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4巻
4-10
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「くさっ!」
ふわりと頬を撫でる風に乗って、生ごみ臭。
これ嗅いだことある。最近。どこだっけ。
「待つのじゃーーーっ!」
微かに聞こえた声。
独特の喋り言葉に、太陽の光に輝く黄金色の髪。
身体のあちこちにつけた装飾品がきらきらと輝き、妙に眩いその物体は。
「ブロライトであるぞ!」
「まじか」
巨大ミミズにまたがった、きらきら輝く物体。なんで巨大ミミズにまたがっているのかわからないが、あの光景は確かに一度見たことがあったな。臭い匂いの根源がわかった。
ぬるぬると、しかしほどよい速さでこちらに来るミミズ。俺はエルフの郷の雑貨屋で買った洗濯バサミを鞄から取り出すと、それで鼻をつまんだ。恐ろしいほどの匂いはひとまず防げるだろう。
「タケル! クレイストン! ビー! ホーヴヴァルプニル神!」
「おおよ! ブロライト、郷はよいのか? お主はまだやらねばならぬことがあったのだろう?」
クールにブロライトとの別れを割り切っていたクレイだったが、珍しく嬉しそうに微笑みながら手を大きく振っている。なんだよ、やっぱり寂しかったんじゃないか。ビーも喜びを爆発させながら空中旋回。俺もまあ、そりゃ嬉しいよ。二度と逢えないわけじゃないけど、当たり前にそこにあったものが喪失する寂しさは、決して慣れるものじゃない。
俺たちの目の前でゆっくりと止まったミミズは、ブロライトを優しく地面に降ろす。優しいモンスターなのはわかるが、見た目がなあ。
「ルテカラしゃんはおいてきてひいの?」
「なにゆえそのように鼻をはさむのじゃ」
「おりのことはいいから」
ブロライトはパッと笑い、ミミズの腹だか背だか脇だかを撫で撫でしながら言った。その手、石鹸で洗いなさいよ。
「わたしも郷の未来を担う一員として選ばれたのじゃが、わたしは郷の中で留まり続けるのは無理じゃ。外の世界を知ってしまった。貴殿らと旅をしたほうが、ずっと己のためになると思うのじゃ」
「でもルテカラしゃんは怒っていたんじゃないの」
鼻をつまんだままだとうまく喋れません。
「うむ。もう外に行く必要はないと怒鳴っていたが、わたしが決めたことじゃ。それ以上何も言えず、殴られた」
怖いよリュティカラさん! 何で殴るわけ!
俺たちがヴィリオ・ラ・イを後にするときとは打って変わって、ブロライトは晴れ晴れとした顔で笑っている。これは嘘をついているわけでも、俺たちを誤魔化そうとしているわけでもない。
悩みがなくなり、すっきりとした顔になったブロライト。美人なのは変わらないが、より凛々しく、だけど美麗になったような気がする。臭いんだろうけど。
「それに、貴殿らはこれからもヴィリオ・ラ・イに行くのじゃろう?」
「もちろん」
「今生の別れではないのじゃ。いつでも帰れるのじゃ」
エルフの郷のこれからの発展を考えたら、外の世界を知っていたほうがいい。「外」エルフにもきっと招集がかかるだろうし、近い未来ベルカイムにもたくさんのエルフが集うことになるかもしれない。そうなるには、やはり外を知っている者がいなければ。
ブロライトはハイエルフだ。それなりに発言力もある。
「タケル、良いではありませんか。ブロライトはチームの一員なのでしょう? 連れていくのに理由なぞ必要ありません」
珍しくプニさんが賛成している。さっきまで謎のハムスターっぽい生き物を追いかけていたくせに。
「戦力が多いほうが、より多くの食べ物を採ることができるではないですか」
「結局食べることかよ」
「当たり前です。わたくしは魚を食べるのです。サシミとやらがじゃがばたそうゆーを超えられる食べ物なのか、楽しみで楽しみで」
ほんと自由だなこの神様。
その楽観的な性格が今はありがたい。
そうだよな、細かいことを俺たちが考えても仕方がない。ブロライトが外を知りたいと言うのだから、一緒に行けばいいんだ。
俺だってまだまだこの世界のことを知らない。知らなくてはいけない。
「ふふふ、ははははっ、よし! ブロライト、次は海を目指すのだ」
「海? 海か! わたしは海を見たことがないのじゃ!」
「ピュイィ! ピューーイィッ!」
世界を知っているクレイストンと、世界を統べる神様の一人であるプニさん。ハイエルフの世間知らずなブロライトと、マデウスでは生誕一年未満の人間族の俺と、古代竜の子供であるビー。
まだ見たことのない世界が目の前に広がっている。
信じられない光景が数え切れないほどあるのだろう。
巨大なカニやナメクジ、光るシメジや醤油味の実。
知らない世界を知ることができる環境ならば、知りたいと思うのが本能だ。
明日は何があるかわからない。だけど明日のために今日を生きる。
美味い飯を食うために、今日を生きるのだ。
さあ行こう。
未知の世界を旅しよう。
「行くぞ」
「行くのじゃ!」
「行きましょう」
「ピュッピューイッ!」
「行くのはいいけど、その前に」
ミミズを返してきなさい。
番外編 タケルと鞄
「タケル、こいつも頼むよ」
「ついでだろ? できたての焼きエルベやるからよ」
「タケルさーん、こっちもお願い!」
ベルカイムの屋台村に寄ると、あちらこちらから声がかかる。
新作の味見をしていけと言われるものもあるが、それを上回るのが彼らのお願い事だった。
彼らの言うお願いとは、つまり「荷物を運んで」ということ。
屋台村専属で配達人をやっていた爺さんが腰を痛め、数週間の安静が必要となったらしい。俺も顔見知りの爺さんだったから、腰の骨が折れたりずれていたりしていないことを確認し、回復で痛みを取り除いてやった。
痛みが引いたからといってすぐに仕事を再開するのはやめさせ、数週間の休養をさせることにした。孫と遊んでやるんだと喜んでいた半面、仕事がなくなってしまうと心配していた爺さんだったが、それならばとモンブランクラブの目撃情報を教えてもらう代わりに数日だけ手伝うことにしたのだ。爺さんはダンゼンライに行く道中、モンブランクラブを見たことがあるらしい。その詳しい場所を聞くというわけだ。
これも立派な依頼としてギルドを通してもらい、俺個人で受けることにした。カニ情報は何よりも大切なのです。
正規で受ける分はしっかりと報酬を受け取り、あとはついでだと簡単なお使いなら聞いてやることにしている。ただし無料奉仕はせず、つまみ食いをさせてもらっていた。
果物屋の親父が配達内容と届け先を告げる。
「ロゴの実を木箱で四箱頼む。ヨルマの焼き菓子店だ」
「了解。赤い三角の屋根の家だったかな」
「そうそう。報酬はヨルマから受け取ってくれ」
屋台村には食べ物だけでなく、民芸品や工芸品を扱っている店もある。青果全般もここで取り扱っており、ここから各商店へと卸されるのだ。
運び屋は爺さん一人だけではないが、力自慢でもあった爺さんは主に果物や野菜を運んでいた。ゆえに、台車に積んでそれを引いて運ぶのだが、俺は鞄にぽいぽいと。
今さらのことだが、俺の所持している鞄はただの鞄ではない。
謎の『青年』にもらった世界に一つだけの鞄。女性が持つにはかなり大きめの鞄ではあるが、背の高い俺が持つとちょうど良い大きさ。ギルドの看板娘であるウサ耳のアリアンナちゃん曰く、男が持ち歩くにしてはお洒落な鞄だと褒めてくれた。
容量に制限はなく、どんな巨大なものもするりと中に入ってしまう。まるで鞄がどんどん荷物を入れなさいよと歓迎してくれるかのようだ。
手を突っ込んでも何も感じないが、入っているものリストがふと脳内に浮かび上がる。まるで「さあ、何が欲しい?」と語りかけられているような感覚に陥り、これが入っていると思うからこれをくださいと願うと、手にファッと現れる。この感覚に慣れるのにしばらくかかった。
「何度見ても面白いなあ、お前の鞄は」
俺が木箱をするすると鞄に入れる様を見ながら、果物屋の親父が唸った。
アイテムボックスはこの世界でも珍しい存在。知識として知っているけど実際に見たことはないという人がほとんどらしい。百戦錬磨の冒険者ならば極まれに見ることがある程度。
大陸金貨数枚の価値がある便利な鞄は、俺を語るうえでの代名詞となっている。「ああ、アイテムボックスのタケルな?」っていう感じで認識されているらしい。これでも素材採取を生業としているんだけどなあ。採取家のタケルってまだ認知されていないのかなあ。
「俺もこいつには助けられてるんだ。こいつがなかったら、きっと早死にしていたかもしれない」
「ははははっ、そんな大げさな!」
いや大げさなんかじゃないんだよ。鞄のおかげでいろいろな素材を考えなしにあれこれ詰め込み、大量の食材を無計画で入れまくり、ボルさんマジックで貴重な魔素水も汲めるようになった。この鞄がなければ俺の仕事自体成り立たなかっただろうっていうくらい、助けられているのだ。
宅配ドライバーが大量の荷物を、振動を気にせず腐りも傷みも気にせずらくらく運べるとたとえれば、これがどれだけ凄いことなのか理解してもらえるだろう。
まあ、マデウスには大型トラックなんてないんだけど。
ともかくこの鞄には感謝している。
探査先生、調査先生に並ぶとも決して劣らない、大切な俺の相棒だ。
「ピュイ~?」
もちろん君も大切な相棒ですよ。
頼まれたものをすべて鞄に詰め込むと、ビーが鞄の上に乗ってくる。鞄の上でくるくると歩き回り、おっきな目を輝かせて見つめてきた。今入れたロゴの実が気になるようだ。
ロゴの実はサクランボのような小さな甘い果実だから、つまみ食いをしたいのだろう。もう、仕方ない子なんだからッ。
「俺もロゴの実を買わせてもらうよ。一袋」
「おっ? ちょうど熟していて美味い頃だぜ。百レイブにおまけして、もう一袋やるよ」
「ピュイィッ!」
「チビっ子の好物だからな。ん~? そうかそうか嬉しいか。うんうんうんうん」
ごっついおっさんがチビドラゴンにデレる姿はなんともシュールだ。
しかし屋台で何かを買うときは、ビーを連れてきたほうがオマケ率が格段に上がる。ビーもねだり方を学習したのか、慣れた相手には頭を撫でさせるサービスっぷり。ビーに触れることができた者には幸運が訪れるという、ちょっとうさんくさい都市伝説が蔓延しているのだ。
「そうだタケルよ、気をつけろよ。フィジアンの立て直しでこっちに流れてくるゴロツキが増えているようだ」
「ん? フィジアンって……ルセウヴァッハ領の隣だっけ」
「ああそうだ。領主が代わったろ? 新しい取り決めができたり制度が変わったりして、好き勝手していたやつらが次々とお縄になっているらしいんだよ」
「あー……なるほどな」
「捕まりたくない連中がベルカイムにまで逃れているから、路地裏や夜道を歩くときはじゅうぶんに気をつけてくれ」
「わかった」
「ピュイ」
ビーの頭を撫でられたと喜ぶご機嫌な店主に見送られ、俺たちは商店が並ぶ通りを目指す。
屋台村から一転して、こっちは少しだけ値段が高い店舗が並ぶ。貴族街に住んでいるやつらも、この大通り商店街で買い物をするほど、品質が良い。ちなみに貴族街には貴族相手の高級商店が存在する。俺は入ったことがない。入店するには正装しなければならないほどの徹底ぶりだ。
ああいった高級店には専属の衛兵がついており、貴族街は驚くほど治安がいい。
しかし一歩中央の通りに出れば、様々な種族の人々が行き交っている。ゆっくりと歩いている人はいない。誰かしら何かを警戒し、貴重品などは服の下などに隠して持ち歩く。自衛をするのが当たり前。それを怠ってスリなどにあっても文句は言えない。すべて自己責任。
これでもベルカイムは全体的に治安がいいほうなのだ。むやみやたらと殺人事件が起こるわけでもなく、皆それぞれ日々懸命に生きている。
懸命に生きるがために他者をないがしろにし、強奪し、殺してしまう者もいるのだが、そこまでの凶悪犯罪はない。少なくとも俺がベルカイムに滞在するようになってから、理不尽な殺人事件は起きていない。
「ぼんやり歩いてんなよっ!」
肩にぶつかってきた臭い匂いの男が、俺の肩から鞄を奪い取る。そのまま走って人ゴミの中に消えてしまい、とてもじゃないが追いかけることができない。きっとあれはプロの犯行だな。動きに無駄がないし、慣れている。
「ピュイ!」
「ああ、あれがきっとフィジアンから流れてきたゴロツキだろうよ」
でなければ、俺の鞄をああやって盗むはずがない。
ベルカイムにいる連中ならわかっている。俺の鞄はどんなことをしても盗むことができないということを。
「わああっ!?」
人ゴミの向こうから誰かの叫び声。それと同時に俺の肩には鞄がいつの間にか戻っていた。まるで盗まれるなと言わんばかりにショルダーをナナメがけにして。
うん、人ゴミに入る前にショルダーをナナメにかけるべきだった。鞄よ、すまんことをした。
「ピュイーィ、ピュピュピュ」
「うん? ふふふ。そうだよな、不思議だな」
鞄はこれそのものが力を持つ魔道具であり、固有の識別判断機能でもついているのか、俺しか使うことができない。たとえ誰かにああやってすられても、その数秒後には俺の手に戻ってくるのだ。
ただ、少し持っていてほしいと俺が望んで誰かに手渡せば、鞄は言うことを聞き俺の手の中に戻ってくることはない。今のところ俺の鞄を持つことができるのはチームメンバーのみ。ただし、僅かの間しか預けることができない。
どんな大きさのものでも、どんな小さなものでも、鞄の中でごちゃごちゃになることはなく、鞄に手を入れ、これが欲しいと望むだけで望んだものが手に触れる。
俺が所有する空間術とやらのおかげで、この無限に何でも受け入れる鞄が機能しているらしいが、詳しいことはわからないまま。
ウカレスキップ無双中や激しく身体を動かす戦闘中なども、鞄は遠心力に引っ張られることなく、ぴたりと俺の身体に吸い付いてくれる。存在を感じさせないほどひっそりと。ほんと便利だ。
どこぞのお貴族様や冒険者様が言い値で買おうと言っていたが、いくら積まれても売るはずがない。ただ便利なだけじゃなく、こいつは大切な相棒なんだから。
「アイツですぜアニキぃっ!」
「ああん? デッケェ図体した優男じゃねぇか!」
「身なりはいいようですぜ」
いつもの近道をしようと角を曲がると、前方に三人、後方に二人。これまた臭い男たちに囲まれてしまった。やだ困るー。
それぞれ片手にごっつい短剣を持ち、謎の鎖を振り回し、明らかに悪い人相でにやにやと笑っている。これアレだよ。カツアゲ。オラ飛んでみろよチャリンチャリン、っていう。
「ピュー……」
「大丈夫」
あっという間に俺のローブの下に隠れてしまったビーが、俺を気遣う。このくらい俺一人でどうとでもなるだろう。いざとなったら飛翔の魔法で屋根伝いに警備隊の屯所まで逃げればいいんだから。
「あれだな。噂の魔道具は」
「そうだ。でかい木箱が四つ入っても軽々と持ち運んでいやがる」
「他にも荷物を預かっていたようだぜ」
前方の腹のでっぷりした関取のようなアニキがリーダーなのかな。他のはひょろっとしているし、どう見ても腕に覚えがあるようには見えない。トコルワナ山で遭遇した盗賊のほうが、よっぽど強そうだった。
これは俺の鞄を狙っているんだろうな。ベルカイムの連中には俺の冒険者としてのランクが知れ渡っている。栄誉の竜王が率いるチームの一員にちょっかいをかけると、白銀髪の美女にアフロにされる呪いがかかることも有名。おまけにちびっこドラゴンに嫌われでもしたら、まるで村八分のように民から総無視されてしまうという恐ろしい事態に。
「大人しくその鞄を渡せ」
「ええー」
「痛い目を見たくないだろう」
「そりゃそうですけど、嫌ですよ。鞄を渡すのも、痛い目を見るのも」
俺がわずかでも怯えた姿を見せなかったからか、男たちはとたんに不機嫌になる。
謎のクサリをちゃらちゃらと鳴らして間合いを取る。そのクサリはなんだろな。
「生意気な口を叩きやがって。オラッ、おめぇらやっちまいな!」
アニキの合図とともに一斉に飛びかかる男たち。もちろん黙ってやられるわけにはいかないし、痛い目も見たくない。
彼らも彼らなりに苦労をしてきたのだろう。どれだけ大変な思いをしたのかは俺の知るよしもないが、かといって誰かを傷つけて思い通りにしてやろうという考えは許せない。
出るところに出て、刑に服していただかないとな。
「おらああっ!」
「はいっ!」
クサリを巻いた手で殴りかかってきた男をひらりとかわす。妙な掛け声が出てしまうのはご愛敬。
脅したり盗んだり殺したりする稼業の人たちは、それだけ危険な道を歩んでいる。人を脅すだけの自信がなくてはならない。つまり、戦闘経験もそれだけあるということで。
「おりゃあっ!」
「へいよっ!」
「くそっ、避けるな!」
「無理っ!」
「なんだこいつっ! 動きが読めねえぞ!」
男たちが代わる代わる向かってくるが、すべての動きを読んでかわし続ける。
野生の獰猛なモンスターに比べれば、彼らの動きなんて遅い遅い。レインボーシープのほうがずっと素早いのだ。
「ほりゃっ!」
「ぎゃっ!」
ひょろっとした細い男の額を指で軽く弾くと、男は後方に吹っ飛んでいった。
脳みそを壊さないように加減してデコピンをしたつもりだったが、あれ大丈夫かな。もしうっかり脳みそ壊れて半身不随にでもしたら後味悪いな。正当防衛だとはいっても、ちょっと絡んだらアイツすぐキレる恐ろしいヤツ、なんて噂でも立たれたら困る。俺は平和主義なんです。
店の裏口に積まれていた空木箱をなぎ倒し、デコピン被害者はあっけなく昏倒。
「なにしやがる!」
「いやそれ、俺の台詞なんですけど」
「何ぃっ?」
「そっちが絡んできたんだろ? 俺の鞄と鞄の中身が目当てなんだろうけど、ただむざむざ盗まれるわけがないだろうが。こちとら伊達に冒険者やってねーよ」
平和主義だが、やられたらやり返す。守るべきものは守る。
俺がチョロい冒険者だとバレたら、指名依頼をしてくれるやつらの信用を失う。実際チョロいんだけど、それは隠さなければならない。
いくら強い魔法や頑丈な身体を持っていても、精神はまだまだ軟弱なまま。怖いものは怖いし、面倒なものは面倒。理不尽に怒鳴られるのだって精神的に嫌になるものだ。
「この鞄は俺の大切な財産だ! 俺のすべてと言っても過言じゃない! 飯の種を取り上げられたら、どんな祟りがあるかわかったもんじゃないだろ!」
「うるせぇ!」
「ひょー!」
トゲトゲのついたトイレのすっぽんみたいな武器を手にした男は、憤慨し顔を真っ赤にしながら俺を殺しにかかる。これもう完全に俺のことを殺す気だ。
「お前らあれを使え!」
「ええっ!? だ、だけどよアニキ、あれをこんなところで使ったら、他の連中も死んじまうんじゃねぇか?」
「そうだぜ! さすがにそったらことしたら、俺たち殺されっちまうぞ!」
「うるせえうるせえっ! お前ら、他の連中の命と大金、どっちが大切なんだ!」
なんだろ。
あれってなんだろな。
こんなところで使ったら、他の連中も死んでしまうようなもの。必殺のすんごい技のようなものだろうか。オラに元気を的な。まさか神経毒や毒ガスじゃないだろうな。やばいモンスターを召喚するとか? どっかの湖の砦で使われたイソギンチャクが出てしまった日には、ベルカイムは壊滅してしまう。それは宜しくない。
「ピュイ!」
緊急事態になったのだと気づいたビーは、ローブの下から飛び出して上空を舞い飛ぶ。
突然現れた小さな黒いドラゴンに男たちが気を取られている間に、鞄からユグドラシルの枝を取り出し、杖に変えた。
俺一人で解決できる問題じゃなくなったようだ。俺自身が舐められているのだから。
攻撃魔法はこんなところで使えない。睡眠の魔法をかましてもいいが、もう二度と絶対に俺の鞄を狙わないように、徹底的に教えてやらないと。
こうなったら一目で怯むような、もうだめ降参ってちびるような人を召喚するべきだ。
そう、怖い顔と言えばあの人を!
「照光、展開っ!」
眩い光の玉を作り出し、大空高く飛ばす。快晴の青空でも煌々と輝く光の玉は、とても目立つ。
ベルカイム中に散らばっているだろう仲間たちに招集をかけるには、これが最適。
まあ、集まってくるのは心強い仲間だけじゃないんだけどね。
「なんだなんだ」
「どうした。こっちから光が飛び上がったぞ」
「うーん? タケルじゃねぇか? あそこにいるのは」
「ほんとだ! タケル兄ちゃん!」
「おーいタケル! どうしたー?」
興味あることには真っ先に飛びつく、暇を持て余しているベルカイム民の遊び。
いや遊んじゃいないけど、上空で煌々と輝く光の玉のすぐ下に次々と集まる野次馬。騒ぎが大好きな連中にあっちに行きなさいと言っても聞かないだろう。
「おうタケル、警備呼んでやろうか!」
「いや、大丈夫。危ないからちょっと離れてな」
「タケル、負けんじゃねぇぞ!」
「そうよ! そんなゴロツキ、ぼっこぼこにしちゃって!」
わーわーと喜び叫ぶ野次馬たちに釣られ、さらなる野次馬たちが集まりはじめる。
通りに出る道も、その奥の路地も、店の裏口からもたくさんの視線。
衆人環視のなか、それでも俺の鞄を狙って懲りずに向かってくる男たち。きっと意地になっているのだろう。ギャラリーが増えたからデコピンで全員倒すわけにはいかないな。二次災害が起きないとも限らない。ああもう、子供までわんさか見学しに来てるじゃないの。
「ちっくしょう、妙な技を使いやがって! ぶっ殺してやらあ!」
「ピュイー!」
目を爛々と輝かせて臨戦態勢を取るビーは、口を大きく開いて反撃開始。
ここで炎吐くのはやめなさい、と言おうとしたら。
急に陰る狭い脇道。
快晴の空に雲が出たのかと見上げれば。
巨大な身体が屋根の上からよっこらせ。
ズッシーーーーーーン!
ふわりと頬を撫でる風に乗って、生ごみ臭。
これ嗅いだことある。最近。どこだっけ。
「待つのじゃーーーっ!」
微かに聞こえた声。
独特の喋り言葉に、太陽の光に輝く黄金色の髪。
身体のあちこちにつけた装飾品がきらきらと輝き、妙に眩いその物体は。
「ブロライトであるぞ!」
「まじか」
巨大ミミズにまたがった、きらきら輝く物体。なんで巨大ミミズにまたがっているのかわからないが、あの光景は確かに一度見たことがあったな。臭い匂いの根源がわかった。
ぬるぬると、しかしほどよい速さでこちらに来るミミズ。俺はエルフの郷の雑貨屋で買った洗濯バサミを鞄から取り出すと、それで鼻をつまんだ。恐ろしいほどの匂いはひとまず防げるだろう。
「タケル! クレイストン! ビー! ホーヴヴァルプニル神!」
「おおよ! ブロライト、郷はよいのか? お主はまだやらねばならぬことがあったのだろう?」
クールにブロライトとの別れを割り切っていたクレイだったが、珍しく嬉しそうに微笑みながら手を大きく振っている。なんだよ、やっぱり寂しかったんじゃないか。ビーも喜びを爆発させながら空中旋回。俺もまあ、そりゃ嬉しいよ。二度と逢えないわけじゃないけど、当たり前にそこにあったものが喪失する寂しさは、決して慣れるものじゃない。
俺たちの目の前でゆっくりと止まったミミズは、ブロライトを優しく地面に降ろす。優しいモンスターなのはわかるが、見た目がなあ。
「ルテカラしゃんはおいてきてひいの?」
「なにゆえそのように鼻をはさむのじゃ」
「おりのことはいいから」
ブロライトはパッと笑い、ミミズの腹だか背だか脇だかを撫で撫でしながら言った。その手、石鹸で洗いなさいよ。
「わたしも郷の未来を担う一員として選ばれたのじゃが、わたしは郷の中で留まり続けるのは無理じゃ。外の世界を知ってしまった。貴殿らと旅をしたほうが、ずっと己のためになると思うのじゃ」
「でもルテカラしゃんは怒っていたんじゃないの」
鼻をつまんだままだとうまく喋れません。
「うむ。もう外に行く必要はないと怒鳴っていたが、わたしが決めたことじゃ。それ以上何も言えず、殴られた」
怖いよリュティカラさん! 何で殴るわけ!
俺たちがヴィリオ・ラ・イを後にするときとは打って変わって、ブロライトは晴れ晴れとした顔で笑っている。これは嘘をついているわけでも、俺たちを誤魔化そうとしているわけでもない。
悩みがなくなり、すっきりとした顔になったブロライト。美人なのは変わらないが、より凛々しく、だけど美麗になったような気がする。臭いんだろうけど。
「それに、貴殿らはこれからもヴィリオ・ラ・イに行くのじゃろう?」
「もちろん」
「今生の別れではないのじゃ。いつでも帰れるのじゃ」
エルフの郷のこれからの発展を考えたら、外の世界を知っていたほうがいい。「外」エルフにもきっと招集がかかるだろうし、近い未来ベルカイムにもたくさんのエルフが集うことになるかもしれない。そうなるには、やはり外を知っている者がいなければ。
ブロライトはハイエルフだ。それなりに発言力もある。
「タケル、良いではありませんか。ブロライトはチームの一員なのでしょう? 連れていくのに理由なぞ必要ありません」
珍しくプニさんが賛成している。さっきまで謎のハムスターっぽい生き物を追いかけていたくせに。
「戦力が多いほうが、より多くの食べ物を採ることができるではないですか」
「結局食べることかよ」
「当たり前です。わたくしは魚を食べるのです。サシミとやらがじゃがばたそうゆーを超えられる食べ物なのか、楽しみで楽しみで」
ほんと自由だなこの神様。
その楽観的な性格が今はありがたい。
そうだよな、細かいことを俺たちが考えても仕方がない。ブロライトが外を知りたいと言うのだから、一緒に行けばいいんだ。
俺だってまだまだこの世界のことを知らない。知らなくてはいけない。
「ふふふ、ははははっ、よし! ブロライト、次は海を目指すのだ」
「海? 海か! わたしは海を見たことがないのじゃ!」
「ピュイィ! ピューーイィッ!」
世界を知っているクレイストンと、世界を統べる神様の一人であるプニさん。ハイエルフの世間知らずなブロライトと、マデウスでは生誕一年未満の人間族の俺と、古代竜の子供であるビー。
まだ見たことのない世界が目の前に広がっている。
信じられない光景が数え切れないほどあるのだろう。
巨大なカニやナメクジ、光るシメジや醤油味の実。
知らない世界を知ることができる環境ならば、知りたいと思うのが本能だ。
明日は何があるかわからない。だけど明日のために今日を生きる。
美味い飯を食うために、今日を生きるのだ。
さあ行こう。
未知の世界を旅しよう。
「行くぞ」
「行くのじゃ!」
「行きましょう」
「ピュッピューイッ!」
「行くのはいいけど、その前に」
ミミズを返してきなさい。
番外編 タケルと鞄
「タケル、こいつも頼むよ」
「ついでだろ? できたての焼きエルベやるからよ」
「タケルさーん、こっちもお願い!」
ベルカイムの屋台村に寄ると、あちらこちらから声がかかる。
新作の味見をしていけと言われるものもあるが、それを上回るのが彼らのお願い事だった。
彼らの言うお願いとは、つまり「荷物を運んで」ということ。
屋台村専属で配達人をやっていた爺さんが腰を痛め、数週間の安静が必要となったらしい。俺も顔見知りの爺さんだったから、腰の骨が折れたりずれていたりしていないことを確認し、回復で痛みを取り除いてやった。
痛みが引いたからといってすぐに仕事を再開するのはやめさせ、数週間の休養をさせることにした。孫と遊んでやるんだと喜んでいた半面、仕事がなくなってしまうと心配していた爺さんだったが、それならばとモンブランクラブの目撃情報を教えてもらう代わりに数日だけ手伝うことにしたのだ。爺さんはダンゼンライに行く道中、モンブランクラブを見たことがあるらしい。その詳しい場所を聞くというわけだ。
これも立派な依頼としてギルドを通してもらい、俺個人で受けることにした。カニ情報は何よりも大切なのです。
正規で受ける分はしっかりと報酬を受け取り、あとはついでだと簡単なお使いなら聞いてやることにしている。ただし無料奉仕はせず、つまみ食いをさせてもらっていた。
果物屋の親父が配達内容と届け先を告げる。
「ロゴの実を木箱で四箱頼む。ヨルマの焼き菓子店だ」
「了解。赤い三角の屋根の家だったかな」
「そうそう。報酬はヨルマから受け取ってくれ」
屋台村には食べ物だけでなく、民芸品や工芸品を扱っている店もある。青果全般もここで取り扱っており、ここから各商店へと卸されるのだ。
運び屋は爺さん一人だけではないが、力自慢でもあった爺さんは主に果物や野菜を運んでいた。ゆえに、台車に積んでそれを引いて運ぶのだが、俺は鞄にぽいぽいと。
今さらのことだが、俺の所持している鞄はただの鞄ではない。
謎の『青年』にもらった世界に一つだけの鞄。女性が持つにはかなり大きめの鞄ではあるが、背の高い俺が持つとちょうど良い大きさ。ギルドの看板娘であるウサ耳のアリアンナちゃん曰く、男が持ち歩くにしてはお洒落な鞄だと褒めてくれた。
容量に制限はなく、どんな巨大なものもするりと中に入ってしまう。まるで鞄がどんどん荷物を入れなさいよと歓迎してくれるかのようだ。
手を突っ込んでも何も感じないが、入っているものリストがふと脳内に浮かび上がる。まるで「さあ、何が欲しい?」と語りかけられているような感覚に陥り、これが入っていると思うからこれをくださいと願うと、手にファッと現れる。この感覚に慣れるのにしばらくかかった。
「何度見ても面白いなあ、お前の鞄は」
俺が木箱をするすると鞄に入れる様を見ながら、果物屋の親父が唸った。
アイテムボックスはこの世界でも珍しい存在。知識として知っているけど実際に見たことはないという人がほとんどらしい。百戦錬磨の冒険者ならば極まれに見ることがある程度。
大陸金貨数枚の価値がある便利な鞄は、俺を語るうえでの代名詞となっている。「ああ、アイテムボックスのタケルな?」っていう感じで認識されているらしい。これでも素材採取を生業としているんだけどなあ。採取家のタケルってまだ認知されていないのかなあ。
「俺もこいつには助けられてるんだ。こいつがなかったら、きっと早死にしていたかもしれない」
「ははははっ、そんな大げさな!」
いや大げさなんかじゃないんだよ。鞄のおかげでいろいろな素材を考えなしにあれこれ詰め込み、大量の食材を無計画で入れまくり、ボルさんマジックで貴重な魔素水も汲めるようになった。この鞄がなければ俺の仕事自体成り立たなかっただろうっていうくらい、助けられているのだ。
宅配ドライバーが大量の荷物を、振動を気にせず腐りも傷みも気にせずらくらく運べるとたとえれば、これがどれだけ凄いことなのか理解してもらえるだろう。
まあ、マデウスには大型トラックなんてないんだけど。
ともかくこの鞄には感謝している。
探査先生、調査先生に並ぶとも決して劣らない、大切な俺の相棒だ。
「ピュイ~?」
もちろん君も大切な相棒ですよ。
頼まれたものをすべて鞄に詰め込むと、ビーが鞄の上に乗ってくる。鞄の上でくるくると歩き回り、おっきな目を輝かせて見つめてきた。今入れたロゴの実が気になるようだ。
ロゴの実はサクランボのような小さな甘い果実だから、つまみ食いをしたいのだろう。もう、仕方ない子なんだからッ。
「俺もロゴの実を買わせてもらうよ。一袋」
「おっ? ちょうど熟していて美味い頃だぜ。百レイブにおまけして、もう一袋やるよ」
「ピュイィッ!」
「チビっ子の好物だからな。ん~? そうかそうか嬉しいか。うんうんうんうん」
ごっついおっさんがチビドラゴンにデレる姿はなんともシュールだ。
しかし屋台で何かを買うときは、ビーを連れてきたほうがオマケ率が格段に上がる。ビーもねだり方を学習したのか、慣れた相手には頭を撫でさせるサービスっぷり。ビーに触れることができた者には幸運が訪れるという、ちょっとうさんくさい都市伝説が蔓延しているのだ。
「そうだタケルよ、気をつけろよ。フィジアンの立て直しでこっちに流れてくるゴロツキが増えているようだ」
「ん? フィジアンって……ルセウヴァッハ領の隣だっけ」
「ああそうだ。領主が代わったろ? 新しい取り決めができたり制度が変わったりして、好き勝手していたやつらが次々とお縄になっているらしいんだよ」
「あー……なるほどな」
「捕まりたくない連中がベルカイムにまで逃れているから、路地裏や夜道を歩くときはじゅうぶんに気をつけてくれ」
「わかった」
「ピュイ」
ビーの頭を撫でられたと喜ぶご機嫌な店主に見送られ、俺たちは商店が並ぶ通りを目指す。
屋台村から一転して、こっちは少しだけ値段が高い店舗が並ぶ。貴族街に住んでいるやつらも、この大通り商店街で買い物をするほど、品質が良い。ちなみに貴族街には貴族相手の高級商店が存在する。俺は入ったことがない。入店するには正装しなければならないほどの徹底ぶりだ。
ああいった高級店には専属の衛兵がついており、貴族街は驚くほど治安がいい。
しかし一歩中央の通りに出れば、様々な種族の人々が行き交っている。ゆっくりと歩いている人はいない。誰かしら何かを警戒し、貴重品などは服の下などに隠して持ち歩く。自衛をするのが当たり前。それを怠ってスリなどにあっても文句は言えない。すべて自己責任。
これでもベルカイムは全体的に治安がいいほうなのだ。むやみやたらと殺人事件が起こるわけでもなく、皆それぞれ日々懸命に生きている。
懸命に生きるがために他者をないがしろにし、強奪し、殺してしまう者もいるのだが、そこまでの凶悪犯罪はない。少なくとも俺がベルカイムに滞在するようになってから、理不尽な殺人事件は起きていない。
「ぼんやり歩いてんなよっ!」
肩にぶつかってきた臭い匂いの男が、俺の肩から鞄を奪い取る。そのまま走って人ゴミの中に消えてしまい、とてもじゃないが追いかけることができない。きっとあれはプロの犯行だな。動きに無駄がないし、慣れている。
「ピュイ!」
「ああ、あれがきっとフィジアンから流れてきたゴロツキだろうよ」
でなければ、俺の鞄をああやって盗むはずがない。
ベルカイムにいる連中ならわかっている。俺の鞄はどんなことをしても盗むことができないということを。
「わああっ!?」
人ゴミの向こうから誰かの叫び声。それと同時に俺の肩には鞄がいつの間にか戻っていた。まるで盗まれるなと言わんばかりにショルダーをナナメがけにして。
うん、人ゴミに入る前にショルダーをナナメにかけるべきだった。鞄よ、すまんことをした。
「ピュイーィ、ピュピュピュ」
「うん? ふふふ。そうだよな、不思議だな」
鞄はこれそのものが力を持つ魔道具であり、固有の識別判断機能でもついているのか、俺しか使うことができない。たとえ誰かにああやってすられても、その数秒後には俺の手に戻ってくるのだ。
ただ、少し持っていてほしいと俺が望んで誰かに手渡せば、鞄は言うことを聞き俺の手の中に戻ってくることはない。今のところ俺の鞄を持つことができるのはチームメンバーのみ。ただし、僅かの間しか預けることができない。
どんな大きさのものでも、どんな小さなものでも、鞄の中でごちゃごちゃになることはなく、鞄に手を入れ、これが欲しいと望むだけで望んだものが手に触れる。
俺が所有する空間術とやらのおかげで、この無限に何でも受け入れる鞄が機能しているらしいが、詳しいことはわからないまま。
ウカレスキップ無双中や激しく身体を動かす戦闘中なども、鞄は遠心力に引っ張られることなく、ぴたりと俺の身体に吸い付いてくれる。存在を感じさせないほどひっそりと。ほんと便利だ。
どこぞのお貴族様や冒険者様が言い値で買おうと言っていたが、いくら積まれても売るはずがない。ただ便利なだけじゃなく、こいつは大切な相棒なんだから。
「アイツですぜアニキぃっ!」
「ああん? デッケェ図体した優男じゃねぇか!」
「身なりはいいようですぜ」
いつもの近道をしようと角を曲がると、前方に三人、後方に二人。これまた臭い男たちに囲まれてしまった。やだ困るー。
それぞれ片手にごっつい短剣を持ち、謎の鎖を振り回し、明らかに悪い人相でにやにやと笑っている。これアレだよ。カツアゲ。オラ飛んでみろよチャリンチャリン、っていう。
「ピュー……」
「大丈夫」
あっという間に俺のローブの下に隠れてしまったビーが、俺を気遣う。このくらい俺一人でどうとでもなるだろう。いざとなったら飛翔の魔法で屋根伝いに警備隊の屯所まで逃げればいいんだから。
「あれだな。噂の魔道具は」
「そうだ。でかい木箱が四つ入っても軽々と持ち運んでいやがる」
「他にも荷物を預かっていたようだぜ」
前方の腹のでっぷりした関取のようなアニキがリーダーなのかな。他のはひょろっとしているし、どう見ても腕に覚えがあるようには見えない。トコルワナ山で遭遇した盗賊のほうが、よっぽど強そうだった。
これは俺の鞄を狙っているんだろうな。ベルカイムの連中には俺の冒険者としてのランクが知れ渡っている。栄誉の竜王が率いるチームの一員にちょっかいをかけると、白銀髪の美女にアフロにされる呪いがかかることも有名。おまけにちびっこドラゴンに嫌われでもしたら、まるで村八分のように民から総無視されてしまうという恐ろしい事態に。
「大人しくその鞄を渡せ」
「ええー」
「痛い目を見たくないだろう」
「そりゃそうですけど、嫌ですよ。鞄を渡すのも、痛い目を見るのも」
俺がわずかでも怯えた姿を見せなかったからか、男たちはとたんに不機嫌になる。
謎のクサリをちゃらちゃらと鳴らして間合いを取る。そのクサリはなんだろな。
「生意気な口を叩きやがって。オラッ、おめぇらやっちまいな!」
アニキの合図とともに一斉に飛びかかる男たち。もちろん黙ってやられるわけにはいかないし、痛い目も見たくない。
彼らも彼らなりに苦労をしてきたのだろう。どれだけ大変な思いをしたのかは俺の知るよしもないが、かといって誰かを傷つけて思い通りにしてやろうという考えは許せない。
出るところに出て、刑に服していただかないとな。
「おらああっ!」
「はいっ!」
クサリを巻いた手で殴りかかってきた男をひらりとかわす。妙な掛け声が出てしまうのはご愛敬。
脅したり盗んだり殺したりする稼業の人たちは、それだけ危険な道を歩んでいる。人を脅すだけの自信がなくてはならない。つまり、戦闘経験もそれだけあるということで。
「おりゃあっ!」
「へいよっ!」
「くそっ、避けるな!」
「無理っ!」
「なんだこいつっ! 動きが読めねえぞ!」
男たちが代わる代わる向かってくるが、すべての動きを読んでかわし続ける。
野生の獰猛なモンスターに比べれば、彼らの動きなんて遅い遅い。レインボーシープのほうがずっと素早いのだ。
「ほりゃっ!」
「ぎゃっ!」
ひょろっとした細い男の額を指で軽く弾くと、男は後方に吹っ飛んでいった。
脳みそを壊さないように加減してデコピンをしたつもりだったが、あれ大丈夫かな。もしうっかり脳みそ壊れて半身不随にでもしたら後味悪いな。正当防衛だとはいっても、ちょっと絡んだらアイツすぐキレる恐ろしいヤツ、なんて噂でも立たれたら困る。俺は平和主義なんです。
店の裏口に積まれていた空木箱をなぎ倒し、デコピン被害者はあっけなく昏倒。
「なにしやがる!」
「いやそれ、俺の台詞なんですけど」
「何ぃっ?」
「そっちが絡んできたんだろ? 俺の鞄と鞄の中身が目当てなんだろうけど、ただむざむざ盗まれるわけがないだろうが。こちとら伊達に冒険者やってねーよ」
平和主義だが、やられたらやり返す。守るべきものは守る。
俺がチョロい冒険者だとバレたら、指名依頼をしてくれるやつらの信用を失う。実際チョロいんだけど、それは隠さなければならない。
いくら強い魔法や頑丈な身体を持っていても、精神はまだまだ軟弱なまま。怖いものは怖いし、面倒なものは面倒。理不尽に怒鳴られるのだって精神的に嫌になるものだ。
「この鞄は俺の大切な財産だ! 俺のすべてと言っても過言じゃない! 飯の種を取り上げられたら、どんな祟りがあるかわかったもんじゃないだろ!」
「うるせぇ!」
「ひょー!」
トゲトゲのついたトイレのすっぽんみたいな武器を手にした男は、憤慨し顔を真っ赤にしながら俺を殺しにかかる。これもう完全に俺のことを殺す気だ。
「お前らあれを使え!」
「ええっ!? だ、だけどよアニキ、あれをこんなところで使ったら、他の連中も死んじまうんじゃねぇか?」
「そうだぜ! さすがにそったらことしたら、俺たち殺されっちまうぞ!」
「うるせえうるせえっ! お前ら、他の連中の命と大金、どっちが大切なんだ!」
なんだろ。
あれってなんだろな。
こんなところで使ったら、他の連中も死んでしまうようなもの。必殺のすんごい技のようなものだろうか。オラに元気を的な。まさか神経毒や毒ガスじゃないだろうな。やばいモンスターを召喚するとか? どっかの湖の砦で使われたイソギンチャクが出てしまった日には、ベルカイムは壊滅してしまう。それは宜しくない。
「ピュイ!」
緊急事態になったのだと気づいたビーは、ローブの下から飛び出して上空を舞い飛ぶ。
突然現れた小さな黒いドラゴンに男たちが気を取られている間に、鞄からユグドラシルの枝を取り出し、杖に変えた。
俺一人で解決できる問題じゃなくなったようだ。俺自身が舐められているのだから。
攻撃魔法はこんなところで使えない。睡眠の魔法をかましてもいいが、もう二度と絶対に俺の鞄を狙わないように、徹底的に教えてやらないと。
こうなったら一目で怯むような、もうだめ降参ってちびるような人を召喚するべきだ。
そう、怖い顔と言えばあの人を!
「照光、展開っ!」
眩い光の玉を作り出し、大空高く飛ばす。快晴の青空でも煌々と輝く光の玉は、とても目立つ。
ベルカイム中に散らばっているだろう仲間たちに招集をかけるには、これが最適。
まあ、集まってくるのは心強い仲間だけじゃないんだけどね。
「なんだなんだ」
「どうした。こっちから光が飛び上がったぞ」
「うーん? タケルじゃねぇか? あそこにいるのは」
「ほんとだ! タケル兄ちゃん!」
「おーいタケル! どうしたー?」
興味あることには真っ先に飛びつく、暇を持て余しているベルカイム民の遊び。
いや遊んじゃいないけど、上空で煌々と輝く光の玉のすぐ下に次々と集まる野次馬。騒ぎが大好きな連中にあっちに行きなさいと言っても聞かないだろう。
「おうタケル、警備呼んでやろうか!」
「いや、大丈夫。危ないからちょっと離れてな」
「タケル、負けんじゃねぇぞ!」
「そうよ! そんなゴロツキ、ぼっこぼこにしちゃって!」
わーわーと喜び叫ぶ野次馬たちに釣られ、さらなる野次馬たちが集まりはじめる。
通りに出る道も、その奥の路地も、店の裏口からもたくさんの視線。
衆人環視のなか、それでも俺の鞄を狙って懲りずに向かってくる男たち。きっと意地になっているのだろう。ギャラリーが増えたからデコピンで全員倒すわけにはいかないな。二次災害が起きないとも限らない。ああもう、子供までわんさか見学しに来てるじゃないの。
「ちっくしょう、妙な技を使いやがって! ぶっ殺してやらあ!」
「ピュイー!」
目を爛々と輝かせて臨戦態勢を取るビーは、口を大きく開いて反撃開始。
ここで炎吐くのはやめなさい、と言おうとしたら。
急に陰る狭い脇道。
快晴の空に雲が出たのかと見上げれば。
巨大な身体が屋根の上からよっこらせ。
ズッシーーーーーーン!
1,008
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