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「────それが、会いにいった誰もが、心当たりがないと言うんだよ」
久しぶりに屋敷を訪れたフロードは、溜め息を吐いてカップに口をつけた。
謝罪行脚の過程については、さわりだけ話を聞き、その後、彼が告げたのがその言葉だった。
僕は目を瞬かせると、菓子の盆を相手の側へ寄せる。
「嘘を吐いている人がいる?」
「だと思う。数名、目が泳いだように感じた人がいた。けれど、この人だ、と分かる訳でもないしね」
彼の呪いについては、再会ついでに状態を見させてもらっている。
結果、変化なし、だ。彼の胸に巣くった呪いは、何も変わらずその場所にあった。
「精一杯、謝罪はさせてもらった。曖昧だった別れも、きっちり言葉にしてきた。私としては、これ以上、思い当たる節がない。あとは……時間を置いて、謝罪を繰り返すしかないかもしれないね」
そう告げる彼の表情は、どこかさっぱりとしていた。
謝らなければ治らないのなら、そうする、とでも言いたげだ。
僕は、人魚の話を切り出すのか迷った。フロードがまた繰り返すのであれば、根本的な解決なしに呪いを解くのは無駄骨になる。
「気を悪くしないでほしいし、話したくなければそれでいいんだけど。フロードは、どうしてそんなに恋人が沢山いたの? 番になる人を、探してたの?」
「いや。オメガとは、あまり交際はしないようにしていたよ。遊びではなくなってしまうから」
彼は少し迷うように視線を上に投げると、諦めたように息を吐く。
「今は、反省しているし、もう無闇に恋人を増やすような真似はしないと固く誓った。……という前提で聞いてくれるかな?」
「勿論。今日も、以前からすると、大分しおらしいものね」
僕の言葉に、彼は力なく笑みを浮かべる。
肩はすっかり丸くなって、この事態に堪えていることが伝わってきた。
「聞いて楽しい話でもないから、概要だけ。若い頃に、オメガの発情期に巻き込まれたことがある。気がついたら、ろくに知らない人間と肌を重ねていた」
ひゅっと僕の喉が変に鳴った。服の裾を両手で掴む。
オメガの立場でも悪夢であろうその出来事で、アルファの立場を慮るのは容易かった。
「しばらくは人間不信のようになって引き籠もっていたんだけど、少しずつ回復して。それからかな、無意識に恋人を増やすようになったのは。一なら傷だけど、百ならよくある事。そう、……思いたかったのかもしれない」
彼の声は不規則に震え、まだその傷が癒えていないことが分かった。
立ち上がって、隣に座って、また手を重ねたかった。人魚の魔力の一端は、彼の魔力をなだらかにするだろう。
けれど、そう考えるだけで足が竦む。呪いの発動しない、好意を持っていない相手が、癒やそうとしたとして、彼を発情期に巻き込んだオメガと何が違うのだ。
フロードの意に沿わないことをしている。その事実に違いはなかった。
「けれど、切っ掛けがどうあれ、したことに変わりはない。情状を鑑みて酌量されたとしても、罪状は変わらないんだよ。それが分かった。私は、呪いを受けるべきだったのかもしれないね」
最後まで言い終えたフロードの顔には、少しずつ色が戻ってきた。
僕が呪いに掛かった後の彼しか知らない所為かもしれないが、会わない間にやつれたような気がする。原因を作ったのは確かに彼だが、償おうとしているのもまた彼だ。
軽く息を吐く。持参していた書物を取り出すと、机の上に広げる。
「────フロードがいない間、西の魔女の呪いを解く術を知っていた『東の魔術師』について調べていたんだ。昔の文献を漁っていたら『東の魔法使いは強大な魔力を持ち、治癒魔法に優れた才を示した』と書かれていた。これが、西の魔女の呪いを解けた理由かもしれない」
「原因を取り除く以外の方法で解呪するときには、術式への理解と、相手の術者を上回る魔力が必要、だったかな」
「そう。東の魔術師は、強大な魔力を持っていた。それだけを理由に、呪いを解いたのかもしれないけど、『強い力を持っていて、治癒が得意な存在』という共通点を持つ存在ががもう一ついるんだよ。……フロードは、水妖というものを知ってる?」
「ああ、分かるよ。うちの家が所有している別荘があって『水妖の歌う港町』は訪れたことがある。妖精の一種で、水辺に棲み、美しく歌う存在。港町では、人間の男と恋をした話が伝わっていた」
水妖は人に近いかたちをしている為か、時おり人間と恋に落ちる。
けれど、双方の寿命は悲しいほどに離れている。悲恋で終わる話が多く、僕はあまり好きではなかった。
指先で頁を捲る。開いた頁には、水妖の想像図が描かれていた。
「僕の先祖に、水妖と似た存在……人魚の血を引いた人物がいた。人魚の魔力は膨大で、水のように人に染み渡る特性を持っていたみたい。人魚の血を引いた人間もまた、治癒魔術に優れた才を示すことが多かったそうだよ。僕は、『東の魔術師』もまた水妖と何らかの関わりがあって、水妖に力を借りて呪いを解いた可能性があると思ったんだ」
「シュカ。もしかして、この妖精の存在すら朧気な時代に、港町に行って水妖に力を借りようと思ってる?」
僕とフロードの間に、無言の時間が流れた。
恐るおそる、ゆっくりと首を縦に振る。彼は面食らったような表情のまま固まっている。
「フロードは妖精なんて眉唾だって思ってるかもしれないけど、僕、小さい頃には家の中を走り回るころころした妖精とか、水辺に浮かんでる小さい人たちを見たことがある。今まで錯覚だと思ってきたけど、でも、僕の血に水妖に似た存在の血が混ざってるなら、錯覚じゃないかもしれない。……じゃない」
最後に近づくにつれて小さくなっていく声が、気持ちと共に萎んでいく。
荒唐無稽なことを言っているのだろうに、何故か気持ちは遠いはずの港町にあった。
「フロードはほら、忙しいだろうから、僕だけで港町に行こうと思うんだ。水妖のことが分かれば、また手段が見つかるかもしれないし」
「…………君が行くというなら、私も行くよ。毎日毎日謝りに向かっても迷惑だろうし、元々すこし、時間を空けようと思っていたんだ」
フロードは手帳を開くと、僕に日付を問うた。
移動手段を調べておらず躊躇っていると、別荘を所有している関係もあり、彼の領地から港町付近への転移魔術式が存在するそうだ。
「狭い別荘ではないし、シュカが泊まれる部屋もいくらかある。料理は管理人に買ってこさせてもいいし、食べに出るのも楽しいはずだよ」
「……なんだか、観光みたい」
「まあ、可能性が低いものを探しに行くんだし、それくらいに思っていた方がいいよ。観光ついでに情報収集、なら成果がなくてもがっかりしないしね」
二人で予定を擦り合わせ……とはいえ前回と同じように二人とも時間の自由が付く状態で、かなり近い日付に決まった。
「……気を悪くしないでほしいけど、念のため。発情期は平気?」
「うん。抑制剤も持って行く。フロードを巻き込まないようにするから」
僕がそう返すと、彼は複雑そうにゆっくり眉を寄せた。
何か言いたげだったが、途中で諦めて唇を閉じる。言葉に追い縋ることもできたが、そうはしなかった。
「折角の遠出だし、楽しい旅行にしよう」
「うん。フロードは呪いを抱えたままなのに、何だか、ごめんね。あまり進展しなくて」
「呪いを受けた原因は私にある。それに、気持ちがすっきりした所為か、『好意を持った』の条件を満たす人がいなくなってしまってね」
僕が首を傾げると、彼はくすりと笑った。
「昔、恋人であったはずの人と会っても、呪いが発動する類の『好意』を抱けなくなっているようだよ」
「でも、僕に依頼に来るまでは、発動したことがあったんだよね?」
「そうだね。けれど、その人ともきっちりお別れをさせて貰ったし。会って握手しても、胸はなんとも無かった。最近はめっきり無事で、呪いが緩和していると言えるのかもしれない。だから、多少、楽しい旅行を挟んでも平気だよ」
フロードが変化している事は、魔力の波に触れる時になんとなく分かった。以前の波よりも穏やかで、芯のようなものを感じる。
呪いを解きたければ謝って回れ、と言われて受け入れる人間に、芯がないとは思えない。その選択が生来の彼の心根によって成されたのなら、今の波の方が彼の素のはずだ。
恨みも、呪いも多数は悪いものに違いない。けれど、呪いを受けてからの彼は、おそらく良い方向に変化している。
「フロードの魔力の波、とても気持ちがいい波に変わってきてる。そのうち番が見つかったら、もっと安定するよ。きっと」
そう言いながら、何となくもやっとしたものを抱えてしまう。呪いを解いて、番が見つかって彼が幸せになること、を僕は素直に喜べないらしい。
感情を誤魔化すために、わざとらしく笑顔を浮かべた。
「……だと、いいけれどね」
微笑みあって、お茶の時間を一緒に過ごした。
それから立てた旅行の算段はとても楽しいものだったけれど、一度できた澱みは胸の中に残り続けた。
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