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もう一人の攻略対象

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「レオノール殿下、そちらの方は?」
 先ぶれ付きで訪ねてきたレオノールが、しかしいつもの侍従ではない人間を連れていたことにローズマリーは首をかしげる。
「あー、うん」
 レオノールも普段の彼らしくなく、曖昧なことをもごもご言って応えようとしない。それに業を煮やしたのか、彼の紹介を待たずにその連れは一歩前に出た。
「はじめてお目にかかる、ローズマリー嬢。私はティグレス・ベリルだ、レオノール殿下のいとこになる」
「……はじめまして」
 何とか最低限の礼儀を保って礼をとったローズマリーだが、結構内心は混乱していた。
 ティグレス・ベリルもゲームでは攻略対象の一人として登場する。
 本人が自己紹介したように、レオノールの従兄弟だ。何事も器用にこなし朗らかな笑顔で人気も高いレオノールに対し、まじめで堅物なティグリスは劣等感を抱いている。その長年凝り固まったコンプレックスを、主人公であるシオルに解かされるのだ。
 今生で思えば騎士として身を立てるために幼いころから鍛錬を積んできた彼が、ぽっと出の平民であるシオルが類稀な剣の才能を持つと聞かされて反感や嫉妬を感じなかったはずがない。
 それも精霊の加護のせいか、と思うとなかなか気の毒ではある。
 従兄弟だが、レオノールとティグレスはあまり容姿は似ていない。レオノールはどちらかといえば中性的な「王子様」で線が細い、ティグレスは鍛錬している分年齢の割に体格もしっかりしているほうだ。顔だちも甘く繊細なレオノールに対してティグレスはいかにも男の子っぽい。どちらも相当に美少年ではあるのだが。
「えぇと……では、他の方々は……?」
 そして今回の訪問、レオノールは今までとは全く違った大人数でやってきた。これまではごく少人数の侍従がついているだけで、護衛もほんの小隊程度。仮にも第二王子としては問題では、と両親とも話していたのだ。
 父によると王宮側では「十分な人員をつけている」と言っていたらしいが、到底そういう態勢ではない。何かあったらこちらに責任を負わされるのでは、と母は気に病んでいたそうだ。父が重ねて王宮に苦情を入れたところ、意図的にレオノールの護衛が減らされていたことが発覚した。それもなんと、彼がよく懐いている伯父が自分たちで護衛を出すと言って手配していなかったという。
 この伯父、ローズマリーの前世ゲーム記憶にはない人物だが、レオノールにとっては信頼篤い相手らしい。話を聞いているとしょっちゅう伯父上がどうしたこうしたと話題に出てくる。
 しかし残念ながら、その『伯父』の振る舞いはまだ子どものローズマリーから見ても、あまり真っ当とは思えない。母からもあまり良い噂はないと聞いていたが。
 二人の甥を連れてきたはずの大人が、その少年たちより手が掛かっている。
 出迎えたコランダム公爵夫妻にろくに挨拶もせず客間に入り、昼間なのに酒を出せと要求するわ客間が狭いと文句を言うわ、これまで何度か公爵家を訪ねていたレオノールがおろおろ挙動不審になるくらいひどい態度だった。
 その辺り、ローズマリーも直接見聞きしたわけではないが。使用人が声を潜めて教えてくれた。
「あれは、わがまま放題やるためにだけ来たんじゃないですかね」
「他人の家で傍若無人に振る舞うなんて、単純にお行儀が悪いのに」
「殿下もお可哀想に。大人があんな振る舞いでは、ご自身もお困りでしょう」
 公爵家の使用人ともなれば、純然たる平民は本当に下働きだけだ。大概は寄り子貴族の、爵位を継承できない子女が様々な職に就いている。それはつまり、貴族社会をある程度は承知しているということ。
 その彼ら彼女らから見ても、レオノールの伯父はまともな貴族とは思えないらしい。或いはきちんとした立場がないためかも、と言う者もいたが、だからと言って許容できるものでもない。
 当人またはその側仕えは公爵家という身分で理不尽な真似もしてきたようだが、あいにくこちらも同等の爵位である。まして当主の公爵相手に、部屋住みの爵位を持たない彼が勝手な振る舞いなどできるはずがない。

 その辺りをこの甥たちがどう判断しているのかは、ローズマリーにもわからない。ただ、今回大勢連れてきたのは王宮からと公爵家の護衛それぞれだ。ごく一部、伯父とその側近たち以外はまともで特にベリル公爵家の者は彼らを抑制している。王家から派遣された者たちは明確に関わりたくない様子だ。おそらくここに至るまでの道中でも何かしらあったのだろう。
「そうですわね……お二方にご提案ですが、更に移動する気持ちはおありですか?さすがに明日はお辛いでしょうから、明後日くらい。領内に、精霊の泉を祭る神殿がありますのよ」
 そろそろ、ゲーム主人公シオルが精霊の加護を得る時期ではないかと思われる。
 ローズマリーもこっそり情報を集めてはいるが、まだほんの子どもの彼女ではその手段もあまりない。相手が孤児で親の情報がないのも一因だ、名前と容姿は把握していても領内を網羅することもできない。
 ならば必ず接触するはずの精霊の様子を伺ってみるのも一興、程度の考えだが。父公爵からはむしろ『是非とも』と激押しされていた。
(公爵や精霊神殿からは、ローズマリー自身が加護を得るのでは、と期待されているのだが、本人はそうならないことを知っているのでそこは淡白なものだ)
 シオルが精霊神殿に併設された孤児院に引き取られるのは確定した未来だ。少なくとも加護を受ければ、そこに行かざるを得ない。精霊も、加護を与えた者を側に置くことを望む。ある程度育った者には自由を与えるが、子どものうちは会いたがるのが常だという。
 要は精霊、無邪気な子どもは無邪気に可愛がっても、ある程度物事の分別がつくような年齢になると興味を失ってしまうらしい。無責任ではあるが、相手が人外では致し方ない。
 とは言え精霊はこの国では信仰の対象であり、まみえるだけでも幸運とされている。ローズマリーの誘いを二人は素直に喜んだ。
「行ったからと言って必ずしも精霊様に会えるとは限らないのですが」
「あぁ、それはわかっている」
「可能性があるだけでもよいことだ」
 彼ら二人はいずれも王都に住んでいるという。その王都近辺には、精霊の確認できる場所はない。昔はあったというが目撃情報も途絶えて久しく、精霊神殿は置かれていても形骸化している。
 正直なところコランダム領の精霊神殿も形骸化しかかっていたのだが、ローズマリーの呼びかけで精霊が姿を見せてからは国内のあちこちから敬虔な信者が訪れるようになっていた。人の動きがあれば金も動き、経済が動いている。
 領地が栄えるのは良いが、そんなことまで自分の功績にされても困る、というのがローズマリーの正直な気持ちではある。

 領主の屋敷から精霊の泉がある街までは半日ほどかかる。その経路も街自体もずいぶん整備されて治安も良くなった。神殿も、建て替えこそされていないがあちこち修理され小綺麗になっているし、人も増えた。それだけ、寄付や何かで経済的な余裕もできたということだ。
「おぉ、ローズマリー嬢。ようこそおいでくださいました」
 おかげで、神殿からのローズマリーの好感度は高い。いくらかふっくらした老神官はいそいそと彼女を出迎えた。
「神官様、こんにちは。今回は、領地にいらした王子殿下と公子様をお連れしましたのよ」
「これはこれは」
 それでも神官は心優しい穏やかな老人で、忙しくなったことに戸惑いつ人も増えて賑やかになってよかったと喜んでいるような人だ。ただ賑やかになりすぎて、管理しきれなくなりつつある。そろそろ引退を考えているという。
「まあ、そんな。お体でも悪いんですの?」
「いえいえ。もっと優秀な神官が王都から派遣されることになりましてな。私ももう年齢とし年齢とし、ここらで引退してのんびりしようかと」
 ローズマリーはこの老神官が割と好きだ。温厚でおっとりしているが知識は幅広く、話が面白い。
「……もし神殿をお辞めになった後、特にされることがなければ。話し相手にきていただけませんか。……父にも相談してみますけど」
 公爵も、彼とは気が合っていたようなので、反対はしないと思う。神殿を辞める、というのももったいない。
「……そう、させていただけるなら、有り難いお話ですな」
 戸惑うように応じる神官は、しかし同時に安堵したようにも見えた。
「……ローズマリー嬢」
 しかしそこでさすがに焦れたレオノールが声をかけてきた。
「そちらの方を紹介してもらってもいいかな」
「あらっ、失礼いたしました。こちら、ここの神殿を長いことお一人で守ってこられた神官様です。私や父も、大変お世話になっておりますの。……神官様、こちらお連れするの初めてだったと思いますが。第二王子のレオノール殿下です」
「……初めまして」
 レオノールは若干人見知りの気がある。彼の周囲には甘やかす者しかいなかったらしく、いつも決まった限られた者が控えていて何も言わなくてもその意を汲んで動かれることに慣れていた。そのせいで反論されるとか定型ではない自分の意見を述べるとか、実はかなり苦手にしている。王家もそれは把握したらしいので、これからの課題だろう。
「そしてこちらが、ベリル公爵家令息ティグレス様」
「こんにちは、はじめまして。ローズマリー嬢にはお世話になっています」
 少なくとも今の段階では、ティグレスの方がレオノールよりは対人関係については慣れているようだ。単純にレオノールが足りていないのもあるが、ベリル家もそれを案じて彼を同行させたのだろう。
 本来なら年齢の近い侍従がそれを担ってもいいのだが、レオノールの侍従は見た目ばかり綺麗でほぼ使えない。何かあってもレオノールを助けるでもなく黙って側に控えているだけ。例えばコランダム家の侍従が直接物を尋ねても、「主人に聞かねばわかりません」と答えたらしい。しかもその『主人』とやら、レオノールでも王家でもなく、ベリル家部屋住みの伯父だというからコランダム家側でも呆れ返った。
 その話が家令からコランダム公爵へ伝わってそこから更にベリル家へ伝えられた。ベリル公爵はさすがに頭を抱えて詫びを入れ、王家にも情報を流した。
 そこでようやく、ベリル公爵の弟で王妃の兄マオシェルが意図的に第二王子レオノールを囲い込み、都合の良いよう洗脳しているのでは、と疑いを持たれた。
 それまでレオノールは、伯父に懐いているものの受け答えも上手く知識もあって優秀な子ども、と見られていたのだが。どうやらその伯父が会話を教え込み誘導していたらしい。けして頭は悪くないレオノールだが、伯父への盲目的な信頼がマズイと判断されている。
なので、彼と距離を空けるために従兄弟のティグレスが同行しているのだろう、彼も幼い頃には件の叔父が近づいてきたこともあったが、大事な跡取りにはそれ以上にしっかりと教育係がついていた。
「それではお二方。ローズマリー嬢も、ご一緒に精霊様へのご挨拶に伺いますか。おいでになられるかはわかりませんが」
「はい、ありがとうございます」
「……はい」
「よろしくお願いします」
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