オジサマ王子と初々しく

ともとし

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第三十話

夢の一歩

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 それから暫く、皆が談笑し合っている和やかなうちに集まりはお開きとなり、ヘルメスもようやく怒涛の一日を無事に終えることが出来たのであった。
 マクスエル公爵家を見送り、目付役のターニャは明日の予定を伝えられてから自身の両親と兄を内廷離れまで送り、義両親をマリセウスと共に見送り、私室に戻るとドレスのままソファーへと倒れ込んだ。このまま寝てしまいたいと思っていたが、やはりキリコを始めとした侍女たちに止められていつもの動きやすいブラウスとスカートに着替えさせられた。面倒ではあったが、おかげで身軽になれた。
 夕食まで時間があるが、如何せん自分の加護が爆発したせいで食事会となった昼食で食べすぎてしまい、これはなかなか消化されないだろうなとヘルメスは思った。もうこのまま寝ても良いのでは……だがその日摂取したエネルギーはその日のうちに使わないと贅肉になってしまう……でも本気で色々あって疲れているのに運動はどうしたものかと……ここまで少し悩んでいるヘルメスに、着替えが終わった彼がやってきた。ダラっとした姿勢を正して入室を促した。

 「お疲れ様、ヘルメス。」
 「今日はありがとうございました、マリス様。」

 マリセウスが入ってくると起立して綺麗に挨拶をする。
 テーブルを挟んで向かい側のソファーに腰をかけてもらい、ヘルメスも続けて腰を下ろす。
 背筋を伸ばしてにこやかにしている彼女が以前までの自由な少女ではなく、振る舞いも心遣いも淑女として美しくなっているのが見て取れる。……だが今は侍女がいるとはいえ二人きり。リラックスしてもらいたいものだ。

 「疲れていないかい?」
 「大丈夫です。お気遣いくださって、」
 「ああいや。……私達しかいないのだから、普段通りにしてくれていいんだよ?」

 マリセウスがそういうと、数秒ほど沈黙が続いた。
 勝手知った侍女らしかいないのを確認し、ヘルメスは一度息を吐いた。そしてそのまま揃えていた足を伸ばして頭をソファーの背もたれに預けて……ものの見事なダラっとした姿勢を披露した。教科書に載せたいほどの基本に忠実で完璧な脱力っぷりである。

 「ぁあ~……疲れたぁあ~……。」

 あっという間に淑女の姿は消え去り、そこにいたのは紛れもなく愛しいヘルメス。切り替わりの速さに思わず吹き出してしまうマリセウスに少しばかり口を尖らせる、その姿すら可愛らしい。

 「もう、笑いすぎですよ。」
 「いやいやごめん。でも本当に頑張ってくれたことが嬉しくてね。」

 王家の一員としての振る舞いはまだまだ成長途中ではあるものの、短期間での彼女の頑張りが見事に反映された一日。とはいえ、今回は身内だけの食事会と小さな儀式のみ。……海神はフランクすぎて接し方が砕けてしまっていたが、あれは例外ではある。
 ぐったりとしたヘルメスはソファーに添えられていたクッションを抱えて癒しを求めた。

 「マリス様は凄いですよ、いつもあんなに背筋を正して堂々と出来るんですから。」
 「ありがとう。でも私の場合は幼い頃から徹底されてきたからというのが大きいからかな。」
 「……どーせ私は徹底的に抵抗した野生児ですよぉ。」
 「野生児だったらこんなに美しい淑女にはなれないよ?」

 つい先程まで思っていたことを口に出してしまう。
 それまで『可愛い』と『愛しい』ばかりしか言われて来てなかったヘルメスにとって『美しい淑女』など言われ慣れてない言葉に一瞬理解が出来ず、脳内で繰り返してようやく受け止めると熟れたトマトのように真っ赤になってクッションに顔を突っ伏してしまったのである。

 可愛いは言われ慣れているのかと問われればそうでもなく、大好きな彼から向けられる言葉は全て嬉しい。だがこればかりは違う。まだ幼いから可愛げがあるの『可愛い』の意味だったのかもしれないし、そう思えば歳の離れた彼にとって自分はまだまだ未熟な人間なのだろうとヘルメスは思っていた。
 しかし『美しい』『淑女』と呼ばれたのは、ひとりの異性として見てくれている証なのだと。それは嬉しくもあり、自分自身が程遠いと思っていた存在に近づくことが出来た喜びでもあり……好きな人からお世辞といえども褒められたことに照れてしまい、しかしヘルメスは「まだ至らない箇所が多々あるのに」と未だに淑女になりきれてない己を恥じる気持ちが入り混じっていた。

 「……それは、言い過ぎですよ。」
 「妥当な評価なのだけれど?」

 クッションに顔を押さえ込んだまま頭を上げられずにいるヘルメスの返事はどもっている。マリセウスが聞き逃さすわけがなく、すぐに言葉を返すもますます顔を上げにくくしているのに気がついていないのか、それともわざとらしく照れさせているのか。

 耳が真っ赤になっていたのを目にしたマリセウスは余計に愛しさを募らせる。このまま手を伸ばして彼女の髪に触れてしまいたいが、そうしてしまえばさらに顔を上げてもらえない。まるで石戸に籠る女神のようだ。
 だがそんな邪な想いを阻むようにタイミングがよく扉をノックする音がし、部屋の主人であるヘルメスはそれに反応をして顔を上げて入室を許可した。……色はまだ抜けていないが、姿勢を正して淑女らしく振る舞おうとしている心掛けがやはり美しいとマリセウスは再度思ったが、また言葉にすれば伏せってしまうので控えた。
 昼間の食事会で婚姻届を預かってくれた国王の執事だ。何やら大事そうな長方形のトレイを手にしている。

 「遅れて申し訳ございません。両殿下にこちらをお届けに参りました。」

 テーブルにトレイを丁寧に置かれると、そこには薄い青色に白抜きされた飾り枠の用紙が一枚。

 『私たちは、主たる海神の立会のもと夫婦となり、生涯共にあることを誓い合いました。共に喜び幸せを分かち合い、悲しみ不幸を助け合い、共に支え合えるような家庭を築いていくこと・愛し合うことを誓います。』

 ……そのような文章が綴られていた。

 「これって……結婚証明書ですか!?」

 「はい。改めまして、ご結婚おめでとうございます。」

  入籍の受理は実はすんなりと早く終わっていたのだが、何せ鉄の男の王太子殿下がついに結婚となって外邸内の役所職員は大騒ぎだったのだ。
 どのような用紙がいいか、豪華な方がいいのではと揉めに揉めまくり、ちょっとばかり対立が出来てちょっとばかり争いが起きてしまったので執事がこっそり自ら作成し、シンプルながらも特別なものとなったのだ。
 勝手にそんな事をして大丈夫なのかとヘルメスは尋ねると、「陛下から万が一に、と許可を取っておりますので」と和かに返した。強すぎる。

 「額縁をご用意いたしましょうか?」

 「そうだな、ヘルメスはどうしたい?」
 「額縁……より、スタンドがいいです。」

 ベッドサイドのチェストに置けるからと一言付け加えて、賛同したマリセウスは執事にそれを頼んで用意してもらう事になった。
 その間、ヘルメスはまじまじと結婚証明書を改めて読み返す。

 『ヘルメス・ハンクス・エヴァルマー』

 十八年以上も連れ添った『カートン』の名前から変わったのは少々寂しいものがあった。だが大好きな人と同じ字と姓になったことに喜びもあるのは確かだ。

 (……本当に、結婚出来たんだ。)

 とても幸せ、純然たる幸福。
 そしてこれからは目まぐるしい生活が始まる。しかしその前にだ。

 「……兄さんに認められるために、挙式まで頑張らないといけませんね。」

 至福を噛み締めながらも最後の障害に挑む、ヘルメスが言うとマリセウスもまた決意を改めて「ああ」と返した。

 やはり彼女は美しかった。芯の強さが滲み出た凛然とした顔立ちがマリセウスの胸を焦がす。
 花畑で戯れるだけの幼子はもうそこにはいない。いるのは、人生を救ってくれた少女が努力して淑女となり愛し合い支え合う妻となったヘルメスだ。
 この道を往くために、認められねばなるまい。マリセウスの短いながらも大きな決戦が始まろうとしていた。

 「ヘルメス。」
 「はい。」
 「これからも、よろしくお願いします。」
 「……不束な者ですが、よろしくお願いします。」

 差し出した手に小さな手を添えてくれた。
 照れる姿はやはりまだ少女さが抜け切れておらず、また愛らしさにマリセウスは頬を緩めてしまうのであった。
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