君が奏でる部屋

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新婚時代の想い出

18 フランスに連れて行く

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 二月になった。
 寒い時期ではあるが、大学講師の僕がまとめて仕事を休めるタイミングは、入学試験の時期だけだった。これから何日も仕事がないなんて、変な感じだ。

 結婚して何年も経った今、ようやくかおりを新婚旅行に連れていける。


 先月、かおりは松本と一緒にカクテルを飲んだらしい。案の定、酒を勧められたことを理解していなかった。それ以来、家でもワインを飲ませてみた。量を加減しているから、そんなに状態は変わらなかった。そうっと少しずつ飲む姿は、まだまだかわいくてかわいくてたまらない。色っぽく……ない。迎えに行った父親から、ふらふらして一人で立てなかったと聞いている。松本の奴、何をどれだけ飲ませたんだ?知らずに飲んだかおりには、聞いて判る筈もない。綺麗な液体だということは覚えていたようだ。ただ、ワインを見てうっとりしているかおりは綺麗だった。






 羽田発10時台の飛行機で、シャルル・ド・ゴール空港に16時台に到着する便だった。

 僕達は、羽田まで車で行くことにした。

「かおり、空港まで寝てていいよ」
 僕はエンジンをかけながら言った。

「ありがとう。慎一さんは大丈夫?」
 僕のことを気にしてくれるようになった。 

「飛行機で寝られるし平気だよ。それに、寝ているかおりを見るのは安心するから」
「……はい」

 かおりは安心して眠った。そう、僕はかおりの寝顔を見るのが好きだ。僕の前で眠ってくれる、信頼してくれる姿、力の抜けた体……。


 空港に着いてからは、目覚めて少しぼんやりしたかおりの手と荷物を引っ張って搭乗口まで歩いた。かおりは、自分のスーツケースと仲が悪いのか、爪先が躓いたり、膝がぶつかったりしていた。僕はかおりの手を離して、二つのスーツケースを引っ張って歩いた。かおりは、ちゃんと歩いて付いてきた。


 機内に移動して座り、ようやく落ち着いた僕は、眠ることにした。隣の座席の妻と指を絡めた。12時間乗って、到着したら16時か……。


 ふと目が覚めると、指を絡めていたかおりの手の力が抜けていなかった。見ると、目を閉じているが、背もたれに寄りかかっていない。

「かおり、座席に背中をつけて。力抜いて……」

 僕は体を起こして、かおりの肩に手を当てて額を後ろに押した。

「どうした?緊張してるのか?」
 かおりは何も言わなかった。

「かおり、どこか痛い?」
「う、ん……頭が痛いのかも」

「どこが痛い?」

 僕はゆっくり頭を撫でた。「ここ」と教えてくれた場所でしばらく手を止め、
「痛いの痛いの、飛んでいけ」
と小さい声で言った。

「苦しくない?」
と聞いたら頷いた。

「楽にしていて」
 僕はかおりの背中に手を回して衣服をゆるめた。体が深呼吸したようだった。


 僕は客室乗務員を呼び、水をもらった。持ってきた鎮痛剤を出し、かおりの口に入れた。僕は水を含み、かおりの口に移した。もう、顎を持ち上げなくても大丈夫だった。

「上手に飲めるようになったね」

 何か言いたそうな顔だ。言いにくいことかもしれない。僕はかおりの口元に耳を寄せた。

「あの、痛いんだけど……それより、こんなにずっと一緒にいられるのが、幸せでこわい……」

 なんだ、そんなことか。でも、そうだな。

「ずっと一緒だよ」
 僕はかおりの頬を撫でて笑顔を見せた。

「かおりも笑って?」
 僕の言葉で、にこっとした。


 僕は再びかおりの肩と額を押して、かおりを座席に深く沈めた。どうして座席に寄りかかってリラックスできないのか不思議だ。

 かおりだけに聞こえるよう、小さい声で囁いた。
「今は我慢するから、後でゆっくり抱かせて……」

 かおりは向こうを向いて頷いた。

「見てるから、眠って」
 綺麗な白い肌、可愛い顔、愛らしい唇、僕に触れる手……。

 かおりの痛いところがなくなりますように。





 結局、かおりは機内の様子とは関係なく眠り続け、機内食も飲み物もほとんど口にしていなかった。起こすかどうか迷ったが、寝かせておいた。







 空港には、奥様が迎えに来てくれた。奥様とかおりは抱き合って再会を喜んだ。僕は、二人ほどフランス語は堪能ではない。奥様には英語で礼を言った。

 リサイタルが終わるまでの滞在中は、練習してオペラを観て、奥様の知人のピアニストが来てレッスンしてくれるという。リサイタル後はホテルに滞在することになっている。


 パリのアパルトマンの最上階の奥様の家で、早めの夕食をいただいた。広くて天井が高い。サロンみたいだ。外には大聖堂が見える。


 ようやく夜になった。僕は先にシャワーを浴びた。髪を拭きながら「どうぞ」とかかおりに言うと、困った表情をしていた。言いにくいことか?今度は何だ?奥様は日本語も少しだけわかる。僕はかおりを廊下に連れ出し、耳を寄せた。かおりはなかなか話さない。


「かおり、困ってるだろう?僕に言う?奥様に言う?どっち?」
「……慎一さん」

「はい。なあに?」
「あの……パジャマ忘れちゃった……」


 一瞬、笑いそうになった。全然たいしたことじゃない。なくてもかまわない……が、ここは奥様の家だし、そうもいかないか。僕は自分の部屋着をかおりに渡した。

「これを着ておいで」
「はい」

シャワーを浴びたかおりは、
「もう寝たい」
と言った。

「そうだな」
 僕達は、奥様に挨拶をしてベッドルームに行った。


 素敵な家だった。雰囲気も材質も、空気も日本とは違う。借りた寝室のベッドの上で並んで横になり、どちらからともなく、ドビュッシーの連弾曲『小組曲』を歌った。

 歌い終わって少しすると、寝息が聞こえた。疲れただろう。


 寝ていてもいい。

 僕はキスをした。


 かおりの歌声は、ピアノで奏でられているように美しかった。子供の頃から歌心のある綺麗な声だった。声楽の伴奏や、合唱団に関わってから、更に耳が良くなったようだ。これからが楽しみだ。


 早くピアノが聴きたい。

 抱きしめた時の、掠れるような声も聴きたい。



















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