マリンブルー リベンジ

アーケロン

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五 厳戒の温泉街

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 ヤクザに追われているのなら、この辺りの宿屋にも手は回っているだろう。恭介の言葉に同意した将毅が、女をペンションに連れて行こうといった。
 暗い道を将毅のセダンが先行し、その後を瑛太の軽トラックがついていく。恭介は早紀子の父親が協会に呼び出されたことを思い出した。温泉街に窃盗犯が出没しているという話だったが、女を探している連中がばら撒いた偽の情報ではなかったのか。
 マリンハウスの駐車場で車を降り、ペンションの裏にある、八代家が住んでいる棟に回った。玄関に入ると、脇にあるキッチンから早紀子が顔を出した。
「お帰り」
 玄関に立つ三人の後ろに女の姿を認めた早紀子が、目を丸くした。
「誰?」
「指名手配犯だよ。お前も知っているだろ」
 なおも事態を飲み込めない彼女が目を瞬かせている。将毅が彼女を家に上げ、リビングに通した。
「親父たちは?」
「もう寝てるわよ。お兄ちゃんも明日早いんだよ」
「今夜、宿泊客はいないだろ」台風が近づいているので、ペンションに客はいない。一組の釣り客が宿泊する予定だったが、昨日キャンセルの連絡があった。
「それでも早起きして仕事するの」
 早紀子の不機嫌そうな声を聞き、ソファに座っている女が身体を竦めた。その様子に気づいた早紀子が女に微笑みかけた。
「何か食べますか?」
「いいえ」
「私、これから紅茶を飲むので、一緒にどうです?」
 早紀子の柔らかな物腰に、ようやく女の肩から力が抜けた。この気遣いが早紀子のいいところでもある。
「得意のジャム入りの紅茶か?」
「お兄ちゃんたちはお酒でしょ?」
 明日は早いからといって、瑛太はそのまま帰っていった。どのみち車だから早紀子の前では飲めない。
 早紀子が紅茶とクッキーを載せた皿を持ってきた。ソーサに、ストレートティーの入ったカップとイチゴジャムを載せたスプーンが乗せてある。
「すごく美味しそう」
 湯気の上がっているティーカップを見て、女がこの家に来て一番リラックスした表情を見せた。
 女は、自分のことを上河真希だと名乗った。目の前で紅茶の準備をしている早紀子と、ポツリポツリではあるが、言葉を交わしている。
 真希の向い側に座った将毅と恭介は、ふたりの交わす他愛もない会話を黙って聞いていた。早紀子が話すこの辺りの特産品や秋に催される祭りの話を、真希は相槌を打ちながら聞いていた。真希がどこに住んでいて今まで何をしてきたのか、東京で祥子と一緒にどんな店で働いていたのか、兄や恭介のいる前で彼女のプライベートに触れるようなことは一切聞こうとしないのが、彼女らしい気遣いだった。
 キッチンから戻った早紀子が、ウイスキーのボトルとグラスとアイスクーラーを兄の前に置く。続けて、夕食の残りを温めたものをテーブルに置いた。イカとインゲンを炒め、しょうゆで味付けした品だった。
「今夜はずいぶん張り切っているな」
「お客さんがきたときはもてなすのが普通でしょ?」
「お客さんねぇ」
「何よ」
 将毅にからかわれて早紀子が赤くなる。
 それから四人で他愛の無い会話を続けた。祥子が向こうでどんな暮らしをしていたのか、彼女から聞きたい話も多かったが、早紀子の前では聞きにくかった。どのみち明日、和弥の家を案内すればこの女もどこかに行ってしまうのだ。女の過去を穿り出してもさほど意味は無い。
 こんな時間にお茶を飲みながら一緒にお喋りするのは楽しいと、早紀子がはしゃいでいる。
「おまえも今夜は泊まっていけ」
 将毅が空になったグラスにウイスキーを注ぐ。この家から恭介のアパートまで歩いて十分ほどだ。わざわざ泊まるほどの距離ではない。つまり、今夜は話があるということだ。
「じゃあ、そうするよ」
「お布団、敷いてこようか」
「自分たちでやるからいい」
「真希さんは私の部屋で泊まってください。この廊下の突き当りなんです」
「ごめんなさい、お邪魔して」
 宿泊客がいないのでペンションの部屋はすべて空いているが、あくまでも客のための部屋だ。無料で泊めるわけにはいかないのだろう。それが宿を運営する者のけじめなのかもしれない。
 ふたりが奥の部屋に引っ込んでから、将毅とリビングに残って酒を飲んだ。
「早紀子もたいしたものだな」
「あいつも何か察しているんだろう。たしかに、あの女は只者じゃない」
 真希が手荷物一つ持っていないことも、早紀子はもちろん気づいている。ずいぶん訳ありそうだと思っているはずだ。
「で、どうする?」
「別に。俺たちには関係のない話だ」将毅がグラスを空けて、空のグラスを恭介の前に差し出した。
「明日、和弥の家を案内した後、静かにこの町からお引取り願う。何か揉め事が起こる前にな」
「冷たいんだな」恭介がグラスにウイスキーを注ぎながら言った。
「ヤクザがらみのトラブルなんてごめんだよ。こっちはこの地を離れることができないんだ。逃げることもできないし、客商売だから変な風評が広がると面倒なことになる。女をここから無事逃がすことができれば、俺たちとあの女との関係も終わりだ」
 グラスを手に持った将毅が身を乗り出してきた。
「いい女なのは認めるが、お前もこれ以上は関わるんじゃない。早紀子だって、心中穏やかじゃないんだ」
「早紀子が? まさか。そんな様子はなかったじゃないか」
「俺にはわかるんだよ。長年同じ屋根の下で暮らしてきた、血を分けた妹だからな。あの女を抱くなよ、絶対に。妹が悲しむ」

 翌朝。風の音で目が覚めた。台風がかなり近づいてきているのだ。
 将毅はまだ寝ていた。布団の中で目を閉じて、風の音を聞きながら将毅が目を覚ますのを待った。
 下の階から若い女が楽しそうに話す声が聞こえてきた。早紀子と真希の声だった。真希は謎の多い女だが、早紀子はうまく馴染んでいる。宿泊客がいないので、家族の朝食の準備をしているのだろう。
「恭介、起きているのか?」
「ああ、ついさっきな」
「あいつら、親しそうだな」
「俺もそう思っていた」
「女同士はすぐに仲良くなるな」将毅が天井に向かって、呆れたように笑った。
 布団から出て洗面所で顔を洗い、ふたりそろってキッチンに顔を出す。エプロン姿の若い女がふたり、並んで皿にサラダを盛り付けている。
「おはよう」早紀子が笑顔で微笑む。真希もその横で柔らかい笑みを浮かべている。
「美味しそうでしょ。真希さんが作ったのよ」
 テーブルに置かれた皿に、サンドウィッチが並んでいる。早紀子は紅茶の入ったポットとカップ、サンドウィッチとサラダを盛った皿をトレイに載せ、キッチンから出ていった。奥の部屋にいる両親に朝食を持っていったのだ。
「どうだい、眠れたか?」将毅がテーブルに着いて新聞を取り上げた。恭介がその横に座った。
「ええ」
「早紀子は素直に寝かせてくれたんだな」
 その問いには答えず、真希が意味ありげに笑った
「台風が近づいているので今日は町に観光客はいない。朝のうちならうろつく奴もいないだろう。祥子さんの家に行くなら、早いほうがいい。あんたを追っている連中もまだ寝ているさ。朝食を食べたら出発だ」
 将毅の言葉に真希が頷いた。
 キッチンのテーブルで、四人で朝食を摂った。食事の間、早紀子と真希はずっと親しげに話していた。その前でふたりの男が黙ってコーヒーを啜っている姿は、傍から見る者の眼にはさぞかし滑稽に映るだろう。
「お兄ちゃんも恭介くんも何か喋ってよ。黙ったまま見つめられたら、真希さんも困るじゃない」
「俺たちが口を挟む暇も無かっただろ」
 恭介は苦笑いしながら、薄めのコーヒーを飲み干した。
 食事を終え、将毅が玄関を出た。彼が車に乗ろうとしたとき、黒の高級セダンが駐車場に入ってきた。
 昨日やってきたヤクザ風の男たちが車から降りてきた。真希が慌てて早紀子の後ろに回りこんで身を隠す。
「あいつらか?」
 真希が頷く。早紀子が真希を連れて奥の部屋に戻った。
「昨日の女は来たか?」男たちが将毅と話している声が聞こえてくる。
「いや」
 このあたりを探しているのだ。余所者が身を潜められる場所は、温泉街以外にはペンションが集うこの辺りしかない。温泉街の地回りには話をつけているはずだ。すべての旅館に町の顔役から連絡がいき、探している女に似た客がいると連中に連絡が入ることになっているのだろう。
「隠すと酷い目に遭うぞ。見かけたら、必ず知らせるんだ」
 男たちが再び車に乗って出て行った。
「どうする? こんな日の朝から、連中はあんたを探しているようだが」
 早紀子に連れられて戻ってきた真希に聞いた。
「連れて行ってください」
 早紀子が不安そうに恭介を見た。大丈夫だよ。そう彼女に目で応えた。
「わかった。いこう」
 玄関を出て駐車場まで走っていくと、将毅の車の後部座席に真希を押し込み、恭介は助手席に座った。後ろの窓にはフィルムが貼ってあるので、外から車内は見えない。
 和弥の家に向かう間、三人は無言だった。怪しい車とすれ違うことも無かった。
 和弥の家の傍に来た。家の前に黒い車が停まっている。ペンションに来た車だった。車の外で、チンピラ風の男がひとり、タバコを喫っている。
「あいつら見張ってやがるのか」
 恭介がバックミラーで後部座席にいる真希を見た。彼女が不安そうな目で、和弥の家にいる男を見ていた。
「あんたがあの家に行くと踏んでいるんだな。連中はあんたが祥子さんの友人だと知っているのか?」
 真希が黙って頷く。やつらはてこでもあの家から動こうとしないだろう。
「相手は一人だ。蹴散らしてやるか」恭介が車のドアを開けようとした。
「あの手の連中はすぐに仲間を集める。静かな場所なんだ。揉め事は起こすな」
 将毅が恭介を諌めた。
「あの……。祥子さんの家のそばにお寺があると聞いたんですけど」
「あるが、ただの寺で墓しかない」
 あの上だといって、将毅がフロントガラスの向こうに見えている山の頂きを指差した。
「わかりました。もういいです。祥子さんのお家も見られましたし」
「とりあえず、ここから離れよう。今後のことは戻ってゆっくり考えればいい」
 将毅は車を再び走らせた。様子を見るために温泉街を貫く道を走る。人通りのない道路に、目つきの鋭い男が立っているのが見えた。宿泊施設を見張っているようだ。ずいぶん本格的に探している。台風が近づいてきているので、町には観光客はほとんどいない。車通りも少ないので、下手に動くと目につく危険がある。
「戻るぞ」
 将毅は車をペンションに向かわせた。戻ってきた車を、早紀子が出迎えた。憔悴した表情で車を降りてきた真希を心配そうな目で見つめ、家の中に入れた。
「車で町を出るのは難しそうだな。あの様子じゃ、町を出る道も見張っているはずだ」
 将毅が忌々しげに言う。テーブルに着いた真希が不安そうに恭介を見た。
「船で街を脱出するのはどうだ?」
「海が荒れていて無理だ。町を出るには岬を回り込まなくっちゃならないが、この波じゃ外洋に出られない。ボートが転覆するかもしれないし、岩礁の多い場所だから、ボートがコントロールできなくなったら岩にぶつかってしまう」
「夜に車で街を出よう。街から出ていくすべての車を見張るのは連中でも不可能だ」
「そうだな。あんたは夜になるまでここにいるといい」
「でも、さっきの男たちがまたここに来るかもしれません。迷惑をかけることになります」
「気にするな」
 早紀子も頷きながら、膝の上で握り締められた真希の手を掌で包んだ。

 昼食を食べ終わったちょうどその頃、瑛太がペンションにやってきた。リビングでくつろいでいた早紀子と真希にいつもの軽薄そうな笑顔で挨拶すると、タバコを喫おうといって、恭介と将毅を外に連れ出した。
「ヤクザっぽい連中が大勢、温泉街をうろついているよ」
 瑛太は銜えたタバコに火をつけて深く肺に吸い込むと、一気に煙を周囲に撒き散らした。
「あの女、かなりの厄介者だぞ」
「まあ、そういうな。早紀子が気に入っているんだ」将毅が周囲に目を配りながら言った。
「和弥の家にも連中が見張っているんだろ? 町にも全部で二十人はいたぞ。チンピラみたいなのばかりだけどな」
「ということは、やはり金絡みだな」
 恭介の言葉に、二人が眉根を寄せた。どうしてそんなことがわかるんだと、目で問いかけている。
「もし組関係者を殺したのならこの程度ではすまない。おそらく、やばい金を盗んだか、多額の借金を踏み倒したか。兄貴分がチンピラを率いて出張ってきているんだったら、まあ、そんなところだろ」
「でも、あの女、金なんて持っていなかっただろ。金どころか、下着すら持ってきていない。着の身着のまま逃げてきたって感じだ。温泉街の置屋から逃げ出した娼婦だよ」
 将毅がポケットを探っていたが、タバコを忘れてきたようだった。恭介がポケットからマルボロの箱を取り出して、将毅に投げた。
「あの女は町から逃げたがっている。だったら、逃がしてやるさ。とにかく、揉め事が起こる前に、あの女を早く町から追い出す。もう戻ってくるなと言い含めてな」
「厄介払いか。冷たい男だな。また早紀子ちゃんに睨まれるぞ」瑛太が同じ言葉で将毅を責めた。
「なんとでも言え。お前らに客商売の難しさなんてわからないんだよ」
 ようやくタバコに火をつけた将毅が、恭介に箱を投げ返した。
「午前中、配達先を回っているとき、荻山にあったんだ。あいつも町の様子に驚いていたよ。何かあったのかってな」
 荻山は恭介たち三人の高校の同級生だ。
「で、そのとき和弥の話が出たんだが、あいつ、東京からきたヤクザ風の男をぼこったらしい」
「いつの話だ」
「あいつが死ぬ二週間ほど前の話だってよ。荻山と一緒にいるときに三人組の男がいきなり絡んできたんだと」
 そういって瑛太は、ふたりを順番に見た。
「あいつ、ヤクザみたいな連中と揉めていたらしんだ。お前ら、知っていたか?」
 恭介も将毅もお互いの顔を見ながら、「いや」といってかぶりを振った。
「どうしてかは知らないけど、しつこく付きまとわれていたらしい。和弥のことだから、それで頭にきて殴ったんだろうな」
 ありうる話だ。ヤクザにびびる様な奴じゃなかった。
「喧嘩だけは強かったからな、あいつは」将毅が言った。
「女絡みで揉めたんじゃないのか? 温泉街でチンピラの連れの女を口説いたんだよ、きっと」
「あいつは能島にぞっこんだった。他の女を口説いたりはしない」
「そんなの、わかんねえだろ。たまには他の女を味見したいって時、あるだろ?」
「もしかしたら、祥子さんが絡んでいるかもしれないな」恭介が言った。「あの女、祥子さんとかなり親しかったらしいから、姿を消した祥子さんの居場所を聞きだそうとしているのかもしれない」
「それで、俺たちにも追われている理由を言わないのか」将毅が言った。
「逆に、俺たちに事情を話して助けを求めるんじゃないのかな」
「そうなれば、祥子さんが何をやったか、話さなくちゃならなくなるだろ」
 そうか、と瑛太が納得したように深く頷いた。

 早紀子と真希をペンションに残し、三人は将毅の車で街の様子を見に行った。
「見ろよ」
 助手席に座っている恭介が、顎をしゃくった。道路に怪しい車が止まっている。街から外に出る道の要所要所に、仲間を配置させて真希を探しているのだ。
 さすがだと思わず感心してしまう。人探しに慣れている連中のようだ。
「あれ、茂樹の車じゃないのか?」
 瑛太が窓の外を指差した。見覚えのある黒の高級車が、喫茶店の駐車場に停まっている。将毅がハンドルを切って、駐車場に車を入れた。
 店内に入ると、茂樹が一人でコーヒーを飲んでいた。彼が三人の姿に気づいて手を挙げた。
「まだ帰っていなかったのか」恭介が茂樹の前に座る。将毅と瑛太が隣の席に腰を下ろした。
「久しぶりに帰って来たんでな。あちこちに顔を出していた」
 そう言えば、確かこの店も茂樹のお気に入りだった。
「何かあったのか? そこらじゅうヤクザだらけじゃねえか」
「お前が呼んだんじゃねえのか。類は友を呼ぶってな」
 将毅の冗談に、四人は笑った。
「女が逃げているらしいな」
「どうして知っているんだ?」
「連中が女を探しているようなことを口走っていた。さっき、車を停められて中を覗かれたんだ。それで、しつこく聞いてきやがった。俺は釣り客にも湯治客にも見えねえからな」
 恭介がふっと笑って、隣の席に座る将毅と瑛太を見た。
「将毅の家でその女を匿っているんだ」
 恭介の言葉に、茂樹が不意を突かれたような表情に変わった。
「お前たち、関わっていたのか?」
「成り行きで巻き込まれちまった。それで、何とかその女を町の外に逃がしたいと思っているんだ。だが、温泉街から出る道はすべて見張られている。この辺りの道にも目を光らせているみたいだしな。身を潜めることができるのは町から離れたペンションくらいのものだが、将毅のところにも連中が頻繁に顔を出してくる」
「お前のペンションも見張られているんだな」
 将毅が口元を歪めながら頷いた。
「知り合いの漁師の家に頼んで匿ってもらうこともできるが、地元の人間はヤクザ絡みの揉め事を嫌う。それに、こんな田舎だ。噂話はあっという間に広がってしまう」
「たしかに、将毅のペンションが一番安全だ」
 茂樹はタバコの吸殻を灰皿の上で押しつぶした。
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