【完結】その手をとらせて《完全版》

※(kome)

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ランプの魔人と水族館Ⅱ

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チケット売り場で、大人二名分の入場券を買い求めた。

デフォルメされた魚やホッキョクグマ、ペンギンなどが描かれており、一枚はイルカ、もう一枚にはラッコが印刷されている。

つぶらな瞳が愛嬌を感じさせるラッコの顔に、跳ねるような足取りで隣を歩く魔人を重ね合わせた。
目を見張るような整った顔立ちをしているのに、それが丸つぶれになるぐらいにオーバー気味に表情を作るところ。
それがどうにも愛嬌があって、このラッコに重ねてしまうのだ。

流れるような仕草で、しれっとラッコの入場券を魔人に渡し、エントランスを通り過ぎた。


その途端、今まで乳白色の蛍光灯に照らされていた真白の壁が、一気に水気を含んだ薄闇へと変化する。

天井からは細くあえかな明かりが降り注ぎ、少し広めの間隔を空けて床に埋め込まれたライトが側の展示プールをほのかに照らしている。

館内は広々とした作りで天井も高く、通路と銘打ってはいるものの、四隅の壁と壁の間はとても広い。
そのうえ途中に仕切りがないため、息苦しさや狭苦しさを感じない。

水や魚の鱗に跳ね返された控えめな明かりが展示を覗き込む人へと跳ね返り、濃淡のまばらな影が長く床に伸びている。

どこかほの青く、音が吸い込まれるような、不思議な空間。

完全に密閉されているからあり得ないのに、どことなく水の、海水の香りが漂っている気がする。

母なる大海に抱かれてるような、不思議な安心感があるのだ。

水族館に来るたびにそんな気分になるのだから不思議なものだ。
そこまで観察して、ふ、と隣を見れば。

魔人がいない。

え、俺、そんなに長く目を離していたか?

首を傾げつつも辺りを見回し、スノーグレーのフリースジャケットを探す。

あの男、人種の問題もあるのだが、彩度の低い見目をしている。
そのため、目立つ色合いのアウターを着せたのだが、なぜこうも見つからないんだ?

しばらく視線を行きつ戻りつし、一つ目の部屋、エントランスから繋がっている展示室の奥の方に足を向けた。

あぁ、やっぱりな。
『さわれる うみ の なかまたち』と題された背の低い水槽の前で、魔人がなまこをツンツンとつついていた。

そうしておもむろに手を突っ込み、なまこをぐわしと握り締め、目の前に持ってきた。
握り締めてまっぷたつにしてくれるなよと思いつつ、凶行をいつでも止められるように足早に近づき、背後に陣取った。

「うぅん、なんとも言えないこの手触り。
 のったりぬちゃあとしていて、癖になりますねぇ!」

評論家気取りの感想を述べ、両手のひらに載せるようにしてなまこを左右から覗き見ている。
しばらく観察して満足したのか、取り出したときとは真逆の手つきで以て、そっとなまこを水の中に戻した。

今度はその側の岩をひっくり返し、小さな蟹が大慌てで奥の方の岩の隙間へと逃げ隠れるのを小さく声をあげて興奮した様子で眺め。
浅瀬の水たまりの中を泳ぐ小魚を真剣な表情をしたまま目で追い、俺が声をかけるまで心ゆくまで堪能していた。

いや、なんとなくそうなるんじゃないかと思ったものの。
一つ目の展示からこの様子では、館内すべてを回りきるのにどれだけの日数が必要になるんだか。
一日入場券ではなく、年間パスポートを買った方が良かったか?とちらと思いはしたものの、ひとまず次を見て回ろうとその背を押し、次の部屋へと足を進めた。

奥の壁一面を彩る、暗青色の世界。
一見すると真っ平らに見えるが、近づいてはじめて、円柱状のプールであることがわかる。
その中を魚たちが輪を描くように泳いでいた。

水槽内を泳ぎ回る魚群を目で追ってみたところ、なんとなく見覚えのある魚種な気がして目を凝らす。
少し自信はないが、鰯に秋刀魚、鮭に鯖と、どことなく“あれ”なラインナップであることが見てとれて──そこまで認識した途端、くぅと小さく腹が鳴った。
思わず、空腹を訴える言葉が口をついて出た。

「その、さぁ……。
 日本人の、なんでもかんでも食に結びつけるところ。
 さすがにどうかと思うよ?」

俺の独り言を聞き咎めた魔人に半眼で呆れたように言われ、そっと目を逸らす。

いや、でも、なぁ。
このラインナップ、悪意がありすぎると思うんだよな。
塩焼きにして大根おろしをのっけたり、味噌煮にしたり。
ゆずを搾ってかけてもおいしいと思うんだよなぁ。
なおも半眼で見上げてくる魔人に、ほんの少しの対抗心を出して尋ねてみる。

「そうはいっても、腹が減るのはどうしようもないだろうが。
 大体、それだけ流暢に日本語を話せるなら、お前だって日本人的な“あれこれ”に染まっててもおかしくないと思うが?」

この男、契約初日から今日まで、言葉に不自由しているところを見たことがない。
どこからどう見ても黒人然とした見目である以上、日常的に使用する言語は日本語ではないはずだ。
にもかかわらず、下手をすると俺以上に、流行語含めて日本語に親しんでいるのなら。

この感覚がわからないとは言わせない。

そのつもりで問いかけた。
それに、魔人ははぁと大きくため息を吐いた。

「そりゃあね。
 ご推察の通り、僕の日本での滞在歴は長いよ。
 大体五十年かそこらだけど。
 その間、君たちみたいになにかにつけて“どう調理したものかしら”なんて考えたこと、一度もないよ?」

侵害です!と言わんばかりに頬を膨らませてそう答える。
それをまぁまぁと宥めながら次の展示へと足を向ける。
そうして内奥に沈みつつ考える。

五十年。
魔人の外見年齢のゆうに二倍の年月。
俺が生きてきた年月、その倍の月日を、今までこの日本で過ごしてきたのか。

俺にとって、五十年は長い。
人生の約半分、ほぼ三分の二程度を占める。
けれど神代に発生した魔人にとっては、五十年なんて瞬き程度のものなのかもしれない。

あぁ、遠いなぁ。
そう思いながら、次の展示室への境をまたいだ。


そこは館内でも随一の目玉展示だった。
ゆらゆらとマンタが、その奥ではジンベエザメが優雅に泳いでいる。
その合間を縫うように、小魚たちが思い思いに通り抜けていく。

展示プール脇の柱には、魚たちの説明パネルが貼り出されている。
魔人はそれと実物を交互に見比べながら、ふんふんと納得したように読み進めていた。
その細かく動く黒い後ろ頭に、ふと気づいたことを投げかける。

「水族館に来たこと、あるのか?」

俺の声がけに振り返り、どこか上の空な顔をしつつも魔人はしっかりとした声音で答えを返した。

「はぇ?
 あ、あぁ。うん、来たことがあるよ」

そこで区切り、顔を自然と水槽へと戻すと、視線をついと上の方へと動かした。

「前の主、キヨというのだけど。
 彼女が、旦那様と来たのが忘れられないからまた行きたいわ、と呟いたのを耳にしてね。
 それならぜひとも、と近場の水族館を調べて、連れてきたんだ」

とても喜んでもらえて嬉しかったなぁと魔人は小さくそうこぼした。

その顔は静かで、慈愛に満ちていた。
黒曜石を削り出した彫刻のような相貌に、魚たちの影が映り込む。
そこへきらきらとした鱗の軌跡が降りかかり、まばらな光と影のグラデーションを刻んだ。
赤褐色の眼差しはどこか遠く、隔たりを感じさせるほどのなにがしかを湛えていた。

その視線の先は、水槽よりも更に奥。
この場ではない、どこか遠い場所を映しているかのようだった。

その浮世離れをした姿に。
この世との著しい乖離を感じさせる気配に、一瞬ぞくりとしたものを感じ、すいと視線を逸らす。

は、と胸に蟠るものごと息を吐き、意識をあえて別の――先程耳にしたばかりの名前へと移していく。

なんとなく、わかっていた。
質素な生活を好む祖母の遺品のくせして、どうにも違和感が拭えなかった、美しい彫刻の施された鈍金のランプ。
そこから現れたランプの魔人。
そして、何に――誰に対して向けたのかわからぬ遺言。

それらを統合して考えれば、おのずと答えは見えてくる。

「その、キヨって名前の契約者。
 フルネームは齋藤キヨじゃなかったか?」

確信を込めて問いかければ、ぱちぱちと瞬きを繰り返した魔人は、こくりと一つ頷いた。

ああ、やっぱり。
……ということは。

二十年程前から祖母の側で侍っていた、褐色肌の長い黒髪を項で括り、背に流していた小柄な“女性”は。
オリエンタルチックで、茶目っ気があって、いつもにこにこと楽しそうに笑っていた、かわいらしい美人なお姉さんは。
俺の初恋の人、ジンお姉さんは。

「お前かよぉ……」

無情な現実、残酷な真実に対する絶望が、つい口から漏れ出てしまった。

胸を占めるのはただ一つ。
俺の純情を返せ、ただその一心である。

俺の絶望を滲ませた一言に、魔人がこてりと首を傾げた。
そうして魔人はしばらくの間、俺の顔をまじまじと見つめていたが、なにかに気付いたような顔をした。
そのまま嬉しそうな表情を作ると、ぱんっと両手を叩き合わせた。

「あっ、あぁ!
 君、もしかしてっ。
 泣き虫あっくんですか!?」

ああああああぁ、止めろっそれを大声で言うなぁ!!
バチンッ!と無思慮を吐く、小うるさい口を手で覆い隠す。
勢いが良すぎて引っ叩くような形になったそれに、魔人がうっとうめき声を出し、顔を後ろへと反らした。

慌てて前後左右を見回し、俺たちに意識を向けている人がいないか確認してしまう。

隣り合う人たちが顔を寄せ、ひそひそと内緒話をしているのを発見してしまい、羞恥で頬が赤くなるのがわかる。
もごもごと何かを訴える魔人の頬をアイアンクローの要領でがっしりと抑えつけながら、恥ずかしさのまま俯いた。

今から約二十年前。
俺が五つかそこらの頃、それは大層、泣き虫な少年だったそうだ。

――あの頃のあなたは、一歩歩くごとにべそをかいていたわ。

当時を知る母や姉にそう揶揄われたのを覚えている。
言われた当人の記憶には、はっきりとは残ってないのだが、確かにそう言われると何かにつけ泣いていたような気がする。

それをもちろん、甲斐甲斐しく祖母の世話を焼いていた魔人も知っている。
なにせ俺は、大好きな祖母に会うために日夜、祖母の家に通い詰めていたのだから。

俺の狭い対人関係の中にはじめて現れた、大人の女性。
この世のものとも思えぬほどに美しくて、けれど笑うととてもかわいくて、チャーミングで。
泣き止まない俺を膝にのせ、やさしくあやしてくれた女の人。
窓の外の風景を静かに眺めながら、ゆったりとした調子で頭を撫でてくれた優しいお姉さん。

そんな人に、碌な社会経験のない子どもが太刀打ちできるはずがない。
淡い恋心を秘めながら、そうして毎日足繁く通ううち、どんどん思いは大きくなっていたけれど。
当時の俺は、前から三番目かそこらの背の低さで。
泣き虫も直りきっていなかったから、あの大人のお姉さんに釣り合うとは到底思えなかったのだ。

もし思いを伝えて断られたらどうしよう。
そんな風に考えたまま、小学校を卒業し、中学に入って。
その手の話を耳にするようになると、今度はそんな欲に濡れた目で彼女を見るのが後ろめたくなり、徐々に祖母の家に足を向ける頻度が落ちた。

そうして高校へと上がり、最初の一ヶ月でいきなりぐんと背が伸びた。
クラスメイトだけでなく、教師ですら見下ろせるような巨躯になる頃には、逆に、思春期特有の恥ずかしさが勝ってしまい、ついには祖母の家へと通うのを止めてしまった。

特に大きな障害もないまま大学へ進学し、そのまま社会人となり。
祖母の死に目にも会えぬまま、彼女の遺言に従う形でランプを手にし、魔人を迎えることとなったのだ。

天を仰ぐ。
あの穏やかに笑いつつも芯の強い祖母にしてやられたという気持ちが強い。
でもそれが決して嫌な気持ちにならないのがあの人の人徳なのだ。

そこまで考えて、ようやっと現実へと目を向け直したそのとき。
手のひらに温かくぬめったものが押しつけられて、思わず手を引いた。

ぺろり。
唇を一舐めして得意げに笑う魔人を見て、思わず半眼になってしまった。
体型の違いから力比べで勝てぬと判断したのだとしても、雑菌だらけの手なんぞ舐めるな。

あとでうがいでもさせようかと目論む俺を通り越して、魔人が何かを熱心に見つめている。
そうして弾んだ声を出しながら、ぐいと俺の袖を引っ張った。

「イルカショーやってるんだって!
 もうすぐはじまっちゃうよ、見に行こう!」

はやくはやく、ねぇはじまっちゃうってば!
見た目からは想像つかないほどの力でぐいぐいと俺の袖を引くのに、ため息を吐く。

あぁ、わかったわかった。
急いで行くから、そんなに服の袖を引っ張るな。
本革仕様のジャケットなのだから、伸びたら弁償してもらうからな。
そう胸中で呟き、小走りで屋外水槽へと向かう魔人のあとを追った。
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