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〈悪役王子〉と〈ヒロイン〉王都編
【42】ヒロインと悪役王子の告白 −2−
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思い出話。と声は出さずに唇だけで呟き、アリシアは――魔界に堕ちた〝心だけ〟のアリシアは、自分が逃げ出した世界から来てこちらを見守る〝アリシア〟のことを見た。
未来の王妃としての人生に枷となる心と記憶を失った〝もう半分〟の自分の姿は、潤む瞳から見ても凛としていて、このまま彼女に王妃になってほしいとアリシアは希う。フィリップから目を逸らしたまま、また首を横に振る。
「もうひとりのアリシア・テリフィルアが、おりますので。思い出話は、したくありません。こんな醜い欲を、恋を、未来の王妃は知ってはいけない。見聞きしてはいけない」
「なんでも聞くと言ったのは、きみだろう」
「その話をするのは〝未来の王と妃〟に毒だと申し上げているのです」
「そうか、だが僕は〝未来の王と妃〟には会話が必要だと思う。止めたいなら、僕の口を塞ぐか、あちらのきみの耳を塞ぐかだ。ただ、きみが邪魔をするなら、僕は魔法をもってそれを破る」
「……ずるいひと」
「これでも〝悪役王子〟だからな」
ふ、と笑ったフィリップを、アリシアはキッと睨みつける。碧色の瞳に鋭い光を宿す。彼は一瞬、驚いたように表情を揺るがせた後、すぐに笑い直して彼女の眦を撫でた。
「なんだか夫婦喧嘩をしているみたいだ」
「こんな時に何を考えていらっしゃるのですか」
アリシアは口先にぴしゃりとそう言わせ、頬がゆるまぬようにと力を入れた。〝こんなふうに言いあうのは初めて〟なんてときめいていては、言い負かされてしまう。
「きみは、その心を捨てれば、何も言わずに自分さえ消えれば、残された〝彼女〟は永遠に恋をしないとでも思ったのか。なあ、アリシア……僕らの日々を、人間の心を、甘く見すぎているのではないか」
「心の恐ろしさをわかっているからこそ、もう変えられないと知っているからこそ、私は黒魔術をもって己の心を切ったのです」
「残されたアリシアの体にも、わずかであっても心はある。今は、くすぐったがる感覚もある。僕との恋を忘れても、未来の王妃として生きた記憶はある。――どんなに強大な黒魔術をもってしても、完全には切り離せないんだよ」
「だから何だとおっしゃるのですか。あちらに心があったって構いません。残りの心だけならば、たとえ恋に落ちたとて、こんなにも淫乱な女に堕ちることはないでしょう。私は……いらないのは、私なのです。王妃に相応しい貞淑さを失った淫らな私がいなければいい。何の役にも立たない私は、いらない」
「きみは、僕の幸せに必要だ」
「…………そのような詭弁で、この魔術を壊そうとでも? 貴方様こそ、甘く見ていらっしゃいます。私の黒魔術を、貴方様はご存知ないっ!」
「ああ、そうだ。僕はきみを知らなかった」
「……っ」
叫ぶアリシアからも、フィリップは、決して目を逸らさなかった。その瞳の様子に、アリシアは既視感をおぼえる。ズキリと頭が痛む。気づけば口に出していた。
「どうして、まだ痛むのでしょう」
「何がだ、アリシア」
触れあう快感は記憶の再現だとしても、心だけの自分が頭痛をおぼえるわけがわからない。と。
もう忘れたことにしていた欲が顔を出す。私も知りたいと芯が暴れる。まだ痛む。
(ねえ、殿下。フィリップ様)
彼女はフィリップの目元へと手を伸ばし、触れてみた。瞳の奥を覗き込んだ。こんなことをしても、彼の空色と、水面に映った自分のことしか見られない。現実から逃げるように目を瞑り、彼へと手を伸ばすように睫毛を触れあわす。額を重ねる。
(この痛みの正体を、教えてほしいのです)
わざと恥ずかしそうに振る舞うのと同じあざとさで、彼女は悲劇の〝ヒロイン〟を演じた。
「……わからないことだらけで、苦しかったの」
「アリシア」
「ずっと、ずっと……殿下と皆さんに守られて、隠されて、ただ〝生きているだけ〟の私が嫌いだった。こんな私は、もういらないの。心の全部でそう思ってしまったの。きっと殿下に求められるのは体だけ。きっと民に求められるのは頭脳だけ。心はいらない」
「ありがとう、言ってくれて。でも、体や頭脳だけじゃないよ。きみの心も大事なんだよ。僕も……もっと、きみの叫びを聞きたかった。僕の叫びを聞いてほしかった。だから、どうか」
私は悪女だ。とアリシアは思う。
自分の欲しい言葉を彼に言わせている。欲しい行為をさせている。何の役にも立てないくせに、いつも彼を操らんとしている。
「話をさせてくれ」
「……はい」
彼女は目を開け、こくりと頷いた。
***
視線を交わした碧の瞳は、仄暗く輝いていた。アリシアの〝闇〟をフィリップは感じた。
さらさらと落ちていく砂時計の黒を視界の端で捉え、絶対に彼女と一緒に帰ろうとあらためて胸に誓う。
そうして、これまで伝えられなかったことの告白を始める。
「十六歳の時――僕は、きみに初めて名前を呼んでもらった。決まりに反すると知っていながら、どうしてもと望んで。愛するきみに、この名を口にさせた」
「ええ、そうですね……」
「呼んでもらえて本当に嬉しかったよ。ありがとう。あの時から、ずっと、きみと名を呼びあう時間が大好きだった」
あの日を再現するように、フィリップは彼女の名を耳元で呼ぶ。「――アリシア」と。追って懐かしむように紡がれる「フィリップ様……」という彼女の声を、彼は耳を澄ませて味わった。
(ああ、大丈夫だ。僕のこの選択は、間違っていない)
ごくりと唾を飲み込み、話を続ける。
「でも、きみへの隠し事が生まれていったのも、この頃だったよね。ごめんね」
「私の目には、お名前のことを、貴方様が後悔なさっているように見えました。どうしてか、これも、わからなくて」
「うん。ごめん。名を呼ばせたこと自体は後悔していないけど、あの日から先、僕のせいできみを苦しめたことは悔やんでいる。僕も〝それ〟が起きるまでは知らなかったんだけど――王家の者の名を呼ぶのが禁忌とされるのは、これがオトメゲームの呪いに巻き込まれる条件になる場合があるからだった。王の血を守るためだけのくだらない決まりだ。今のシナリオでも、きみに、ヒロインに名を呼ばれることが条件だった」
「条件、ですか?」
「ああ。きみに名を呼ばせなければ、僕は〝悪役王子〟にならなかった。オトメゲームのことを知りながら、実はシナリオ的には部外者のままでいられたらしい。きっと、僕が、決まりどおりに結婚まで我慢していれば、きみにどうしようもない〝殺意〟をおぼえることはなかった。僕が名を呼ばせなければ、僕がいなければ――この物語の後半戦は、始まらなかったかもしれない」
「後半戦というのは、学院の四年生からのことでしょうか」
「そう。きみは覚えていないだろうけど、四年生の春に、僕はきみを手にかけてしまいそうになったことがある。オトメゲームのシナリオどおりに、きみを殺しかけて――その時に、シシリーの〝やり直し〟能力のことを知った。きみの代わりに彼女がもっていた〝ヒロインの能力〟のひとつだな。そこで一度やり直した。
しかし、僕がきみを害するイベントは不可避のようだった。だから僕は、魔王と新たな契約を結び――〝死に戻り〟と〝痛み代わり〟の能力を授かったんだ」
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