消できるし、そうしたら彼とセックスしても今ほど辛くないと思うよ。……でもね、もう二度と誰とも番えなくなる」

 最後の方、分かりやすく低くなった声の迫力に、由莉は少しだけ怯みそうになった。
 だけど多少のリスクがある事くらい、由莉だって最初からちゃんと分かっている。

 そもそも番という関係を結んでメリットがあるのは、基本的にオメガだけだと言われている。
 番ができるとオメガはフェロモンが変質し、不特定多数のアルファを誘惑することがなくなる。
 ヒート状態で外出しても、オメガ自身が苦しいだけで周りには何の影響も出ない。ヒートの症状も軽減され、番との性行為を行えば簡単に満たされるからその期間も大幅に短くなる。

 変化があるのは全てオメガ側で、特定のオメガに固執している訳ではないのなら、番になどならなくてもアルファは特に困らない。

 だからアルファが相手を拒絶して番の関係を解消したとしても、変化があるのはオメガ側だけなのだ。
 アルファはその後も気に入ったオメガがいれば番になることができるし、その後の生活の大きな変化はない。
 一度番を失うと誰とも番になることが出来ないのはオメガだけ。二度と番を得られない状態で、ヒートを抱えた一生を過ごすことになる。

 自分がオメガだと分かった時に、医者からオメガ性に関しての冊子を渡され、自分の性と向き合うために何度も読み返した。そこに書いてあった内容を今更になって思い出す。

 こういう形で、オメガ側にリスクがある事をちゃんと説明してくれるのは、凪くんの優しさなのかもしれない。

「分かってるよ。ちゃんと知ってる」
「一生ヒートで苦しんで、誰彼構わず誘惑しちゃうんだよ。苦しい思いして気持ち良くなれないセックスして、それで手に入るのがヒートに怯える生活なんだよ。本当にいいの?」
「そんな言い方するなよ。ヒート期間でも問題が起きないように、今まで通り生活は俺が支える」

 東条の言葉に、凪が嘲笑する。
 今まで通りになんて、できる訳がないのに。

「は、ずるいよね。ちょっと一緒にいた期間が長いだけで同情されて、今までずっと拒んできたくせに今更口出して。誰とも番になれなくて由莉ちゃんが苦しむなんてこと全然考えてないんだよ。そんな奴のために二度と番が作れない身体になるの?」
「同情じゃないの。ほんとに好きで、だから……」

 ヒートに苦しむことなんて大した問題じゃないのだと、言い掛けた言葉が喉の奥で詰まる。
 目の前の凪が、一瞬とても傷ついたような顔をした。

「凪くん……?」
「……ああ、そう。そこまで言えるならいいんじゃない? 子供できたら手を引くって約束してあげるから、頑張って好きな男に抱いてもらったら?」

 凪が由莉に向けて棘のある言い方をしたのはこれが初めてだ。
 苦しくてすぐに東条との行為を拒むだろうと分かっているのに、他の男に気持ちを向ける彼女をこれ以上見ていたくない。

「心が擦り減るだけで絶対に楽しくなんかないよ。嫌になったらいつでも逃げてきていいから、もう無理だって思ったら早く僕のところ帰ってきて」
「へ……」

 由莉に向かってそれだけ言うと、今度は東条に視線をやる。
 由莉に向けるものとは全く違う冷たい表情を、もう凪は隠さなかった。

「期限は半年でいい? それ以上は待たない、早く返して」
「は?」
「途中で嫌になってセックスはしなくなったけど、その後も引き続きダラダラ一緒に暮らすことにしましたってなったら意味ないでしょ。本気でする気があるなら半年あれば十分。約束はちゃんと守るけど、それ以上待つ意味ないから」
「半年でできなかったら、由莉の意思に関係なく返せって?」
「由莉ちゃんの意思が早々に変わったら半年経つ前でも全然いいよ」

 煽るようにそれだけ言ってから、凪は玄関のドアに手を掛けた。
 そういえば入った瞬間からずっと立ち話で、凪は靴さえ脱いでいない。

「ちゃんとした契約じゃないと不安って言うなら、今の内容で書類作って持ってきたらサインするよ。これ以上話すこともないし、とりあえず帰るね。長居したい場所でもないし」

 特に引き止める言葉も思いつかず、そのまま出て行ってしまった凪の背中を静かに見つめる。
 初めて向けられた冷たい表情がなんだか頭から離れなくて、由莉はしばらくその場から動くことができなかった。

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