マリンブルー リベンジ

アーケロン

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七 逃避行前夜

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 幸い、撃たれた瑛太に大きな怪我はなかった。被弾の衝撃で腹が赤くなっていたが、骨が折れている様子もない。
 病院にいけという恭介に、お前の怪我のほうが酷いだろうといって、ダイビングハウスのシャワー室に向かった。
 瑛太の背中を見送っているとき、不意に身体が震え出した。一歩間違えたら瑛太は死んでいた。これ以上、親友を失いたくはない。
 瑛太が病院にいこうとしないのは、警察との関わりを避けようとしているからだ。警察を避ける理由は瑛太にはない。真希の気持ちを思ってのことなのだろう。
 そして、恭介も同じ考えだった。全身痣だらけの身体を医者に診せれば、集団で暴行されたことがわかってしまう。警察に通報される可能性もある。警察が来れば何も説明しないわけにはいかないし、大蓮寺の駐車場に転がっている三つの死体との関連も疑われてしまう。
「ふたりとも病院にいって」
 早紀子に睨まれ、シャワー室から戻った瑛太は、しぶしぶダイビングショップを出て行った。机の角で腹をしこたま打ち付けたということにするらしい。
 しかし、恭介は店のソファに寝転がって目を閉じ、早紀子を無視した。瑛太の腹の痣とは違い、こちらは医者を誤魔化せない。病院にいくわけにはいかないのだ。
 高校二年のとき、夜の温泉街で東京から来た不良と三対一で喧嘩になって肋骨を三本折ったことがある。こうやって寝ていれば治る。
 やがて早紀子も諦めて、黙ってペンションの奥に引っ込んだ。口煩い早紀子も、今夜のことを警察沙汰にしたくないようだ。
「どうするんだ?」
「このまま寝て傷の回復を待つさ。肋骨が折れたといっても、ひびが入っているだけだ。今までそうしてきただろ」
「そんなことを聞いているんじゃない。三人死んでいる」
「わかってるよ」
 寺へ向かう暗い林道に人影は無かった。寺には住職がいるはずだが、銃声を聞いて様子を確認した気配もない。駐車場に残っているタイヤの跡は採取されるだろう。たとえ車の持ち主が将毅だとわかっても、恭介が連中を殺したわけじゃない。真希がこの町から出て行ってから警察に出頭しても遅くは無い。銃で三人を殺した男は海の中なのだ。
「警察がここを突き止めたときに説明すりゃいい。俺は何か罪に問われるのか?」
「犯罪を知った一般人は、警察に報告する義務がある」
「義務なんざ、くそくらえだ」
「そうだな」
 将毅が傍にある椅子に腰掛けた。
「あの女は?」首だけ横に向けて将毅を見た。少し動いただけで、胸に鋭い痛みが走る。
「早紀子が面倒を見ている」
 将毅が海水でふやけたポルノ雑誌をビニール袋から取り出した。雑誌を広げて食い込んでいた弾丸を取り出し、恭介の目の前に突き出した。
「こんなことになるとはな。あの女は何者なんだ?」
「さあな。だが、ヤクザと関わりがあるのは間違いない。連中から借金をしているようだからな」
「ヤクザから金を借りるタイプには見えんがな。それに、いくらヤクザでも女から借金を取立てるのに拳銃まで使わんだろう」
「銃を使ったのは別の男だよ。対立しているヤクザって感じでもなかった。真希を取り返すために、躊躇なく撃ったんだ」
「危なく瑛太も殺されるところだった。それにお前もな」
「悪運が強いんだよ。俺もあいつも」
「あれはとんでもない女だ。三人殺されて、自分も銃を突きつけられて攫われようとした。なのに、警察には何も言わないでくれと懇願している。それでも借金を踏み倒すために逃げ回っているという女の話を信じるのか?」
「じゃあ、どうするんだ。警察にちくるか?」
 将毅は口を閉じた。この男は「ちくる」という言葉が嫌いだ。
「町を出るのは難しくなったな。連絡が取れなくなった仲間を探すために、今頃奴らは応援を呼んでいる頃だ。それに、死体が見つかりゃ、そこらじゅう警官だらけになる」
 早紀子が真希を店に連れてきていたのに気づいた。ソファで横になっている恭介を、心配そうに見ている。
「あんた、警察にも追われているのか?」
 将毅が訊いても、黙ったまま何も言わない。だが、恭介も将毅も、真希を問い詰めるようなことはしなかった。そんなふたりを、早紀子は口を閉じたまま黙って見つめている。
 恭介と目が合うと、早紀子が視線を逸らせた。
「何か作ってくる」早紀子が台所に向かった。
「ごめんなさい。私、なんとお詫びしてよいか」
 今にも消えそうなか弱い声で、真希は頭を垂れた。目から涙が落ちて、床を濡らす。
「別にいいさ。身体は頑丈なほうなんだ」
「明日、あんたをこの町から逃がす。昼間にな。夜こそこそ動くのはやめだ。警官の数も増える。怪しい行動をして目をつけられると面倒だからな」
「はい」
 早紀子が簡単な食事を作って持ってきた。まだ飯を食っていなかったことを思い出した。
「船酔いが酷かったみたいだけど、食欲ある? 何か食べたほうがいいわ」
 そういって、早紀子が恭介を見た。大丈夫かとは聞いてこなかった。大丈夫じゃないことくらいわかっているのだ。
 恭介はゆっくりソファから身体を起こした。相変わらず痛みは酷かったが、ましにはなってきている。
 将毅が店の奥からテーブルを引っ張り出してきた。四人でテーブルを囲んだ。グラスに注がれたビールを一気に飲む。口の中が沁みる。酒を飲んでも大丈夫なのかと、早紀子が目で問いかけてきた。心配ない。空になったグラスを持ち上げて微笑んで返す。横に並んだ二人を見て、やはり真希と早紀子は似ていると思った。
 昨夜と同様、誰もが事件の会話を避けていた。早紀子は場が沈まないように会話の糸口を提供し、恭介と将毅が冗談を交えて彼女の努力に応える。だが、真希は一人黙ったままだった。
 食事を終える頃、早紀子がひとつ息をついた。酒に弱い彼女の顔がピンクに染まっている。
「あなたって、本当に綺麗ね。お酒飲むと、とても色っぽくなるし」真希が初めて微笑んだ。
「そんなこといっても、もう何も出ないですよ」
 照れる早紀子と目が合った。彼女が恭介に向かって口を突き出した。
「もう寝ろ。悪いが、早紀子を部屋まで連れて行ってやってくれ」
「大丈夫よ。そんなに酔ってないもん」
 行きましょう。真希が早紀子の手を取った。
「妹に手を出すなよ」
 将毅に微笑を返すと、真希が早紀子を連れて店を出て行った。
「早紀子とふたりにしていいのか?」
「あの女が早紀子に危害を加えるようなことはしないよ。それとも、もっと他のことを心配しているのか? 早紀子はノーマルな女だ」
「こんなときによくそんな冗談がいえるな。あの女はいくつも偽名を持っていて、狙われ方も普通じゃない。心配じゃないのか?」
「早紀子のことが心配なのか?」
「実の兄貴よりかは心配しているかもな」
 グラスに残っていたビールを飲み干した。空になったグラスを見て、将毅がウイスキーのボトルを持ってきた。それを新しいグラスに注ぎ、生のまま喉に流し込んだ。
「警察に突き出す気はないんだろ?」恭介が将毅のグラスにウイスキーを注ぎながら言った。
「助けてやるさ。どちらにつくかと言われりゃ、そりゃ、女のほうにつくだろう」
 将毅が昨夜と同じことを言った。
「女を街から無事連れ出したら、俺たちとは無関係になる。女が何者か気になるのはわかるが、俺たちには関わりのないことだ」
「そんなにあの女を追い出したいのか?」
「昨日も言っただろう。早紀子がだよ」
「そうは思えんがな」
 恭介が天井を向いた。上の階から女二人の笑い声が聞こえてくる。意外と盛り上がっている。
「女同士はすぐに仲良くなれていいな」
「あんな目にあったのに大した女だ」
 想像以上の修羅場を潜り抜けてきているのだろう。そんな真希を将毅が警戒しているのがわかる。あるいは本当に、恭介と早紀子との間で波風が立たないように、早く真希をこの町から追い出したいだけなのかもしれない。
 恭介がグラスを空ける。将毅が恭介のグラスにウイスキーを注いだ。将毅の両親は別棟に住んでいる。台風が来ているので客はいない。明日も仕事はない。このままここで酔いつぶれても、迷惑をかける奴はいない。

 目覚めたのはダイビングショップのソファの上だった。将毅が向かいのソファで寝ていた。
 ショップを出て海を見にいった。真夜中に降り出した激しい雨は、やんでいた。波も穏やかだ。台風が予定のコースを外れたのだろう。
 タバコを銜えて火をつける。最初のひと吹きを空に向かって吹き上げたとき、目の前を警察車両が二台連なって通り過ぎていった。どうやら、死体が見つかったようだ。朝早く墓を訪れる地元の老人も多い。
 海沿いの道を、温泉街に向かって歩いていく。大蓮寺に続く林道の入り口を、三台の警察車両が塞いでいた。
 今頃、寺の駐車場では証拠探しの真っ最中か。昨夜半、台風の影響で激しい雨が降っていた。ある程度のものは洗い流してくれているかもしれない。
 町を歩いて様子を探る。雨上がりの街は、そこらじゅう警官だらけだった。
 温泉街を一周して戻ってくると、将毅が外で待っていた。
「早紀子が探していた。朝飯が用意してある」
「あの女は?」
「飯を食い終わったばかりだ。今は早紀子と一緒にいる」
「肝の据わった女だな。こんなときによく飯が食えるものだ」
「お前もな。誰が見張っているかわかったもんじゃないのに散歩かよ」
「町の様子を見に行ってきた。賑やかだったよ。観光客でじゃなく警官でな」
「朝のニュースでやっていたよ」
 早く飯を食え。そういって、将毅がペンションの玄関に入っていった。
 リビングで早紀子が用意した朝食を食べながらテレビを見た。ヤクザが三人殺された事件は、ニュースとして全国に流れていた。
「厄介なことになりそうだな」
「もうすぐ終わるさ」
 横でコーヒーを飲んでいた将毅がポツリとつぶやいた。
「終わった?」
 早紀子がリビングに入ってきた。後ろには湯気を立てているコーヒーカップを持った真希が立っている。早紀子の萌黄色のワンピースを着ていた。早紀子の服を着ていると、余計にそっくりだ。それにしても仲がいい。ペンションにいるときはいつも二人一緒だ。将毅でなくとも、本当に何もなかったのかと疑いたくなる。
「出発するなら早いほうがいい。時間が経つと、ますます人が増える。警官とヤクザがな」
 湯気を吹きながら、真希が持ってきたコーヒーを一口啜る。早紀子が寂しそうに視線を床に向ける。涙ぐんでいるようだ。
「いつでも出られます。私、荷物もないから。早紀子さんが洗濯してくれた服も乾いていると思うし、すぐに着替えてきます」
「そのワンピース、着ていってください。私はもう着ないから」
「じゃあ、いただくわ」
「真希さんのお洋服、持ってきてあげる」
 そういってリビングを出て行こうとする早紀子を制止し、真希が出て行った。
「昨夜、何があったの?」
「彼女から聞いていないのか?」
 早紀子が黙って頷いた。
「たいしたことじゃない」
「でも、なんとなく、わかる気がする。あの人、きっと幸薄い人なのよ」
 紙袋を持った真希が戻ってきた。ペンションの玄関を出たとき、駐車場に黒の高級車が滑り込んできた。真希が慌てて玄関の中に逃げ込んだ。
「やつらじゃない」
 車から降りてきた茂樹が右手を上げた。
「なんだ、お前。どうしたんだ?」
 茂樹が痣だらけの恭介の顔を見て、声色を変えた。
「たいしたことじゃない。ちょっと揉めただけだ」
「寺のほうでヤクザの死体が見つかったそうだが」
「そうかい。俺には関係ねえよ」
 茂樹が探るような目を向けてきたが、無視した。
「三人相手に大立ち回りとはな。相変わらず、無茶なことしやがる」
「関係ねえって言ってるだろ」
 苛立ってタバコを銜えた。
「お前らが匿っている女は無事に逃がしたのか?」
 恭介が顎をしゃくった。玄関から顔を出した真希が、茂樹を見て顔を強張らせている。
「安心しろ。俺たちのダチだ」
「ヤクザかと思っちゃった」真希が表情を緩めた。
「ひでえな。初対面の女にまでヤクザ呼ばわりされるとはな」
「ごめんなさい」真希がくすっと笑う。
「例の女か?」
 茂樹の言葉に恭介が黙って頷く。
「今から彼女を町から逃がす」
「町中警官とヤクザだらけだぜ」
 温泉街をぶらついたときは気づかなかったが、仲間を殺されたヤクザが助っ人を町に呼び、あちこちで大騒動になっているらしい。警官とヤクザがあちこちで睨み合っている。報道陣の数も多い。
 人目が多すぎる。このままでは真希が見つかるのも時間の問題だ。ヤクザ連中は仲間が殺された事件に真希が絡んでいることを嗅ぎつけているだろう。目の色を変えて彼女を探しているはずだ。それに、連中が真希を追いかけていることはやがて警察にも知られる。
「俺も手伝おう」
 茂樹が手を差し出してきたので、マルボロの箱を投げてやった。
「検問突破の盾になってくれるのか?」
「そいつもいい考えだが、ひと騒ぎ起こして、その隙に逃げ出すほうがいい」
「どうやって?」
「おとりを使うのさ。町中を引っ掻き回して、ヤクザと警官たちを混乱させる。兄貴が許可してくれたらの話だがな」茂樹が、真希の横に立っている早紀子を見た。
 人手がいるから、集めてくれ。いつの間にか、茂樹が仕切っていた。
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