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第一章 森の小屋編

10.狼は人を騙すらしい

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 リナが俺の屋敷に来て半年が経った。

 俺は、人間でいられる時間がだいぶ長くなってきた。
 一日の約半分を人間でいられる。
 しかもおおまかになら人間でいられる時間を選べるようになってきた。
 今は昼間は人間、夜間は狼になっている。
 これならそろそろ団にも復帰できそうだ。
 リナのおかげだ。本当にありがたい。

 今日もリナとティータイムを過ごす。
 彼女からはふんわりと薬草の匂いが香った。

「今日も薬を作っていたのか? リナ」

「はい。立派な薬草園を作っていただいて、本当にありがたいです」

 生き生きとリナが答える。
 リナは仕事をしている時が一番嬉しそうだな。
 美しいドレスや宝石、評判の菓子、どんなものを与えても遠慮がちに礼を言うだけだったのに、温室とその中で栽培する様々な薬草の苗を用意したときは飛び上がらんばかりに喜んだ。
 なかなか手ごわいな。
 贅沢を知ればそれに慣れて俺なしでは生きていけなくなるかもしれないというずるい考えは、あっさりと打ち砕かれた。
 リナを甘く見すぎていたな。
 リナは常に自立を考えている、大人の女性だ。
 それはそれで寂しいが、ますます好きになった。

「リナの作る薬はたいそう評判がいいよ。王都で高値で取引されている」

「シルヴァンさんという存在があるから簡単に信用してもらえるんですよ」

「それでも商人は自分の損になるような買い方はしない。自分の腕を信じていい」

 そう言うと、リナは頬を染めて微笑する。
 くっ、相変わらずかわいい。
 リナは薬草園にかかった費用も、薬の売り上げの中から少しずつ返済している。いいと言ったのに。

「そうそう、リナがいた町の薬屋、売り上げが悪くなって閉店したらしい。リナから薬を仕入れなくなって、急に薬の質が下がって評判がガタ落ちになったとか」

「えっ、そうなんですか? じゃあ町の人は困るんじゃあ」

 あんな町の人間など気にしなくていいのに。
 リナはお人よしすぎる。

「町のことは気にしなくていい。別の商人が新たに店を出すそうだから」

「そうですか。ならよかった」

「リナの薬は質がいいのに、ずいぶん安く買い叩いていたようだからな。どこまでもろくでもない薬屋だった」

「私の勉強が足りなかったんです。オルファほどいい薬が作れないっていうコンプレックスもあったし、交渉も下手だったから」

 リナが少し困ったように微笑する。
 店がつぶれてざまあみろって言ったっていいくらいなのに。
 じゃあ俺が代わりに思っておこう。つぶれてざまあみろ。


 アレスは俺と手合わせしたり団の様子を報告するために時々屋敷にやって来る。
 今日も俺の勘が鈍らないよう、庭で真剣での手合わせをしている。
 俺の屋敷に入り浸るのは以前からなので、それは別にいい。
 だが。

「アレス」

 長剣を構えながら呼びかける。

「なんですか」

 アレスは二つのダガーを両手でくるくるもてあそびながら返事をする。

「なんで毎度リナに手土産を持ってくる?」

「持ってきちゃおかしいですか?」

「俺には一度も持ってきたことがないくせに」

「欲しかったんですか?」

「そういう話じゃないってわかってるだろ……!」

 俺が距離を詰めて剣を振り下ろすと、アレスが逆手に持ったダガーでそれを防いだ。
 ギリギリと金属がこすれ合う音がする。

「銀狼騎士団の狂犬アレスはいつからそんなに女に優しくなった?」

「魔女の愛犬シルヴァン様を見習ったんですよ、っと」

 アレスが俺の剣を流しつつ回し蹴りを放つ。
 俺はそれを左腕で受け、アレスの軸足を足で払った。
 
「いでっ」

 倒れこむアレスに、俺は剣を振り上げる。
 アレスは突き下ろされる剣を避け、俺の顎を狙って下から蹴り上げてきた。
 それをギリギリかわす。相変わらず足癖が悪い。

「あんた今ちょっとオレを殺す気だったでしょ」

 体を起こしながらアレスが言う。

「まさか。そんなことはありえないさ」

「はっ、どうだか。どっちが狂犬だ」

 とそこで、アレスが視線をずらす。
 視線の先には薬草の入った籠を持って歩いてくるリナがいた。
 温室で薬草を採取してきたんだな。黒い髪がさらさらと風になびいて今日もきれいだ。
 リナは俺たちに気づくと、ぺこりと頭を下げた。

「訓練お疲れ様です。アレスさん、お土産ありがとうございます。あの密閉容器すごく使いやすいから、また買ってきていただいて嬉しいです」

 そんな渋いものを手土産にしていたのか。
 しかも“また”だと? 俺は聞いていないぞ。

「気に入ってもらえてよかったよ。リナが作ってくれたハーブ入りの石鹸も団で評判がいい。おかげで詰所の汗臭いにおいが減って助かってる」

「ふふ、そうですか。良かったです」

 リナが再びぺこりと頭を下げて去っていく。
 ほう。
 なるほど。
 俺の知らないところでそんなものを贈りあったりしていたのか。
 面白くない。ものすごく面白くない。

「そのオレを呪い殺しそうな視線はやめてもらっていいですかね」

「いつの間にかリナと随分親しくなったようだな」

「続き部屋に住ませてる団長ほどじゃないですよ。もうちょっと余裕を持ったらどうですか。リナのことになると途端にめんどくさい男になる」

 それは自覚がある。
 俺ももう二十五だ、それなりに恋愛はしてきたが、ここまで女性の言動に一喜一憂したことはない。
 俺はいったいどうしてしまったんだ。
 魅了の術でもかけられてしまったのかと疑ったことすらあるが、鑑定士はリナには解呪の力しかないと言っていた。
 
「そういうお前こそリナに気があるんじゃないか。毎度毎度手土産を持ってくるくらいだからな」

「手土産くらいでガタガタ言われちゃたまりませんね。いい子だとは思いますが団長ほど惚れ狂ってませんて」

「惚れ狂うか……いい響きだな」

 アレスが深いため息を吐く。

「オレの中で団長のイメージがどんどんおかしくなっていくんですが。呪いは頭の中にまで及んでるんですか?」

「さあな」

「悶々として頭がおかしくなるくらいならさっさと手を付けてしまえばいいのに。もちろん力ずくはいけませんが、団長のその顔で迫られて断る女はいないでしょう」

 そんなにリナが単純なら苦労はしない。
 顔でどうにかなるならとっくになっている。

「それを断るのがリナなんだ。確実に嫌われるとわかっていてできるかそんなこと」

「そうですか。まあ頑張ってください」

 もうどうでもいいとばかりに、アレスが去っていく。
 俺はその場に寝転んで空を見上げた。
 隣の部屋で寝ていて当然何も感じないわけではないし色々と妄想したりもするが、何よりもリナの心が欲しい。
 俺だけを見て、愛していると言ってほしい。
 そのためにリナが嫌がることは決してしていないし、何かと気を使っているつもりだ。
 もちろんただの親切なお兄さん兼ペットの狼で終わるつもりはない。
 男として意識させるよう行動してきたつもりだし、リナの気持ちも探ってきたつもりだ。

 「俺は貴族とはいえ継ぐ領地があるわけでもないし、貴族相手でなくても結婚できる(だから結婚してくれ)」 
 「リナと住むようになってから、誰かが俺を待っていてくれる生活というのもいいなと思い始めたよ(だから結婚してくれ)」
 「俺はリナの笑顔が好きだ。ずっと見ていたいと思う(だから結婚してくれ)」

 全部曖昧に返事をされて終わった。
 世間話の延長くらいに思われたらしい。
 ()の中身を声に出して言えば男として意識はしてもらえるかもしれないが、リナの気持ちが俺に向いていないときに言っても逃げられてしまいそうだ。
 それとも好きだと告げればリナの気持ちも少しはこちらに向くのか。
 ……正解がわからない。
 ただ突っ走って失敗した後を想像すると恐ろしい。
 

 俺が狼になると、リナは俺に対する警戒心がなくなる。
 だから、狼のときにリナの部屋に行き、一緒に過ごす。
 いまだにシルヴァンはシルに及ばないようで悔しいが、仕方がない。
 一緒に過ごせる時間が何よりも大事なのだから。
 今夜も狼になってからリナの部屋を訪れ、テラスでベンチに座って二人で満月を眺めている。

『そういえばリナが来た世界には、満月の夜に人間の男が狼に変身する物語があると以前話してくれたな』

「うん」

 シルヴァンのときには敬語で話すのに、シルのときは普通に話す。
 それもまた切ない。

『狼にまつわる物語はほかにどんなものがあるんだ?』

「うーん……」

 リナが言いにくそうな顔をする。

『あまり狼のイメージが良くない?』

「うん」

『だとしても俺は本当に狼なわけじゃないし、物語なんだから気にしない。聞かせてくれ』

「えーと、なんというか貪欲なイメージがあって、家を壊して豚を食べようとしたり、子ヤギを騙して食べちゃったり」

『それは悪いことなのか? 狼だって食べなければ生きていけないだろうに』

「そうだよね。あとはお婆さんと女の子を騙して食べたり」

『人を食べるのはさすがに嫌な話だな』

「うん。しかもだいたい退治されちゃう……」

『そうか。騙して人や動物を食べるというのがリナの世界の狼のイメージなんだな。しかも退治される、と』

「う、うん。童話なんかではそうかな。でも実際の狼は悪い生き物じゃないよ。家族を大事にする生き物だって聞いた。浮気しないし、お父さんも子育てするって」

『浮気しないし子育てもする。狼は結婚相手としては理想的だな(だから結婚してくれ)』

「そうだよね」

 もちろん()内の心の声が通じることはない。
 わかっているとも。
 しかし、リナの世界の狼のイメージは散々だな。
 こちらでは神聖な生き物というイメージしかないのに。
 家畜を食べるからか?

 人を騙して食べる、か。
 そういう点では、俺も大差ないのかもしれないな。
 リナを食べようと虎視眈々と狙っている狼。
 もちろん、そこにリナの心がなければ意味がないが。

 リナとの約束の一年まであと半年。
 リナが働きたいと言うのなら止めはしない。リナは自立したいという気持ちが強い女性だし、俺が騎士団で過ごしている間に働いていても問題はない。
 ただ、リナがこの家から出たいと言った場合はどうしようか。
 ここで半年間一緒に住んでみて、あらためて気づいた。
 もうリナと離れて暮らすことなど考えられないと。
 希望するなら家も探すという条件で来てもらったが、残念ながらそちらはかなえてやれそうにない。
 どんな手を使ってでも、ここにいてもらう。
 どうやってここに留めておこう。
 まだ呪いが解けていないことを強調する? 泣き落とし? 脅す? 懇願する? ――監禁?
 ……いやいや駄目だ、強引な手段ではリナの心が閉ざされてしまう。
 頑張って説得しよう。

 俺のこんな心の内を知ったら、君は軽蔑するだろう。
 狂気じみていると言えるほどにリナを求め、傍に置くためなら嘘すらつく。
 表では紳士を演じておきながら、裏ではどんな手段を使ってでも君を手に入れようと悪だくみをしている。
 すまない、リナ。恩人である君に対してこんな身勝手なことを考えるなんて最低だと自分でも思う。
 だが、俺はこういう男なんだ。
 なにせ、人を騙す狼だからな。
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