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〈悪役王子〉と〈ヒロイン〉花街編
【6】一日目――海辺の娼妓とオトメゲーム −1−
しおりを挟む時は少し遡り、昨日のこと。
青楼で初めての朝を迎えたアリシアは、姐さん娼妓ふたりの後ろをちょこまかと付いてまわっていた。姐に結ってもらった薄紅の髪は、窓から差す陽光にやわらかく照らされている。
日の昇りきった朝――昨晩せっせと働いていた娼妓や娼婦たちはお勤めを終えて、身体を休めている時間。
夜に賑わう花街の女たちの日々の営みは、アリシアの知る世界のそれとは違う。
未来の王妃として生きてきた彼女にとって、この館はまるで異世界だった。
「貴女は〝シエラ様のお嬢様〟だから、最初から〝娼妓〟になることが決まっているの」
アリシアの姐である一番娼妓、黒髪のヴィオが彼女に言う。長身に舐瓜のような胸をもつ彼女は、まさにアリシアの憧れる、色香あふれる大人の女だった。
続けて言うのはもうひとりの姐。ゆるふわ茶髪の二の娼妓、ダリアだ。
「うちら〝七薔薇姫〟より、ひとつ下の位の娼妓――〝椿の女〟として見せられるんよ」
ダリアもまたヴィオとは違った魅力のある女で、人懐っこい笑顔が輝かしい。温かく癒やされる声に、もちもちの肌とたわわな胸をもつ。そばにいると心地よいひと。
昨晩ふたりと一緒に湯浴みをした時、彼女らの磨き上げられた肉体の美しさと人柄の良さは、アリシアもよくよく感じさせてもらった。姐たちは、アリシアをまるで本当の妹のように可愛がってくれた。
(濡れ衣を着せられて、娼館行きになった――という大変な状況ではあるけれど。もしかすると、だからこそ、おかしくなっているのかもしれないけれど……ヴィオ姐やダリア姐と過ごした昨夜は、なんだか新鮮で楽しかったわ)
ふたりは、ここの最高級娼妓。いわゆる七薔薇姫の一花であり、青楼の稼ぎ頭だった。
アリシアは、シエラ様――性産業関係の事業に力を入れており、国中の花街で女神のように慕われている、しかし素顔は決して見せない不思議な貴婦人――の計らいで、こちらに上位娼妓として奉公することになったという話だ。
(現状と噂からして、シエラ様って……きっとシシリー様のことよね? 何者なの?)
公爵令嬢シシリーについて、やっぱり、何かを忘れている気がして。アリシアは今も胸にモヤモヤを抱えていた。まだ思い出せない。わからない。違和感はあるのに……。
「今日は徹底的に娼妓の仕事を叩き込んで、明日の夜に〝水揚げの儀〟よ。その時は、私たちのどちらかが付き添うわ。お客様のご都合次第ね」
「はい、ヴィオ姐。――心しておきます」
(明日の夜に、ね)
これまでの人生すべてが崩壊する瞬間を、正妃になれぬ身に堕ちる瞬間をふと想像し、アリシアの肌は恐怖に粟立つ。想い人でない男に抱かれるのは空想でも怖い。
しかし姐を追う歩みは止まらない。娼妓になるための支度は止めない。
(ねえ、殿下、フィリップ様、私を――)
こんな時でも叫ぶ欲は、彼女の胸を刺す剣のようだった。
(私を愛して、すべてを愛して。そして、この身を抱いてしまってほしい)
王妃の器とされる水晶の瓶へ、捻って詰められたようなアリシアの心は、今も叫ぶ。
(この心が、あの黒の向こうへ堕ちる前に。はやく、はやく……)
***
ここ、青楼ファリィサは、アリシアの生まれ育ったミラフーユ王国の中央から大きく南に離れた先、王国の端っこの街にある。
夕方頃、ひとしきりの講義と稽古を受け終えたアリシアのもとには、フィリップではない〝お客様〟が訪れていた。小さな部屋にふたりきり。テーブルの上にはお茶とお菓子。
目の前の男は、らしくもなく、どこか気まずそうな様子で口を開く。
「あー……きみのことは、何と呼ぶべきだろうか。あいつの計画に乗せて〝お嬢様〟とでも?」
「どうかお好きなようにお呼びください。お客様のことは、何とお呼びいたしましょうか」
「俺は〝お客様〟のままでいい。きみも〝きみ〟のままにしようか」
「かしこまりました。お客様」
まるで他人行儀な口ぶりで話しているが、ふたりは知らぬ仲ではない。
シエラ様の事業の協力者であり、彼女の愛人なる男――という謎設定で、花街では〝ユウ〟という偽の姿で知られると聞く彼は、本名をユースタス・セルナサスという。
セルナサス公爵家の長男であり、シシリーの実兄。王太子フィリップに仕える騎士だった。
(シシリー様たちについて、ますますわからなくなってきたわね。おふたりは、どうして花街に関わっているの……?)
現状、アリシアは〝シエラ様の旦那様が面会を希望しているから、お会いしてきなさい〟と楼主に命じられ、訳もわからぬままこの部屋にいる。
ゆえに彼女は、彼とどう向き合うべきかを測りかねていた。
きっと息の根を止めにきたわけではあるまい。とは思う。密かに殺すなら昨日のうちに済ませれば良かったはずで、悪趣味にもアリシアを辱めてから殺したいのだとしても、今日のうちに訪ねる必要はない。
まだ花として売られていない今日よりも、明日以降、アリシアの春を買える時の方がいいはずだ。
(となると、あの仮説が真実味を帯びてきたかしら)
ここでアリシアは、卒業パーティーからの出来事を振り返り、考えをまとめようとする。
王弟と手を組んだセルナサス家の人間は、シシリー暗殺未遂という妙な事件を起こしてアリシアにその罪を着せたかと思えば、彼女を攫い、公爵邸の地下室に軟禁したかと思えば娼館送りにして。
しかしながら、いざ娼館にやってきたアリシアには、最高級娼妓をふたりも姐に付ける特別扱いを――と。ひとつづきに見ようとすると、しっくりこない、変な行動をとっていた。
(考えられるのは、これらは、本当はひとつづきではなかったということ。つまり――王弟殿下、セルナサス公爵夫人、シシリー様、ユースタス様は、本当に仲良く手を組んでいるのではなく――敵側の誰かが、裏切り者だということ。あちらに、私たちの味方がいたかもしれないということ)
胸に残り続けていた違和感がやっと解けるような予感がして、気の早い期待感と一緒に、アリシアは口を開いた。
「お客様――」
「きみは――」
と。ふたりの声がちょうど被って、互いに遠慮するように止まる。なんともぎこちなかった。
物心ついた頃から知る――彼が学院を卒業してからは、たまに顔を合わせるくらいだったけれど――いわゆる幼馴染の関係であるユースタスとアリシアは、思い返せば、こうしてふたりきりになったことは一度もなかった。
(学院時代やパーティーの時は、他の学生や令嬢たちもいて。いつもは、フィリップ様と、シシリー様と――あら?)
ふいに強烈な違和感とチクリとした頭痛をおぼえ、アリシアは何度か瞬きをする。今、何かを思い出せそうだった。何かが見えた。
しかし無情にも、あとちょっとで掴めそうだったそれは、また彼女の中から消えていく。
(いったい、なにを、忘れているの?)
アリシアはため息をつきたくなりながらもグッとこらえ、不満を飲み込んで、姐から教わったように娼妓らしく微笑んだ。
今はひとりで考える時ではなく、ユースタスと向き合うべき時だ。話を聞く時だ。
「申し訳ございません、お客様。どうぞ、続きをおっしゃってください」
「あ、ああ。それで、きみは」
ハッと我に返ったらしいユースタスは、いつの間にか俯かせていた顔を上げ、青紫色の瞳で真っ直ぐにアリシアを見た。真剣な調子で彼は訊く。
「――オトメゲームについて、どこまで記憶している?」と。
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