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ちょっと息抜き
竜騎士ニヴェルス・エイルファイラスの追跡記3
突発的な幕間です。
+++++++++++
アルツェリオ王国、王都エクサル。
グラン・リオ大陸で最大の人口を誇る、アルツェリオ王国城下町。
肥沃な大地と穏やかな気候に恵まれた王都は、洗練された美しい大都市である。王が座す町であることを誇りに今でも増改築が進められ、半月と離れればその姿が変わるとまで言われていた。
都市は王宮を囲う上層階、貴族らが住まう中層階、庶民が暮らす下層階に分かれていた。地下部分に巣食うものもおり、そこは公式には認められていないが最下層と呼ばれている。
竜騎士らが詰める屯所などは中層に位置しており、騎士らは寄宿舎にて寝食を共にしていた。中層階に家がある貴族の子らは寄宿舎にはおらず、住み心地のよい実家から屯所へと通っていた。
エイルファイラス伯爵家の長男である、アルツェリオ王国第十七騎士団第一竜騎士騎馬隊隊長ニヴェルス・レブラ・エイルファイラス。彼は尉官でありながら寄宿舎の一室で寝起きしており、下士官と共に寝食を共にしている変わり者だ。
貴族の嫡男であるのに、ニヴェルスの思考は庶民に近い。部屋は狭いほうが落ち着くし、質素な生活も楽しめる変わり者。
ニヴェルスは三か月ぶりの王都を満喫するまでもなく、次の遠出の支度中。志半ばで王都帰還命令が出てしまい、泣く泣く戻ったはいいが、その辞令を出したのが姉の信望者として有名な上官。
歳の離れた弟にただ会いたいがために姉が職権を乱用したはずだと、ニヴェルスは早々にルセウヴァッハ領へと戻る算段でいた。
「隊長、せめてマルス大佐にお会いしてからに~したほうがいいと思うんです~」
ぽやぽやとした独特の喋り方をするテユリア・ナンツ二等軍曹。ふわふわの髪をゆらゆらと靡かせながら身体を左右に振る。気を抜いている時の彼の癖であったが、上官であるニヴェルスの前でこの態度は不敬に値する。しかし彼らは幼少期からの友人でもあり、慣れ親しんだ仲だからこそ、ニヴェルスも今更咎めることなどしなかった。
幼いころからご学友として共に育ったテユリアは、ニヴェルスの姉三人が異常なほど過保護であることも把握している。貴族の姉弟というのは跡取り問題で骨肉の争いを繰り広げている家もあるというのに、エイルファイラス家は至って平穏。いや、まったくの平穏というわけでもないのだが。
「冗談を言うな。姉上に俺が王都にいるとわかってしまえば、何をされるかわかったものではない」
「アレですよ。かいぐりかいぐりされまくって、ああん可愛いアタシの天使、って顔面にちゅっちゅされまくるんです~」
「わかっているのなら黙れ」
「僕たちにとって憧れのマルス大佐を嫌がるのは~少尉くらいのもんですね~」
ニヴェルスの実姉であり、竜騎士の上官でもあるマルス大佐とは、眉目秀麗の才色兼備である。
ストルファス帝国にある竜騎士専用の育成機関、王立士官学校を首席で卒業した彼女は、正式な竜騎士に任命されてから数々の武勲を上げた。主に獰猛なモンスターの討伐や危険な護衛任務などであったが、持ち前の強運を生かしわずか数年でアルツェリオ王国中央司令部第三騎士団第一竜騎士飛竜隊指揮官に任命。これはアルツェリオ王国はじまって以来の快挙だと言われている。
美しく、賢く、厳しくもあるが優しさも見せるマルス大佐は竜騎士たちの憧れの存在であり、目指すべき理想の上官でもあった。
しかし身内であるニヴェルスにとっては、ただの鬱陶しい身内に過ぎなかった。
それは何故かというと。
「ニヴェルス!愛しき我が天使よ!!」
ばたーんと。
下位の兵が寝泊まりをしている寄宿舎で、絶対に逢うことのない純白の佐官制服が扉を開け放った。遠慮なく。扉が壊れるほどに。
幾つもの勲章を豊満な胸にじゃらじゃらとぶら下げた、漆黒の長い髪を持つ美女。
ニヴェルスは途端に顔色を変え、取るものも取りあえず部屋奥の窓へと走る。窓に手をかけたところで背後から頭をわし掴まれた。
「なにゆえ逃げる!お前の大切な大切な、大切な姉であるというのに!」
「ええい、お放しください姉君!なにゆえ下士官の集いしこのような場所へ参られたのだ!」
「久しく逢うておらぬ愛しい我が天使に逢うためではないか!恥ずかしがらぬでも良い!」
この男勝りな佐官である美女が、ニヴェルスの実姉エイルファイラス伯爵家長女、マルスワーヌ・ディタ・エイルファイラス大佐。美しく、それでいて優秀な彼女こそ、竜騎士であれば性別問わず誰もが憧れる存在の実態がこれである。
歳の離れた弟を溺愛し、目に入れても痛くないが実際に入れたら痛かったと豪語するほど。
マルスは久しぶりに会えた愛しの弟を、背後から強烈な力で抱きしめた。武勲を数え切れぬほど上げている竜騎士の腕力で遠慮なく抱きしめられれば、いくら相手が女性でも黄泉の入口が見えるというもの。
「ぐえぇ…うぐっふ……」
「愛しくて憎たらしいやつよの、お前は。父や母に顔は見せたのか?アンドレアとスジェンカは?」
「おふぅ……おぐぇふ……」
「もしや誰よりも先に私に逢うため、寄宿舎に戻っておったのか?うううん、可愛いっ!ああ、私の天使は何という可愛い子なのだ!ちゅちゅちゅちゅ…」
マルス大佐の実態がこれである。
ちなみにこの本質を知っているのは、親姉弟、彼女の側近と一部の同僚と信頼している上司、屯所食堂の料理人のみ。
そして。
「マルス大佐、たーいさ。そのまま天使を抱いていたら、本当に天使になっちゃいますよ~」
ニヴェルスの幼馴染であり彼の側近でもある、テユリアだけ。
見た目だけならばたいそうに美しいこの姉弟であるが、思い込みの激しすぎる姉の重い愛を受け止めきれない弟が翻弄され、振り回され、泣かされるのはいつものこと。
そんな光景を幼いころから傍で生ぬるく見守ってきたテユリアには、慣れた光景。
「は!すまぬすまぬ、これも全て私の愛ゆえのことだ。許せ」
「おえっふ、姉上、いい加減に止めてください!」
「無理」
清々しいほどの笑顔で応えたマルスは、それでも渋々とニヴェルスを抱きとめる腕を離した。しかしベッドの上にある荷物を見つけ、美しい柳眉を寄せた。
「ニヴェルス、この荷物は何だ」
あちゃー。
テユリアが笑顔で頭を抱える。
「ルセウヴァッハ領に戻るのです。私はまだ任務を完了しておりません」
「何の任務があると言うのだ。あのような王都より離れた辺境の地で、調べることなど何もないであろう」
「それは辺境偵察騎馬隊隊長である私に対する侮辱である、と受け取りますが宜しいでしょうか」
「そうではない。お前は帰還したばかりだろう?もう少し、ゆるりと過ごしてからでも構わぬではないか」
ただでさえ辺境偵察隊などという役目を担っているのだ。通常、貴族の尉官であるのに辺境偵察に回されるということは、ある意味で左遷に近い処遇でもある。しかしニヴェルスは知らない世界を観たいという欲があったため、危険を顧みず大陸の端にまで足を運んだ。
任務を兼ねた趣味とは誰にも言えない。
「志半ばで王都に呼び戻したのは誰ですか。姉上、職権乱用という言葉はご存知ですよね」
「職権を利用せずに何が上級佐官だ」
ああ言えばこう言う。
歳の離れた姉相手に言葉で勝てるわけがない。
そもそもマルスは家族のこと、特にニヴェルスのこととなると人が変わる。憧れの竜騎士でも男装の麗人でもない、ただのブラコンへと成り下がるのだ。
「我が天使よ」
「名前で呼んでください」
「……チッ、ニーヴェ」
「幼少期の愛称は止めてください」
「報告書を読んだが」
「無視ですか」
「ルセウヴァッハ最果ての小さな村でドルトベアに遭遇したと?これは真実であるのか?」
うるさい姉の顔からキリリとした上官の顔へ変わったマルスは、下士官を咎めるような口調で至極真面目に言った。
王都中央司令部に勤めるマルスと、第十七騎士団第一竜騎士騎馬隊辺境偵察であるニヴェルスとでは、管轄がまるで違う。マルスがニヴェルスの任務内容についてあれやこれやと意見するのはお門違いであるが、そんな細かいことはマルスの知ったことではない。職権は乱用せずに何をすると豪語する始末。
ニヴェルスが辺境偵察隊に志願した時にも散々反対をされたのだが、ニヴェルスの師でもあるエドモンド・ゴルト・クレメンス侯にエイルファイラス家もろとも説得をしてもらった。クレメンス侯は現国王の実弟。傍若無人なマルスであっても無視出来ない、目の上のたんこぶ。
たんこぶに説得というか笑顔での命令をされ渋々ながらも応じたマルスであったが、可愛い天使である愛すべき弟の身に何かあれば、権力とツテと金と強請と軽い暴力で周りから攻め、ニヴェルスを転属させるつもりであった。
辺境の地ルセウヴァッハ領での危険極まりない出来事に、よっしゃこれだと飛びついた次第で。
管轄の違う部署の報告書を何故、と疑問を抱くほどニヴェルスは鈍くはない。隣でふわふわと笑っている部下をぎろりと睨んだ。
「……テユリア」
「だあってマルス大佐が~上官には正しい報告をって~」
「何を貰った」
「そんな~、俺が、友人を売るような真似、するわけががが」
「何を、貰っ、た」
「……メドゥサ劇場の貴賓席二枚」
「お前は、お前は、この俺を歌劇と引き換えに売ったのか!」
「だって貴賓席ですよ~?庶民が決して座ることの出来ない特別席~二枚もくれるって言うんですもん」
金色の歌劇券をひらひらと見せたテユリアは、悪びれもせずニヘラと笑う。
こうやって幼少期から幾度となく姉に売られてきた身だ。テユリアが悪いわけではない。言葉巧みにテユリアの望むものを的確に用意する姉が悪いのだ。
「姉……いえ、エイルファイラス大佐殿。報告書に記載されていることは、全て真実です」
「辺境の小さな村にドルトベアが出現するのも異例のことだが、そのドルトベアは如何にして回避したのだ。報告書には遭遇したことまでしか書かれておらぬ」
ニヴェルスは言葉に詰まる。
ここで実姉に本当のことを告げるか、それとも中央司令部の大佐相手に告げるのか、迷った。
もしも真実を全て告げてしまったとして、あの平和な村を守る特別な魔道具が取り上げられやしないかと。
そして謎の冒険者と栄誉の竜王のこと。栄誉の竜王がグラン・リオ大陸に滞在していると知られれば、きっと王都から勧誘が派遣される。いや、既に派遣はされているはず。腕の良い元聖竜騎士をただの冒険者として放置しているわけがない。
「……無事、帰還致しましたので、細かいところは省略致しました」
「エルファイラス少尉、なにゆえドルトベアから回避できたのか聞いておるのだ」
「それは上級佐官であるエイルファイラス大佐への報告でしょうか」
「お馬鹿を言うでない。エイルファイラス家長女に対する日常会話だろうが。おねーちゃんに何があったのか言いなさい」
日常会話であるのなら、任務内容以外のことを話したい。
などと言ったところでアーアー聞こえなーいと喚かれるだろう。
上官としてではなく、家族としての会話だと言うのなら仕方がない。ニヴェルスは腹をくくった。
トルミ村を守った特別な魔道具のこと。それを造ったのがベルカイムに滞在している冒険者であること。その冒険者はチームに所属しており、そのチームは栄誉の竜王が率いているということ。
その全てを竜騎士の任務としてではなく、ただニヴェルス・エイルファイラスとして知りたい。村を守る魔道具を取り上げるなどととんでもない。ただ、どうやってその魔道具を造り上げたのか知りたいだけ。
「……栄誉の竜王」
「……はい、姉上。ストルファス帝国の、聖竜騎士です」
「……クレイストン、様、が、ベルカイムに、ごご、滞在、され、されれ」
「私もお逢いしたかったのですが、ちょうどフィジアン領へお出かけになられたと」
フィジアン領まで追いかけても良かったのだが、王都から帰還命令が出てしまい、止むを得ず帰路に就いたと。
村の名前、冒険者の名前、魔道具の詳しい情報などは一切話さず、マルスが心酔している栄誉の竜王について詳細に話した。詳細にと言っても、情報は限られているのだが。
だが栄誉の竜王の一言でマルスは黙った。黙ったというよりも、頬を赤らめて乙女のような夢見心地の顔で中空を見つめた。
「姉上を黙らせるにはこの手に限るな」
「マルス様、栄誉の竜王の熱血支持者ですからね~」
「竜騎士であれば、誰しもが憧れる御方であろう」
「そうですね~俺も、実物は見たことないんですよ~」
出来るならば是非とも逢いたい。竜騎士として、生涯に一度は逢うべきだと言われている、栄誉の竜王。傍若無人の姉ですら、言葉を失うほどの存在。
ニヴェルスはそうだ、と思いついた。
どうせ辺境の偵察は継続するのだ。それならばもののついでに栄誉の竜王を探し、さらについでに例の冒険者を探しても良いのではないか。
「エイルファイラス大佐、ものは相談なのですが……」
「もっと可愛く」
「姉上」
「駄目」
「……お姉ちゃん、お願い」
「なんでも聞いちゃう!私の可愛い天使!」
歳が離れた姉弟であるが、幾つになっても仲がいいなあと。
テユリアは生ぬるい目で、抱き着かれたまま圧死寸前の幼馴染を見つめた。
なるべく相手の逆鱗に触れぬよう、ニヴェルスは言葉巧みに上官である姉を説得した。歳の離れた末っ子であるニヴェルスが言葉巧みにと言っても限度があるが、マルスが憧れている栄誉の竜王を出せば相乗効果で成功する確率が上がる。部署違いの上官ではあるが、顔の広いマルスのことだ。弟の『相談』に応えないわけにはいかない。
後日、ニヴェルスは再び隊を率いてルセウヴァッハ領ベルカイムへと赴いた。
しかし彼らがベルカイムに到着する頃、タケルはリザードマンの郷へと向かっている道中であった。それを知るのはまだ先のこと。
そして。
とある貴族主催の夜会に招かれたマルスが、話のネタにとニヴェルスの話をした。
辺境の小さな村を守る、特別な魔道具があるのだと。
その話を聞くほとんどのものが、そんなまさかと疑い、マルスも可愛い弟が大げさに言っているのだと結論づけたのだが。
そのことが、後々とんでもないことになるとは。
+++++++++++
ニヴェルスとマルスは12歳の差。双方の年齢はふんわりと考えてください。
実在の軍階級ではなく、あくまでもフィクションです。
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アルツェリオ王国、王都エクサル。
グラン・リオ大陸で最大の人口を誇る、アルツェリオ王国城下町。
肥沃な大地と穏やかな気候に恵まれた王都は、洗練された美しい大都市である。王が座す町であることを誇りに今でも増改築が進められ、半月と離れればその姿が変わるとまで言われていた。
都市は王宮を囲う上層階、貴族らが住まう中層階、庶民が暮らす下層階に分かれていた。地下部分に巣食うものもおり、そこは公式には認められていないが最下層と呼ばれている。
竜騎士らが詰める屯所などは中層に位置しており、騎士らは寄宿舎にて寝食を共にしていた。中層階に家がある貴族の子らは寄宿舎にはおらず、住み心地のよい実家から屯所へと通っていた。
エイルファイラス伯爵家の長男である、アルツェリオ王国第十七騎士団第一竜騎士騎馬隊隊長ニヴェルス・レブラ・エイルファイラス。彼は尉官でありながら寄宿舎の一室で寝起きしており、下士官と共に寝食を共にしている変わり者だ。
貴族の嫡男であるのに、ニヴェルスの思考は庶民に近い。部屋は狭いほうが落ち着くし、質素な生活も楽しめる変わり者。
ニヴェルスは三か月ぶりの王都を満喫するまでもなく、次の遠出の支度中。志半ばで王都帰還命令が出てしまい、泣く泣く戻ったはいいが、その辞令を出したのが姉の信望者として有名な上官。
歳の離れた弟にただ会いたいがために姉が職権を乱用したはずだと、ニヴェルスは早々にルセウヴァッハ領へと戻る算段でいた。
「隊長、せめてマルス大佐にお会いしてからに~したほうがいいと思うんです~」
ぽやぽやとした独特の喋り方をするテユリア・ナンツ二等軍曹。ふわふわの髪をゆらゆらと靡かせながら身体を左右に振る。気を抜いている時の彼の癖であったが、上官であるニヴェルスの前でこの態度は不敬に値する。しかし彼らは幼少期からの友人でもあり、慣れ親しんだ仲だからこそ、ニヴェルスも今更咎めることなどしなかった。
幼いころからご学友として共に育ったテユリアは、ニヴェルスの姉三人が異常なほど過保護であることも把握している。貴族の姉弟というのは跡取り問題で骨肉の争いを繰り広げている家もあるというのに、エイルファイラス家は至って平穏。いや、まったくの平穏というわけでもないのだが。
「冗談を言うな。姉上に俺が王都にいるとわかってしまえば、何をされるかわかったものではない」
「アレですよ。かいぐりかいぐりされまくって、ああん可愛いアタシの天使、って顔面にちゅっちゅされまくるんです~」
「わかっているのなら黙れ」
「僕たちにとって憧れのマルス大佐を嫌がるのは~少尉くらいのもんですね~」
ニヴェルスの実姉であり、竜騎士の上官でもあるマルス大佐とは、眉目秀麗の才色兼備である。
ストルファス帝国にある竜騎士専用の育成機関、王立士官学校を首席で卒業した彼女は、正式な竜騎士に任命されてから数々の武勲を上げた。主に獰猛なモンスターの討伐や危険な護衛任務などであったが、持ち前の強運を生かしわずか数年でアルツェリオ王国中央司令部第三騎士団第一竜騎士飛竜隊指揮官に任命。これはアルツェリオ王国はじまって以来の快挙だと言われている。
美しく、賢く、厳しくもあるが優しさも見せるマルス大佐は竜騎士たちの憧れの存在であり、目指すべき理想の上官でもあった。
しかし身内であるニヴェルスにとっては、ただの鬱陶しい身内に過ぎなかった。
それは何故かというと。
「ニヴェルス!愛しき我が天使よ!!」
ばたーんと。
下位の兵が寝泊まりをしている寄宿舎で、絶対に逢うことのない純白の佐官制服が扉を開け放った。遠慮なく。扉が壊れるほどに。
幾つもの勲章を豊満な胸にじゃらじゃらとぶら下げた、漆黒の長い髪を持つ美女。
ニヴェルスは途端に顔色を変え、取るものも取りあえず部屋奥の窓へと走る。窓に手をかけたところで背後から頭をわし掴まれた。
「なにゆえ逃げる!お前の大切な大切な、大切な姉であるというのに!」
「ええい、お放しください姉君!なにゆえ下士官の集いしこのような場所へ参られたのだ!」
「久しく逢うておらぬ愛しい我が天使に逢うためではないか!恥ずかしがらぬでも良い!」
この男勝りな佐官である美女が、ニヴェルスの実姉エイルファイラス伯爵家長女、マルスワーヌ・ディタ・エイルファイラス大佐。美しく、それでいて優秀な彼女こそ、竜騎士であれば性別問わず誰もが憧れる存在の実態がこれである。
歳の離れた弟を溺愛し、目に入れても痛くないが実際に入れたら痛かったと豪語するほど。
マルスは久しぶりに会えた愛しの弟を、背後から強烈な力で抱きしめた。武勲を数え切れぬほど上げている竜騎士の腕力で遠慮なく抱きしめられれば、いくら相手が女性でも黄泉の入口が見えるというもの。
「ぐえぇ…うぐっふ……」
「愛しくて憎たらしいやつよの、お前は。父や母に顔は見せたのか?アンドレアとスジェンカは?」
「おふぅ……おぐぇふ……」
「もしや誰よりも先に私に逢うため、寄宿舎に戻っておったのか?うううん、可愛いっ!ああ、私の天使は何という可愛い子なのだ!ちゅちゅちゅちゅ…」
マルス大佐の実態がこれである。
ちなみにこの本質を知っているのは、親姉弟、彼女の側近と一部の同僚と信頼している上司、屯所食堂の料理人のみ。
そして。
「マルス大佐、たーいさ。そのまま天使を抱いていたら、本当に天使になっちゃいますよ~」
ニヴェルスの幼馴染であり彼の側近でもある、テユリアだけ。
見た目だけならばたいそうに美しいこの姉弟であるが、思い込みの激しすぎる姉の重い愛を受け止めきれない弟が翻弄され、振り回され、泣かされるのはいつものこと。
そんな光景を幼いころから傍で生ぬるく見守ってきたテユリアには、慣れた光景。
「は!すまぬすまぬ、これも全て私の愛ゆえのことだ。許せ」
「おえっふ、姉上、いい加減に止めてください!」
「無理」
清々しいほどの笑顔で応えたマルスは、それでも渋々とニヴェルスを抱きとめる腕を離した。しかしベッドの上にある荷物を見つけ、美しい柳眉を寄せた。
「ニヴェルス、この荷物は何だ」
あちゃー。
テユリアが笑顔で頭を抱える。
「ルセウヴァッハ領に戻るのです。私はまだ任務を完了しておりません」
「何の任務があると言うのだ。あのような王都より離れた辺境の地で、調べることなど何もないであろう」
「それは辺境偵察騎馬隊隊長である私に対する侮辱である、と受け取りますが宜しいでしょうか」
「そうではない。お前は帰還したばかりだろう?もう少し、ゆるりと過ごしてからでも構わぬではないか」
ただでさえ辺境偵察隊などという役目を担っているのだ。通常、貴族の尉官であるのに辺境偵察に回されるということは、ある意味で左遷に近い処遇でもある。しかしニヴェルスは知らない世界を観たいという欲があったため、危険を顧みず大陸の端にまで足を運んだ。
任務を兼ねた趣味とは誰にも言えない。
「志半ばで王都に呼び戻したのは誰ですか。姉上、職権乱用という言葉はご存知ですよね」
「職権を利用せずに何が上級佐官だ」
ああ言えばこう言う。
歳の離れた姉相手に言葉で勝てるわけがない。
そもそもマルスは家族のこと、特にニヴェルスのこととなると人が変わる。憧れの竜騎士でも男装の麗人でもない、ただのブラコンへと成り下がるのだ。
「我が天使よ」
「名前で呼んでください」
「……チッ、ニーヴェ」
「幼少期の愛称は止めてください」
「報告書を読んだが」
「無視ですか」
「ルセウヴァッハ最果ての小さな村でドルトベアに遭遇したと?これは真実であるのか?」
うるさい姉の顔からキリリとした上官の顔へ変わったマルスは、下士官を咎めるような口調で至極真面目に言った。
王都中央司令部に勤めるマルスと、第十七騎士団第一竜騎士騎馬隊辺境偵察であるニヴェルスとでは、管轄がまるで違う。マルスがニヴェルスの任務内容についてあれやこれやと意見するのはお門違いであるが、そんな細かいことはマルスの知ったことではない。職権は乱用せずに何をすると豪語する始末。
ニヴェルスが辺境偵察隊に志願した時にも散々反対をされたのだが、ニヴェルスの師でもあるエドモンド・ゴルト・クレメンス侯にエイルファイラス家もろとも説得をしてもらった。クレメンス侯は現国王の実弟。傍若無人なマルスであっても無視出来ない、目の上のたんこぶ。
たんこぶに説得というか笑顔での命令をされ渋々ながらも応じたマルスであったが、可愛い天使である愛すべき弟の身に何かあれば、権力とツテと金と強請と軽い暴力で周りから攻め、ニヴェルスを転属させるつもりであった。
辺境の地ルセウヴァッハ領での危険極まりない出来事に、よっしゃこれだと飛びついた次第で。
管轄の違う部署の報告書を何故、と疑問を抱くほどニヴェルスは鈍くはない。隣でふわふわと笑っている部下をぎろりと睨んだ。
「……テユリア」
「だあってマルス大佐が~上官には正しい報告をって~」
「何を貰った」
「そんな~、俺が、友人を売るような真似、するわけががが」
「何を、貰っ、た」
「……メドゥサ劇場の貴賓席二枚」
「お前は、お前は、この俺を歌劇と引き換えに売ったのか!」
「だって貴賓席ですよ~?庶民が決して座ることの出来ない特別席~二枚もくれるって言うんですもん」
金色の歌劇券をひらひらと見せたテユリアは、悪びれもせずニヘラと笑う。
こうやって幼少期から幾度となく姉に売られてきた身だ。テユリアが悪いわけではない。言葉巧みにテユリアの望むものを的確に用意する姉が悪いのだ。
「姉……いえ、エイルファイラス大佐殿。報告書に記載されていることは、全て真実です」
「辺境の小さな村にドルトベアが出現するのも異例のことだが、そのドルトベアは如何にして回避したのだ。報告書には遭遇したことまでしか書かれておらぬ」
ニヴェルスは言葉に詰まる。
ここで実姉に本当のことを告げるか、それとも中央司令部の大佐相手に告げるのか、迷った。
もしも真実を全て告げてしまったとして、あの平和な村を守る特別な魔道具が取り上げられやしないかと。
そして謎の冒険者と栄誉の竜王のこと。栄誉の竜王がグラン・リオ大陸に滞在していると知られれば、きっと王都から勧誘が派遣される。いや、既に派遣はされているはず。腕の良い元聖竜騎士をただの冒険者として放置しているわけがない。
「……無事、帰還致しましたので、細かいところは省略致しました」
「エルファイラス少尉、なにゆえドルトベアから回避できたのか聞いておるのだ」
「それは上級佐官であるエイルファイラス大佐への報告でしょうか」
「お馬鹿を言うでない。エイルファイラス家長女に対する日常会話だろうが。おねーちゃんに何があったのか言いなさい」
日常会話であるのなら、任務内容以外のことを話したい。
などと言ったところでアーアー聞こえなーいと喚かれるだろう。
上官としてではなく、家族としての会話だと言うのなら仕方がない。ニヴェルスは腹をくくった。
トルミ村を守った特別な魔道具のこと。それを造ったのがベルカイムに滞在している冒険者であること。その冒険者はチームに所属しており、そのチームは栄誉の竜王が率いているということ。
その全てを竜騎士の任務としてではなく、ただニヴェルス・エイルファイラスとして知りたい。村を守る魔道具を取り上げるなどととんでもない。ただ、どうやってその魔道具を造り上げたのか知りたいだけ。
「……栄誉の竜王」
「……はい、姉上。ストルファス帝国の、聖竜騎士です」
「……クレイストン、様、が、ベルカイムに、ごご、滞在、され、されれ」
「私もお逢いしたかったのですが、ちょうどフィジアン領へお出かけになられたと」
フィジアン領まで追いかけても良かったのだが、王都から帰還命令が出てしまい、止むを得ず帰路に就いたと。
村の名前、冒険者の名前、魔道具の詳しい情報などは一切話さず、マルスが心酔している栄誉の竜王について詳細に話した。詳細にと言っても、情報は限られているのだが。
だが栄誉の竜王の一言でマルスは黙った。黙ったというよりも、頬を赤らめて乙女のような夢見心地の顔で中空を見つめた。
「姉上を黙らせるにはこの手に限るな」
「マルス様、栄誉の竜王の熱血支持者ですからね~」
「竜騎士であれば、誰しもが憧れる御方であろう」
「そうですね~俺も、実物は見たことないんですよ~」
出来るならば是非とも逢いたい。竜騎士として、生涯に一度は逢うべきだと言われている、栄誉の竜王。傍若無人の姉ですら、言葉を失うほどの存在。
ニヴェルスはそうだ、と思いついた。
どうせ辺境の偵察は継続するのだ。それならばもののついでに栄誉の竜王を探し、さらについでに例の冒険者を探しても良いのではないか。
「エイルファイラス大佐、ものは相談なのですが……」
「もっと可愛く」
「姉上」
「駄目」
「……お姉ちゃん、お願い」
「なんでも聞いちゃう!私の可愛い天使!」
歳が離れた姉弟であるが、幾つになっても仲がいいなあと。
テユリアは生ぬるい目で、抱き着かれたまま圧死寸前の幼馴染を見つめた。
なるべく相手の逆鱗に触れぬよう、ニヴェルスは言葉巧みに上官である姉を説得した。歳の離れた末っ子であるニヴェルスが言葉巧みにと言っても限度があるが、マルスが憧れている栄誉の竜王を出せば相乗効果で成功する確率が上がる。部署違いの上官ではあるが、顔の広いマルスのことだ。弟の『相談』に応えないわけにはいかない。
後日、ニヴェルスは再び隊を率いてルセウヴァッハ領ベルカイムへと赴いた。
しかし彼らがベルカイムに到着する頃、タケルはリザードマンの郷へと向かっている道中であった。それを知るのはまだ先のこと。
そして。
とある貴族主催の夜会に招かれたマルスが、話のネタにとニヴェルスの話をした。
辺境の小さな村を守る、特別な魔道具があるのだと。
その話を聞くほとんどのものが、そんなまさかと疑い、マルスも可愛い弟が大げさに言っているのだと結論づけたのだが。
そのことが、後々とんでもないことになるとは。
+++++++++++
ニヴェルスとマルスは12歳の差。双方の年齢はふんわりと考えてください。
実在の軍階級ではなく、あくまでもフィクションです。
感想
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幼い頃から妹の引き立て役として生き、婚約者まで奪われて家を追放された侯爵令嬢エレナ。
傷ついた彼女が助けた青年は、身分を隠した王太子だった。
一年後、王太子妃となったエレナの前に現れたのは、今さら「家族だから」と擦り寄ってくる両親と妹。
けれど彼女は、もう二度と振り返らない。
婚約者を妹に譲ったので、温泉へ行く
七月なのか貴族の令嬢リリアーナは、幼い頃から「役立たず」と呼ばれて育った。
社交が苦手で、刺繍と料理ばかりしていた彼女を、家族も婚約者も疎ましく思っていた。
そしてある日、婚約者は妹と恋に落ち、婚約破棄。
両親からも見放されたリリアーナは、亡き祖父が遺した火山地帯の小領地を押し付けられ、王都から追い出されてしまう。
「好きに生きなさい」
それが最後の言葉だった。
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「お姉様の刺繍は素人ね」と笑った義妹の婚礼衣装——裏地を見た女官十二人が、一斉に針を置いた
歩人(あゆと)「お姉様の刺繍は、素人の手習いに見えますわね」――王太子妃となる異母妹アデリーナは、王宮女官たちの前で姉ローゼを笑った。翌週の婚礼の朝。式典装の最終確認のため、十二人の女官が衣装の裏地を検めた瞬間――一人、また一人と、針を置いた。裏地に縫い込まれていたのは、女官たちが十二年間ずっと探していた一筆の銀糸。即位式の絹外套、二人の王女の婚礼ドレス、亡き王太后の弔意の喪服。王家儀礼衣装のすべての裏地に、同じ手で、同じ糸で、同じ銀の花が縫い込まれていた。「アデリーナ様、これは――あなた様の手では、ございません」縫い手は、ずっと一人だった。それを十二年間、誰の名でも呼べなかっただけのこと。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
私に姉など居ませんが?
山葵「ごめんよ、クリス。僕は君よりお姉さんの方が好きになってしまったんだ。だから婚約を解消して欲しい」
「婚約破棄という事で宜しいですか?では、構いませんよ」
「ありがとう」
私は婚約者スティーブと結婚破棄した。
書類にサインをし、慰謝料も請求した。
「ところでスティーブ様、私には姉はおりませんが、一体誰と婚約をするのですか?」
『病弱な幼馴染を優先してください』と言った妻が消えた翌日、夫は領地の会計書類が全て白紙になっていることに気づいた
歩人(あゆと)侯爵家に嫁いで五年。ルチアは夫エミルの領地会計・社交・使用人管理を全て一人で担ってきた。だがエミルはいつも幼馴染のアリーチェを優先する。「アリーチェは体が弱いんだ、お前とは違う」——その言葉を百回聞いた日、ルチアは微笑んで離縁届に署名した。「ええ、私は丈夫ですから。どうぞ幼馴染様をお大事に」。翌朝、エミルが目にしたのは——税務報告の締切、領民からの陳情の山、そして紅茶の淹れ方すら知らない自分。三ヶ月後、かつて「地味な妻」と呼ばれたルチアは、辺境伯の財務顧問として辣腕を振るっていた。