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第IV巻 再生戦線ー言葉なき神
第11話 巡礼塔の影
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ルミナリア南方の丘陵地帯に、人の気配が途絶えた集落が点在していた。
王都の混乱のような激しさはない。むしろ、不気味なほど静かだった。
風が通った跡だけが、村の中心を抜けるように続いている。
巡礼塔での異変を王都へ報告して数日。
エイン、ティナ、シオンの三人は司祭団の依頼で、この“風の沈黙帯”と呼ばれ始めた地方を調査していた。
家々の戸口は開け放たれたまま、皿や道具が中途で放り出されている。
争った形跡はなく、逃げた痕跡もない。
ただ、何かに“ふれられて”動きを止められたような気配が、村全体に漂っていた。
ティナが井戸端の祈り札に手を伸ばす。
文字がかすれ、焼け焦げのような細い跡が縁に走っていた。
「……途中で力が抜けたみたい。ここで祈ってた人、立ったまま倒れたかもしれない」
エインは札を受け取り、痕を指先で辿る。
わずかな“脈”のようなものが、皮膚の奥で跳ねる気がした。
「塔で感じた……あれと似てるな」
断言はしないが、共通の“何か”が関わっている。
シオンも風の流れを観測しながら、眉を寄せた。
「風の精霊層が部分的に……止められています。自然の沈黙ではありません」
丘陵を渡るはずの風は、村に足を踏み入れた瞬間から弱くなる。
まるで、この場所だけが世界から切り離されたようだった。
ティナがエインへ顔を向ける。
「エイン……なんだか、胸がざわざわする。灯が、嫌な風を警戒してるみたい」
エインは言葉を選ぶようにして、村の奥を見やった。
気のせいではない。この沈黙は、どこかへつながっている。
「……進もう。ここは入口にすぎない。
奥に、原因がある」
三人は無言で頷き合い、さらに沈んだ風の向こうへ歩みを進めた。
村を抜けると、細い山道が北へ向かって続いていた。
草木は風を失ったせいか、どれも湿ったように重たく垂れ下がっている。
本来なら鳥の声が響く時間帯なのに、空気は沈んだままだ。
シオンが掌の星盤を開き、歩きながら周囲の流れを読む。
盤面の刻線は、いつもより鈍い光を放ち、ところどころで反応が途切れていた。
「……やはり、風だけではありませんね。
音、祈り、足跡……人が生きる営みの“残り香”そのものが薄い」
「消えたってこと?」
ティナが尋ねる声も、どこか吸い込まれていくようだ。
「正確には――“留まらない”。
本来、祈りは土地に馴染んで記憶を残しますが……ここには痕跡が残らない」
ティナは小聖火灯を胸元に抱き、そっと炎を覗き込む。
灯は弱りはしないが、揺らぎが一定せず、風のない空気の中でひっそりと震えていた。
「この灯も……落ち着かないみたい」
「俺もだ」
エインは歩を止めずに答える。
背中の装甲がわずかに軋み、炎核の脈が沈みきらない。
戦闘前の“緊張”とは違う。
もっと静かで、もっと深い、触れられそうで触れられない違和感が続いている。
道が緩やかに上り、木立の隙間から小さな高台が現れた。
そこには、祈りの柱が一本だけ建っていた。
ルミナリア南部でよく見られる、旅人を守るための小さな祈祷柱。
だが――
ティナが駆け寄ると、表面の紋が半分だけ途切れていた。
削られたわけではなく、途中で“力”そのものが書けなくなったような断絶。
「……ここでも?」
シオンが柱を観察しながら、低く呟く。
「祈りの刻みが途中で止まるなんて、本来ありえない。
祈り手が倒れたのではなく……“祈りが先に消えている”。」
ティナが息を呑む。
エインはしばし柱を見つめ、風の抜けない空を仰いだ。
「塔と同じだ。
何かが、“祈りの底”に触れている」
指先に、冷たいような、熱いような、判別できない微細なざわめきが走る。
エインの炎核は、まだそれに形を与えられずにいた。
「……もう少し進めば、はっきりするかもしれない」
シオンが星盤を閉じた。
三人は風の途切れた高台を後にし、さらに北の山道へと歩みを重ねた。
木々の影は濃くなり、静寂はより深く――。
まだ、誰も気づいていなかった。
この沈黙が、ただの“異変”ではなく、世界の底で起きつつある“兆し”の端であることに。
三人はさらに川沿いへ足を進めた。
途中で交差する小道には、馬車の轍が残っている。村人が日常的に使っていた道だろう。
だが、進むにつれ、少しずつ違和感が積み重なっていった。
まず、川の流れが異様に“静か”だった。
音が小さいとか、水量が少ないというわけではない。
水面に、揺らぎがない。
「……川って、もっと光を揺らすよね」
ティナが思わずつぶやく。
確かに、木漏れ日が川に落ちているのに、反射がほとんど動かない。
風は吹いているのに、水面だけが“止まって見える”のだ。
シオンがしゃがみ込み、手袋越しに水を掬った。
透明で、冷たくて、普通の水だ。
だが星盤を展開すると、淡い光がまったく反応しなかった。
「……水の“記憶”が薄い。
流れてきた道筋を、まるで忘れているみたいですね」
「水が、道を忘れる?」
ティナは眉をひそめる。難しい話ではない。
ただ、目の前の川が“生き物じゃなくなった”ようで気味が悪かった。
エインは黙って川面を見つめていた。
炎核がわずかにざらつく。
水の流れに、抵抗がない。
人の祈りも、生活の余熱も、何も混じっていない――ただの流れ。
「……なんか、違うな」
それだけ言い残し、彼は水から目を離した。
三人は顔を見合わせる。
ここまでの“異常”は、どれも説明がつかない。
・村人は跡だけ残して姿を消した
・祈りの柱は途中で力を失っている
・川の流れは、生きていた痕跡を忘れているように見える
全部つながっていないようで、同じ何かに向けて引っ張られている気配だけがある。
シオンは川の先――北の山影へと視線を向けた。
「何かが、このあたりの“流れ”を断ち切っている。
……わざと、です」
その言葉に、ティナの指先がわずかに震えた。
川沿いの道を進むほど、風が弱くなっていった。
本来なら水辺は風が通りやすい。だが、木々の葉はほとんど揺れず、
草原の端に立つ古い祈祷碑の祈り旗も、垂れ下がったまま動かない。
「……風が止まっています」
副隊長レーンが空を見上げた。
ルミナリアの聖騎士らしく、祈り印を胸の前で結びながら続ける。
「巡礼塔の異変と、関係があるのかもしれません」
シオンは頷き、星盤を広げた。
しかし盤面には通常の光の揺らぎがほとんど映らず、測定にはならない。
「風だけじゃない。土地の“声”が弱っている。
……生きている場所の気配がしません」
「声がしないって、どういう――」
ティナの言葉が途中で止まる。
視線の先、道に沿って建つ小さな民家。
窓枠に布が吊られ、干し草が積まれ、昨日まで人が使っていたような生活の跡がある。
しかし。
家の扉だけが、妙に不自然なほど“開いたまま”だった。
風もないのに、閉じる気配がない。
誰かが出て、戻らなかった。
そう思わせる静けさがあった。
エインが一歩前へ出る。
「……中を確かめる」
「待ってください。何があるかわかりません」
レーンが止めかけたが、エインは軽く首を振る。
「人がいた形跡はある。けど、足跡が少なすぎる」
その指摘に、全員が周囲を見回した。
確かに、生活の痕跡の割に、地面に“人が歩いた跡”がない。
地面が柔らかくないわけではない。
ただ、歩いた形跡だけが不自然に薄い。
ティナはランタンを胸に抱き寄せた。
「……ねぇ、エイン。
人が急にいなくなるって、そんなに起きるもの?」
彼は答えず、扉の前に立つ。
その背中に、ほんのわずかに炎核の光が流れた。
シオンが小さく呟く。
「誰かが、あるいは“何か”が……人を攫ったのではありません。
もっと静かに、もっと気づかれない形で――
この土地から“消した”のかもしれない」
その言葉に、空気が冷えたように感じられた。
ティナの喉がわずかに震える。
「……そんなこと、できるの?」
「今はわかりません」
シオンは首を振る。
「ですが、原因はきっと――
この先の《巡礼塔》にある」
レーンが構え直す。
「この家は我々が確認します。
あなた方は塔へ向かってください。
……ここから先は、普通の祈りでは守れない危険があるかもしれない」
エインはうなずき、ティナとシオンに視線を向ける。
「行くぞ。ここで立ち止まっても、何も戻らない」
ティナはランタンを強く握りしめた。
その炎はかすかに揺れたが、決して消えなかった。
そして三人は、巡礼塔へ続く坂道へ足を踏み出した。
静まり返った民家が、背後でゆっくりと遠ざかる。
風は吹かず、川は音を立てない。
ただ、胸の奥で――何かが、かすかに軋む。
巡礼塔へ続く坂道は、思った以上に荒れていた。
本来なら巡礼者や神官が行き交う聖地の道だが、草は伸び放題で、祈り札は褪せ、石段は割れている。
護衛としてついてきた聖騎士ハルドが、周囲を見回しながら言った。
「……人の気配が、ずっと途切れたままです。まるで、誰も戻ってこなかったような」
エインは足元を見つめる。
「足跡が残ってない。人がこの先へ進んだ形跡も、ここへ戻った跡も」
「風で消えたんじゃなくて?」
ティナは不安げに周囲を見る。
シオンは星盤を開きかけ、しかし途中で手を止めた。
「違います。
足跡だけじゃなく、“痕跡そのもの”が薄い。
道が人を覚えてないみたいだ」
森の奥は静かすぎた。
風が抜けない。
鳥の羽音すらしない。
ただの静寂ではなく、何かに“奪われている”沈黙。
ティナが思わずランタンを抱え直す。
「……なんか、やだな。息が詰まる」
エインは森を見渡し、低く言った。
「気を張っとけ。普通の静けさじゃない」
そのときだった。
一本の木から落ちた葉が――
地面に落ちる前に、横へ“滑る”ように引かれた。
風は吹いていない。
虫もいない。
何もない空間で、葉だけが奪われた。
ハルドが息を呑む。
「……見間違い、ではありませんよね?」
「見たよ。あれ……風じゃない」
ティナは声を震わせる。
シオンは星盤を展開し、光の揺らぎを追う。
「……何か、“形がない流れ”が動いています。
生き物でも、祈りでもない。
ただの空気なのに、強引に引っ張られている」
エインの炎核が小さく鳴った。
「塔の方向だな」
「ええ。異常の中心は、巡礼塔です」
シオンがはっきり言った。
エインは躊躇なく一歩進む。
「ここで立ち止まっても、何もわからない。行くぞ」
ティナはランタンを強く握りしめ、彼の後に続いた。
ハルドは剣を抜き、周囲を警戒しながら一行の背を守る。
森の向こうに、古びた巡礼塔が姿を見せる。
その影は静かなまま、しかし“待っている”ようでもあった。
巡礼塔が近づくほど、空気は重たくなっていった。
ただ湿っているわけでも、冷えているわけでもない。
“押し返される感覚”だけが、胸の奥にじわりと積もる。
塔は斜面の上にそびえていた。
白い石で築かれたはずの壁は、今は薄く灰色にくすみ、
陽光を受けても光を返さない。
「……人が管理していれば、こんな風にはなりません」
護衛のハルドが低く言う。
信仰に関わる場所であるだけに、その表情には緊張が色濃い。
エインは足を止め、塔を見上げた。
炎核がうっすらと明滅している。
「……この近く、空気の流れが変だ。吸い込まれてるみたいだ」
シオンが一歩前へ出て、星盤を広げた。
盤上の光が、塔の方角だけ“沈む”ように弱まる。
反応が鈍いのではなく、吸われている。
「……塔の内部から、何かが外へ広がっています。
祈りでも水でも火でもない。
“空白”が動いているように見えます」
ティナがランタンを抱え、そっと炎を覗き込む。
炎は揺れなかった。
風がないのに、揺れなくていいはずなのに――
まるで、炎が塔の方をじっと見つめているようだった。
「ねぇ、エイン……」
彼女が小声で呼ぶ。
「わかってる。……嫌な感じがする」
彼は半歩前へ出て、塔の入口へと続く石段に足を置く。
踏んだ瞬間、石がかすかに沈んだ気がした。
実際に沈んだわけではない。
ただ、踏みしめた感触が“空っぽ”なのだ。
ハルドが剣を握りしめる。
「塔に入る前に、隊長に連絡を……」
シオンが首を振った。
「ここから先、祈りの伝達は届きません。
……戻っても同じです。原因が消えない限りは」
ティナも息を整え、ランタンを握り直す。
「大丈夫。あたしの灯は消えないよ。
エインのそばにいる限り」
エインはその言葉に短く視線を向け、
塔の暗い入口へと向き直った。
――内部は、光が落ちていない。
扉は半ば開いているのに、
中だけが夜のように黒い。
「行く」
エインはそう言って、躊躇なく一歩踏み出した。
ティナが続き、シオンが星盤を構えて背後を守る。
ハルドは最後に剣の位置を確認してから後に続いた。
暗がりの奥からは、音ひとつ聞こえない。
ただ――
塔そのものが、彼らの足音を“飲み込んでいる”ようだった。
そして四人は、
この異変の核心へ足を踏み入れた。
王都の混乱のような激しさはない。むしろ、不気味なほど静かだった。
風が通った跡だけが、村の中心を抜けるように続いている。
巡礼塔での異変を王都へ報告して数日。
エイン、ティナ、シオンの三人は司祭団の依頼で、この“風の沈黙帯”と呼ばれ始めた地方を調査していた。
家々の戸口は開け放たれたまま、皿や道具が中途で放り出されている。
争った形跡はなく、逃げた痕跡もない。
ただ、何かに“ふれられて”動きを止められたような気配が、村全体に漂っていた。
ティナが井戸端の祈り札に手を伸ばす。
文字がかすれ、焼け焦げのような細い跡が縁に走っていた。
「……途中で力が抜けたみたい。ここで祈ってた人、立ったまま倒れたかもしれない」
エインは札を受け取り、痕を指先で辿る。
わずかな“脈”のようなものが、皮膚の奥で跳ねる気がした。
「塔で感じた……あれと似てるな」
断言はしないが、共通の“何か”が関わっている。
シオンも風の流れを観測しながら、眉を寄せた。
「風の精霊層が部分的に……止められています。自然の沈黙ではありません」
丘陵を渡るはずの風は、村に足を踏み入れた瞬間から弱くなる。
まるで、この場所だけが世界から切り離されたようだった。
ティナがエインへ顔を向ける。
「エイン……なんだか、胸がざわざわする。灯が、嫌な風を警戒してるみたい」
エインは言葉を選ぶようにして、村の奥を見やった。
気のせいではない。この沈黙は、どこかへつながっている。
「……進もう。ここは入口にすぎない。
奥に、原因がある」
三人は無言で頷き合い、さらに沈んだ風の向こうへ歩みを進めた。
村を抜けると、細い山道が北へ向かって続いていた。
草木は風を失ったせいか、どれも湿ったように重たく垂れ下がっている。
本来なら鳥の声が響く時間帯なのに、空気は沈んだままだ。
シオンが掌の星盤を開き、歩きながら周囲の流れを読む。
盤面の刻線は、いつもより鈍い光を放ち、ところどころで反応が途切れていた。
「……やはり、風だけではありませんね。
音、祈り、足跡……人が生きる営みの“残り香”そのものが薄い」
「消えたってこと?」
ティナが尋ねる声も、どこか吸い込まれていくようだ。
「正確には――“留まらない”。
本来、祈りは土地に馴染んで記憶を残しますが……ここには痕跡が残らない」
ティナは小聖火灯を胸元に抱き、そっと炎を覗き込む。
灯は弱りはしないが、揺らぎが一定せず、風のない空気の中でひっそりと震えていた。
「この灯も……落ち着かないみたい」
「俺もだ」
エインは歩を止めずに答える。
背中の装甲がわずかに軋み、炎核の脈が沈みきらない。
戦闘前の“緊張”とは違う。
もっと静かで、もっと深い、触れられそうで触れられない違和感が続いている。
道が緩やかに上り、木立の隙間から小さな高台が現れた。
そこには、祈りの柱が一本だけ建っていた。
ルミナリア南部でよく見られる、旅人を守るための小さな祈祷柱。
だが――
ティナが駆け寄ると、表面の紋が半分だけ途切れていた。
削られたわけではなく、途中で“力”そのものが書けなくなったような断絶。
「……ここでも?」
シオンが柱を観察しながら、低く呟く。
「祈りの刻みが途中で止まるなんて、本来ありえない。
祈り手が倒れたのではなく……“祈りが先に消えている”。」
ティナが息を呑む。
エインはしばし柱を見つめ、風の抜けない空を仰いだ。
「塔と同じだ。
何かが、“祈りの底”に触れている」
指先に、冷たいような、熱いような、判別できない微細なざわめきが走る。
エインの炎核は、まだそれに形を与えられずにいた。
「……もう少し進めば、はっきりするかもしれない」
シオンが星盤を閉じた。
三人は風の途切れた高台を後にし、さらに北の山道へと歩みを重ねた。
木々の影は濃くなり、静寂はより深く――。
まだ、誰も気づいていなかった。
この沈黙が、ただの“異変”ではなく、世界の底で起きつつある“兆し”の端であることに。
三人はさらに川沿いへ足を進めた。
途中で交差する小道には、馬車の轍が残っている。村人が日常的に使っていた道だろう。
だが、進むにつれ、少しずつ違和感が積み重なっていった。
まず、川の流れが異様に“静か”だった。
音が小さいとか、水量が少ないというわけではない。
水面に、揺らぎがない。
「……川って、もっと光を揺らすよね」
ティナが思わずつぶやく。
確かに、木漏れ日が川に落ちているのに、反射がほとんど動かない。
風は吹いているのに、水面だけが“止まって見える”のだ。
シオンがしゃがみ込み、手袋越しに水を掬った。
透明で、冷たくて、普通の水だ。
だが星盤を展開すると、淡い光がまったく反応しなかった。
「……水の“記憶”が薄い。
流れてきた道筋を、まるで忘れているみたいですね」
「水が、道を忘れる?」
ティナは眉をひそめる。難しい話ではない。
ただ、目の前の川が“生き物じゃなくなった”ようで気味が悪かった。
エインは黙って川面を見つめていた。
炎核がわずかにざらつく。
水の流れに、抵抗がない。
人の祈りも、生活の余熱も、何も混じっていない――ただの流れ。
「……なんか、違うな」
それだけ言い残し、彼は水から目を離した。
三人は顔を見合わせる。
ここまでの“異常”は、どれも説明がつかない。
・村人は跡だけ残して姿を消した
・祈りの柱は途中で力を失っている
・川の流れは、生きていた痕跡を忘れているように見える
全部つながっていないようで、同じ何かに向けて引っ張られている気配だけがある。
シオンは川の先――北の山影へと視線を向けた。
「何かが、このあたりの“流れ”を断ち切っている。
……わざと、です」
その言葉に、ティナの指先がわずかに震えた。
川沿いの道を進むほど、風が弱くなっていった。
本来なら水辺は風が通りやすい。だが、木々の葉はほとんど揺れず、
草原の端に立つ古い祈祷碑の祈り旗も、垂れ下がったまま動かない。
「……風が止まっています」
副隊長レーンが空を見上げた。
ルミナリアの聖騎士らしく、祈り印を胸の前で結びながら続ける。
「巡礼塔の異変と、関係があるのかもしれません」
シオンは頷き、星盤を広げた。
しかし盤面には通常の光の揺らぎがほとんど映らず、測定にはならない。
「風だけじゃない。土地の“声”が弱っている。
……生きている場所の気配がしません」
「声がしないって、どういう――」
ティナの言葉が途中で止まる。
視線の先、道に沿って建つ小さな民家。
窓枠に布が吊られ、干し草が積まれ、昨日まで人が使っていたような生活の跡がある。
しかし。
家の扉だけが、妙に不自然なほど“開いたまま”だった。
風もないのに、閉じる気配がない。
誰かが出て、戻らなかった。
そう思わせる静けさがあった。
エインが一歩前へ出る。
「……中を確かめる」
「待ってください。何があるかわかりません」
レーンが止めかけたが、エインは軽く首を振る。
「人がいた形跡はある。けど、足跡が少なすぎる」
その指摘に、全員が周囲を見回した。
確かに、生活の痕跡の割に、地面に“人が歩いた跡”がない。
地面が柔らかくないわけではない。
ただ、歩いた形跡だけが不自然に薄い。
ティナはランタンを胸に抱き寄せた。
「……ねぇ、エイン。
人が急にいなくなるって、そんなに起きるもの?」
彼は答えず、扉の前に立つ。
その背中に、ほんのわずかに炎核の光が流れた。
シオンが小さく呟く。
「誰かが、あるいは“何か”が……人を攫ったのではありません。
もっと静かに、もっと気づかれない形で――
この土地から“消した”のかもしれない」
その言葉に、空気が冷えたように感じられた。
ティナの喉がわずかに震える。
「……そんなこと、できるの?」
「今はわかりません」
シオンは首を振る。
「ですが、原因はきっと――
この先の《巡礼塔》にある」
レーンが構え直す。
「この家は我々が確認します。
あなた方は塔へ向かってください。
……ここから先は、普通の祈りでは守れない危険があるかもしれない」
エインはうなずき、ティナとシオンに視線を向ける。
「行くぞ。ここで立ち止まっても、何も戻らない」
ティナはランタンを強く握りしめた。
その炎はかすかに揺れたが、決して消えなかった。
そして三人は、巡礼塔へ続く坂道へ足を踏み出した。
静まり返った民家が、背後でゆっくりと遠ざかる。
風は吹かず、川は音を立てない。
ただ、胸の奥で――何かが、かすかに軋む。
巡礼塔へ続く坂道は、思った以上に荒れていた。
本来なら巡礼者や神官が行き交う聖地の道だが、草は伸び放題で、祈り札は褪せ、石段は割れている。
護衛としてついてきた聖騎士ハルドが、周囲を見回しながら言った。
「……人の気配が、ずっと途切れたままです。まるで、誰も戻ってこなかったような」
エインは足元を見つめる。
「足跡が残ってない。人がこの先へ進んだ形跡も、ここへ戻った跡も」
「風で消えたんじゃなくて?」
ティナは不安げに周囲を見る。
シオンは星盤を開きかけ、しかし途中で手を止めた。
「違います。
足跡だけじゃなく、“痕跡そのもの”が薄い。
道が人を覚えてないみたいだ」
森の奥は静かすぎた。
風が抜けない。
鳥の羽音すらしない。
ただの静寂ではなく、何かに“奪われている”沈黙。
ティナが思わずランタンを抱え直す。
「……なんか、やだな。息が詰まる」
エインは森を見渡し、低く言った。
「気を張っとけ。普通の静けさじゃない」
そのときだった。
一本の木から落ちた葉が――
地面に落ちる前に、横へ“滑る”ように引かれた。
風は吹いていない。
虫もいない。
何もない空間で、葉だけが奪われた。
ハルドが息を呑む。
「……見間違い、ではありませんよね?」
「見たよ。あれ……風じゃない」
ティナは声を震わせる。
シオンは星盤を展開し、光の揺らぎを追う。
「……何か、“形がない流れ”が動いています。
生き物でも、祈りでもない。
ただの空気なのに、強引に引っ張られている」
エインの炎核が小さく鳴った。
「塔の方向だな」
「ええ。異常の中心は、巡礼塔です」
シオンがはっきり言った。
エインは躊躇なく一歩進む。
「ここで立ち止まっても、何もわからない。行くぞ」
ティナはランタンを強く握りしめ、彼の後に続いた。
ハルドは剣を抜き、周囲を警戒しながら一行の背を守る。
森の向こうに、古びた巡礼塔が姿を見せる。
その影は静かなまま、しかし“待っている”ようでもあった。
巡礼塔が近づくほど、空気は重たくなっていった。
ただ湿っているわけでも、冷えているわけでもない。
“押し返される感覚”だけが、胸の奥にじわりと積もる。
塔は斜面の上にそびえていた。
白い石で築かれたはずの壁は、今は薄く灰色にくすみ、
陽光を受けても光を返さない。
「……人が管理していれば、こんな風にはなりません」
護衛のハルドが低く言う。
信仰に関わる場所であるだけに、その表情には緊張が色濃い。
エインは足を止め、塔を見上げた。
炎核がうっすらと明滅している。
「……この近く、空気の流れが変だ。吸い込まれてるみたいだ」
シオンが一歩前へ出て、星盤を広げた。
盤上の光が、塔の方角だけ“沈む”ように弱まる。
反応が鈍いのではなく、吸われている。
「……塔の内部から、何かが外へ広がっています。
祈りでも水でも火でもない。
“空白”が動いているように見えます」
ティナがランタンを抱え、そっと炎を覗き込む。
炎は揺れなかった。
風がないのに、揺れなくていいはずなのに――
まるで、炎が塔の方をじっと見つめているようだった。
「ねぇ、エイン……」
彼女が小声で呼ぶ。
「わかってる。……嫌な感じがする」
彼は半歩前へ出て、塔の入口へと続く石段に足を置く。
踏んだ瞬間、石がかすかに沈んだ気がした。
実際に沈んだわけではない。
ただ、踏みしめた感触が“空っぽ”なのだ。
ハルドが剣を握りしめる。
「塔に入る前に、隊長に連絡を……」
シオンが首を振った。
「ここから先、祈りの伝達は届きません。
……戻っても同じです。原因が消えない限りは」
ティナも息を整え、ランタンを握り直す。
「大丈夫。あたしの灯は消えないよ。
エインのそばにいる限り」
エインはその言葉に短く視線を向け、
塔の暗い入口へと向き直った。
――内部は、光が落ちていない。
扉は半ば開いているのに、
中だけが夜のように黒い。
「行く」
エインはそう言って、躊躇なく一歩踏み出した。
ティナが続き、シオンが星盤を構えて背後を守る。
ハルドは最後に剣の位置を確認してから後に続いた。
暗がりの奥からは、音ひとつ聞こえない。
ただ――
塔そのものが、彼らの足音を“飲み込んでいる”ようだった。
そして四人は、
この異変の核心へ足を踏み入れた。
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『おぉ、伝承にある通り…異世界から召喚された者には、素晴らしい加護が与えられた!』
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イケメンの正義は爽やかな笑顔で聞いてきた。
俺は儀式の札を見ると、【アンノウン】と書かれていた。
その場にいた者達は、俺の加護を見ると…
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『ふむ…朔夜殿だけ分からずじまいか。だが、異世界から来た者達よ、期待しておるぞ!』
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まぁ、その方が気楽で良い。
そして正義は、リーダーとして皆に言った。
「魔王を倒して元の世界に帰ろう!」
正義の言葉に3人は頷いたが、俺は正義に言った。
「魔王を倒すという志は立派だが、まずは魔物と戦って勝利をしてから言え!」
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「肩書きがどんなに立派でも、魔物を前にしたら思う様には動けないんだ。現実を知れ!」
「何よ偉そうに…アンタだったら出来るというの?」
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