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前編
第31話 最後の言葉
アージャンの足元に横たわるクラーリオは、ピクリとも動かない。ドワソンは生きていると言ったが、見れば見るほどクラーリオの状態が深刻なのが分かる。
「こいつ、殆ど何も吐きやしなかった。……ただ、不思議なことに否定もしない。だから黒で間違いない。お前を攫いに来たんだ」
「……」
「……優しい言葉でも掛けられて、絆されたか? 残念だったな、それは嘘だよ。お前を自国に連れ去るために吐いた嘘だ」
ドワソンの言葉を聞きながら、エリトは唇を噛み締めた。
嘘を吐かれた、そんな事はもうどうでも良かった。どうやったらクラーリオが助かるか、その事だけがエリトの頭を支配する。
エリトはごくりと唾を飲み込み、震える口を開いた。
「……や、優しい言葉なんて掛けられていないし、信用もしていない。しかもそいつは、びっくりするほど弱いんです。とてもハンターなんて出来ない」
「……弱い? 弱いわけないだろう。カールとトッシュを殺したのは、こいつなんだから」
「!?」
エリトが驚愕の表情を浮かべると、ドワソンが片眉をピクリと動かす。エリトの表情を窺いながら、鼻で短く笑った。
「その顔だと、本当に知らなかったようだな。この野郎は、2人の殺害だけはあっさり認めやがった。だからな、捌き屋。こいつはもう死ぬしかない」
「……まさか……どうして……」
「どうして? 俺にも分からんな。だが身内を殺されたとなれば、生かしてはおけない。こいつは明日、処分する」
処分。
その言葉に、エリトは思わず息を呑んだ。
クラーリオは人間だ。穢れの子ではない彼が、処分される。
四肢をへし折り、魔獣であふれる魔泉へ放り込むのが、彼らの言う処分だ。どんなに屈強な者でも、手足が使えなければ魔獣に勝つことはできない。
「ドワソンさん……彼は人間です……。処分なんて……」
「……尊厳ある死を、と言ってるのか? 結局死ぬのは一緒だろう? そしてお前は、明日からここを出て、捌き屋を再開するんだ。身体の不調なんて関係ない。同じ量、同じ質の素材を納品しろ」
「……」
助けを乞うような表情を浮かべるエリトに、アージャンは唾を吐いた。汚らわしい物を見つめるような目で、エリトとクラーリオを見遣る。
「優しい言葉掛けられたくらいで、この男に情を抱きやがって! 捌き屋はどこの国に行っても所詮、穢れの子なんだ。この男と他国で幸せに暮らせるとでも思ったか? お前の母親は、この国にいることを忘れるな!」
「!! 他の国に行こうなんて考えてない! 母さんを置いて行くなんて、俺はしない!」
「……じゃあその男は、死ぬしかないな?」
ドワソンの声が耳に届いた瞬間、エリトの目から涙が零れ落ちた。一度流れ落ちたら、あとは止めることなど出来ない。ボロボロと涙を零すエリトを見て、ドワソンが忌々し気に舌打ちを零す。
「きったねぇ涙なんて見たくねぇんだよ! この男は死んで、お前は明日から働くんだ。死ぬまで逃げられやしない!」
「……」
「……気色わりぃ。おい、アージャン。この男、捌き屋の隣の牢にぶち込んどけ。……最後の時間をせいぜい楽しむんだな」
アージャンがクラーリオの服を掴んで、ずるずると牢屋の中まで引き入れた。クラーリオが引き摺られた後の床は、血の跡が線を描いている。
牢の中に入れられてもなお、クラーリオは動く気配がなかった。
重い金属音がして、クラーリオの牢が閉まる。アージャンはクラーリオにも唾を吐くと、見張りのみを残し、ドワソンと共に部屋を出ていった。
エリトは足を引き摺りながら、隣の牢に近付く。繋がれている鎖を限界まで引っ張って、震える唇を開いた。
「……クリオ……」
「……」
クラーリオの身体が僅かに動き、髪から覗く瞳が薄く開いた。赤黒く腫れた瞼の下から、穏やかな琥珀色の瞳がエリトを捕らえる。
そしてクラーリオは、悔しそうに顔を歪めた。
痛みに歪ませた表情ではない。エリトの姿を見て、その身を案じている表情だ。
やはりクラーリオには、嘘が見えない。見えないからこそ、エリトは心が砕けるような痛みに襲われる。
今からこの男を失うと思うと、エリトの心は絶望に覆われた。
「クリオ……ごめんな……俺なんかに、関わって……」
「……っ」
クラーリオが小さく咳を零すと、その唇から血が溢れ出した。この状態だと、明日など待たずにクラーリオは死んでしまうかもしれない。
エリトが繋がれた鎖を引っ張っていると、クラーリオが緩く頭を振った。その唇が小さく動くのを見て、エリトは動きを止める。
「エ……リ、ト、……すまない……」
「……クリオ……」
「……エリト……やせた……」
その唇から零れ落ちる声は、掠れて消えていきそうなほどか細い。
しかしクラーリオの表情は、次第に驚くほど穏やかになった。怯えるエリトを落ち着かせるように、血が滲んだ唇が緩く弧を描く。
「エリト……おれを、見て……」
「……クリオ?……」
クラーリオを見つめていたエリトは、急激に重くなっていく瞼に翻弄された。眠くなる状況ではないのに、抗えないほどの眠気がやってくる。
必死で頭を振っていると、クラーリオの穏やかな声が響く。
「エリト……君のお母さんは、どこだ?」
「……かあさん? 母さんは、この街にはいないんだ……。都に……いる……」
「そうか、分かった。……エリト、眠るんだ」
「……?……」
優しいクラーリオの声を聞きながら、エリトは瞳を閉じる。眠りの底にぐいぐいと引き込まれていく感覚は、不思議と心地よかった。
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