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6.大切な人

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「あのタイミングで階段室に入ってきたのは一人だったし、その人が出ていくのを亮也が見てたのよ。階段から離れて出口へ向かうあなたの後ろ姿が見えたって」


「……え、っと」


 さすがに見られてたとなれば、ごまかしはきかない。

 まさか課長には気配で気づかれていて、副社長には見られていたなんて思いもしなかった。


「すみませんでした……」

「ううん。謝るのは私の方。勘違いさせるようなことをして、ごめんね。亮也も最近のあなたの様子を見て、あなたにちゃんと説明しておくように言われたわ」

「そう、だったんですね……」


 副社長にもそんな風に言われてしまうくらいに、私の態度は副社長に対しても課長に対しても、いつもと違ったということなのだろうか。

 確かに副社長には私が最近疲れてるようだからと言われたし、何かしら感じていることがあるのかなと思ったところはあるけれど。


 でも“勘違い”ということは、課長と副社長は本当に恋人同士ではないということなんだろうか。

 それなら、どうしてあんなところで二人は抱き合っていたのだろう。


 私が疑問に思いながら課長の次の言葉を待っていると、課長は憂いを帯びた瞳でこう告げた。


「……片思いなの、私の」


 課長の口から語られた言葉に、思わず胸を締め付けられる。


 課長の片思い……。

 つまり、もしかしなくても課長は副社長のことが好きだっていうことなのだろう。


 でも片思いっていうことは、副社長は課長のことが好きなわけではないということなのだろうか?


「やだ、そんな顔しないで。あのハグできっぱり亮也のことはあきらめたから」


 私は一体、どんな顔をしているのだろう?

 変な顔をしていないといいけど……。

 明らかに内心平常心を失っていて、自分がどんな反応を課長に取っているかわからない。


 だけど、あきらめたってどういうことなのだろう?

 そう言って目を伏せる課長に、追わず問いかけてしまう。


「あきらめたって、どうしてですか……?」

「うん。どんなに想っても、亮也はもうずっと一人の大切な人のことを想い続けたままだからさ。さすがに私ももうすぐ三十になるし、いつまでも不毛な片思いをしてても仕方ないなって思ったの」


 ドクン、と胸がいやな音を立てた。


 副社長の大切な人。

 それが女性とも男性とも言われてないけれど、話の流れからして、きっと女性なのだろう。


「……そうですか」

「そうよ、本当に。何年も思い出のネックレスを肌身離さずにつけているくらいなんだもの。私の気持ちにも、私から告白するまで全く気づいてなかったのよ? 私としては分かりやすくアプローチしてたつもりなのに、亮也の頭の中はその子のことばっかり。もっと早く現実に気づくべきだったのよね。それに最近の亮也を見てたら、本当に私なんて出る幕ないなって思っちゃう」


「……え? ネックレスって……」


 先日のネックレスのことを話す副社長の姿が思い出されて、思わずネックレスという単語に反応してしまったけれど、それと同時にしまったと思った。

 日頃はネックレスが見えるようにはしていない副社長なのに、こんなにもネックレスという単語に食い付くなんて、おかしく思われてしまうかもしれない。


「ああ、まぁ知らなくても当然ね。彼ね、服の下に常にネックレスをつけてるんだけど、それはその大切な人との思い出のものなのよ」


 そんな……。

 あまりのショックに絶句した。


 あのときの副社長のいとおしむような表情。あれは、大切な人を想うがゆえの表情だったんだ……。


 美人で仕事もできる課長でさえ出る幕がない時点で、こんな何の取り柄もない私なんて副社長に見向きもしてもらえるわけがないのだけれど、これで本当に私に副社長は無理だと確定したようなものだと感じた。


 さすがに課長の前でそんな感情を顔に出すわけにもいかないので、まだ熱の冷めきってないナンをカレーも付けずに口に押し込む。


 少しの沈黙のあと、課長がポツリと口にした言葉に思わず彼女の方を再び見やる。


「……私もあなたと同じだったの」


 同じって何が?

 課長は私を見ているものの、その瞳は昔を思い出しているかのようだった。


「私、最初の会社、失敗してるのよ」

「えっ!?」


 美人な上に仕事もできる課長が最初の会社で失敗しているだなんて、思わず耳を疑った。


「大学卒業とともに入った会社でも、私なりに会社のために頑張ったつもりよ。だから、すぐに同じ部署の部長には認めてもらえたわ。だけど、それが他の先輩社員には面白くなかったみたいなの。新入社員のくせにでしゃばってるって言われて、陰で酷い嫌がらせに遭って……」

「そんな……」


 思わず息を呑んだ。

 だってこれって、課長の有能さが嫉妬という名の反感を買うことになってしまったということだ。

 そんなの、あんまりだ。
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