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魔球ストレート
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純がクラブに入ってから6年が経った。ピーマン、ニンジンその他諸々の野菜を満遍なく食べ牛乳を飲み魚をバリボリと食い肉をモリモリと食い、食いに食いまくり寝まくった彼はでかくなっていた。
身長168センチの小学六年生。もう学ランを着ていても問題ないくらいの身長である。そしてその肉つきは極めて健全なものである。ガリガリでもないし余分な筋肉が付いているわけでもない。
純は6年の間に練習で下半身をしっかりと鍛えスタミナへの不安を消すように努力している。そして小学生は変化球が禁止されているのでくせ球と言う言い訳でジャイロフォーシームとジャイロツーシーム、そして普通のストレートを持ち玉にしている。
ここでこの球の違いについて少し説明する。まず基本となるのがストレートだ。バックスピンがかかっているのでボールに浮き上がる力が発生する。それによって打者の手元まであまり落ちずにボールが届くのだ。
現在の純が基本的に投げているボールがフォーシームジャイロ。この球はジャイロ回転をしているので空気抵抗が少ない。だから投げた瞬間からキャッチャーが捕球する瞬間までボールが減速しにくいと言う特徴を持っている。ただバックスピンがかかっていないのでボールはストレートより落ちる。
そして純がフォーシームジャイロと同じくらいの頻度で使うのがツーシームジャイロ。これは縫い目の空気抵抗やら、縫い目にかける指の数が少ないことでそもそも手が滑って力が入れにくいとか色々な要因が重なって、純の場合はフォーシームジャイロより落ちる球になっている。
これらの球種を駆使して純はマウンドに立っていた。
純粋なバックスピンは無理をしているらしいと純はどこかの文献でみて若干ストレートを投げることを躊躇していたのだがある日ふと気づいたのだ。
それならば投手は全員怪我をしている。なぜなら投手の基本はストレートなのだから。あまりに基本的なことである。そのことに気づいた純はなぜ今まで思い至らなかったのか不思議でたまらなかった。
ということで純の中でストレートは変な投げ方をしなければ問題ないと言うことに帰着し、普通のストレートも投げれるようになろうと練習していた。
小学生にしては大きい体から繰り出されるフォーシームジャイロは高いリリースポイントからくるまさに魔球と言える物になっていた。
なお純は硬式野球のつもりでストレートとフォーシームジャイロ、ツーシームジャイロを使い分けていたが、軟式ボールでは空気抵抗が硬式よりも強く影響する。結果として変化も大きくなる。純が投げたボールはストレートのくせに若干ぐにゃぐにゃしていた。
そんなことを知らぬ純は必死にコントロールを磨き持ち玉である3種の精度を高めていた結果が出たと喜んでいるが……コントロール関係なく普通に打てないような変化をしていた。
しかも背が極端に高いやつの投げた極めて精度の高いストレートは普通に打ちづらい。が純はコントロール練習の賜物であると考えていた。間違ってはいないがあってもいないのだ。
そんなこととはつゆ知らず、純は強豪私立中学校に入学する。中身は資格を何個も取ったおっさんだ。効果的な勉強方法を熟知しているオッサンは当たり前のように学年首席で入学している。今日はそんな入学式。なんやかんやあって入学式が終わり諸々の説明を受けた。純は疲れていた。
『首席はスピーチをするって何故だ……手を抜けばよかったか?』
人前でマウンドに立つのはあまり緊張しない癖にスピーチとなると話は変わってくるらしい。純は靴を履き家に校門に向かい歩き始める。その一瞬の後、顔を上げた先に見たくないものを見つけてしまう。様々な親子が校門前で記念写真を撮っているが、そこにカメラを持った薫となぜかクーラーボックスに座っている絵里を見つけた。
『運動会じゃないんだぞ……』
それは運動会気分の両親であった。もしくはそれに近い何かしらのお祭り気分の両親だ。純は心の中で頭を抱えたくなった。純は片手で顔を覆った。
「おー、でかくなったなー」
『いつも見てるだろ』
薫がカメラを構えながらパシャパシャとシャッターを切る、切る、フラッシュを焚く。周りの人がジッと見ているが薫は気にしない。純だけが恥ずかしくなっている。純の耳が少し赤くなった。
「学ラン似合ってるわよー」
薫はクーラーボックスの中から炭酸飲料を取り出して自分で飲み始める。アルコールだったらアウトだろう。そもそも純も止めるべきである。
「父さん、母さん……落ち着いて」
純は感謝の言葉を言おうとしたが気恥ずかしさと周りの目線から照れ隠しをするように声を出した。純も実はこの夫婦に毒されていた。
実のところは高身長、高スペック、美男美女揃いの家族に周りの人達は目を奪われていただけだ。純の髪型は坊主だが顔はいいのだ。そして後日行われた部活見学会。もちろん純は野球部に直行してすぐに入部届けを書いた。
「はい、ではもう練習に参加しても?」
「ちょ、ちょっと待ってね。まだ顧問の先生に確認取らないといけないから」
2年生の先輩はあたふたしながら職員室へと走っていく。それはまるで自分で処理できない仕事をどうすればいいか上司に伺いに行く下っ端のようだった、というか下っ端そのものであった。この先輩は副キャプテンでこのチームの頭脳と呼べる人物なのだが有能なあまり仕事が集中している。
「おい、お前」
「はい、なんの御用ですか?」
純は後ろからしわがれたような声を聞いた。純が振り返ると、そこには見ればわかるようなコワモテコーチの姿があった。
「やる気はあるのか?」
コーチの鋭い眼光が純を突き刺す。純にとっては慣れたものである。
「はい、あります!投手志望です!」
「……じゃ、こっち来い」
コーチは中学生の投手が練習しているところに連れてきた。投手達は野手達と一緒に走り込みをしていた。至って普通の練習風景だ。体力がなければ練習時間もろくに取れないのだから育ち盛りで体力をつけることは間違ってないだろう。
「これでも投手がいいか?」
「はい、走るのは当たり前でしょう」
純にとってスタミナをつける練習を疎かにすることは許されないことである。琴線というものだ。コーチの前で純の素が出た。ヤバいかも?そんな顔をした純にコーチの視線が刺さる。するとおもむろに息を吸いニッコリ笑った。
「オッケー!入っていいよ!」
「軽っ?!」
あまりの変貌ぶりに純の口から本音が飛び出す。しかしコーチはそんなことを気にしていないようだった。
「ところで経験ある?」
「『緑の少年野球クラブ』でピッチャーをやってました」
「ふーん……え?あの伊藤 純か?」
実は純はこの中学校辺りの少年野球界隈ではちょっとした有名人であった。でかいだけのピッチャーは居るに居るのだが精密なコントロールと体を生かした投げ方をするのは純だけだからだった。
「えっと多分そうです」
「じゃああれだな。一年が入ってすぐに紅白戦をやるからピッチャーやってみなさい」
この時コーチの中にはある思いが浮かんでいた。『軟式ボールと硬式ボールの変化にどう対応するのか見ものだな』と。対して純はこう思っていた。
『軟式は変形しやすくて大変だけど硬式ボールなら少し重いけど変形しにくいし楽だなぁ』と。なんせ触れている時間だけで言えば硬式ボールの方が長いのだ。多少ブランクはあるかもしれないがなんとかなる気がしていた。
そして3週間後。全校生徒の部活動登録が締め切られ、いよいよ本入部となる。その間純はどうしていたか、というと。先輩と同じところで自分に合わせた走り込みなどの体力づくりを行い、ついでに先輩達の練習メニューをこっそり見て器材のセッティングを行うなどしてチームに溶け込もうとしていた。
そして迎えた紅白戦、というよりも2、3年チームVS新人チームである。打たせてあげようとかそういう気持ちが微塵も感じられず新入生をボコボコにしようとする魂胆が透けて見える。
またなのか? という気持ちが純の心の中に浮かぶ。こんな風習はなかったと記憶している。幾分前のこととは言えこのような出来事があれば覚えているはずなのだから。
先攻は一年の新人チーム。寄せ集めであるため防御はボロボロである。
できるならば点数を取っておきたいところだ。ちなみに純の打順は9番。
純は投球のために準備運動とストレッチを念入りにしていた。
「ね、ねぇ純君。サインとかってどうする?」
同じ一年である岡部 将也が投球の際のサインについて純に聞いてくる。岡部は今回キャッチャーをするらしい。彼は純と同じチームで少年野球をしていた経験者だ。純は顔を覚えていなかったが向こうは知っているらしい。
そういえば小学生の時にキャッチャーがいなかったので良さげな子供を誘ってキャッチャーにした覚えがあったような気もする。純は小学生の時の同級生の顔を全く覚えていなかった。
「コースだけ決める感じで、後はミットを構えてずらさなければ大丈夫」
純はそう答える。そしてコースを決めるサインを確認しあった。確認が終わる頃には第3打者が投げられたカーブを捉えようとバットを振るい空ぶった。スリーアウトチェンジ。
「じゃ、行こっか」
「えぇ、大丈夫?純くん?」
「大丈夫だって、俺を信じろ。な?」
「わかった。また信じることにするよ」
岡部将也はキャッチャーの定位置にしゃがみミットを構える。投球練習で1回投げる。投げたのはジャイロフォーシームだ。そしてプレイボールという掛け声が響く。硬式ボールを試合で投げるのは初である……が純は前世で何回か投げたことがある。
1球目、いつも通りに投げたフォーシームジャイロはミドルローに構えられたミットのど真ん中に吸い込まれる。振られたバットはボールの一個上を素通りしていた、その上若干振り遅れていた。純としては慣らし的な感覚で投げたボールだ。
岡部が綺麗なキャッチングをしたことで純から感嘆の声が出た。
そのキャッチングを教えたのは純なのだが、それを覚えてはいないようだ。
2球目。岡部 将也はアウトローへのボールを要求する。投げられたフォーシームジャイロはまたしてもバットをくぐり抜ける。バッターが首をかしげる。見ている他の上級生も首をかしげる。岡部は楽しそうに笑っていた、純もニヤリと口角を上げる。
3球目。ボールをストライクゾーンより下へ要求された純は首を縦に振った。ストライクゾーンに入るギリギリを狙ってフォーシームジャイロを投げる。バッターは低めに意識がいっていたらしく自信を持ってフルスイングしたがボールはミットの中に納まっていた。
この時バッターボックスから帰ったバッターが他の選手から質問を受ける。
「どうした?体の調子が悪いか?」
実はこのバッターは一番チームの中で安打率が高い。もちろん出塁率も高いのでボールを見る目もいい。とはいえ空振ること自体は珍しくもないことではある。しかし三球三振と一年相手に掠りもしないのはどうにもおかしかった。
「いや、なんていうか……気持ち悪い感じだ。力入れてる感じじゃないのにメチャクチャノビてくるし、ボールが思ったより下に来る」
「へー?」
同じチームの仲間が『何言ってるんだこいつ』といった表情をしている。
「つまり、よくわからんってことだな!」
「フォークじゃないのは確かだけどよくわからないんだろ?とりあえずバッターボックスで見てから考えるよ」
2人目のバッターがバッターボックスに立つ。
1球目、インハイにジャイロフォーシーム。そしてやはり空振り、これもまた振り遅れている。
2球目、アウトローにジャイロフォーシーム。これは見逃し。
3球目はミドルローへの要求だった。しかし純は首を横に振った。
バッターは次は打てるという気迫を出している。
『そもそも対応できるボールスピードだし、あのバッターはジャイロフォーシームの落ち方をもう分かってる気がするな』
投げたのはジャイロツーシーム。まるで制球を失敗したかのように真ん中よりほんの少し下側の打ちやすい場所にボールが向かう。
そしてタイミングを見事に合わせバットを振ろうとしたが、ボールが思った場所に来ない。とにかく当てようとしながら振ったバットは空を切った。ボールは先ほどよりも深く落ちミットに吸い込まれていた。
そして4回まで両者無失点が続く。純の投げたボールで打たれたものは全てゴロになっており内野陣もしっかりゴロを捌いている。ちなみに紅白戦は6回までで終わりだ。部活の活動時間的な問題らしい。
純はあまり疲れていなかった。とにかく無駄な動きを削いだピッチングを全力ではなく、ほどほどの力でしているからだ。肌に汗が滲むかどうかという感じでちょうど良い運動レベルであった。
5回裏。純はここで普通のストレートを使った。高いリリースポイントから投げ下ろされる高スピンのストレート。それは打者から見ると、一回沈んでから浮き上がってくるように錯覚するものだった。
バットはボールの下を泳いだ。そしてニ球目にジャイロフォーシームを使う。ストレートとタイミングがずれたことでバットが振り遅れた。
そして次はジャイロフォーシームをストライクゾーン限界まで下のところに向かって純が投げた。バッターは落ちると分かっていても先ほどの浮かび上がってくるようなストレートが脳裏に焼き付いて離れない。
振らなければ見逃し三振である。バッターは落ちていくボール球が浮かんでくると信じてバットを振る。もちろん空振りだった。バッターボックスから帰ると質問を浴びる。
「ストレートが浮き上がりながらノビてきた」
「俺も見てたぞ。横から見る分にはほんとに浮いてるわけじゃないのにな」
「そんなに球は速くないはずなんだけどなぁ」
その後紅白戦は無事引き分けで終了した。ちなみに純の打撃の成績は三打席で三振が一回、ショートゴロが一回、サードゴロが一回である。純は打撃の方のセンスが全くと言っていいほどなかった。
身長168センチの小学六年生。もう学ランを着ていても問題ないくらいの身長である。そしてその肉つきは極めて健全なものである。ガリガリでもないし余分な筋肉が付いているわけでもない。
純は6年の間に練習で下半身をしっかりと鍛えスタミナへの不安を消すように努力している。そして小学生は変化球が禁止されているのでくせ球と言う言い訳でジャイロフォーシームとジャイロツーシーム、そして普通のストレートを持ち玉にしている。
ここでこの球の違いについて少し説明する。まず基本となるのがストレートだ。バックスピンがかかっているのでボールに浮き上がる力が発生する。それによって打者の手元まであまり落ちずにボールが届くのだ。
現在の純が基本的に投げているボールがフォーシームジャイロ。この球はジャイロ回転をしているので空気抵抗が少ない。だから投げた瞬間からキャッチャーが捕球する瞬間までボールが減速しにくいと言う特徴を持っている。ただバックスピンがかかっていないのでボールはストレートより落ちる。
そして純がフォーシームジャイロと同じくらいの頻度で使うのがツーシームジャイロ。これは縫い目の空気抵抗やら、縫い目にかける指の数が少ないことでそもそも手が滑って力が入れにくいとか色々な要因が重なって、純の場合はフォーシームジャイロより落ちる球になっている。
これらの球種を駆使して純はマウンドに立っていた。
純粋なバックスピンは無理をしているらしいと純はどこかの文献でみて若干ストレートを投げることを躊躇していたのだがある日ふと気づいたのだ。
それならば投手は全員怪我をしている。なぜなら投手の基本はストレートなのだから。あまりに基本的なことである。そのことに気づいた純はなぜ今まで思い至らなかったのか不思議でたまらなかった。
ということで純の中でストレートは変な投げ方をしなければ問題ないと言うことに帰着し、普通のストレートも投げれるようになろうと練習していた。
小学生にしては大きい体から繰り出されるフォーシームジャイロは高いリリースポイントからくるまさに魔球と言える物になっていた。
なお純は硬式野球のつもりでストレートとフォーシームジャイロ、ツーシームジャイロを使い分けていたが、軟式ボールでは空気抵抗が硬式よりも強く影響する。結果として変化も大きくなる。純が投げたボールはストレートのくせに若干ぐにゃぐにゃしていた。
そんなことを知らぬ純は必死にコントロールを磨き持ち玉である3種の精度を高めていた結果が出たと喜んでいるが……コントロール関係なく普通に打てないような変化をしていた。
しかも背が極端に高いやつの投げた極めて精度の高いストレートは普通に打ちづらい。が純はコントロール練習の賜物であると考えていた。間違ってはいないがあってもいないのだ。
そんなこととはつゆ知らず、純は強豪私立中学校に入学する。中身は資格を何個も取ったおっさんだ。効果的な勉強方法を熟知しているオッサンは当たり前のように学年首席で入学している。今日はそんな入学式。なんやかんやあって入学式が終わり諸々の説明を受けた。純は疲れていた。
『首席はスピーチをするって何故だ……手を抜けばよかったか?』
人前でマウンドに立つのはあまり緊張しない癖にスピーチとなると話は変わってくるらしい。純は靴を履き家に校門に向かい歩き始める。その一瞬の後、顔を上げた先に見たくないものを見つけてしまう。様々な親子が校門前で記念写真を撮っているが、そこにカメラを持った薫となぜかクーラーボックスに座っている絵里を見つけた。
『運動会じゃないんだぞ……』
それは運動会気分の両親であった。もしくはそれに近い何かしらのお祭り気分の両親だ。純は心の中で頭を抱えたくなった。純は片手で顔を覆った。
「おー、でかくなったなー」
『いつも見てるだろ』
薫がカメラを構えながらパシャパシャとシャッターを切る、切る、フラッシュを焚く。周りの人がジッと見ているが薫は気にしない。純だけが恥ずかしくなっている。純の耳が少し赤くなった。
「学ラン似合ってるわよー」
薫はクーラーボックスの中から炭酸飲料を取り出して自分で飲み始める。アルコールだったらアウトだろう。そもそも純も止めるべきである。
「父さん、母さん……落ち着いて」
純は感謝の言葉を言おうとしたが気恥ずかしさと周りの目線から照れ隠しをするように声を出した。純も実はこの夫婦に毒されていた。
実のところは高身長、高スペック、美男美女揃いの家族に周りの人達は目を奪われていただけだ。純の髪型は坊主だが顔はいいのだ。そして後日行われた部活見学会。もちろん純は野球部に直行してすぐに入部届けを書いた。
「はい、ではもう練習に参加しても?」
「ちょ、ちょっと待ってね。まだ顧問の先生に確認取らないといけないから」
2年生の先輩はあたふたしながら職員室へと走っていく。それはまるで自分で処理できない仕事をどうすればいいか上司に伺いに行く下っ端のようだった、というか下っ端そのものであった。この先輩は副キャプテンでこのチームの頭脳と呼べる人物なのだが有能なあまり仕事が集中している。
「おい、お前」
「はい、なんの御用ですか?」
純は後ろからしわがれたような声を聞いた。純が振り返ると、そこには見ればわかるようなコワモテコーチの姿があった。
「やる気はあるのか?」
コーチの鋭い眼光が純を突き刺す。純にとっては慣れたものである。
「はい、あります!投手志望です!」
「……じゃ、こっち来い」
コーチは中学生の投手が練習しているところに連れてきた。投手達は野手達と一緒に走り込みをしていた。至って普通の練習風景だ。体力がなければ練習時間もろくに取れないのだから育ち盛りで体力をつけることは間違ってないだろう。
「これでも投手がいいか?」
「はい、走るのは当たり前でしょう」
純にとってスタミナをつける練習を疎かにすることは許されないことである。琴線というものだ。コーチの前で純の素が出た。ヤバいかも?そんな顔をした純にコーチの視線が刺さる。するとおもむろに息を吸いニッコリ笑った。
「オッケー!入っていいよ!」
「軽っ?!」
あまりの変貌ぶりに純の口から本音が飛び出す。しかしコーチはそんなことを気にしていないようだった。
「ところで経験ある?」
「『緑の少年野球クラブ』でピッチャーをやってました」
「ふーん……え?あの伊藤 純か?」
実は純はこの中学校辺りの少年野球界隈ではちょっとした有名人であった。でかいだけのピッチャーは居るに居るのだが精密なコントロールと体を生かした投げ方をするのは純だけだからだった。
「えっと多分そうです」
「じゃああれだな。一年が入ってすぐに紅白戦をやるからピッチャーやってみなさい」
この時コーチの中にはある思いが浮かんでいた。『軟式ボールと硬式ボールの変化にどう対応するのか見ものだな』と。対して純はこう思っていた。
『軟式は変形しやすくて大変だけど硬式ボールなら少し重いけど変形しにくいし楽だなぁ』と。なんせ触れている時間だけで言えば硬式ボールの方が長いのだ。多少ブランクはあるかもしれないがなんとかなる気がしていた。
そして3週間後。全校生徒の部活動登録が締め切られ、いよいよ本入部となる。その間純はどうしていたか、というと。先輩と同じところで自分に合わせた走り込みなどの体力づくりを行い、ついでに先輩達の練習メニューをこっそり見て器材のセッティングを行うなどしてチームに溶け込もうとしていた。
そして迎えた紅白戦、というよりも2、3年チームVS新人チームである。打たせてあげようとかそういう気持ちが微塵も感じられず新入生をボコボコにしようとする魂胆が透けて見える。
またなのか? という気持ちが純の心の中に浮かぶ。こんな風習はなかったと記憶している。幾分前のこととは言えこのような出来事があれば覚えているはずなのだから。
先攻は一年の新人チーム。寄せ集めであるため防御はボロボロである。
できるならば点数を取っておきたいところだ。ちなみに純の打順は9番。
純は投球のために準備運動とストレッチを念入りにしていた。
「ね、ねぇ純君。サインとかってどうする?」
同じ一年である岡部 将也が投球の際のサインについて純に聞いてくる。岡部は今回キャッチャーをするらしい。彼は純と同じチームで少年野球をしていた経験者だ。純は顔を覚えていなかったが向こうは知っているらしい。
そういえば小学生の時にキャッチャーがいなかったので良さげな子供を誘ってキャッチャーにした覚えがあったような気もする。純は小学生の時の同級生の顔を全く覚えていなかった。
「コースだけ決める感じで、後はミットを構えてずらさなければ大丈夫」
純はそう答える。そしてコースを決めるサインを確認しあった。確認が終わる頃には第3打者が投げられたカーブを捉えようとバットを振るい空ぶった。スリーアウトチェンジ。
「じゃ、行こっか」
「えぇ、大丈夫?純くん?」
「大丈夫だって、俺を信じろ。な?」
「わかった。また信じることにするよ」
岡部将也はキャッチャーの定位置にしゃがみミットを構える。投球練習で1回投げる。投げたのはジャイロフォーシームだ。そしてプレイボールという掛け声が響く。硬式ボールを試合で投げるのは初である……が純は前世で何回か投げたことがある。
1球目、いつも通りに投げたフォーシームジャイロはミドルローに構えられたミットのど真ん中に吸い込まれる。振られたバットはボールの一個上を素通りしていた、その上若干振り遅れていた。純としては慣らし的な感覚で投げたボールだ。
岡部が綺麗なキャッチングをしたことで純から感嘆の声が出た。
そのキャッチングを教えたのは純なのだが、それを覚えてはいないようだ。
2球目。岡部 将也はアウトローへのボールを要求する。投げられたフォーシームジャイロはまたしてもバットをくぐり抜ける。バッターが首をかしげる。見ている他の上級生も首をかしげる。岡部は楽しそうに笑っていた、純もニヤリと口角を上げる。
3球目。ボールをストライクゾーンより下へ要求された純は首を縦に振った。ストライクゾーンに入るギリギリを狙ってフォーシームジャイロを投げる。バッターは低めに意識がいっていたらしく自信を持ってフルスイングしたがボールはミットの中に納まっていた。
この時バッターボックスから帰ったバッターが他の選手から質問を受ける。
「どうした?体の調子が悪いか?」
実はこのバッターは一番チームの中で安打率が高い。もちろん出塁率も高いのでボールを見る目もいい。とはいえ空振ること自体は珍しくもないことではある。しかし三球三振と一年相手に掠りもしないのはどうにもおかしかった。
「いや、なんていうか……気持ち悪い感じだ。力入れてる感じじゃないのにメチャクチャノビてくるし、ボールが思ったより下に来る」
「へー?」
同じチームの仲間が『何言ってるんだこいつ』といった表情をしている。
「つまり、よくわからんってことだな!」
「フォークじゃないのは確かだけどよくわからないんだろ?とりあえずバッターボックスで見てから考えるよ」
2人目のバッターがバッターボックスに立つ。
1球目、インハイにジャイロフォーシーム。そしてやはり空振り、これもまた振り遅れている。
2球目、アウトローにジャイロフォーシーム。これは見逃し。
3球目はミドルローへの要求だった。しかし純は首を横に振った。
バッターは次は打てるという気迫を出している。
『そもそも対応できるボールスピードだし、あのバッターはジャイロフォーシームの落ち方をもう分かってる気がするな』
投げたのはジャイロツーシーム。まるで制球を失敗したかのように真ん中よりほんの少し下側の打ちやすい場所にボールが向かう。
そしてタイミングを見事に合わせバットを振ろうとしたが、ボールが思った場所に来ない。とにかく当てようとしながら振ったバットは空を切った。ボールは先ほどよりも深く落ちミットに吸い込まれていた。
そして4回まで両者無失点が続く。純の投げたボールで打たれたものは全てゴロになっており内野陣もしっかりゴロを捌いている。ちなみに紅白戦は6回までで終わりだ。部活の活動時間的な問題らしい。
純はあまり疲れていなかった。とにかく無駄な動きを削いだピッチングを全力ではなく、ほどほどの力でしているからだ。肌に汗が滲むかどうかという感じでちょうど良い運動レベルであった。
5回裏。純はここで普通のストレートを使った。高いリリースポイントから投げ下ろされる高スピンのストレート。それは打者から見ると、一回沈んでから浮き上がってくるように錯覚するものだった。
バットはボールの下を泳いだ。そしてニ球目にジャイロフォーシームを使う。ストレートとタイミングがずれたことでバットが振り遅れた。
そして次はジャイロフォーシームをストライクゾーン限界まで下のところに向かって純が投げた。バッターは落ちると分かっていても先ほどの浮かび上がってくるようなストレートが脳裏に焼き付いて離れない。
振らなければ見逃し三振である。バッターは落ちていくボール球が浮かんでくると信じてバットを振る。もちろん空振りだった。バッターボックスから帰ると質問を浴びる。
「ストレートが浮き上がりながらノビてきた」
「俺も見てたぞ。横から見る分にはほんとに浮いてるわけじゃないのにな」
「そんなに球は速くないはずなんだけどなぁ」
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