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「もう! そんなこと言ってたら、いつまで経っても結婚できないよ!?」


 頭上には、ライトアップされた満開の桜の花。

 陽気にざわめきたつ人々の声。

 天候にも恵まれた金曜日の夜、今月四月に入社したばかりの新入社員歓迎会と言う名のお花見が開かれていた。


 そんなアゲアゲのテンションに包まれた空間のなか、その雰囲気にそぐわない厳しい声が私に向けて飛んでくる。


 声の主である私の同期であり親友のあずさの左手の薬指には、キラリと光るシンプルな結婚指輪がはめられている。

 梓は今年の二月に同期の入江くんと入籍したばかりの新婚さんだ。二人は社内恋愛だったんだ。



「そうだけど、今はまだそういう気分になれないっていうか……」


 事の発端は、入江くんの友達に婚活を始めた人がいるらしく、良かったら会ってみないかと梓に持ちかけられたことからだった。

 だけど、私、中瀬なかせ 琴子ことこは、まだ結婚とか考えられないと断ったのだ。



「会ってみたら変わるかもしれないじゃない! それとも、まだ夢見てるの?」


 まるで見透かすかのように梓に言われた言葉に、ドキッと胸が跳ねる。


 図星だからだ。


「……まぁ」


 思わず視線を向けた先には、グレーのスーツの似合う桐生きりゅう 俊彦としひこの姿が見える。

 全てのパーツが整っていて、それらがバランスよく配置された彼は、私たちの勤めるKRUリテイリングの社長だ。

 KRUリテイリングは、全国チェーンの百貨店を展開している。

 前社長の息子だった彼は、この春で社長に就任して三年目になるが、この短期間でKRUリテイリングを大きく成長させた実力者でもある。


 今日はKRUリテイリングの本部全体の新入社員歓迎会ということから、社長も直々にこのお花見に参加している。


 そして何を隠そう、私はこの桐生社長に真剣に恋愛しているのだ。もちろん、一方的な片思いだが……。


「あー、もう! そんなに好きならダメ元で体当たりしてみればいいのに。有能な社長秘書の琴子なら、完全に手が届かないわけじゃないでしょ?」

「……それが出来ないからこうなってるんだってば!」


 だけど、そうなのだ。

 私は、実はそんなできる社長の秘書を務めている。


 入社時、梓とともに本部への所属となった私は、彼女と同じ総務課に配属された。

 ところが、入社して一年も経たないうちに秘書課に欠員が出て秘書課に異動になったのだ。

 私に秘書なんて勤まるのかと四苦八苦しながらも頑張った結果、私は奇跡的に現社長が社長に就任した春から、社長秘書を任されることになった。

 そのために、仕事では社長と過ごす時間は他の社員と比べてみても多くあるのは事実だから、梓の言ってることはわからなくもない。

 だけど、だからといってこの恋を進展させることができたかと聞かれたらこたえはNOだ。


 私はただ仕事でもいいから顔を合わせて、少しでも社長のそばで、社長の役に立つことができれば、それだけで充分幸せだったから。


 そもそも秘書とはいえ、一般家庭の私と社長がどうこうなるとか考えること自体、非現実的だ。


 だから梓にはいつまでも夢を見てるとか言われてしまうのだけれども。


 梓たちが今幸せの絶頂にいて、私にも幸せになってほしいと思ってくれているんだということはわかる。

 私ももう二十七歳だし、大学時代の友達や同期も次々と競うように結婚していくのを見ていると、焦る気持ちもゼロではない。

 決して誰とも結婚したくない、というわけではないのだから。


 とはいえ、梓には悪いけど、私の中で社長とどうこうなるとか、他の新しい人を見つけてどうこうなるとか、そういったことは全く考えられない。



「まぁ琴子がそう言うなら無理強いはしないけどさ。でも、社長も今年三十五になるらしいし、それなりに覚悟してた方がいいと思うよ。それっぽい噂も一時期流れてたんだし」


「……そうだね」


 実年齢よりも若く見える社長だけど、社長も結婚してもおかしくない年齢だ。


 実際に、社長が政略結婚をするとかしないとかといった噂が秘書課内にも流れていたのは記憶に新しい。


 他部署から流れて来た事実かもわからない噂だけど、社長が、とあるアパレル企業の社長令嬢と一緒に居るところを見た社員が居て、お相手はその社長令嬢ではないかと囁かれている。


 梓が無理にでも私に新しい出会いを勧めてくるのは、きっとこれが一番の理由なのだろう。


 私が傷つかないように。

 本当にそうなったとき、私が傷つくのが目に見えているから。


 でも、心配してくれてる梓には悪いけど、いっそのこと社長が相応の人と結婚してしまった方が、叶わない片思いに終止符を打てるかもしれない、とも思う。


 そのくらいのことが目の前で起こらない限り、私はこの気持ちを完全には諦められないような気がしていた。
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