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ランプの魔人Ⅰ
しおりを挟む祖母が亡くなった。
とても穏やかな気質で、いつも笑顔を絶やさない人だった。
俺は、そんな祖母が心の底から好きだった。
――きっと、あなたなら大丈夫でしょうから。
そうやって、あの人。
あの祖母が遺したから。
今これは、俺の手の上で鈍金の明かりを照らし返してここにある。
手垢を吸ったことで金属特有の目に刺さるような光沢が失われた滑らかな稜線。
その表層に線を途切れさせながらも彫り込まれるようにして伸びる蔓模様。
そうこれは、淡く光を弾く鈍金のランプ。
俺は今、それを見ている。
指の背で、す、とランプの表面を撫でる。
それは、何気ない仕草だった。
照らし返された明かりを払っただけ。
そうして手を動かしたとき、そいつは現れた。
ぽんっと音がするような錯覚で以て現れた、男。
どこか悪戯小僧のような色味を宿した赤い瞳。
それを弓形にして男は言った。
「はじめまして、こんにちは。
僕はランプの魔人。
君の願いをなんでも三つ、叶えてあげる」
なにを言っているんだ、こいつは。
そう思うもこの不可解な状況にばかり目がいって、男の言葉がうまいこと頭に入らない。
なぜならここは、俺が一人暮らしをするオンボロアパートの一室だ。
つまりここには、俺以外は誰もいないはず。
それがなぜ、妙ちきりんな格好の男が目の前にいる、そんな状況になる?
男の上から下までを何度も見返し観察する。
背はあまり高くなく、おそらく百六十に届くかどうか。
手脚はすらりとしており、肉づきが薄く、腹筋も割れてはいるのだが、どうにも痩せているように見える。
はしっこそうな手脚を覆うのは、健康的に日に焼けたなめし革の如き褐色の肌。
腰ほどまで伸ばした黒髪を三つ編みにして背に垂らし、頬にかかる左サイドの一房を金飾りで緩くまとめあげている。
人懐こそうな表情を浮かべる容。
これは酷く整っており、瞬きの一つもしなければ、彫刻かと見紛うばかりの美貌を誇る。
もっとも、茶目っ気たっぷりに弧を描く、大きく丸い赤褐色の瞳に目を瞑ればの話だが。
そうして衣服。
煌びやかな金糸模様が織り込まれた白の立て襟ハーフトップに、緩やかなシルエットのアラビアンパンツ。
緩い履き口のボトムスがずり下がらぬよう、金糸で飾り立てた赤い腰布で縛り留めている。
手脚、耳、首周りを彩る左右非対称な金の装飾具は、動くたびに軽やかな音を奏で少しばかり耳にうるさい。
うん。
コスプレした黒人にしか、見えん。
天を仰ぎ、蛍光灯の光に焼かれた目を閉じる。
しばし黙考。
俺が沈黙している間にも、目の前の不審者の気配は変わらずそこに佇んでいる。
瞠目して再度、目の前の不審者を目に映す。
薄く笑みを佩いた口元。
男は、俺の目が自分を捉えたのを確認すると、小さく片手を振って親しげに笑いかけてきた。
「シンキングタイム、終了した?」
その言い様に一瞬、片眉を跳ね上げたが努めて静かに息を吐き、怒気を散らす。
ただまぁなんだろうな、上手いこと言えないが。
これほどわけのわからん形で現れたというのに、不思議と害意を感じない。
あれほど妙ちきりんな格好をしているのにもかかわらず、とても自然に違和感なく、この部屋にずっと前からいたかのように馴染んでいる。
それに頭痛を覚える。
あえてしないが目頭を揉みたくなってきた。
ため息を吐き、ガシガシとランプを持っていない方の手で頭を搔く。
そのまま下ろした手で、び、と男の鼻先に向かって指を差し、そのまま横へスライドする。
男の視線が自然と指を追い、その指し示された終点、白テーブルと二脚の椅子に辿り着いた。
「座れ」
それだけを言い、先に奥側の椅子を少し浮かせて引くと席に着き、ランプをテーブルの上に置いた。
ぎっ。
なんとも粗雑に椅子の背を引き腰かける男に青筋を立てる。
浮かしもせずそのまま引いたものだから、椅子の脚がフローリングを盛大に引っかいている。
傷がついたらどうしてくれる。借家なんだぞ、この部屋。
この男、人形みたいに整った繊細な顔の作りに似合わぬ粗雑さをしている。
今度は胃までしくしくと痛んできた。
気持ち腹を手で押さえるようにして疑問を口にする。
「で。
お前、なんでいきなり現れた?」
「おぉ、そもそもの前提を説明せよとそう仰る」
堅物だなぁ。
感心したように呟く男に米神の血管が切れそうになる。
もう、襟首掴んで放り出してやろうか。
立ち上がりかけた俺を制すかのように、にこやかに男が話し始めた。
「さっきも言ったけど、僕はランプの魔人なんだ。
君が持つ、そのランプ。
それを擦ると自動的に僕は喚び出される」
拭こうとしたかなにかで擦らなかった?
そう尋ねられ、あぁそういえばと思い返す。
――指の背で撫ぜるようにランプに触れた。
あれが擦ったと判定されたんだろう。
心当たりがあると顔に出てしまったのだろうか、男は更に苦笑交じりに言葉を続ける。
「本当に申し訳ないのだけど。
一度でも僕を喚び出しちゃうと、願いを三つ叶えるか、契約者が亡くなるか。
どちらかを満たすまで、ずっと一緒になっちゃうんだよね」
うわぁ、面倒な。
たった一度、ランプを擦っただけでこんなのにつきまとわれるのか?
理不尽極まりないんだが。
そう思う俺に申し訳なさそうにしつつも、男は笑みを崩さない。
そうして再度、口を開きながら。
どこかばつの悪そうな顔で視線を逸らし、続きを話し始めた。
「なんでも三つ、と言ったけれど。
僕は、その人の持つ可能性を引き出す形でしか願いを叶えられないんだ」
「可能性を引き出す?」
どういう意味だ?
腕を組み首を傾げる。
なんとなく言いたいことはわかるのだが、具体的な事例が頭の中に浮かんでこない。
正確には、あまりにも漠然としすぎていて掴みきれないと言った方が正しいか。
詳細を説明せよ。
そのつもりで無言のままに男を見れば、そうくるよね、と納得の入り交じった表情を浮かべて口を開いた。
「みんなね、勘違いしているのだけど。
亡くなってしまった人を蘇らせたり、過去のやらかしをなかったことにしたり。
こういうのは物理的に不可能なんだよね。
僕の力じゃどうしようもないの」
ふぅ、と男がため息を吐く。
その疲れきった調子で重々しく吐き出される言葉に、しつこくせがまれたことがあるのだなぁと察してしまう。
そう言う輩はどんなに言葉を尽くしても、納得しないもんなぁ。
取引先で運悪く当たってしまい、大変な苦労をしたことを思い出した。
二人してはぁ、とため息を吐く。
それに気を取り直したか、男がまた苦笑を浮かべながら説明を続ける。
「けど、ロミオとジュリエットみたいな身分違いの恋を成就させたり、なくしてしまったものとよく似たものを手に入れたりは、できるよ」
それが物理的・精神的に僅かにでも発生しうる可能性があるのなら、確実なものとする。
ゼロから一は作れないが、毛先ほどにでも可能性があればいい、と。
なんと言うか。
……しょぼくないか?
「むむむ……。
その顔はあまりよろしくないことを考えてる顔だね?
仕方がないじゃないか!
誰もがなんでも叶えられるスペックを持っている……。
そんな夢物語みたいなこと、あるわけないでしょ?」
もう、と呆れたように言われ、それもそうかと思い直す。
どんなに厳しい倍率でも、どうしても行きたいライブのチケットが必ず手に入るだとか、健康で長生きできるだとか、ちょっとしたお助けアイテムが手に入ったと思えば良いんだろう。
ここまで聞いてきての正直な気持ちを申し上げれば。
「お帰りいただいても良いか?」
「クーリングオフはできない仕様となっておりまぁす♡」
押し売りじゃないかよ、畜生が!
しばらくの間、出てけ、出ていかないの問答を繰り返していたが、突如、魔人が立ち上がった。
そうしておもむろに台所へと歩いて行き、冷蔵庫を開けた。
ふんふんと頷きながら中を物色し、いくつかのものを取り出して……。
実に鮮やかな手腕で、おいしそうなオムライスを作り上げてしまったのだ。
ふわとろ卵のオムライス。
半熟卵の上にケチャップでなぜかくまが描かれていて、首を傾げたが。
ひとまず無視して一匙すくい、口に運んだ。
そうして口の中に広がる濃厚な旨みに目を見開き、匙を止めることができなくなった。
見た目はただのケチャップライスなのだが、中濃ソースを混ぜたらしい。
これが深いコクとなり、今まで食べてきた中で一番おいしかったのだ。
だが白米が一膳分しか保存されておらず、奇跡の一食となってしまったのが少しばかり惜しいと感じる。
無言で食べ進める俺を、魔人は両手で頬杖をつきながら見守っていた。
そうしていると大っきなくまさんに見えますねぇ、としみじみと呟かれてしまったのには辟易したが、気にせず食べ進めたのだった。
とまぁこう言った次第であり、魔人は実に自然に鮮やかな手腕で以て、俺公認の家政夫の座に納まったのであった。
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