幻のスロー

道端之小石

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コーチの内心

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山本やまもとつよし58歳。
職業は雪月高校野球部コーチ。
就任してから雪月高校野球部を何度も甲子園に導いている名コーチだ。
今の彼は鬼コーチとして名を馳せているがそれはとある出来事を境に変わったものである。
彼自身の根底には別の意思が今も燻りつづけていた。

少し昔の話をしよう。
とある出来事の前の彼は鬼コーチではなく選手の意思を最大限に汲めるように努力していたコーチで、選手と共に歩むコーチで個人個人をしっかりと気にかける良いコーチだった。
また、最新の理論を勉強し続け勝ちを得ることができる有能な若手監督と呼ばれていた。

そんな彼は娘2人息子1人を育てていた。
そんな息子が雪月高校野球部に入部した時、コーチはそれはそれはとても喜んでいた。

もっともそれを表面には出さず他の部員よりなるべくキツめに接するようにしていたので息子にはそのことがわかるはずもないのだが。

山本コーチの指示する練習内容は考えられて作られており全てに意味がある。
だから自主練習の際はコーチに報告するよう言い含めていた。

山本コーチの息子はピッチャーをしていた。
しかしコーチの指示する練習に加えて別の練習を秘密で行なっておりコーチはそれを見抜くことができなかった。
それは一重にきつく当たってくる親父を見返してやろうという反骨心から来る練習だった。

コーチが変わるきっかけとなった日。コーチは打撃の練習を見ていた。
コーチは個人個人を見る関係上どうしても目が行き届かないところが出るため練習メニューを個人個人に作ることで対応していた。
そして練習の成果を偶に行う校内戦で確認する事で変な癖がつかないように気を使っていた。
そうする事でどうにかコーチは個人個人を見ることができるようになっていた。
これまでは選手達が真面目にメニューを守っており問題はなかった。
これからも問題はないだろうとコーチは思っていた。

とある日、コーチがとある選手にバッティングの指導をしているところにキャッチャーの選手の1人が駆け込んできた。
これは息子が3年になった初夏のことだ。

「突然すいませんコーチ!山本が!」

焦って走ってきたようで少し息が上がりつつも1人の選手が呼びかける。

「落ち着け、どうしたんだ」
「とりあえず保健室に連れて行きました!状態の確認を」

この時点でコーチは息子が水分補給を怠って脱水症状を起こしたのだろうと思っていた。
長年培われた経験からくるコーチの予測はかなりの確率で当たる。
コーチは気楽な気持ちだった。

「わかった。お前達は今まで通りの練習を続けるように。水分補給は忘れるなよ」
「「「はい!コーチ!」

そしてコーチは念のために保健室に向かう……しかしコーチの予測は嫌な方向へ外れることになった。

息子はすぐに病院に運び込まれ精密検査を受けた。相当負荷をかけていたのか、それともコーチが悪かったのか。
野球選手に見られることがある肘の側副靭帯の断裂。
野球人生を続けるためにはトミージョン手術と呼ばれる手術を受けさせる他はなく山田剛はすぐに息子にトミージョン手術を受けさせた。

しかしリハビリの途中で甲子園の季節が巡ってきた。
今でもコーチの目にはリハビリをしながら涙を流す息子の姿が焼き付いて離れない。

息子から自分に黙って自主練習をしていたと後から聞いた時ハッと気づかされるような思いがした。
コーチが息子から聞いた話では個人メニュー以外をこなす選手は今までにもいたという。

コーチはこの時方針を変えた。
自分の身の限界を知らない子供ばかりなのだから自分がその前に歯止めをかけなければならない、と。
まずコーチは個人個人を見ることをやめ全体を常に俯瞰するようになった。
そして問題のある選手にストップをかけ修正していく。
コーチを怒らせると雷が落ちるとまで言われるようになった。

その出来事から約20年、未だにコーチの目から息子の涙が離れない。
どうしても選手を信用しきれなくなってしまった。

そして毎年恒例ではあるが一年生が入部してくる。

『今年は30人か。確かエース級のピッチャーが2人とリリーフが1人だったな。
他にも中学野球で芸術的、センスの塊とまで言われた二塁手と遊撃手。
走塁、盗塁センスと安定したヒットを打つ右翼手。どのような姿勢からも確実な送球を送る中堅手。今年は豊作だな』

コーチが書類から目を離し一年を見ると頭一つ抜けた人物がいた。
もちろん180センチ越えの伊藤 純だ。
物理的にも頭一つ抜けていてよく目立つ。

その後一年の試合が始まる前、気になってコーチは純の資料を調べた。

『公式試合全てでで自責点ゼロ。圧倒的に打たせてとることが得意なピッチャーか、それとも三振を確実に取れるピッチャーか。
打たせてとるにしてはヒットを打たれた回数が極端に少ないな。
しかし三振数が極端に多いわけでもない。
とにかくデータが足りない。
持ち玉がストレート(浮)、ストレート(落)、ストレート(減速)、シュート、カーブってのは意味がわからない。
やはり見てみるしかないな』

そして試合が始まるとコーチは目を見張った。あまりにも完成されたフォーム。しかしそこから投げ出されるボールはとても体格に見合った豪快ものではなかった。

『なんつー繊細なコントロールだ!?』

ストレート3種を使い翻弄しカーブで緩急をつけシュートを引っ掛けさせる。
コースギリギリを狙いバッターが見逃す。

純の投球はコーチにとって衝撃的なものだった。
そして純の持つポテンシャルをどうにかして限界まで磨き上げたいと思い初めていた。
彼の根底にある選手を信じたいという気持ちが20年の時を得て再燃し始めた。

そして対照的に豪快な投球を見せる松野光希を見てその熱は急速に冷めていった。
やはり自分のこの気持ちは選手達を怪我させてしまうものなのではないか、と。

その両方を交互に見たコーチの心情は揺れに揺れていた。
そして松野がスタミナ切れでリリーフと交代した時コーチは『選手個人を見て才能を伸ばしたい』という気持ちを抑えることに決めたのだった。

『バッティングは下手くそだったな』

純の欠点はバッティングが下手くそであるという点だろう。
三振であればまだいいが下手に当たれば併殺されること間違いない。

そして一度気になると他の選手まで気になり始めてしまった。
個人指導をしたい、この宝石のような才能達が今どこまで輝けるのか見てみたい、コーチはその欲を一軍との練習試合という形にした。

しかし帰りのラジオで『日曜日の~』という言葉や『月曜日からのお仕事~』と言った言葉を聞き頭を抱えたい気持ちになった。
月曜日じゃ9回までする試合なんてできない。
結果として月曜日に選手達の前で土曜日に試合を行うと言うはめになった。

そしてコーチはいつも通り個人用のメニューではなくポジション別の均一化されたメニューに一年を混ぜて練習させてみた。

そこでいうことを聞かなかったグループがいた。純達4人である。
落雷のとばっちりで感電したくない他のメンバーはすでに純達から少し離れた場所で練習を始めている。

純達の周りだけなぜか誰もいない場所が出来ていた。

そして純達がストレッチを行いフォームチェックを始めたのをみてコーチは『怪我をしないようにしっかり意識をしている選手がいるなら少し目を離しても大丈夫か』と他のところを見ていた。

そしてしばらくするとターン!という今までよりもよく響く音を耳にしたコーチは純の方を注視する。
すると機械のような冷たさを感じるような投球から確かな熱を持った覇気ある投球に切り替わっているのを感じた。

純が投げたのはたった3球。
コーチが見たのは2球だけであったがコーチの意識を引きつけるには十分なものだった。

そして純が次に投げた球種スライダーを見た山本剛は無意識のうちにノートとファイルと治療キットが入ったカバンを手に純の下へ歩き始めていた。
無意識のうちに息が荒くなる。歩みは少しずつ早くなり大股で歩いた山本は純達4人の下へたどり着いた。

しかし山本の心配をよそに純はキャッチャーと戯れている。

山本はもう自分の気持ちを無視することはできなくなった。
鬼のコーチでなければ選手が怪我をする。
しかし寄り添わなければ選手の気持ちはわからないし磨くことは難しい。

そして山本は自分の中である決断をくだす。

『鬼のまま寄り添えばいい』

選手達に睨みを利かせていた遠雷が身近な落雷になったと選手達はまだ気づかない。

山本は鬼になると決めていても選手達から本当に嫌われる覚悟ができていなかった。
だからいつも遠くから怒り、本当にまずい状態になる一歩手前で介入していた。

だが山本剛という男は今、たとえ嫌われても磨きたいと思う人物に出会った。

雪月高校野球部の快進撃はここから始まる。

なお、コーチの評価はめちゃ怖い、からマジですげぇ怖い、という評価にランクアップした。
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