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3巻
3-4
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グリットが彼に必要以上に目をかける理由は、彼が問題ある冒険者ってだけではないのだろう。血はつながらないが、我が子のような感覚なのかもしれない。彼より問題のある冒険者なんて山ほどいるしな。
「……チェルシーさんが欲しがっていたネブラリの花って」
「そうだよ。アンタがえらく綺麗な状態の花をあげちまったって、アイツ怒っていた」
「怒るっていうか、それって拗ねているんじゃ」
「それは言わないでやってくれ! アイツほんといつまでたってもガキなんだよ!」
まさか、ワイムス君が俺に絡んできた大本の理由って、それ?
母親のような存在であるチェルシーさんを、俺が喜ばせてしまったから?
知らんがな!!
「どうしようエリルーさん。アイツのことぶちたい」
「……殺さない程度にしてくれ。アタシもいろいろと考えてわかった。とんでもなくくだらないことに巻き込まれているんだって」
冷静になったであろうエリルーは中空を眺めて力なく笑った。
いくら借りがあるからとはいえ、些細な嫉妬に巻き込まれるのは迷惑極まりない。おまけに罪に問われると知り、そこまで尽くすことはないのだと気づいたのだろう。
エリルーが話のわかる人で良かった。
「ワイムス君が俺に対して噛みつく理由がわかった。だが、勝負は勝負だ」
「うん。今さらだけど邪魔をしてごめんよ。アンタが負けたら、アタシがギルドに証言するから」
「いや、それは大丈夫」
負ける気がしないから。
へろへろ状態だったエリルーの馬に回復をかけ、ベルカイムに戻るよう告げた。彼女は何度も深く頭を下げ、謝罪を繰り返し、トコルワナ山を眺めながら「ワイムスを頼む」と言った。
エリルーが馬に乗って去るのを見送り、先を急いだ。時間にして三十分も経過していないだろうが、無駄な時間を食ってしまった。
ワイムスはどこまで行っているのだろうか。
+ + + + +
その頃、ベルカイムでは。
「ピュィ……ピュィ……」
「いつまでも嘆くのはおやめなさい。お前の魔力はわたくしが補っているのですから、眠ることもないでしょう」
「ピュイ! ピュピュイ……」
「加護ありし者に何の不安があるのです。まあ、走るのはわたくしのほうが速いでしょうけどねひひん」
「ピュイー!」
「真実を述べたまででしょう? 所詮人の子、馬であるわたくしに勝てるものではありません」
「ピュ! ピュイイイィ!」
「ぶるるっ、幼き身で妙な意地を! 良いでしょう良いでしょう、わたくしの本気を見せてあげます!」
屋台村の食事場所で口論する美女とドラゴン。
その席で顔を顰めるリザードマン。
大柄の男の姿が見えないが、これはいつもの光景。新鋭のチーム、蒼黒の団。
栄誉の竜王の二つ名で有名なランクA冒険者、クレイストンは神様と神様候補のくだらない喧嘩に辟易していた。ちょっとしたことでつっかかるのだから、彼にとってはいい迷惑だった。
「ホーヴヴァルプニル神よ、どうか落ち着いてくれぬか。ビーも。あまり興奮するとタケルを心配させるだろう」
「ピッ」
げんなりした顔で一人と一匹を落ち着かせ、クレイストンは大判焼きを差し出す。
なぜか水と油のように仲違いをする一人と一匹をとりなすのは、というか受け流して場を取り持つのはタケルの仕事であった。あの男は常に眠たそうな顔をしながら他所事を考えているようで、場の空気というものをよく読む。そうして口が達者なものだから、くだらない諍い事は瞬く間に終わってしまうのだ。
「わたくしとしたことが。少し大人げなかったようです」
「貴殿の足が何者よりも速いのは周知の事実。証明などなさらずとも良いではないか」
「あら。まあ? お前の言う通りですから? うふっ、わたくしが怒ることもないでしょう」
「左様。ビーもそう急くな。お前より素早く大空を舞えるものなどおるまい」
「ピュイ!」
アイツらが揉めたらそれぞれの良いところを褒めてやればいいとタケルは言っていたが、見事に静かになった。しかし、平穏がいつまで持つかはわからない。
「なあ栄誉の旦那よ、タケルは勝てると思うかい?」
大判焼きをまとめて四つ口に運んでいると、屋台村代表のウェガが話しかけてきた。
元冒険者でもあるウェガは恰幅がよく、それでいて料理の腕がよい。タケルが発案する新商品の相談に乗っては大々的に売り出し、庶民を喜ばせている。
向かいの席に座ったウェガは、エプル茶を差し出した。
「うむ、すまんな。俺としてはあやつの負ける姿など想像することができぬ」
「だよなぁ。俺もよ、疑っているわけじゃねぇんだよ。しかしな、対戦相手のワイムスって野郎は……なんてぇか、狡猾でよ」
伊達にBランクまで登りつめた冒険者というわけではない。リンド・ワイムスという男は恐ろしく悪運が強い。そして何より足が速く、勘が鋭いと。
ワイムスと臨時に組んだ者たちは、口は悪いし性格も悪いが、採取家としての腕は認めざるを得ないと口々に言う。しかし金にうるさいため、誰からもチームに誘われないのだとか。
「採取家としての腕はタケルのほうがいいのかもしれねぇが、あの野郎はなんてぇか……お人好しじゃねぇか。もっと小狡く動きゃいいのによ。だからよぉ、なんか不安なんだよなぁ」
そもそも屋台村で評判になっている大判焼きもじゃがバタ醤油もスイートポテトも、すべてタケルの発案なのだ。発案したのだから報酬をよこせとねだっても良いものを、面倒くさいの一言で済ませてしまう。食べられればそれで良いのだと。
その人の好さがベルカイムの人々に受け入れられる所以なのだが、常に眠たそうでもっさりとしている姿はどうも不安になる。悪いやつに付け込まれて騙されるんじゃないだろうか、と。
「……」
ウェガはそう心配しているのだろうが、それはない。
飄々として見えて実は誰よりも物事を考え、自分の面倒にならないよう立ち回るのがあの男だ。何度腹黒いと思ったことか。
クレイストンは思うのだ。タケルのいた世界とやらは、相当殺伐とした恐ろしい世界に違いないのだと。あのような性格でなければ生き抜くことができぬため、年齢のわりに達観しているような貫禄がついたのではないか。
「ふふ。何をたわけたことを」
クレイストンがそう呟くと、大判焼きにかぶりつく美しい女性がふわりと微笑んだ。
「余計な心配をする必要はありません。加護を受けし者が人の子ごときに後れを取るなどありえないことです」
「ピュゥーイ」
「狡猾というのはあやつのことを言うのだ。面倒だの何だの言うてはおるが、己の損になるような事態にはせぬであろう」
「そんなことよりも、じゃがばたそうゆーをお持ちなさい」
「ピュイピュイ」
ウェガは呑気に構えているチーム蒼黒の団を眺め、こちらが心配するだけ無駄だなと苦く笑った。
これは信頼なのか、それとも絶対的な勝利への確信なのか。
あの男が落ち込む姿が想像できない。悔しがって涙を流す姿を想像できない。
むしろ膝をついて涙を流す姿を見てやりたいとさえ思ってしまう。
きっと大丈夫なのだ。
勝っても負けてもあの男の日常は変わらないだろう。負けたとしても笑い飛ばしてしまうのだ。
しかし、やはり負ける姿は見たくない。
ウェガは晴れ晴れとした大空を見上げ、眠そうな顔をしながら採取をしているだろう男にエールを送った。
負けるんじゃねぇぞ、と。
5 遭遇・義勇任侠
夕暮れ間近の霊峰トコルワナ。
天を突き刺すかのごとく聳え立つ雄大な姿は、物語の挿絵に描かれているような不思議な形をしていた。神様が地面をつまんで作り上げたという説はあながち間違っていない気がする。どの神様だかわからんが。
裾野に広がる木々は空を覆い隠すほどではない。そこそこに明るくて歩きやすい。地面はぬかるんでいないし、湿気が酷いわけでもない。ボルさんのいた白樹の森とは違う雰囲気だ。
「探査」
視界に現れる無数の光。赤白緑青の点滅とその奥に黒点滅。黒ということは獰猛なモンスターもいるわけね。美味しいお肉になるモンスターがいれば狩る。
さて、腰痛に効く薬草はあっただろうか。腰痛って筋肉の消耗とか劣化とか、ともかく長年酷使していると神経に障るようになって痛みになるんだよな。
元上司が椎間板ヘルニアになって緊急手術という大変な目に遭っていた。生まれつきの骨格でも影響が出てくるらしいが、チェルシーさんはそこまで重症ではないだろう。俺に大量の焼き菓子を作ってくれているしな。
回復薬をあげるのが一番いいのだが、そうしたらまた焼き菓子を大量に作ってくれてしまいそうだ。恩にならないように、さりげなくあげられたらいい。状態の良い薬草をいくつか採取して、ムンス薬局のリベルアさんに調合してもらうのもいいな。
「ぎゃあああ……」
そもそも俺ってさりげなくプレゼントをあげるなんて真似、したことねーわ。そんな性格イケメンだったらもっとモテていたはず。そりゃ女性の些細な変化に気づくよう努力はしたが、毛先をミリ単位で整えて「なんで髪の毛切ったのに気づいてくれないのよ!」と叱られたときは泣きたくなった。知るかよ。知るかよ。
「ぎゃあああ……」
やっぱり感謝とかそういうさ、相手を気遣う気持ちって大事だと思うの。やってもらって当然って考え方は危険。チェルシーさんの腰痛に気づくべきだったよなあ。俺もまだまだだなあ。
「何ボケッと突っ立っていやがんだ! 助けろ馬鹿!!」
ほら、ああいう脳足りんな無謀なヤツとかさ。俺ほんとまじ苦手。
牙剥いて今にも噛みつこうとしている巨大なイノシシっぽいモンスターに追いかけられているのは、ワイムス君。ベルカイムから足の速いレンタル馬でも借りたのか、俺が足止めされている間にここまで来ていたわけね。
俺に妨害工作しておいて助けろですか。へえ。
しかし足速いな。あそこまで逃げ足が速いとなると、立派な技能になるんじゃないか。
「なあ、そのモンスターって食えるー?」
「呑気に言ってやがんじゃねぇ! テンペストボアーはランクCのモンスターだぞ!」
あのやろう、俺のことを完全に巻き込むつもりでこっちに走ってきたな。
調査先生、あのモンスターは食用ですか。
【テンペストボアー ランクC】
焼き肉が理想。
よし!
調査先生の説明がいろいろはしょられてる気がするが、食えるんならお肉になってもらうまでだ。
「ビー、足止めするから……」
ああああ、いなかったんだ。つい癖でビーに頼ってしまう。ビーの精霊術は万能だからなあ。足止めするために風精霊で巨体を弾いてもらいたかったが、致し方ない。
「ワイムス君! そこから左に走れ!」
「はああっ!? なんでお前の命令なんて!」
「ほんとまじぶっとばすぞこのガキ! このまま無視して行ってもいいんだからな!」
命の危機に助けてじゃなくて命令がどうのとか気にするあたり、あいつ意外と冷静だなと思いつつ、両手に硬化を展開。でかいイノシシだろうと凶悪だろうと、カニほど頑丈じゃないんだよ。
ワイムスは悔しげながらも観念したのか、方向転換、俺の指示通りに動く。身体のあちこちから鋭いツノが生えている凶悪な巨大イノシシは、ワイムスを完全にマーク。御馳走を食べるのだとヨダレ撒き散らしながら追いかけている。
「ヒイイイイッ!」
「行動停滞展開!」
イノシシの横っ腹に魔法をぶちこむ。正面からだとワイムスにもかかってしまうから、そういう意味で方向転換させたのだ。ワイムスごとまとめてやっつけてもよかったんだが、バカタレでも一応人の命。
「なっ!? なんだ? お前、いま何を……っ」
「おんどりゃああああ!!」
ばごーん。
ちょっと積み重なった鬱憤を拳に込め、イノシシに振り下ろした。
身体が動きづらくなったイノシシは俺の拳を避けられず、カニをも黙らせる強烈な打撃を眉間に受けた。その衝撃は巨体を地面に打ちつけるほど。
眉間というのはすべての生き物の弱点である、と教えてくれたのはクレイだ。やみくもに殴るのではなく、的確に弱点を狙えと。
それじゃあ目が四つも五つもあったらどうすんの、と聞いたら便利な魔法で何とかせいと頭ぶたれた。なんで怒ったんだろうか。理不尽。
イノシシは悶絶し、口から泡を噴いて暴れている。
なるべく苦しまず逝けるように調査で大脳の位置を確認。杖で思い切りそこを貫く。
「ギャアアアア!」
イノシシは巨体を揺らして木々をなぎ倒し、やっとのことで絶命した。
巨大熊であるドルドベアよりは小さいが、まるまると太っている。うちのチームは俺以上に食うやつがいるうえ、あの妙ちくりんな馬神様の美女も大食いなんだよな。
これでしばらく肉には困らないだろう。解体はクレイに任せる。
「お前の全部は残すことなくすべてありがたくいただく。安らかに眠れ」
生き物を己の糧とするために狩る際は、感謝を忘れるなとクレイが言っていた。なので狩ったあと、食べるときは必ず感謝をすることにした。
スーパーで売られているバラ肉に感謝したことなんてなかったからな。加工したものを食って、それが当たり前だと思っていた。
腰を抜かしたワイムス君を立たせ、全身をチェック。擦り傷切り傷はあるが、打撲や骨折はなさそうだ。
巨大イノシシをわし掴んで鞄に入れる。何でも受け入れる懐の広い鞄は、どれだけ大きなものでもするりと呑み込む。
その光景は、初めて見る者にとってまさに異様。
「ア、ア……アイテム……ボックス」
ぽつりと呟いたワイムス君は、頬を赤らめて嬉しそうだった。うんうん、そういうツラしてたら、まだ可愛げがあるんだけどな。少年の目っていうんだろうか。素直にすごいと思える気持ちが、彼にはあるってことだろう。
「いつまでも惚けているんじゃないよ。言うことがあるだろうが」
「は?」
「お前、ほんとにぶつぞ?」
「ヒッ!」
あの巨体を一撃で落とした拳だ。ワイムス君も、ぷるぷるさせている俺の右拳に恐れをなしたのか、顔色を変えた。
「す、すまなかった……」
「そうじゃない。感謝の気持ちを伝える言葉が他にあります」
「ぐっ……あ、ありがとよ……」
とても小さな声だったが確かに聞こえた。
言えるじゃないか。
さて。
「わかってる? わかってんのお前。ギルド公認領主依頼の真剣勝負で不正行為を働いたと知られたら、お前、冒険者資格剥奪されんだよ? そこしっかり考えたわけ? 考えてないんだろ。俺にいちいちいちいちつっかかってきた理由は究極くだらねぇけど、可愛らしいボクちゃんの嫉妬、っていうことは理解した。うんうん、そこについては俺も詫びよう。チェルシーさんに勝手にネブラリの花を渡したのは悪かったです。はい、もーうーしーわーけー」
「やめろバカやめろーーーっ!」
高地を目指すため、森をざくざくと進みながら、お説教。
ワイムスは顔を真っ赤にして怒鳴った。この子よく吼えるな。
他にも獰猛なモンスターがあちこちにいるとわかったワイムスは、俺に付いていくことにしたらしい。彼が想像している以上の戦闘能力があった俺に付いていくほうが無難だと思ったのだろう。感情よりも命が大事だと理解しているところは、さすがのランクB冒険者。
「ほらほらそんな叫ぶんじゃない。せっかく気配を消す魔法をかけてやってんのに台なしになるだろうが。アホ。このアホ」
「おっまえ、いちいち俺を怒らせるな!」
「いちいち突っかかるからです。でかい声出しているとクラウンバードが飛んでくるぞ」
クラウンバードは、音もなく近寄り獲物を鋭いツメで刺し殺す空の狩人。開けた野原に出没するモンスターだからここでは出ないだろうが、脅かすには充分。
ワイムス君は上空をキョロキョロと見渡し、ぶすくれた顔で黙って歩き出した。
もくもくと歩き続けながら木々の根元を確認。こういう高い針葉樹の下には、独特の香りを放つ香草が生えている。その香草は煮込み料理や焼き料理に使われ、肉を柔らかくする作用もあるのだ。
茎が茶色いものではなく、真っ黒に近い色をしたものが良い。そしてなぜか椎茸の匂いがするのだ。草なのになんで椎茸かなと思ったが、細かいことはどうでもいい。
「なにやってんだ?」
突然しゃがんで香草を採取する俺に、ワイムス君が小声で話しかけてくる。
「シーラさんがマデリフ草を欲しがっていたんだよ。せっかくだから採取していく」
屋台村代表であるウェガさんの奥さんは、香草焼き肉を売りにしている店の女将。指名依頼でちょくちょく香草を頼まれるが、そろそろ次の採取依頼を頼まれる頃だ。
世話になっている身としては頼まれる前に用意しておきたい。そうして気が利くヤツだと思ってもらえれば次の仕事に繋がり、美味い香草焼きをオマケしてもらい、俺の評判も上がるのだ。
「依頼されたわけでもないんだろ? なんでそんな道草を食うんだ」
「余計な道草食わせたヤツがよく言うな。言われただけのことをやっていたら、そいつの仕事はそれまでだ」
客っていうのは欲が出るものだし、より良いものを望む依頼主ってのはケチらないのだ。その要望を叶えてやるのが冒険者だ。俺は、そう思っている。
「お前……俺に負けるかもしれねぇんだぞ」
生えている香草をすべて採取し鞄に入れると、ワイムスは不貞腐れながら言った。
俺のやり方に納得ができないって顔だな。そりゃそうだろうな。
「あのさ、正直言って勝負の勝ち負けはどうでもいいんだよ」
「なんだと!」
「怒るなって。大体お前が勝ったところでどうなる? お前がお前でいる限り、何も変わらない」
「俺が、俺? ……何言ってんだよ。お前の言っていること、わかんねぇ」
もっと詳細に話さないとならないわけ? 俺はそこまで優しくないんだけどなあ。
ワイムスは、前世で世話をした新人に似ている気がする。アイツには大変な思いをさせられた。いくら説明しても右から左にスルーされ、俺は悪くないと言い訳大会。それでいて大間違いをやらかして知らん顔。ほんともう、ほんともう胃袋痛めた。
しかしワイムスは、根は悪いヤツじゃないのだ。悪気がないのが一番悪いとも言うが、ここは俺が大人にならなくてはならない。
ワイムスのほうが先輩のはずなんだけどねえ。
+ + + + +
「うっめぇ! なんだこれ、すげぇうめぇ!」
とっぷり日が暮れた森の中、俺とワイムスは焚火を囲んで夕飯にした。
と、言っても俺が用意した薪に、俺が用意した結界石に、俺が用意した食事。
ワイムス君を助けた時点でこうなることは予想ができた。今さら勝敗にこだわるつもりはない。この機会に彼の性根を少しでも正すことができればいいと思っている。
それはきっと、グリットやチェルシーさんへの恩返しに繋がるんじゃないだろうか。
「海翁亭の料理長に作ってもらったスープの素だ。んで、これがなんちゃって水餃子」
「す、い、ぎょうざ? なんだそれ」
「小麦粉で作った皮にひき肉と野菜ときのこ、各種調味料を刻んで入れた食い物だ」
「んんっ、うまい! こんなうめぇもん、初めて食った……」
餃子の皮は大きさも薄さもまちまちで味にバラつきがあるが、スープが美味いから気にならない。連日一人でちまちまと作っておいて良かった。ビーたちにも食わせるつもりだったが、またあとでちまちまと作ろう。しかし、ワイムスもよく食べるな。
「アンタの……作る飯が、美味いって、ウェガが言っていたのは本当だったんだな」
「うん? 屋台村のウェガさん?」
「ああ。じゃがばたそうゆー……っていう食いもんを作ったのは、アンタだって」
ふふふん。ワイムスも知っているだなんて、知名度あるじゃないか。
確かに美味いからな、あれは。バターもさることながら、醤油の実の汁が抜群に美味いんだよ。このスープにも水餃子にも隠し味として醤油を入れているから、いつもより美味く感じる。
「アンタ変わってんな。勝負している相手に……こんな美味いもん食わせるなんて」
どんぶりに三杯もお代わりして今さら何を言う。
恥ずかしそうで、悔しそうで、でも満たされた顔。
俺はさ、学んだんだよ。飯を食わせてもらった人は警戒心が薄れる。温かくて美味い飯ってのは何よりの贅沢であり、手軽に幸せを感じられる手段でもある。
男は胃袋を掴まれると弱いと言うが、性別は関係ないんだよな。
美味い飯を腹いっぱい食ったワイムスは、少しだけ尖った部分を引っ込めたようだ。
「ふん……野営でこんな美味い飯食ったの初めてだ」
「クレイも同じこと言っていたな。かったいパンとかったい干し肉、冷たい酒を飲んで無理やり寝るなんて、翌朝の目覚め最悪だ」
ただでさえ地べたに寝るしかなくて我慢しているのだ。立派なテントが欲しいところだが、生憎とベルカイムでは扱っていない。忘れそうになるが、ベルカイムはあれでも地方都市。ものが溢れているようで、実は不足しているものがある。それは、嗜好品や最新の魔道具など。そういうのは王都などの都心部に近いところにあるらしい。
「……チェルシーさんが欲しがっていたネブラリの花って」
「そうだよ。アンタがえらく綺麗な状態の花をあげちまったって、アイツ怒っていた」
「怒るっていうか、それって拗ねているんじゃ」
「それは言わないでやってくれ! アイツほんといつまでたってもガキなんだよ!」
まさか、ワイムス君が俺に絡んできた大本の理由って、それ?
母親のような存在であるチェルシーさんを、俺が喜ばせてしまったから?
知らんがな!!
「どうしようエリルーさん。アイツのことぶちたい」
「……殺さない程度にしてくれ。アタシもいろいろと考えてわかった。とんでもなくくだらないことに巻き込まれているんだって」
冷静になったであろうエリルーは中空を眺めて力なく笑った。
いくら借りがあるからとはいえ、些細な嫉妬に巻き込まれるのは迷惑極まりない。おまけに罪に問われると知り、そこまで尽くすことはないのだと気づいたのだろう。
エリルーが話のわかる人で良かった。
「ワイムス君が俺に対して噛みつく理由がわかった。だが、勝負は勝負だ」
「うん。今さらだけど邪魔をしてごめんよ。アンタが負けたら、アタシがギルドに証言するから」
「いや、それは大丈夫」
負ける気がしないから。
へろへろ状態だったエリルーの馬に回復をかけ、ベルカイムに戻るよう告げた。彼女は何度も深く頭を下げ、謝罪を繰り返し、トコルワナ山を眺めながら「ワイムスを頼む」と言った。
エリルーが馬に乗って去るのを見送り、先を急いだ。時間にして三十分も経過していないだろうが、無駄な時間を食ってしまった。
ワイムスはどこまで行っているのだろうか。
+ + + + +
その頃、ベルカイムでは。
「ピュィ……ピュィ……」
「いつまでも嘆くのはおやめなさい。お前の魔力はわたくしが補っているのですから、眠ることもないでしょう」
「ピュイ! ピュピュイ……」
「加護ありし者に何の不安があるのです。まあ、走るのはわたくしのほうが速いでしょうけどねひひん」
「ピュイー!」
「真実を述べたまででしょう? 所詮人の子、馬であるわたくしに勝てるものではありません」
「ピュ! ピュイイイィ!」
「ぶるるっ、幼き身で妙な意地を! 良いでしょう良いでしょう、わたくしの本気を見せてあげます!」
屋台村の食事場所で口論する美女とドラゴン。
その席で顔を顰めるリザードマン。
大柄の男の姿が見えないが、これはいつもの光景。新鋭のチーム、蒼黒の団。
栄誉の竜王の二つ名で有名なランクA冒険者、クレイストンは神様と神様候補のくだらない喧嘩に辟易していた。ちょっとしたことでつっかかるのだから、彼にとってはいい迷惑だった。
「ホーヴヴァルプニル神よ、どうか落ち着いてくれぬか。ビーも。あまり興奮するとタケルを心配させるだろう」
「ピッ」
げんなりした顔で一人と一匹を落ち着かせ、クレイストンは大判焼きを差し出す。
なぜか水と油のように仲違いをする一人と一匹をとりなすのは、というか受け流して場を取り持つのはタケルの仕事であった。あの男は常に眠たそうな顔をしながら他所事を考えているようで、場の空気というものをよく読む。そうして口が達者なものだから、くだらない諍い事は瞬く間に終わってしまうのだ。
「わたくしとしたことが。少し大人げなかったようです」
「貴殿の足が何者よりも速いのは周知の事実。証明などなさらずとも良いではないか」
「あら。まあ? お前の言う通りですから? うふっ、わたくしが怒ることもないでしょう」
「左様。ビーもそう急くな。お前より素早く大空を舞えるものなどおるまい」
「ピュイ!」
アイツらが揉めたらそれぞれの良いところを褒めてやればいいとタケルは言っていたが、見事に静かになった。しかし、平穏がいつまで持つかはわからない。
「なあ栄誉の旦那よ、タケルは勝てると思うかい?」
大判焼きをまとめて四つ口に運んでいると、屋台村代表のウェガが話しかけてきた。
元冒険者でもあるウェガは恰幅がよく、それでいて料理の腕がよい。タケルが発案する新商品の相談に乗っては大々的に売り出し、庶民を喜ばせている。
向かいの席に座ったウェガは、エプル茶を差し出した。
「うむ、すまんな。俺としてはあやつの負ける姿など想像することができぬ」
「だよなぁ。俺もよ、疑っているわけじゃねぇんだよ。しかしな、対戦相手のワイムスって野郎は……なんてぇか、狡猾でよ」
伊達にBランクまで登りつめた冒険者というわけではない。リンド・ワイムスという男は恐ろしく悪運が強い。そして何より足が速く、勘が鋭いと。
ワイムスと臨時に組んだ者たちは、口は悪いし性格も悪いが、採取家としての腕は認めざるを得ないと口々に言う。しかし金にうるさいため、誰からもチームに誘われないのだとか。
「採取家としての腕はタケルのほうがいいのかもしれねぇが、あの野郎はなんてぇか……お人好しじゃねぇか。もっと小狡く動きゃいいのによ。だからよぉ、なんか不安なんだよなぁ」
そもそも屋台村で評判になっている大判焼きもじゃがバタ醤油もスイートポテトも、すべてタケルの発案なのだ。発案したのだから報酬をよこせとねだっても良いものを、面倒くさいの一言で済ませてしまう。食べられればそれで良いのだと。
その人の好さがベルカイムの人々に受け入れられる所以なのだが、常に眠たそうでもっさりとしている姿はどうも不安になる。悪いやつに付け込まれて騙されるんじゃないだろうか、と。
「……」
ウェガはそう心配しているのだろうが、それはない。
飄々として見えて実は誰よりも物事を考え、自分の面倒にならないよう立ち回るのがあの男だ。何度腹黒いと思ったことか。
クレイストンは思うのだ。タケルのいた世界とやらは、相当殺伐とした恐ろしい世界に違いないのだと。あのような性格でなければ生き抜くことができぬため、年齢のわりに達観しているような貫禄がついたのではないか。
「ふふ。何をたわけたことを」
クレイストンがそう呟くと、大判焼きにかぶりつく美しい女性がふわりと微笑んだ。
「余計な心配をする必要はありません。加護を受けし者が人の子ごときに後れを取るなどありえないことです」
「ピュゥーイ」
「狡猾というのはあやつのことを言うのだ。面倒だの何だの言うてはおるが、己の損になるような事態にはせぬであろう」
「そんなことよりも、じゃがばたそうゆーをお持ちなさい」
「ピュイピュイ」
ウェガは呑気に構えているチーム蒼黒の団を眺め、こちらが心配するだけ無駄だなと苦く笑った。
これは信頼なのか、それとも絶対的な勝利への確信なのか。
あの男が落ち込む姿が想像できない。悔しがって涙を流す姿を想像できない。
むしろ膝をついて涙を流す姿を見てやりたいとさえ思ってしまう。
きっと大丈夫なのだ。
勝っても負けてもあの男の日常は変わらないだろう。負けたとしても笑い飛ばしてしまうのだ。
しかし、やはり負ける姿は見たくない。
ウェガは晴れ晴れとした大空を見上げ、眠そうな顔をしながら採取をしているだろう男にエールを送った。
負けるんじゃねぇぞ、と。
5 遭遇・義勇任侠
夕暮れ間近の霊峰トコルワナ。
天を突き刺すかのごとく聳え立つ雄大な姿は、物語の挿絵に描かれているような不思議な形をしていた。神様が地面をつまんで作り上げたという説はあながち間違っていない気がする。どの神様だかわからんが。
裾野に広がる木々は空を覆い隠すほどではない。そこそこに明るくて歩きやすい。地面はぬかるんでいないし、湿気が酷いわけでもない。ボルさんのいた白樹の森とは違う雰囲気だ。
「探査」
視界に現れる無数の光。赤白緑青の点滅とその奥に黒点滅。黒ということは獰猛なモンスターもいるわけね。美味しいお肉になるモンスターがいれば狩る。
さて、腰痛に効く薬草はあっただろうか。腰痛って筋肉の消耗とか劣化とか、ともかく長年酷使していると神経に障るようになって痛みになるんだよな。
元上司が椎間板ヘルニアになって緊急手術という大変な目に遭っていた。生まれつきの骨格でも影響が出てくるらしいが、チェルシーさんはそこまで重症ではないだろう。俺に大量の焼き菓子を作ってくれているしな。
回復薬をあげるのが一番いいのだが、そうしたらまた焼き菓子を大量に作ってくれてしまいそうだ。恩にならないように、さりげなくあげられたらいい。状態の良い薬草をいくつか採取して、ムンス薬局のリベルアさんに調合してもらうのもいいな。
「ぎゃあああ……」
そもそも俺ってさりげなくプレゼントをあげるなんて真似、したことねーわ。そんな性格イケメンだったらもっとモテていたはず。そりゃ女性の些細な変化に気づくよう努力はしたが、毛先をミリ単位で整えて「なんで髪の毛切ったのに気づいてくれないのよ!」と叱られたときは泣きたくなった。知るかよ。知るかよ。
「ぎゃあああ……」
やっぱり感謝とかそういうさ、相手を気遣う気持ちって大事だと思うの。やってもらって当然って考え方は危険。チェルシーさんの腰痛に気づくべきだったよなあ。俺もまだまだだなあ。
「何ボケッと突っ立っていやがんだ! 助けろ馬鹿!!」
ほら、ああいう脳足りんな無謀なヤツとかさ。俺ほんとまじ苦手。
牙剥いて今にも噛みつこうとしている巨大なイノシシっぽいモンスターに追いかけられているのは、ワイムス君。ベルカイムから足の速いレンタル馬でも借りたのか、俺が足止めされている間にここまで来ていたわけね。
俺に妨害工作しておいて助けろですか。へえ。
しかし足速いな。あそこまで逃げ足が速いとなると、立派な技能になるんじゃないか。
「なあ、そのモンスターって食えるー?」
「呑気に言ってやがんじゃねぇ! テンペストボアーはランクCのモンスターだぞ!」
あのやろう、俺のことを完全に巻き込むつもりでこっちに走ってきたな。
調査先生、あのモンスターは食用ですか。
【テンペストボアー ランクC】
焼き肉が理想。
よし!
調査先生の説明がいろいろはしょられてる気がするが、食えるんならお肉になってもらうまでだ。
「ビー、足止めするから……」
ああああ、いなかったんだ。つい癖でビーに頼ってしまう。ビーの精霊術は万能だからなあ。足止めするために風精霊で巨体を弾いてもらいたかったが、致し方ない。
「ワイムス君! そこから左に走れ!」
「はああっ!? なんでお前の命令なんて!」
「ほんとまじぶっとばすぞこのガキ! このまま無視して行ってもいいんだからな!」
命の危機に助けてじゃなくて命令がどうのとか気にするあたり、あいつ意外と冷静だなと思いつつ、両手に硬化を展開。でかいイノシシだろうと凶悪だろうと、カニほど頑丈じゃないんだよ。
ワイムスは悔しげながらも観念したのか、方向転換、俺の指示通りに動く。身体のあちこちから鋭いツノが生えている凶悪な巨大イノシシは、ワイムスを完全にマーク。御馳走を食べるのだとヨダレ撒き散らしながら追いかけている。
「ヒイイイイッ!」
「行動停滞展開!」
イノシシの横っ腹に魔法をぶちこむ。正面からだとワイムスにもかかってしまうから、そういう意味で方向転換させたのだ。ワイムスごとまとめてやっつけてもよかったんだが、バカタレでも一応人の命。
「なっ!? なんだ? お前、いま何を……っ」
「おんどりゃああああ!!」
ばごーん。
ちょっと積み重なった鬱憤を拳に込め、イノシシに振り下ろした。
身体が動きづらくなったイノシシは俺の拳を避けられず、カニをも黙らせる強烈な打撃を眉間に受けた。その衝撃は巨体を地面に打ちつけるほど。
眉間というのはすべての生き物の弱点である、と教えてくれたのはクレイだ。やみくもに殴るのではなく、的確に弱点を狙えと。
それじゃあ目が四つも五つもあったらどうすんの、と聞いたら便利な魔法で何とかせいと頭ぶたれた。なんで怒ったんだろうか。理不尽。
イノシシは悶絶し、口から泡を噴いて暴れている。
なるべく苦しまず逝けるように調査で大脳の位置を確認。杖で思い切りそこを貫く。
「ギャアアアア!」
イノシシは巨体を揺らして木々をなぎ倒し、やっとのことで絶命した。
巨大熊であるドルドベアよりは小さいが、まるまると太っている。うちのチームは俺以上に食うやつがいるうえ、あの妙ちくりんな馬神様の美女も大食いなんだよな。
これでしばらく肉には困らないだろう。解体はクレイに任せる。
「お前の全部は残すことなくすべてありがたくいただく。安らかに眠れ」
生き物を己の糧とするために狩る際は、感謝を忘れるなとクレイが言っていた。なので狩ったあと、食べるときは必ず感謝をすることにした。
スーパーで売られているバラ肉に感謝したことなんてなかったからな。加工したものを食って、それが当たり前だと思っていた。
腰を抜かしたワイムス君を立たせ、全身をチェック。擦り傷切り傷はあるが、打撲や骨折はなさそうだ。
巨大イノシシをわし掴んで鞄に入れる。何でも受け入れる懐の広い鞄は、どれだけ大きなものでもするりと呑み込む。
その光景は、初めて見る者にとってまさに異様。
「ア、ア……アイテム……ボックス」
ぽつりと呟いたワイムス君は、頬を赤らめて嬉しそうだった。うんうん、そういうツラしてたら、まだ可愛げがあるんだけどな。少年の目っていうんだろうか。素直にすごいと思える気持ちが、彼にはあるってことだろう。
「いつまでも惚けているんじゃないよ。言うことがあるだろうが」
「は?」
「お前、ほんとにぶつぞ?」
「ヒッ!」
あの巨体を一撃で落とした拳だ。ワイムス君も、ぷるぷるさせている俺の右拳に恐れをなしたのか、顔色を変えた。
「す、すまなかった……」
「そうじゃない。感謝の気持ちを伝える言葉が他にあります」
「ぐっ……あ、ありがとよ……」
とても小さな声だったが確かに聞こえた。
言えるじゃないか。
さて。
「わかってる? わかってんのお前。ギルド公認領主依頼の真剣勝負で不正行為を働いたと知られたら、お前、冒険者資格剥奪されんだよ? そこしっかり考えたわけ? 考えてないんだろ。俺にいちいちいちいちつっかかってきた理由は究極くだらねぇけど、可愛らしいボクちゃんの嫉妬、っていうことは理解した。うんうん、そこについては俺も詫びよう。チェルシーさんに勝手にネブラリの花を渡したのは悪かったです。はい、もーうーしーわーけー」
「やめろバカやめろーーーっ!」
高地を目指すため、森をざくざくと進みながら、お説教。
ワイムスは顔を真っ赤にして怒鳴った。この子よく吼えるな。
他にも獰猛なモンスターがあちこちにいるとわかったワイムスは、俺に付いていくことにしたらしい。彼が想像している以上の戦闘能力があった俺に付いていくほうが無難だと思ったのだろう。感情よりも命が大事だと理解しているところは、さすがのランクB冒険者。
「ほらほらそんな叫ぶんじゃない。せっかく気配を消す魔法をかけてやってんのに台なしになるだろうが。アホ。このアホ」
「おっまえ、いちいち俺を怒らせるな!」
「いちいち突っかかるからです。でかい声出しているとクラウンバードが飛んでくるぞ」
クラウンバードは、音もなく近寄り獲物を鋭いツメで刺し殺す空の狩人。開けた野原に出没するモンスターだからここでは出ないだろうが、脅かすには充分。
ワイムス君は上空をキョロキョロと見渡し、ぶすくれた顔で黙って歩き出した。
もくもくと歩き続けながら木々の根元を確認。こういう高い針葉樹の下には、独特の香りを放つ香草が生えている。その香草は煮込み料理や焼き料理に使われ、肉を柔らかくする作用もあるのだ。
茎が茶色いものではなく、真っ黒に近い色をしたものが良い。そしてなぜか椎茸の匂いがするのだ。草なのになんで椎茸かなと思ったが、細かいことはどうでもいい。
「なにやってんだ?」
突然しゃがんで香草を採取する俺に、ワイムス君が小声で話しかけてくる。
「シーラさんがマデリフ草を欲しがっていたんだよ。せっかくだから採取していく」
屋台村代表であるウェガさんの奥さんは、香草焼き肉を売りにしている店の女将。指名依頼でちょくちょく香草を頼まれるが、そろそろ次の採取依頼を頼まれる頃だ。
世話になっている身としては頼まれる前に用意しておきたい。そうして気が利くヤツだと思ってもらえれば次の仕事に繋がり、美味い香草焼きをオマケしてもらい、俺の評判も上がるのだ。
「依頼されたわけでもないんだろ? なんでそんな道草を食うんだ」
「余計な道草食わせたヤツがよく言うな。言われただけのことをやっていたら、そいつの仕事はそれまでだ」
客っていうのは欲が出るものだし、より良いものを望む依頼主ってのはケチらないのだ。その要望を叶えてやるのが冒険者だ。俺は、そう思っている。
「お前……俺に負けるかもしれねぇんだぞ」
生えている香草をすべて採取し鞄に入れると、ワイムスは不貞腐れながら言った。
俺のやり方に納得ができないって顔だな。そりゃそうだろうな。
「あのさ、正直言って勝負の勝ち負けはどうでもいいんだよ」
「なんだと!」
「怒るなって。大体お前が勝ったところでどうなる? お前がお前でいる限り、何も変わらない」
「俺が、俺? ……何言ってんだよ。お前の言っていること、わかんねぇ」
もっと詳細に話さないとならないわけ? 俺はそこまで優しくないんだけどなあ。
ワイムスは、前世で世話をした新人に似ている気がする。アイツには大変な思いをさせられた。いくら説明しても右から左にスルーされ、俺は悪くないと言い訳大会。それでいて大間違いをやらかして知らん顔。ほんともう、ほんともう胃袋痛めた。
しかしワイムスは、根は悪いヤツじゃないのだ。悪気がないのが一番悪いとも言うが、ここは俺が大人にならなくてはならない。
ワイムスのほうが先輩のはずなんだけどねえ。
+ + + + +
「うっめぇ! なんだこれ、すげぇうめぇ!」
とっぷり日が暮れた森の中、俺とワイムスは焚火を囲んで夕飯にした。
と、言っても俺が用意した薪に、俺が用意した結界石に、俺が用意した食事。
ワイムス君を助けた時点でこうなることは予想ができた。今さら勝敗にこだわるつもりはない。この機会に彼の性根を少しでも正すことができればいいと思っている。
それはきっと、グリットやチェルシーさんへの恩返しに繋がるんじゃないだろうか。
「海翁亭の料理長に作ってもらったスープの素だ。んで、これがなんちゃって水餃子」
「す、い、ぎょうざ? なんだそれ」
「小麦粉で作った皮にひき肉と野菜ときのこ、各種調味料を刻んで入れた食い物だ」
「んんっ、うまい! こんなうめぇもん、初めて食った……」
餃子の皮は大きさも薄さもまちまちで味にバラつきがあるが、スープが美味いから気にならない。連日一人でちまちまと作っておいて良かった。ビーたちにも食わせるつもりだったが、またあとでちまちまと作ろう。しかし、ワイムスもよく食べるな。
「アンタの……作る飯が、美味いって、ウェガが言っていたのは本当だったんだな」
「うん? 屋台村のウェガさん?」
「ああ。じゃがばたそうゆー……っていう食いもんを作ったのは、アンタだって」
ふふふん。ワイムスも知っているだなんて、知名度あるじゃないか。
確かに美味いからな、あれは。バターもさることながら、醤油の実の汁が抜群に美味いんだよ。このスープにも水餃子にも隠し味として醤油を入れているから、いつもより美味く感じる。
「アンタ変わってんな。勝負している相手に……こんな美味いもん食わせるなんて」
どんぶりに三杯もお代わりして今さら何を言う。
恥ずかしそうで、悔しそうで、でも満たされた顔。
俺はさ、学んだんだよ。飯を食わせてもらった人は警戒心が薄れる。温かくて美味い飯ってのは何よりの贅沢であり、手軽に幸せを感じられる手段でもある。
男は胃袋を掴まれると弱いと言うが、性別は関係ないんだよな。
美味い飯を腹いっぱい食ったワイムスは、少しだけ尖った部分を引っ込めたようだ。
「ふん……野営でこんな美味い飯食ったの初めてだ」
「クレイも同じこと言っていたな。かったいパンとかったい干し肉、冷たい酒を飲んで無理やり寝るなんて、翌朝の目覚め最悪だ」
ただでさえ地べたに寝るしかなくて我慢しているのだ。立派なテントが欲しいところだが、生憎とベルカイムでは扱っていない。忘れそうになるが、ベルカイムはあれでも地方都市。ものが溢れているようで、実は不足しているものがある。それは、嗜好品や最新の魔道具など。そういうのは王都などの都心部に近いところにあるらしい。
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