【完結】その手をとらせて《完全版》

※(kome)

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ランプの魔人と言う男Ⅱ

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あの“独身男性の生活環境改善委員会”騒動から始まり、なんとか折り合いをつけながら、魔人との暮らしも二か月が過ぎた。

季節は巡り、秋の終わりが近い。
日中こそ蒸し暑さが残るが、夜はぐっと冷え込むようになってきた。

寝ている間はエアコンを一切使おうとしない魔人を説得するのは早々に諦め、俺が寝室に引っ込む前に適温設定にしてリビングを後にする。
そこまでされればさすがに電源を切るまではしないようで、翌朝までぐっすり眠っているらしい。


日付変更線を目前にした、深夜二十三時四十七分。

喉の渇きを覚えて目を覚ました俺は、魔人が起きぬように足音を殺して歩き、明かりを落としたままのリビングを通り過ぎた。
食器棚からガラスコップを取り出し、キッチンで水をくんで一気にあおる。
一杯では足りず、二杯と半分ほど飲んで、ようやく落ち着いた。

そのまま視線をリビングの奥へと向ける。
日頃、あれだけ活発に動き回る魔人のことだ。
寝相もそれなりなのではないかと予想して、暗闇の中、目を凝らす。
遠目でも魔人がクッションソファの上で丸まって眠るのが見てとれた。

なかなか器用なものだよなぁ。

俺が同じことをすれば、尻はクッションからはみ出してしまうし、そうなれば足は床に転がる羽目になる。
あれが成立するのは、魔人が小柄であり柔らかい身体の持ち主であること、クッションが少し大きめな作りであること。
この三つが揃ってようやく成り立つ奇跡なのだ。

そうして再度、魔人へと視線を投げかければ、掛け布団代わりの毛布が肩からずり落ちているのが見てとれて、なんとも寒々しく感じる。

起こさぬように足音を殺して傍まで歩み寄る。

深く瞼を閉じて眠る魔人は、まるで黒曜石を削り出して象った彫刻のように、美しく整った顔をしている。
紺墨色の髪がわずかに額に垂れ、男にしては柔らかな頬の稜線を曖昧に溶かしていた。
細く長い柳眉、すらりと通った鼻梁、そして身体の肉付きに呼応するような、薄く小さな唇。

大きく丸い二重まぶたの眼窩の奥には、今は見えないが、黒人らしい少し赤みがかった茶色――赤褐色の双眸が収まっている。
それを縁取るまつげはまるで扇のように長く、量も多い。
マッチを何本も乗せられそうなほどのボリュームがある。

この男、一見して女にも男にも見える、性差を感じさせない顔立ちをしている。
黙っていれば見惚れるような造作なのに、口を開けば本当に残念な言動しかしない。
まったく、損をしているよなぁとしみじみとため息を吐いてしまう。

これほどに整った容貌であれば、ともすれば冷たさや近寄りがたさを生むものだが、魔人の持つ人柄――雰囲気とでも言うべきものが、それを絶妙に打ち消している。
そのため、つきあいにくさを感じたことは一度もない。

――損でもあり得な性格をしている。

これが俺の最近の魔人評だ。


魔人は先日の万馬券騒ぎの際に貸し与えたシャツを寝間着代わりに使っているのだが、夏物だし、布地が薄く袖も五部ほどなので、見た目がやや寒々しい。
しかも下半身に至ってはトランクス型のパンツ一枚という無防備っぷりで、なんとかしてやらねばと思いつつなかなか説得できずにいる。
いっそ足首まで覆うワンピースパジャマでも買ってやろうかと思いながら、少しずり下がっていた毛布を肩にかけ直してやったとき、違和感に気が付いた。

壁掛け時計の秒針が進む音、時折キッチンの蛇口から垂れる水滴の音が混じるのに。

なんで、呼吸音が。

たった一つしか、聞こえない?

起こさないようにという配慮などかなぐり捨てて、魔人の小作りな顔に手をかざし、鼻から口までを覆う。

数秒待つものの、やはり空気の動きがない。
もう片方の手で上になっている左手首をとり脈を確かめるが、こちらも指の腹を叩く鼓動を感じられない。

無呼吸症候群って鼓動まで止まるものだったか!?

どうすれば良い?
ひとまず人工呼吸?

そう思いながらがくがくと魔人の肩を掴み、揺する。
焦りから力加減を間違えて、かなり強く肩を握り締めてしまった。
それに魔人は眉を寄せるでもなく、揺すられるままに首が前後にゆらゆらと動くのに、更にぞっとした怖気が走る。

まるで本物の人形みたいだ。

造作が整っているから、より一層、その表現に説得力が出てしまう。

頼むから起きてくれ。
頬をはたいて起こそうとしたところで、んぅ、となんとも言えない間抜けな声を出して魔人が目を覚ました。

しぱしぱと瞬きを繰り返し、何が起こったのだろうという顔をして、俺を視界に捉える。
目を擦りながら半身を起こし、こてりと小首を傾げた。

「どうしたの?
 ずいぶんとおっかない顔をしてるけど……」

オバケでも見たの?
小さな子どもがトイレに行けなくて親を揺すり起こした。
まさしくそう言わんばかりの声音で魔人は起き抜けの声を出した。

話の合間に漏れ聞こえる呼吸音、まだ掴んでいた左手首から伝わる鼓動に――どっと全身の力が抜ける。
脱力と同時に自然と止めていたらしい息が一気に気道を逆流してきて少し熱くて痛い。

あぁ、でも。

「よかった……」

しみじみとそう呟く。
でも楽観しちゃいけないよな、と気を引き締める。
どの程度の期間かわからないが、最低でも一分かそこら、下手したらもっと長い時間、呼吸も鼓動も止まっていたんだ。
明日は職場に電話して休みを取って、無保険なのは手痛いが魔人をどこか大きめの病院に連れて行こう。

しっかり検査してもらって、何も問題がないか見てもらわねば。

いったい何事か、と頭の上に盛大に疑問符を撒き散らす魔人に、呼吸も鼓動も止まってたのだと伝えてみれば。

一瞬にして、魔人の顔が引きつった。

ばつの悪い顔から、何か決意を固めた顔へ、そうして最後にすとんと一切の感情をそぎ落とした顔へと移り変わるのに、とてつもなく悪い予感を覚える。

そうして魔人はぽつりと一つ、爆弾のような言葉を夜の静寂に沈む部屋へと落とした。

「僕は遙かなる昔。
 神が当たり前にいた時代に作られた、道具なんだよ」

そこまで言い切ると、魔人は静かに目を閉じ頭を垂れた。
実際には俯いただけなのだが、それはまるで罪の告解にして、断罪を待つ罪人のような神聖さが漂っていた、けれど。

「だから?」

それのどこが、問題だって言うんだ?
そのつもりで問い返した。

古ぼけた鈍金のランプを擦ってこいつが出てきたとき。

確かにお前は、自分はランプの魔人だと名乗った。
だけどそこから今日まで一貫して、美人なのにちょっとズレてておもしろおかしい黒人男性。
そのように振る舞ってきたじゃないか。

だからこそ、そのつもりで問い返したのだが、あまりにも言葉が少なかったらしい。

顔を上げて、先程よりも頭上に浮かぶ疑問符がより増えたような表情のまま、目を白黒させている魔人に。
どうにも少し常識外れな男に再度、言葉を重ねる。

「お前という存在を表すのに、神代産の道具ってレッテルは必要なのかも知れない。
 けれど、それになんの問題がある?
 お前はそのお綺麗な顔の良さが霞むくらいにうるさくて、お調子者で、でも気配り上手で。
 ほんの少し人より変わったところの多い、困った同居人でしかないだろ?」

違うか?
赤混じりの茶色に向かってそう問いかける。

俺の言ったことが少しずつ頭に浸透していって。
それがじわじわと頬の紅潮に変わっていくのをただ見守っていた。
そうしてようやっと、俺の言葉が言語野に辿り着いたらしく。

「はぁ!?」

と素っ頓狂な声をあげてまた固まってしまった。

フリーズしているところ、悪いが。
そろそろ俺も寝たいんだよなぁ。
既に日付変更線を超えて、再度、長針が一周りしてしまいそうになっている。
欠伸を噛み殺し、魔人に声をかける。

「そんなに俺の言ったこと、おかしいか?」

「っ~~!
 おかしいも、何も!
 繰り返すけど、僕は人を模して作られた道具なんだよ!?
 気持ち悪くないの?
 こわくないの?
 嫌だって、出て行けって思わないの?」

はは~ん?
読めてきた。
つまりはあれだ。
俺に距離をとらせたかったと、そういうことか。

だがそれはあまりにも遅すぎる。
こんな告解をしたいのなら、もっと早く。
お前が人間味を出し切る前に、それこそ初日にでも言っておけばよかったのだ。

これだけ俺のために尽くして、人がましさを見せつけておいて、自分は人型の道具なんだから人扱いするな、というのはどうにも無理がある。
俺が返事をしないことを良いことに、寝てる間はスイッチが切れた家電よろしく呼吸をしないだの、心臓が止まるだのと言い連ねているが。

俺の結論は変わらないんだよ。

「だから、どうした?
 お前がなんと言い繕おうが、俺にはお前が人間にしか見えない。
 で、ある以上。
 俺はお前を人として扱う」

お前がどれほど自分が危険なのだと、異質なのだと、訴えようと。
俺は目の前でこうして話しているお前を、今まで積み上げてきたものを信じる。

だから、結論を変えてなんてやらない。

「そんなの横暴だ!
 物権侵害だ!
 普通、本人の意思を尊重するものじゃないの!?」

いや、尊重したらつきあいが終わるんだが?

しかもお前、俺の願いを一個も叶えてないだろうが。
それでどうやって契約解除までこぎつけると思ってるのか。

三つの願いを叶えるか、俺が死ぬか、どちらかを満たさない限り離れられないと言ったのは、他ならぬお前だろうに。

ふぅふぅと肩で息をする男に、なんでこんなに頑ななのだか、と不思議な気持ちになる。

これも、俺への。
契約者への、自己犠牲を前提とした奉仕の一貫なのだろうか。

だとしたら、本当に。

「馬鹿だなぁ、お前」

しみじみとそう言ってやれば。

「はぁ!?」

本日二度目の逆ギレをいただいた。

だって俺は、お前が離れることを認めてない。
あんなにきめ細やかな気遣いを見せつけて、衣食住を整えられて。
それに充分な見返り、お礼を示せたかと言えば、答えはNOだと言える。
少なくとも、俺が充分な対価を払えるまでは離してやる気はない。

もっとも。
俺が対価を支払いきるよりも、こいつの奉仕が積み重なる方が早い。
故に、終わりはいつまでたっても来ないし、それをわざわざ言ってやる気もない。
火に油を注ぎそうだからな。

「お前が何を焦って俺に距離をとらせたいのかは、あえて問わない。
 でも、さっきも言ったように。
 お前は俺にとっちゃ、少し手のかかる同居人。
 良き隣人でしかないんだよ」

いい加減、察しろ。
そう言うつもりで、ほんの少し語気をやわらかくして言い募った。

俺はお前が折れるまで、納得するまで、考えを改めるつもりはないし、何度でも同じことを言う。
そう視線に込めて、じっと赤褐色の瞳を見つめてやった。

暗闇の中で瞬く赤色が、辛そうに、でもなにかに縋るような煌めきを宿して、歪む。

眉尻を下げて、口角を下げて、両手を膝の上に乗せてぎゅうと握り締める。

「君は」

一度そこで区切り、唾を飲み込んで、再度繰り返す。

「君は、僕のことが。
 僕みたいな異質な存在が、こわくはないの?」

まるで子どもが親に叱られることがわかっていながら問うように。
けれど叱らないでほしいと願うような色を瞳に宿して、そう問うた。

そんなこと、さっきから何度も言っているだろうに。

「お前はただの、人間だろ。
 やかましくて、人好きのする、ちょっと風変わりなだけの人間だ」

だから、怖くなんてない。

言外にそう示してやれば。

きゅうと引き結んでいた唇がほどかれる。
けれど、そこから意味ある言葉は紡がれない。

何を言えば良いのか、何が言いたいのか。

赤褐色の双眸が慌ただしく眼窩を右に左に動き回るのは、自分の気持ちを追いかけているからだろう。

もうこれだけつき合ったのだ。
今日は徹夜も辞さないと覚悟を決めて、静かに待つ。

そうして、長い時間をかけて、ぽつりと。

魔人は、迷子の風情を漂わせた男は、また一つ、疑問を問いかけた。

「僕は、ここにいても、いいの?」

あぁ、だから何度だって言ってやる。

「好きなだけいればいい。
 ここが、今のお前が帰る家なんだから」

そう、目を見て言ってやれば。

ようやっと、その顔に安堵が生まれる。
深く高い渓谷を作り出していた眉間の皺が解けていき、いつもの、少し力の抜けた笑みが相貌を彩る。

「君は、変わってる。
 僕のいままで仕えてきた主の中でも、とびっきりの。
 ―― 一番の、変わり者だ」

なかなかに酷い評価ではあるものの。
それでもその顔が晴れ晴れとしていたので、聞き流してやった。

そうしてふん、と鼻を鳴らし、からかい交じりに返してやる。

「お前の対人運が悪かったんだろ。抜かしてろ」

「まぁ、それについては否定できない、かな。
 大声では言えないけどね」

なんとも嬉しそうに、大事な何かを抱きしめるように胸の前に両手を添えて握り締めた魔人は、眦を細くした。

そうして、やわらかな表情のままに囁いた。

「遅くまでつきあわせて、ごめんね。
 もう明け方も近いけれど。
 もう一眠りだけ、してしまおうか」

あぁ、そうだな。
ほんの少しでも横になった方がいい。
今日は少し日中が辛いかも知れないが、一社会人としてなんとかするしかないだろう。

よいしょとかけ声をかけて立ち上がる。
膝の骨がバキリと音を立てたのに少し嫌な感じはしたものの、気にせず数度、屈伸して筋肉を伸ばす。

今まで噛み殺していた欠伸が口からするりと転がり落ちて、それにつられて男も小さく欠伸した。

「おやすみ、また後で、な」

「うん、おやすみなさい。
 きちんと朝、起こすから。
 いい夢を、見てね」

鬱屈した色など欠片もない顔をしっかと確認し、そうして魔人のいるリビングをあとにした。

あと一時間かそこらで起きねばならないが、眠れずとも目を閉じておけば、少しは楽になるだろう。


大変ではあったものの、得るものがあったと思う。

俺にも、魔人にも、確かに必要な夜だったのだ。


だから今日も、明日も、明後日も。

――そうして、新しい朝を迎えるのだ。
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