君の左目

便葉

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彼の時間 …12

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「寧々…
本当は、俺は、今すぐにでも寧々と結婚したい…
籍も入れて、俺の側から離れないように寧々を家の中に閉じ込めていたい。

でも、そういう事じゃないんだよな…
そういう事じゃないんだ…」

私は幹太を優しく抱きしめた。幹太の胸の中に埋めていた顔を上げ、幹太の頬にキスをした。

「幹太、考え過ぎ…
大丈夫だから、私は幹太の側にずっといるから」

幹太は泣きながら私にキスをする。
私は幹太の涙の味をもう覚えた。幹太の瞳から溢れ出る涙は全然しょっぱくなかった。いつか、幹太にその事を聞いた時、笑いながら言った言葉が頭に残っている。

「きっと、泣き過ぎて、塩分が追い付かなくなったのかも」

笑顔でそう言った幹太の言葉には、深い意味が宿っていた。
この時は何も分からなかったけれど…


***  ***  ***


ゴールデンウィーク前の幹太との小旅行の計画は着々と進んでいる。新幹線も予約をして、宿泊するホテルも隣町の駅前のホテルに決めた。実家に帰れば、幹太は車で動けるために、ホテルは便利のいい駅前にした。
この頃の私は、もうほぼ毎日幹太の家に泊まっていて、実家に帰る事は少なくなっていた。

「寧々ちゃん、たまには実家に帰って風を入れたり、掃除もしてあげなくちゃ。
ご両親が帰ってきた時に、ばれちゃったらヤバいでしょ?」

今泉さんはいつも私の事を気にかけてくれた。特に、今の私は幹太に溺れている。そんな私を温かく見守りながら、でも、たまに親目線で厳しい事も言ってくれる。

「予定では今週末に帰って来るので、近々、片付けに帰ります。
私達が付き合ってる事は、親にはタイミングを見て二人で話そうって言ってるんですけど、そのタイミングがいつなのかは幹太に任せてるんです」

今泉さんは小さくため息をついて微笑んだ。

「もう寧々ちゃんも幹太君も大人だから、いちいち親の承諾はなくてもいいとは思うけど、でも、話したらきっとご両親も喜ぶんじゃない?
だって、幹太君の事もよく知ってるんでしょ?」

「あ、はい…」

私はそう言って微笑むしかなかった。そんな単純なものでないと心の中で大きなため息をつきながら。

幹太には、この週末に両親が帰って来る事をまだ伝えていない。私の本能は幹太を親に会わすなと言っている。どういう過去があるにしろ、私の両親はあの頃の友達を嫌っている。それは私の小学生の頃のアルバムや写真を封印している親の行動が物語っていた。

お母さん達には、旅行が終わってから話そう。
幹太の事もそうだけど、それよりも幹太とあの街に旅行するなんて言ったら絶対に反対するはずだから。

今夜の内に、実家の掃除に行こう。
そして、週末に両親が帰って来る事を、やっぱり、幹太に伝えなきゃ。
週末は幹太とは一緒に居られないから、その事はちゃんと伝えないといけない。私の左目が関わると全ての問題がナイーブになる。
私がよければそれでいい、私自身の問題なのだから…
その強い気持ちを持つ事が大事だと、今なら分かる。

掃除のために実家へ帰った私は、正味一時間も自分の実家に居なかった。
何だかもう私の居場所じゃない気がしている。幹太がいない場所は、私にとっては無意味な空間で何の魅力もない。

そんな事を考えながら、私は仕事で遅くなった幹太と駅で待ち合わせをした。
今夜は久しぶりに琥珀亭にご飯を食べに行く。



店に入ると、すぐに斎藤さんが出迎えてくれた。斎藤さんは私を見ると何か訳ありな顔をして、後でと目配せをする。
あまりアンテナを張っていない幹太は、二人のやりとりに何も気付いていない。私は大雑把な幹太の性格が本当に大好きだ。こういう鈍感なところも含めて細かい所にこだわらない幹太は、いつも大らかで何でも優しく包み込んでくれる。

今日も斎藤さんは幹太にかなりのサービスをしてくれていた。
てんこ盛りのおかずを見て、幹太は嬉しくて口笛を吹く。私は夢中で食べている幹太に、ちょっと斎藤さんに用事があるからと席を立った。

「斎藤さん?」

閉店間際のために、斎藤さんは奥で食器を洗っていた。私に気付くとタオルで手を拭きながらカウンターの方へ出て来てくれた。
斎藤さんは奥にいる幹太の事を気にかけながら、私をカウンターに座らせた。

「幹太君が待ってるから手短に話すけど、寧々ちゃんは最近家に帰ってないでしょ?」

私はドキッとした。斎藤さんの目を見ずに小さく頷く。

「二日くらい前に、寧々ちゃんのお母さんから電話があった。
最近、寧々はこの店に来てますか?って。
ごめんね、僕も気を利かせばよかったんだけど、何も考えないで、彼氏とこの間見えましたよって言っちゃったんだ。
そしたら、渡辺さんが、寧々が最近家へ帰ってないって言うもんだから…」

スマホから毎日お母さんに電話をしていたのに、お母さんは実家の方にも電話をしていたらしい。
私は斎藤さんに余計な心配をかけないように、笑顔で大丈夫です!と言った。
でも、そう言った後、一つだけ斎藤さんに質問をした。

「彼氏って言っただけですか…?
幹太の名前は言ってない…ですよね?」

斎藤さんは大きく頷いてくれた。

「名前までは言ってない。僕もちょっと話し過ぎた事を後悔してたから」

「分かりました。全然大丈夫ですので、斎藤さん、気にしないで下さいね」

私はそう言うとカウンターから席を立った。斎藤さんに会釈をして、幹太の待つテーブルへ向かう。

「幹太、ごめんね」

幹太はもうすでに食事を済ませていて、スマホをいじって遊んでいた。

「ううん、いいよ。何だった?」

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