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1巻

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 ねやのことは夫に従うこと。そう教えられていたから。
 それに夫婦のいとなみをするというより、手術をほどこされる気分であった。大人しく、従順にしなければ失敗して、恐ろしい目に遭う。そんな感情……

「んっ……」

 肉厚な舌がじ込まれてきたかと思えば、歯列をなぞり、シンシアの舌をつついてくる。彼女はびっくりして自分のそれを引っ込めようとしたが、ロバートは許さず、そのままからめ取ってしまう。まるで食べられてしまうかのような恐怖とそれ以外の未知の感覚に襲われ、思わず彼の肩口の袖をつかんだ。

(こんな……)

 彼女は苦しくて、ロバートを引きがそうとした。

「鼻で息をするんだ」

 恥ずかしいと思ったが、その通りにする。彼の息と自分の息を肌で感じると、彼女の頬は熱く、頭の芯がしびれていくのを感じた。
 気づけば、ぐったりとロバートの腕の中にもたれかかっていた。彼は後ろからシンシアを支えながら、身体をいじり始める。
 最初は落ち着かせるためだと思っていたが、胸を際立たせるようにし、太股の付け根をゆっくりとなぞる指先に、次第にぴくぴくと反応してしまう。

「はぁ、はぁ……んっ……」

 呼吸が浅くなって、時折こらえきれず鼻にかかったような声を上げた。恥ずかしい。意識しまいと身体に力を込めると、余計に感じてしまう。
 彼のこの行為には何の意味があるのだろう。
 シンシアは尋ねたかったが、彼の心情を害してしまいそうで、必死に耐える。けれど――

「あっ……」

 ワンピース型になっている夜着の裾から手をもぐり込ませ、ロバートは直接シンシアの肌へと触れてきた。服の上からと違い、彼の大きなてのひらは生き物のようで、皮膚を粟立あわだたせる。それが怖くもあり、しかしもっと感じてしまう自分がいた。

「下は穿いていないのか」
「メイドが、穿く必要はないと、言ったので……」
「なるほど。それもそうだ」

 薄紫色の布地の下で不自然に盛り上がり、這い回っているのはロバートの利き手。もう片方の手は――

「まって、ロバート様」

 シンシアは、自分の胸の形をぐにゃりと変えていた手を思わずつかんでしまう。

「どうした?」
「あの、いえ……」
「大丈夫だ。夫婦となる者はみんなやっている」
「んっ、でもそこはっ……!」

 太股をなぞっていた彼の指先がたどり着いた先は、シンシアにとって触れてはいけない場所だった。

「そこも、触らないとだめなのですか」
「……ああ。触らないと、だめなんだ」

 そんな……と彼女は絶望しそうになった。
 シンシアの心中を余所よそに、ロバートは割れ目をなぞり、その上にある小さな突起をつついてくる。何度も、何度も。その間右手はお腹や胸をさすり、首筋には彼の熱い息が吹きかけられて、シンシアの小さな悲鳴と重なっていく。

「濡れてきた……」

 ロバートの指摘にシンシアは動揺した。粗相をしてしまったと思い、もがいて逃げようとすれば強く抱きしめられて、大丈夫だとささやくように耳元で言われる。

「触ると、濡れてくるんだ」
「うそ……」
「嘘じゃない」

 ロバートの言葉を証明するように、くちゅくちゅという水音が聞こえてきて、お腹の奥がむずむずしてくる。

(なに、なんだか……)
「ロバート様……んっ、わたし、変です。何か……あっ、いや、こわい、やめて、おねがい、手をとめてっ」
「大丈夫、そのまま身を任せて……」

 小さな突起が次第にぷっくりと膨らんでいく。シンシアの口から漏れる声は甘く、はしたない音がどんどん大きくなっていく中、熱い何かが迫ってくるのを感じた。

「あっ、だめっ……、もう、もう……、ぁんっ――」

 シンシアは背をのけ反らせ、ガクガクと身体を震わせた。頭の中が真っ白になり、気怠けだるくも、心地よい疲労感に包まれる。

(わたし、いま……)
「それが女性の快感だ」

 ロバートにじっと見下ろされていたことに気づき、シンシアは恥ずかしさで火照ほてった顔をさらに赤くさせた。今度こそ彼の腕から抜け出そうとすれば、お尻のあたりに何かが当たっているのに気づいた。

「あの」
「これからが本番だ」

 彼はシンシアの服をすべて脱がせ、自身もまた夜着を脱ぎ捨てた。男性の裸などそれまで見たこともなかったシンシアは、思わず顔を逸らしてしまう。
 彼はシンシアを寝台の上へ寝かせると、綺麗なお椀型の乳房を片手で揉みしだく。

「んっ……」

 顔を近づけられ、また舌が入りキスされる。残りの手で太股を撫で、突起をいじられたかと思えば、秘裂を割って指が中へ入ってくる。異物の侵入にシンシアは怖くなり、閉じていた目を開けてすがるようにロバートを見つめた。彼もまた、じっと自分を見つめていた。

「大丈夫。もう一度、感じればいいんだ」

 彼女は夫を信じて、頷いた。

「ううっ……」

 中は狭くて、痛くて、彼の指をきゅうきゅう締め付けてしまう。でも粗相をしてしまった時のようにぐっしょりと濡れていて、彼に襞をこすられるとさらに蜜があふれ出てくる。

「はぁ、はぁ……」

 身体はじっとしてくれず、シンシアはもどかしげに身をくねらせ、ロバートの指先から逃れようとする。それを許さないと言うように彼は伸しかかり、しっとりと汗ばんだシンシアの肌を押さえつけた。

「んっ、ぁっ、いやぁっ……」

 お腹の内側を撫でられ、シンシアは身体を大きく痙攣けいれんさせた。今度は一回目の時のように上手く達することができず、もどかしさだけが残る。

(もう、むり、動けない……)

 疲れてぐったりと目を閉じて息をするシンシアを余所よそに、ロバートが身体を起こし、シンシアの両膝をつかんだ。

「ロバート様?」

 ぐいっと大きく開かされた脚。そこに見える景色をロバートはじっと眺めている。まさかそんなことをされるとは思わず、シンシアは慌てて身を起こし、脚を閉じようとした。

「閉じるな」

 彼女は嫌だと、とっさに首を振ってしまう。

「ロバート様。そんなところ、見てはいけません」
「見ないと入れられない」

 何を……と彼女は彼のそれを見て言葉を失った。

「これを、きみのここに挿入いれる」

 蜜で濡れた花びらをなぞられ、彼女はごくりと唾を呑み込む。

「む、むりです。そんな大きいもの、入りませんわ……」
「大丈夫だ。ゆっくり挿入いれるから」

 ロバートは尻込みしたシンシアの身体を引き寄せ、蜜口に先端部分をぐちゅりと押し付けた。そこはシンシアの愛液でぬらぬらと濡れており、滑って赤い突起をつつかれる。そうすると得も言われぬ快感に襲われ、シンシアは熱い吐息を漏らした。
 何度かそうしたあと、ロバートはぐっと熱い塊を中へ押し込んでくる。快感が引き裂くような痛みに変わり、シンシアは悲鳴を上げた。

(いたい、やめて、こわい……)

 でも決してやめることはできない。
 だってロバートと結婚したから。これが自分の果たすべき役割だったから。

「もう少し、力を抜いてくれ……」

 ロバートが苦しそうに言う。

「できない……どうすればいいの……」

 痛みでボロボロと涙を流すシンシアを見つめていたロバートは顔を寄せ、口づけしてきた。彼女はそれが唯一痛みから抜け出す方法ならばと、必死で彼の舌を自分のそれと絡め、吸い付いた。口からこぼれた唾液をロバートが舐め取り、首筋や白い胸元に舌を這わせた。
 そうこうしているうちに剛直はゆっくりと奥へ進み、シンシアの隘路あいろをこじ開けていく。

「はぁ、全部、はいった……」

 彼女は痛くてたまらず、ロバートの背中に腕を回した。

「ロバート様、いたい……」

 今この場で自分を救ってくれるのは彼しかいなかった。
 助けて、と彼女は幼子のようにロバートに訴える。

「しばらく、じっとしているから……」

 ロバートはぎゅっとシンシアの身体を抱きしめ、彼女の亜麻色の髪を撫でた。すると硬く凝った胸の尖りが呼吸と共にこすれ、彼女はロバートのものを締め付けてしまう。
 うめき声を上げた彼は顔を上げ、汗ではりついたシンシアの前髪をかき上げる。

「そろそろ、動いていいか」

 本当はこのまま抜いてほしかったけれど、それでは終わらないのだろうと思い、シンシアは小さく頷いた。

「はぁっ、はぁっ……っ……」

 荒い息を吐きながらロバートは肉杭を奥から浅いところまで引き抜き、また中へと押し入れる。媚肉をこすられ、とろりとした蜜が出てくると、ぐちゅぐちゅと淫靡いんびな音が鳴り、シンシアの蜜口からあふれ、尻をつたってシーツを濡らした。

「んっ、んっ、ぁっ……」

 シンシアは必死でロバートにしがみつき、彼は汗をぽたぽたとシンシアの肌に垂らしながら、抜きしを繰り返した。寝台がぎしぎしと揺れ、二人の荒い息が部屋の中を満たす。

「はぁ、はぁ、出すぞっ……!」
「はい、んっ、あっ、ああっ……」

 最奥に熱い飛沫しぶきが注がれたかと思うと、ロバートはシンシアをいかせた突起をぐりぐりと刺激する。もどかしい思いを抱えていた彼女は、それによってびくびくっと身体を震わせた。中が締まり、ロバートのものをさらにきつく締め上げる。

「あぁ……」

 彼はすべての力を使い果たしたというようにシンシアの隣に身体を沈め、浅い息を吐き出した。シンシアもズキズキとした痛みを覚えながら、深い疲労感でぐったりと目を閉じて呼吸を整える。

(これが子どもを作る行為……)

 そして愛する人と行うもの。
 でもロバートにはシンシアの他に好きな人がいる。

(こんなことを、子どもができるまで……)

 シンシアには、それがとても果てしない道のりに思えた。


 破瓜はかの痛みが治まると、ロバートはまたシンシアを抱いた。それから数日おきに、体調のよい日は一回の行為で二、三度精を放つこともあった。当然彼女は拒まず、夫のなすがままに身体を差し出し、与えてくれる痛みと快感を享受した。

「あっ、あっ、ああっ――」

 初めは陰核でしかいけなかったシンシアだが、回数を重ねるうちに中で達することも増えてきた。

「今は、中でいった?」
「はぁ、はぁ、はい……中で、いきましたわ……」

 シンシアはなぜ彼が毎回そんなことを尋ねるのか疑問にも思わず、素直に答えた。
 彼女にとってロバートは無意味なことなどしない完璧な人間であり、彼の言動はすべて、世の夫婦が行う模範的な行動だと思っていたから。

「どこに触れられたのが、一番気持ち良かった?」
「それは……」
「教えて」
「……ここが」
「どこ?」

 じっと見下ろしてくるロバートの視線に耐えきれず、彼女は目を伏せて、先ほどまで散々いじられた、ふっくらとした尖りを指先でそっと触れてみせた。

「ここが一番よかったのか」
「……はい」

 小さく、か細い声で肯定した。

いじってみせて」
「えっ?」
「俺がやったみたいに、今度は自分でやるんだ」
「そんな、どうして……?」

 シンシアが戸惑って見つめても、ロバートは強い目で答える。

「俺が仕事でいない時、自分でなぐさめる必要があるからだ」
「そんな……その時は我慢しますわ」
「我慢は身体に良くない。いいからやってみせて」

 シンシアは泣きそうになりながらも、ロバートに逆らうことができず、言われたとおりに実行した。
 けれど上手くできず、泣きながらロバートに助けを求めれば、彼はシンシアが許しを乞うまで指でいかせ、きみは淫乱だと耳朶じだなぶりながら告げた。そしてもっと気持ち良くさせてやると言い、脚をうんと大きく開かせ、シンシアの秘所を舌先でペロペロと舐め始めた。

「やだ、ロバートさま、ぁんっ、そんなとこ、舐めないで……っ」

 何度恥ずかしいからやめてと懇願しても、ロバートは聞き入れてくれない。むしろシンシアが嫌がれば嫌がるほど、ますます執拗しつように蜜口を舐め、舌を割れ目の奥へとじ込んでくる。
 舌のざらざらした感触は濡れていないと痛く感じるが、シンシアのそこはぐっしょりと濡れそぼっており、肉棒を挿入されるのとはまた違う快感をもたらした。

「んっ、んっ、あぁっ、だめっ、ロバートさまっ、もうおやめになって、あぁっん……!」

 花芽と一緒に刺激を与えられ、シンシアは何度目かわからない絶頂を味わった。もう休ませてほしいと懇願しても、彼は熱いたかぶりを挿入して、中をねっとりとかき回してくる。
 そのおかしくなるほどの快感に、シンシアは普段からは考えられない甲高い悲鳴をひっきりなしにあげた。そしてロバートに気持ちいいかと聞かれ、深く考えず気持ちいいと答える。
 さらにすでにぐずぐずに溶けきった理性でロバートの腰に脚を絡ませ、ちゅぱちゅぱと口を吸い合う。限界が近づいてくると、本能が一番奥に出してほしいと訴え、ロバートもそれにこたえた。

(ああ、熱い……きもちいい……)

 白濁が、彼の精液がたっぷりと最奥へ注ぎ込まれ、シンシアは恍惚こうこつとした表情で彼のものを受け止めた。その瞬間は例えようのないほど甘美で、すべての苦しみから解放される気分になる。

「シンシア……」

 ロバートは無知なシンシアに何でも教えてくれた。そして必ず実践してシンシアの身体に快楽を覚えさせていった。夫に何度も抱かれているうちに、すっかりシンシアはロバートのことばかり考えるようになってしまった。
 けれどそれは好きなどという感情ではなく、相手をできるだけ不快にさせない、怒らせてはいけない、そうしないとまずいことになるという気持ちであった。

(彼はよく平然としていらっしゃる)

 夜に寝室で過ごすロバートと、昼間仕事をしている彼はまるで別人だ。
 その違いにシンシアの方が戸惑ってしまう。

(それとも、わたしだけあんなはしたない姿を見せるから、羞恥心しゅうちしんに襲われるのかしら)

 夫とはいえ、あられもない姿をさらしてしまう自分に、シンシアは次の日必ず自己嫌悪におちいってしまう。もっと器用な人なら、あんな痴態をさらさず、夫と上手くつながるのではないだろうか。

(確かめてみたいけれど、こんなこと、誰にも聞けないし……)

 はぁ、とため息をこぼして、シンシアはブランコをいだ。
 カーティス家の庭には、太い木の枝にロープがくくりつけられた手作りのブランコがあった。彼も幼い頃はこうして遊んでいたのだろうかと、シンシアは不思議な気持ちになる。

「……さん。シンシアさん!」
「あっ、はい!」

 彼女を呼んでいたのは、きりりと目尻の上がった中年の――けれど貞淑さがただよう貴婦人だ。

「お義母様かあさま。そんなに急いで、どうなさったのですか」
「どうしたもこうしたも、散歩に行ったきりあなたが帰ってこないから様子を見に来たんです」
「まぁ、そんなわざわざ……」

 恐縮するシンシアにロバートの母、マーシア夫人はツンとそっぽを向く。

「あなたはいちいち謝る癖がついているのね。ロバートが愚痴をこぼしていたわ」
「ごめんなさ――」

 また謝罪の言葉を口にしそうになり、シンシアは慌てて自分の口を手で封じた。それを見てマーシア夫人は、今度はふんと怒ったように眉根を上げる。

「あなたは昔からそうだわ。もう少し自分に自信を持ったらいかが?」

 夫人はシンシアの母とも交流があったらしく、幼いシンシアのことも知っていたらしい。しかし母が亡くなって、父が継母と再婚してからは、メイソン家に出向くことはなくなった。そのためシンシアからすれば、夫人とはほぼ初対面で、話す度に緊張をいられる。
 もっともそれは、誰に対しても同じかもしれないが。

「はい。そうしますわ」
「お返事はいいけれどね、実行できないと何の意味もないのよ」
「はい。おっしゃる通りです」

 マーシア夫人は常日頃から世間に対して言いたいことがたくさんあり、シンシアに注意するかたちで話が大きく逸れていくのはいつものことであった。

「いいこと? これからの時代、女性がもっと前を向いて歩いていくべきなの。夫なんて、いつぽっくりあの世へ逝ってしまうかわからないんですからね。早い段階からあれこれ見極めて、周囲を管理しておく必要があるのよ」

 マーシア夫人の夫、つまりロバートの父親は数年前に亡くなっており、その時にシンシアの実家であるメイソン家は夫人とロバートを支援したのだった。
 だからといって彼らが苦労したことには変わりなく、夫人の言葉にはその時の大変さが込められているのだろう。

「あなた、ロバートに何か弱味でも握られているの?」

 夫人の言葉にシンシアは目を丸くする。

「いいえ。ロバート様はよくしてくれますわ」
「母親の前だからって遠慮することないのよ?」

 シンシアは、いいえ、とおっとりと微笑んだ。彼は要領の悪いシンシアのことを好いていない。でもそうした感情は一切表へは出さず、良き夫として接してくれる。
 結婚したら手酷い扱いを受けることを想像していたシンシアは、それで十分だと思った。

「わたしにはもったいないくらいの方ですわ」
「そんなにできた息子ではないと思うけれど……」

 しかし息子を褒められて悪い気はしないのか、夫人は手にしていた日傘をくるくると回した。

「まぁいいわ。それよりいつまでもこんなところにいないで、中に入ってお茶でもしましょう。隣国から取り寄せた茶葉があるのよ」
「はい、お義母様かあさま

 シンシアが楽しみだと笑みを見せれば、夫人はつられてにこっと微笑んだ。
 実家にいると父や継母、弟妹たちの目が気になっていつもびくびくしていた。
 ここでもたいして変わらなかったけれど、マーシア夫人は赤の他人だったから仕方がないとすんなり諦めることができるぶん、気持ちは幾分いくぶん穏やかであった。


「シンシア。母さんに何か言われた?」

 夜、商談先から帰宅したロバートが寝室でタイをゆるめながら聞いてきた。シンシアは晩酌用のグラスと酒を用意しながら答える。

「いいえ? 特に何も」

 彼はタイをテーブルに投げ置くと、こちらへスタスタと歩いてきた。

「本当か?」

 頬に手を添えられ、目をのぞき込まれる。ロバートと話している時、よくこうして視線を調整させられる。たぶんシンシアの視線がいつも下がっているのが気に食わないのだろう。

「はい。本当です」
「きみは何かあっても我慢する人だからな」

 ぱっと手を離し、彼は一人用のソファにぐったりと身を沈めた。彼にもそんなだらしないところがあるのだと、シンシアは意外に思う。

「やっぱり今からでも新居に住もうか」
「まぁ、どうして?」
「ここじゃ何かと母さんの目が気になるだろ」

 だが新居に住み始めても、使用人たちに囲まれているのは変わらないはずだ。

(それに二人きりの時間が増えても、どう過ごせばいいかわからないもの……)

 けれどロバートは義理堅いので、愛のない結婚でも妻である自分を尊重しようとしてくれるだろう。シンシアは余計な気は使わせまいと思った。

「わたしは特に気にしませんわ」
「本当か?」
「ええ」
「俺は気になる」

 はぁと長い脚をだらしなく伸ばし、ロバートは疲れたように目をつぶった。

「父さんが亡くなって、ますます小言が増えた気がする」
「それだけお寂しいのよ」

 夫婦仲は良かったと聞いているから、その反動だろう。

「俺たち夫婦のことにもあれこれ口を出されて、正直迷惑している」
「ロバート様……」

 彼は目を開けて、シンシアを見つめた。その目がこちらへおいでと言っているように思い、彼女はそっと近寄って、夫の足元へひざまずく。彼は前屈みになって、少々決まり悪げにつぶやいた。

「愚痴ばかり言ったな」
「いいえ、そんな……」

 ロバートの気持ちもわからなくはなかった。けれど――

「たった一人の家族ですから。大切になさってください」

 いつもと違った雰囲気をにじませるシンシアの言葉に、ロバートは目を丸くする。そしてふと気づいたように目をまたたいた。

「そう思うのはきみの家族のせいか?」
「そうかもしれません」

 彼女は曖昧あいまいに笑い、誤魔化した。
 あまりこの話はしたくないと、彼女は下を向く。ロバートの視線をしばらく感じたけれど、さとい彼はそれ以上尋ねてくることはしなかった。

「わかった。家を持つのは、もう少し後にする」

 シンシアは顔を上げて、弱々しく微笑んだ。


     ◇


 結婚してから数カ月が過ぎた。ロバートは社交界に出向くことが当然ある。シンシアも誘われればもちろん妻として付き添うが、いつも居たたまれない心地になってしまう。

(わたしなんかが、彼の隣にいていいのかしら)

 じろじろと向けられる視線が、ロバートの妻として相応ふさわしくないと告げているようで、彼女は逃げ帰りたくなるのだ。一応彼に恥をかかせないよう化粧にも衣装にも気を使っているが、限界はある。

「どうした」
「あ、いいえ」

 黒い燕尾服えんびふくに白いシャツとベスト、タイを身に着けたロバートは他の誰よりも一番目立っている気がした。男性はだいたいみな同じ格好になるからその差がはっきりと出る。
 でもそれを口にするのは失礼だろうと、シンシアは別の理由を答えた。

「年上の方にも気後きおくれせず話していらしたので、すごいなと思いまして」
「どんな相手にでも、常に堂々と話すべきだと教えられた」

 きみの父親に、と言われてシンシアは目を丸くする。彼はちらりとこちらを見ながら続けた。

「別に俺だって、最初から臆せず話せるようになったわけじゃない。生意気だってけむたがられることもあったしな……」


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