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第2章

第1話(1)

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 その噂を耳にしたのはいつごろだっただろう。
 正確な時期は思い出せないが、去年の夏休みまえであったのは間違いない。

 群司には、十歳年の離れた兄がいた。
 群司が中学に上がる歳に両親が離婚し、群司は母方に引き取られた。
 父は警視庁の警察官で、その影響もあってか、大学卒業後の兄の進路も父とおなじ道へと進むことになった。結果、兄の優悟ゆうごは両親の離婚とおなじタイミングで警察学校の寮に入った。

 根っからの仕事人間である父はほとんど家に居着かない人だったし、学生生活にアルバイトにと多忙を極めていた兄とも、生活のリズムはまるで合わなかった。それでも、両親の離婚が決定して母とのふたり暮らしがはじまったとき、妙な孤独感と物寂しさを味わったことを群司はいまでも鮮明におぼえている。
 十歳も年齢が離れていれば、兄弟といっても相応の隔たりができる。兄弟仲は決して悪くなかったが、物心がついたときには兄は、群司にとってすでに大人の世界にいる人で、どれほど頑張っても追いつくことのできない存在だった。文武両道でなにごとにも秀で、人の輪の中心でリーダーシップを取ることが多い人だったから余計だろう。

 中学に上がると同時に、群司は母方の姓である「八神」を名乗るようになったが、いろいろな手続きが面倒だと兄はそのまま父の籍に残り、「秋川」姓を名乗りつづけた。

 実の兄弟でありながら、異なる姓を名乗るようになった兄と自分。

 それでも兄は、頻繁ではないにせよ、時折暇を見つけては母と自分の許へ顔を出した。
 警察学校を出たあとは所轄署の地域課へ卒配され、待機寮へ。その後に本庁に異動になってからは、待機寮を出て江東区内の賃貸マンションで独り暮らしをしていた。
 仕事について父以上に話すことがなかったため、兄がどんな部署に所属して、どのような職務にあたっていたのか群司はまるで知らない。だがある日突然、その電話はかかってきた。いまから十ヶ月ほどまえのことで、ゴールデンウィークが終わって少ししたころのことである。



 群司は季節はずれの風邪をこじらせて、家でゴロゴロしていた。
 滅多に風邪など引かない健康優良児のはずなのだが、その日はめずらしく三十八度近くまで熱が上がって、大学も塾講のバイトも休むことにした。大学はともかく、受験を控えた教え子たちに、ウィルスを撒き散らすわけにはいかない。しっかり休養を取って早く治すにかぎると腹を決めた。

 母は、鬼の霍乱かくらんねと笑いながらも昼食の用意をしてくれ、体調が悪化するようなら病院に行くようにと言い置いて、いつもどおりパートに出かけていった。
 熱のせいで身体がだるく、喉に痛みもあったが、食後に市販の風邪薬を飲むと少しマシになってきた。病院に行く必要はなさそうだと判断して、そのまま自室で横になっていた。いつになく深い眠りに落ちた群司が不意に意識を浮上させたのは、その耳が執拗につづく電話の着信音をとらえたからだった。

 鳴っていたのは自宅の電話で、群司がハッと気づいた途端に音が途切れた。だが、間を置かずふたたびリビングのほうで甲高い音が鳴り響く。性急なその鳴りかたに、ひどく嫌な予感がした。
 母や自分の携帯ではなく、自宅の電話に立てつづけにかけてくる人物が思いあたらなかった。
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